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暁のカトレア  作者: 四季
7.囮作戦

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episode.113 中庭

「あ、あの……」


 私は勇気を出して、ベール越しにボスへ話しかけてみた。


 胸の鳴りが加速する。額からは汗が吹き出す。全身の筋肉が強張る。

 緊張は最高潮に達しているが、今さら引くことなどできない。ここまで来たのだ、後はひたすらに進むのみである。


「ちょっと……構わない?」


 私の言葉に反応し、山のような影が近づいてきた。

 ボスだろう。ボスの体の大きさは他とは比べ物にならないほどだ。それゆえ、影を見るだけで、接近してきたのが彼だと分かる。


 やがて、ベッドを取り囲むベールがサッと開けられた。


「何だ」


 視界に入ったのは巨体。

 灰色の甲冑をまとった、隙などどこにもなさそうなボスである。


「何か、必要なものがあるのか」


 低い声で問われると、私は、本当にこんなことを言っても良いのだろうか、と思ってしまった。

 作戦だとは言え、彼を騙すのだ。もし途中で彼が私に騙されていることに気づいたなら、私は容赦なく叩き潰されることだろう。それ相応の覚悟をしなくてはならない。


「中庭を……見てみたいの」

「何だと? 中庭?」

「えぇ。まだゼーレが生きていた頃、彼から聞いたの。飛行艇にある中庭は、凄く素敵な場所だ、って」


 ほぼ嘘である。


 しかし、私はボスを中庭まで誘導しなくてはならない。だから、こうして嘘をつくのも仕方ないこと。

 すべて仕事のうちだ。


「だから……見てみたいと思って」


 少しの沈黙。


 その後、ボスは私を見下ろしたまま口を開く。


「そうか。ならば連れていってやろう」

「本当!?」


 思わず大きな声を出してしまい、慌てて口を押さえた。

 その時に偶然右手首を見て、腕時計が外されていることに気がつく。しかし、そんなことは重要ではない。


「本当に、連れていってくれるの?」

「お主がそれを望むのなら、連れていくくらいはしてやっても構わん」

「ありがとう! 嬉しいわ!」


 演技臭くなってはいないだろうか。それだけが心配だが、今のところボスの様子に変化はない。それを思えば、まだばれていない可能性もある。


 私はベッドから勢いよく立ち上がって、言う。


「一度行ってみたいと思っていたの!」


 真っ赤なドレスは予想していたより丈が長く、立ち上がった瞬間に転びそうになった。しかし、咄嗟にベッドを包むベールを掴んだため、転倒は免れた。


「何をバタバタしている」


 獅子のように王者の風格があるボスは、慣れないドレスにあたふたしている私を、冷めた目で見ている。


 何となく、悔しい。


「ごめんなさい。すぐに行くわ」

「我は待つのが嫌いだ。なるべく早く歩くように」


 妙に偉そうな言い方に、若干腹が立った。


「……分かったわ」


 こうして私は、ボスと二人で、中庭へと向かうこととなった。


 作戦は順調。このまま彼と二人で中庭へ行けば良いのだ。

 その後どうなるかは分からないが、他の隊員たちも合流する分、楽にはなるだろう。



 それからしばらく、私は、ボスの後ろについて歩いた。


 金属製の壁や床に包まれた通路は、何となくひんやりしている。私が露出の多いドレスを着ているせいかもしれないが、結構肌寒い。

 そして、一歩踏み出すたびにカンと鋭い音が響くのが、不思議な感じだ。帝国軍基地の床はこういった素材ではなかったためか、どうも慣れない。


「早くしろ。我は不必要に待つのが嫌いなのだ」

「待って! 速すぎよ!」

「ここは我が地。それゆえ、お主が合わせるのが当然だろう」


 巨体を揺らしながらずんずん歩くボスは、私の方を振り返ることさえせずに、口を動かしている。


「そう……そうね」

「納得がいかない、といった声だな。何か言いたいのか」

「べつに。何もないわ」

「本当か」


 少々面倒臭い。執拗に聞いてくるのは止めていただきたいものだ。


「私がそんな嘘をつくと思う?」

「いいや。ならいい、気にするな」


 それからは沈黙だった。

 先は見えず、静寂だけが私を包む。何とも過ごしづらい空気である。


 そんな空気の中、私はただ歩く。歩き、歩き、歩き続けた。歩く以外に、今できることはなかったから。



「着いたぞ。ここが中庭だ」


 数分歩き、中庭へようやく到着した。


 そこは、信じられないほどに美しい場所だった。

 若草色の大地に、煉瓦造りの花壇。そして、そこに咲き乱れる色とりどりの花。花を求めひらひらと舞う蝶さえ、この目には魅力的に映る。


 美しい——その一言しか思いつかない光景だ。


「凄い……!」


 私は思わず、目を何度もぱちぱちさせた。

 飛行艇内にこんな美しい場所があったなんて。そんな思い、そして感動が、胸の内を満たしていく。


 この美しい場所を今から血に染めると思うと、残念でならない。


 だが、それは仕方のないこと。


 レヴィアス帝国は、帝国に暮らす人々は、これまで多くの血を流してきた。化け物によって、数多の命が理不尽に奪われた。

 そして、それはこれからも続くだろう。

 だからこそ、今、化け物を送りこの帝国を悲劇へ引きずり込んだボスを倒さねばならない。そうすることでしか、私たちの暮らす帝国に明けをもたらすことはできないから。


「蝶も……飛んでいるのね」

「もう満足したか」

「いいえ……もう少し待って。もう少し、ここにいたいわ」


 中庭の中央には噴水があった。

 私は石造りの噴水の縁に座り、中に溜まっている水を手ですくう。ひんやりとした水が、指先と手のひらを濡らす。


「ボスはなぜ、私たちを狙うの?」


 水面に映る自分の姿をじっと見つめながら、私はボスに質問した。

 すると、彼は、淡々とした調子で答える。


「帝国を我が手の内に入れるためだ」


 もしかしたら、ボスを説得するという選択肢もあるのかもしれない。ゼーレにしたように、温かく寄り添って理解しあうことも、一つだったかもしれない。


 そんな風に思った瞬間もあった。


 けれど、それは多分無理だ。

 ボスはゼーレとは違う。


 だから——説得することはできない。残念だけれど。

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