episode.11 列車に乗って
私は今、帝都へ向かう列車に乗っている。
トリスタンと一緒に。少ない荷物を詰め込んだ小振りのトランクを持ち、唯一のお出掛け着であるワインレッドのワンピースを着て。
彼の話によれば、アニタの宿屋があるダリアから帝国軍基地のある帝都までは、鉄道一本で行けるらしい。
そもそもダリアの外へ出たことのない私には、帝都の様子など想像できない。だが、都なのだから、素敵なところに違いない。きっと人々の夢と希望がつまったような場所なのだろう。
「鉄道って、こんな感じなのね」
隣の席でミカンの皮を剥くトリスタンに話しかけてみる——ちなみに、二人席なので周囲の視線は気にならない。
するとトリスタンは、視線をミカンから私へと移す。一つに束ねた長い金の髪が、夜空を駆ける流星のように動いた。
「そっか、マレイちゃんは列車に乗るの初めてなんだったね」
「えぇ。乗り物なんて乗ったことがないわ」
なんせ、こき使われてばっかりだったもの。
……とはさすがに言えないが、毎日仕事に追われていたことは事実である。
ただ、仕事ばかりの日々を送ってきたことを後悔はしていない。アニタの宿屋に雇ってもらえていなければずっと昔に飢え死にしていただろうし、シーツ洗いをしていなければ、トリスタンに出会うこともなかったのだから。
「それにしてもトリスタン、これで良かったの?」
「どういう意味かな」
ミカンの皮を剥ききったトリスタンは、両手を使って一房ずつに分けている。
潰してしまわないなんて凄い、と、私は内心感心した。
「療養中なんじゃないの?」
巨大蜘蛛の化け物と戦う直前に彼が言っていた言葉が、ずっと気になっていたのだ。「療養中なら、ゆっくりしていた方が良いのでは?」と思うからである。
「あぁ、そういうこと」
トリスタンは一房にちぎったミカンの実を私へ渡してくれる。彼の顔には、優しげで穏やかな笑みが浮かんでいた。春の日差しのような笑みだ。
「それなら気にしなくていいよ。どのみち一泊の予定だったから」
「一泊の療養なんて変よ」
「ま、確かにね。しかも、その間に怪我しているんだから、笑い話だよね」
そうだった。トリスタンは私を庇おうとして負傷したのだった。
思い出し、私は俯く。私のせいで、というのはどうも憂鬱な気分になってしまうのだ。もっとも、落ち込む権利など私にはないわけだが。
「でも、そのおかげでマレイちゃんという優秀な人材を発見できた。十分な成果だよ」
私は、哀愁漂う一房になったミカンを、口に含む。
薄い皮を歯が破ると、くちゅっと甘い汁が溢れる。口に入れたのはほんのひとかけらのはずなのに、果汁はかなりの量だった。ジューシーな味が口腔内に広がると、もっと食べたい衝動に駆られる。
さすがダリアミカン。美味しい。
「人材を発見って……帝国軍は人が足りていないの?」
私はミカンの余韻を堪能しつつ、思い浮かんだことを尋ねてみる。
すると彼は、少し気まずそうな顔つきをして、「そんな感じかな」と答えた。
どうも腑に落ちない。反応に不自然さを感じたのだ。だから私は、さらに尋ねてみることにした。この場においては躊躇いなど不要だろうから。
「何か事情でもあるの?」
私は彼の青い瞳をじっと見つめる。そうすると、彼はなおさら気まずそうな表情をした。これで確定だ、何かあることは確かだろう——そう思っていると、彼は観念したように口を開く。
「実はつい最近、化け物が大量に出現したことがあってね。その時に戦闘員がやられたんだよ」
「……死んだの?」
「何人か、ね」
トリスタンにあっさりとした調子で答える。
それに対して返す言葉を、私はすぐには見つけられなかった。咄嗟に相応しい言葉を見つけるのことなど、できるわけもない。私は何も言えず、沈黙が訪れてしまった。
深く長い沈黙——。
列車が走る規則的な振動以外に音はない。他と離れた二人席なのが裏目に出て、普通に呼吸をすることさえままならないような静寂に包まれる。
「……ごめんなさい。余計なことを聞いたりして」
長い沈黙を破り、私は謝罪した。今回の場合は、完全に私の配慮不足である。
しかし彼は、私を責めることはしなかった。
「気にすることじゃないよ。いずれは話さなくちゃならないことだったから」
トリスタンはやはり優しい。
けれど、彼の優しさに甘えてはならない。非は非だ。
「完全に配慮不足だったわ」
「そんなことないよ」
「いいえ! 私はもう少し考えて話さなくちゃならなかった。それは事実よ!」
私が言い放つや否や、トリスタンはクスッと笑みをこぼす。まるで面白いものを見たかのような、自然な笑いである。
「……何か変?」
妙に笑われるので、どこかおかしいところがあるのかと不安になり、尋ねてみた。
するとトリスタンは、笑い続けながら、首を左右に動かす。
「いやいや。ただね?」
「何?」
「マレイちゃん、真っ直ぐだなって」
彼は激しく笑うあまり、指でつまんでいるミカンの房を潰しそうになっていた。笑うと無意識に指先に力が入ってしまうようだ。
「真っ直ぐ、って……」
「もちろん良い意味でね。マレイちゃんのそういうところ、僕は好きだよ」
好き——飛んできた言葉が心臓に突き刺さる。
それを合図に、なぜか、鼓動が加速し始めた。自分で言うのもなんだが、私の心はよく分からない。本当に、謎だらけである。
「そ、そう……」
私はぎこちなく返した。
そこへ、トリスタンはさらに言葉をかけてくる。
「そういえば、そのワンピース似合っているね」
「えっ。これが?」
「ワインレッドが大人っぽくて良いと思うよ。僕は好きだな、そのワンピース」
刹那、またしても心臓が跳ねる。口から飛び出しそうな勢いだった。このままでは心臓がもたない。
心を落ち着けようと頑張っていると、トリスタンは唐突に静かな声になり呟く。
「……楽しいな」
意味深な言葉に「どうしたの?」と首を傾げる。
「いや、誰かとこんな風に話すのはいつ以来だろうって思ってね」
「帝国軍の人たちとは話さないの?」
「こういう穏やかな会話はあまりしないかな」
それもそうか。仕事だけの関係なら、こんな風なたわいない話をすることはないのかもしれない。
「じゃあ、私が帝国軍に入ったら、もうこうやって話せない?」
だとしたら少し悲しい。
しかし、彼が頷くことはなかった。
「君がいいなら、これからもこんな関係でいたいと思うよ」
「本当!?」
「もちろん。僕はそれを望むよ」
よ、良かったぁ。
私は安堵の溜め息を漏らす。
「ありがとう! 私も同じよ!」
「やっぱり、マレイちゃんは真っ直ぐだね」
「その言い方は止めて!」
不安がないわけではないが、今私は、凄く楽しい気持ちだった。胸は膨らみ、高鳴る。
いつまでもこんな二人でいられたらな、と思った午後だった。




