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暁のカトレア  作者: 四季
7.囮作戦

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episode.104 化け物は消えた方がいい?

「そういえばゼーレ、今日は、蜘蛛に乗っていないのね。どうかしたの?」


 いきなりこれだと、話題がくだらない、と呆れられてしまいそうだが、勇気を出して話を振ってみた。すると彼は、一瞬戸惑いの色を浮かべたが、すぐにさらりと返してくる。


「たまには自分の足で歩かねば、と思いましてねぇ」


 確かに。

 蜘蛛型化け物に乗ってばかりいると、脚力が低下しそう。


「このまま老後のような生活を送るならともかく……普通に生きていくのなら、歩く力は必要ですから」


 ゼーレが放つ現実的な言葉を聞いていると、何だかおかしくて、くすっと笑ってしまった。妙に真面目なところが、言葉にならない愉快さである。


「……何を笑っているのです」

「ごめんなさい。ゼーレが真面目に現実的な話をしているものだから、おかしくて」

「心外ですねぇ。貴女は私を、不真面目な人間だと思っていたのですか?」

「違うの! そういうことじゃないのよ」


 私とゼーレはたわいない会話を続けた。


 今ここで絶対に行わなければならない話ではない。この話をしなくては誰かが死ぬというわけではないし、明日でも明後日でも構わない話だ。


 それでも私たちは、このどうでもいいような会話を、止めはしなかった。

 それは多分、こうして過ごす時間が楽しかったからだろう、と思う。ゼーレがどうだったかは分からないにせよ、少なくとも私はそうだった。


 しばらく話していると、次はゼーレが話題を振ってくる。


「ところで、囮役のことに関する話し合いは終わったのですか」


 最初は、ゼーレがその件を知っていることに驚いた。しかし少し経つと、驚きから、彼はそれをどこで知ったのだろう? という疑問へと変わっていく。グレイブが自らゼーレへ伝えるとは考え難いだけに、どのような経路でゼーレがその件を知ったのか、不思議だった。


「どうしてそれを?」


 直球で尋ねてみると、ゼーレは落ち着いた様子のまま答える。


「実は……私も、協力するか否か聞かれたのです」

「グレイブさんに?」


 ゼーレは腕組みをしながら、ゆったりと頷く。その動作からは余裕が窺える。


「それで、協力するって言ったの?」

「はい。今さら引き返すなど、不可能ですからねぇ」


 彼の答えに、私は安堵した。今さら敵同士になる、なんていう最悪のパターンとならずに済んだからだ。


「そこで、あの黒い髪の女から、カトレアを囮役とする作戦について聞きました。若い娘に何をさせるのか、と一応抗議したのですが……さすがに私には、意見が通るほどの力はありませんでしたねぇ……」


 ゼーレは不満げな顔でぼやく。


 しかしそれとは逆に、私は嬉しい気持ちになっていた。私の身を案じ、危険な役を負わせることに抗議してくれたのだから、嬉しくないわけがない。


 もっとも、私は囮役をするつもりでいるので、彼に心配をかけてしまうわけだが……。


「で、カトレアは囮役を受けたのですか?」

「えぇ」

「ボスのところへ行くのでしょう? 本当に大丈夫なのですか」


 翡翠みたいな彼の瞳には、不安の色が浮かんでいる。危険な場所へ行こうとする子の身を案じる親のような、優しくも不安が滲む目だ。


「平気よ。べつに何日もじゃないもの。何時間かだけなら、きっと、たいしたことは起こらないわ」

「それはそうかもしれませんが……あのボスが貴女に何をするか、分かったものではありませんよ」


 まだ不安の色が消えないゼーレに対し、私は述べる。


「……そうね」


 まったく怖くない、と言ったら嘘になる。私だって敵の中へ入っていくのは怖い。いかにも強そうな敵の中へ行くのだから、当然だ。


「でも、いいの」


 けれども、怖いからと逃げてはいたくない。


 現実から目を背けることは簡単だ。辛い現実には目もくれず、都合のいいことにだけ意識を向ける。そんな選択肢だってあるだろう。

 だが、それでは駄目なのだ。

 厳しい現実から逃げているだけでは、この世界は何も変わらない。


「帝国軍に入ると決めた時から、危険な目に遭うかもしれないことは覚悟していた。それでも平和のために戦おうって決めたの。だから、囮役だって何だってやってみせるわ」


 ゼーレは、微かに目を伏せながら返してくる。


「……随分立派な覚悟があるのですねぇ」


 それに対し、私は苦笑した。

 私はまだ、発言に伴った行動はできていないと思うから。


「立派風なことを言っていても、まだ、口だけだけれどね」

「でしょうねぇ」

「ちょ、酷いわね」

「それでも……言わないよりはましだと思いますよ」


 口だけ認定をされた時には一瞬焦ったが、後からフォローを入れてくれて良かった。最後のフォローがなかったら、かなり切ない目に遭うところだ。


「ありがとう。化け物がいなくなった素敵な世界を見られるように、これから頑張るわ」


 言いながら、ふとゼーレの顔を見て、「やってしまった」と焦る。彼が悲しげな表情をしていたからである。


「……あ」


 ゼーレが可愛がっている蜘蛛も、化け物の一種。化け物のいない世界には、ゼーレの蜘蛛だって存在しない。それは、ゼーレを、長年可愛がってきた蜘蛛たちと引き離すことと同義。


 そこを少しも考慮せず、迂闊に発言してしまったことを後悔した。


「ごめんなさい。貴方の蜘蛛も化け物だもの……不愉快だったわよね」


 しかし、ゼーレは意外にも、首を左右に振った。

 そして、きっぱりと述べる。


「気にしないで下さい。化け物は消えた方がいい——それは、まぎれもない事実ですから」


 それから少し俯いて、彼はふっと小さな笑みをこぼす。哀愁の漂う、大人びた笑みだった。



 今、彼の中には、どんな感情が渦巻いているのだろう。また、何を思い、何を考え、何を望んでいるのだろうか。


 それを知りたいと思った。


 彼の心の周囲には頑丈な壁があり、外から内を覗くことはできない。もちろん、誰だって心というものはそうだが、彼の場合その壁が特に分厚い。


 だからこそ、気になって仕方がないのである。

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