episode.100 距離
フランシスカの援護を受けつつ、トリスタンはアザラシ型化け物を斬っていく。
その剣捌きは、見ている者が思わず唾を飲み込んでしまうほど、華麗だ。襲いかかってくる敵を一体一体確実に仕留めていく様は勇ましく、剣を振り抜く動作は力強い。
不安と感心が入り交じる心でトリスタンを見つめていると、隣のゼーレが唐突に口を開いた。
「なかなか……やりますねぇ」
ゼーレの翡翠のような瞳は、アザラシ型化け物と交戦するトリスタンに向いている。興味がある、といった感じだ。
「トリスタンのこと?」
ふと思い尋ねてみると、ゼーレはハッとした顔をする。
「あ、いえ。べつに、何でもありません」
「なかなかやる、って、トリスタンのこと?」
「まさか。あり得ないでしょう」
ぷいっとそっぽを向いてしまうゼーレ。
「じゃあ、あのアザラシみたいな化け物のこと?」
さらに質問してみるが、返答はない。ゼーレはそっぽを向いたまま黙り込んでしまった。
聞かない方が良かったのだろうか、と不安になる。だが、そんなに際どい問いではないはずだ。黙るということは聞いてほしくない内容だったということなのだろうが、なぜ聞いてほしくないのかが謎だ。
私が一人そんな風に思考を巡らせていると。
それまで一切私を見ようとしなかったゼーレが、その面を、ゆっくりとこちらへ向けた。やや細めた瞳が、本当は言いたいことがある、と訴えているかのようだ。
「ゼーレ?」
「……トリスタンのことです」
「え?」
「先ほどの答え……トリスタンのこと、が正解です」
言ってから、彼は顔色を窺うような目つきでこちらを見てくる。
ゼーレは他人のことなどあまり気にかけない質だと思っていた。それだけに、今の彼の目つきには少々驚きである。彼からこんな視線を注がれるというのは、不思議な感じがした。
「やっぱりそうだったのね」
私がそう返すと、ゼーレは、アザラシ型化け物との戦いを継続しているトリスタンへと目をやる。
「なんというか……嘘をついてすみません」
今日の彼は妙に正直だった。
こんなにすんなりと謝罪するゼーレなんて、ゼーレらしくない。
「気にしないで。私だって、嘘をつくことはあるわ」
私はそれだけ返した。
人間なら誰だって、一度くらい嘘はつくものだろう。生涯一度も嘘をつかなかった正直者なんて、ほとんど存在しないはずだ。だから、私はそんなに気にはならなかった。
他人の人生を壊すような嘘や命を奪うような嘘なら「気にならなかった」で済まされるものではないだろうが、今彼がついたような小さなものならば、激怒するほどの内容ではない。時にはそういうこともあろう、といった感じである。
「愛する者に嘘をつくのですから……救いようのない馬鹿です。私は」
勇ましく戦うトリスタンと、それをサポートするフランシスカ——二人の戦う様をじっと見つめながら、ゼーレはそんなことを呟いていた。
私を一瞥しさえしないということは独り言なのだろうが、それにしても寂しそうな言い方だった。冬の夜に一人ぼっちで道を行く人、といったような哀愁が漂っている。
そんなゼーレを放っておきたくない。
わけもなくそう思った私は、彼に対して言葉を発する。
「いいえ、貴方は馬鹿なんかじゃないわよ」
こんなありふれた言葉で彼を救えるとは思えない。励ませるとも思えないし、そもそも、彼が求めているのはこんなものではないのかもしれない。そういう意味で不安はあったけれど、今私にできることはこれしかないと思ったから、勇気を出して言ってみたのである。
「貴方がトリスタンを認めてくれるなんて、凄く嬉しいわ」
「……おかしなことをいいますねぇ」
「おかしくなんてないわよ、トリスタンは私の師匠だもの。師匠が褒められて弟子が嬉しいのは当然のことよ。もちろん、逆もだけれど」
「……はぁ。そうなのですか……」
ゼーレは理解しきれていない様子だった。
でも、今はそれでいい。すべてを理解しあうことはできずとも、僅かにでも相手を理解しようとする心があるならば、きっと上手くいくはずだもの。
それから数秒が経って、ゼーレは小さく口を動かす。
「……ありがとうございます」
唐突に放たれた予期せぬ言葉に、私は暫し戸惑いを隠せなかった。
「私がここにいられるのも、貴女のおかげです」
追い打ちをかけるように告げられ、私はますます混乱する。
耳に入ってくる言葉がゼーレによるものだと、どうしても理解できないからだ。
素直でないことが特徴、と言っても過言ではない彼が、「貴女のおかげ」などと言ってくるなんて。到底現実だとは思えない。夢でも見ているのだろうか、と自分の感覚を疑ってしまいそうになる。
「あの……どうしてそんなことを?」
私は思わず尋ねてしまった。
それに対し、ゼーレは静かな声色で答える。
「罪人でありながら私が生きていられているのは、カトレア、貴女の温情ゆえ。にもかかわらず、まともに礼を言ってこなかったなと思ったので」
こうしてゼーレと喋っている間にも、アザラシ型化け物は減ってきていた。トリスタンとフランシスカが頑張ってくれているおかげだ。後で思いっきり感謝の意を伝えなくては。
「お礼なんていいのよ。私はただ、貴方と敵対したくなかっただけだもの」
「……なぜ?」
「理由なんてないわ。でもね、貴方とはきっと分かり合えるって、勘が教えてくれたのよ」
私の適当すぎる説明に、ゼーレはふっと笑みをこぼす。
「……勘、ですか。そんな曖昧なもので憎むべき敵を許すとは……貴女はやはりお人好しですねぇ」
「その通りだわ。あの頃は、私自身でさえ、よく分からなかったもの」
ゼーレは、私から大切なものを奪った。だから、生涯かけて憎むべき敵——のはずだったのだ。
なのに。
それなのに、私はいつしか彼を憎く思わなくなった。むしろ、親しみを覚えるまでになっていた。
「ねぇ、ゼーレ」
もちろん私は、彼を許したことを悔やんではいない。彼だって人だもの、幸せに生きてくれる方が良いに決まっている。当然だ。
ただ、この胸に一つだけ、小さなわだかまりがある。
私がこちらの陣営へ引っ張り込んだせいで、ゼーレがボスから狙われる身になってしまった。そのことに関する、わだかまりだ。
「一つ、聞いても構わない?」
「構いませんが……急にどうしたのです」
このわだかまりを消し去るためには、ゼーレ本人から直接話を聞く外ない。
「ゼーレはこちらについたことで、ボスに狙われるようになってしまったでしょう。そのことについて、貴方は何か思っている?」
「一体何を……」
「私の選択のせいで貴方が危険な目に遭うことになってしまった。それを考えたら、私の選んだ道は間違っていたのではないかって、不安になるの。私はゼーレを不幸にしてしまったのかもしれないって、そんな風に思う時があるのよ」
この際、隠すこともない。いっそすべてを話してしまえばいい。すべてを打ち明けて、その後のことは後で考えよう。
私は自分へそう言い聞かせて、ゼーレとの会話に挑んだ。
「本当の気持ちを聞かせて」
もっとも、それで不安が軽くなることはなかったのだが。




