第二章8 午睡
『これ以上、彼に頼る必要などないだろうが』
『彼もまた、君の無理難題に応えようとしているんだから』
『君が始めたことじゃないか』
『頼る相手も相手だ』
『お前にはそれしかいないだろうが』
『丁度お前には相応しい釣り合い方な』
「……ああーっ! もううるさいなっ」
「おい、急にどうしたよ卓」
「そうだよ、自分でなんとかするしかないんだろ、どうせ?」
「ほんとうにどうしたよ……お前」
「……すまん、ちょっと外に出てくる」
実際のところ、彼の探偵の腕は認めている訳じゃあない。
何故彼を頼ろうとしたか?
それは単に、なんだかんだと昔からの付き合いで彼とは関係が深いからだ。
ところで俺には細かいところを見る目はある。だが、広い目線で見る目は生憎持っていない。
……個人差はあれど、細かいところが気になってしょうがない、ひたすらとことん突きつめる。
そのような性格が職業柄、このような鑑定士みたく小さなところまで集中しよく吟味するようなものには向いていると聞いたことがある。
もちろん、父親譲りの細かい性格はバッチリ受け継ぐこの俺だ。
適任だろう。
その通り、俺にはそのデメリットも降り掛かってきた。
家で生活していたとき、父親なんて真似するべき対象にならない。
客の前で良い顔を見せる反面、その裏の顔はどうかというと、自分のしたいことを分かってもらえないと子供みたいに拗ねてグズるなんてところもある。
情けないことにロボット収集は趣味の域に行き過ぎて殆どの金を使い果たした。それでもう若かりし頃の母には飽きられたというわけだが、泣きついて理解して欲しいと駄々を捏ねる手段でどうにか収まったようだ。
そんなダメダメな父を受け入れた母も中々だが。
父を模範にするなんて目標は一端もない。
それこそ樹形図の末端で進化を諦め、自らコピー人間になりに行くようなものだ。そんなのはまるっきり量産型ロボットみたいじゃないか?
俺は、俺という存在のままで俺なりの俺になる。
4回使った俺という言葉、それは全て本当の俺が本当の俺に宛てた願いであって、久しく呪いである。
決めるだけの理由が無ければこの仕事だってやってもいなかったし、自分で新しくやり始めようともしていなかったのだろう。
与えられた環境にはそれを甘受するだけの余地があるから、またとない機会かも知れないと思えばこの仕事だってやって良かったと思えるかもしれない。
結局、家族バラバラになったこの今が、良かったなんて思えてることが嫌になる。
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「なあ卓よ、率直に申し上げるが」
「……ふは!」
外階段の二階から身を乗り出していた卓に後ろから声が掛かる。
「っあぁーお前かタカ……なんだよ」
「……あのー、たいへん申し上げにくいところ、ドア隔てても独り言が少々大きいので、もし話したければインサイド、どうしてもアウトサイドを所望なら音量に気をつけて頂けるとありがたい、かな」
「…………」
なぁ、しばらく考え込む時間ってあるじゃん?
無意識でほんと、たまに口に出してたりするじゃん?
もしそうだったら恥ずかしいことこの上ないよな。……その前に自分の世界入ってるなーんてことが恒常化し始めた俺に誰かブレーキをかけてくれさえ良かった。
「なんて声あげてんだよなっさけね」
「はいその通り、恥ずいよー恥ずい」
そんな彼の手にかかっても、この案件は解決する道が見えない。
じゃあ、どうやって解決するか?
手のつけようのない数学の問題を目の前にして、時計の針が動くのをずっと眺めているような……。
その気味の悪い感覚に胃を抉られながら、心は何か細い糸のようなものにしがみついていた。
閑話休題。
有名なしがみつくタイプの糸といえば蜘蛛の糸——題名もさながらかの芥川龍之介が著した児童文学である。
誰もが知る作品か、知る人ぞ知る作品かは当方分からないが、知らない人のために。
——生前大泥棒として大罪を犯した主人公カンダタは、地獄で苦しんでいるところを哀れに思ったお釈迦様の慈悲により、極楽の蜘蛛の糸で救われかける。
その理由としては、無論生前に悪事ばかりはたらいていた彼がひとつだけ……一匹の蜘蛛の命を奪わずに助けるという善行をしたのだ。
彼はその糸を見つけるなり迷わず極楽目指して上って行った。がしかし、一息ついたところで下からは罪人が上ってくる。
焦りに焦り、糸を振ってなんとか亡者を振り落とそうと試みる。
なおも上ってくる罪人たちに、「これは俺のものだ」と叫んだそのとき。プツリと音を立てて、糸は切れてしまう。くるくると回りながら、真っ逆さまに血の池地獄に落ちていく——。
何故このような結末になったのか。
仏教用語で我利我利という表現になるのだが、いわゆる自己中心的、独善的であったため結局主人公カンダタが救われない話である。人間の本質を、心理を巧みに著したものが児童文学とは大人にとっては酷く滑稽なものであるかと見せつけられるような話だろう。
短編で、読みやすい児童文学ですら人となりを的確に風刺しているというのに、このカンダタらしく独りよがりな人間達はこの物語を知っていたとて、教訓を学んだとて、その風刺された感情に盲目的に、欲望に忠実に生きてしまうのだろうか。
無論、生き方など人の勝手だ、誰も指図してくれるなと突っぱねるだけで済む話だ。
しかし、それで本当に済まされてしまう話なのだろうか……
閑話休題が長すぎて耳竹輪状態が継続しすぎて脳の働きが止まったよう。そんな活動を停止したこの場にいるのに相応しくない脳内へ警報を流すべく、私はコントローラーの一角にあるスイッチを覆うガラスケースに手をあてがった。
《警報レベル・4》脳記憶媒体の活動、極限状態。直ちに目醒めよ。
この頃同じくして、丁度観月卓も状態異常を起こしていた。
「ぽえ〜」
「……でだな! おいぃ聞いてるかそこの依頼人! もしくは卓!」
「はっ断じて寝てはいません」
嘘だ。
ここまで来て何も掴めず帰るならいっそ3人で飯食べ行くか……
少しある眠気のだるさを正すため、出されていたお茶のカフェインでも取ろうとしたその時。
その朧な意識は騒々しい外のサイレンによって醒されたのだった。




