第二章4 苦悶、逝くもん。
更新一回目。
「あ……綾……?」
「ひゃあっ!!」
ドアを開けた途端、悲鳴が上がった。
声の主、我が妹は部屋の少し奥のほうで上下とも白地の下着を纏って、片腕に脱ぎ掛けの私服を引っ掛けて立っていた。
その透き通った白い肌は雪を思わせるかのようだ。そのささやかな胸はというと……あんまり成長してないと見える。
脱ぎ掛けの私服、これはつまりこの後部活かなにかで再登校だろうか、今は昼頃だし……というかそんな冷静に判断できるわけがない。
昔とは違ってあまり会うこともなく、さらに思春期真っ盛りな年頃の妹の着替えなんて……そういう趣味はない、断じてないが、見てしまうこと自体最悪である。
素直に謝るか、それとも今すぐ逃げ出すか、しらばっくれてみるか。それとも……。
さまざまな選択肢が混乱した頭の中でひしめく。
そんなことを考える暇を与えず、顔を真っ赤にした綾がこちらを睨みつけながらさっと近づいてくる。
その(恐らく怒りで)わなわなした手には引っ掴んだ
そっと気づかなかったフリで逃げますか…いやでも、ここは素直に謝ったほうが賢明では?頭がしばしパニクる。
下した決断は……。
「あの、着替えてたって気づかなかったわごめ」
「でっ、出てけ阿呆っ!!!」
近づいてきたと思ったら思い切り平手打ち……否、そんな軽いものではなく正真正銘右ストレートを食らわされバランスを崩し壁に背中を打ち付ける。ほぼ同時に目の前でドアは思いきり閉まった。
このとき頬の痛みに悶えながら俺は悟った。空想の異次元であるものほとんどすべてといってもいい、あれは理想に理想をつぎ込んだ、いわば欲のカタマリであることに過ぎないと。
だから、誰か決めたことだけが中心の理想だけでは出来上がっていないこの世界、「現実」でそう起こるはずがないのだと。ほんの少し希望を抱いたとしても結果は非情で残酷だということに変わりない。
って何言ってんだ俺は……
それよりも本題を伝え……ないと……。
もう俺のライフはゼロよ……。
「ぐはっ……着替えた後で全然いい、から……話だけさせてくれ……ない?」
「……」
回答は返ってこないがそれ以外に方法はないので待つ。
数分後。
「……ガチャ」
ドアが開き、部屋の主に無言で入室を促される。
もう先程脱ぎかけていた私服は何処へやら、ジャージにすっかり着直している。おそらくかなり早着替えしたのだろう。そのせいか、肩下まで伸ばした髪がやや乱れている。
「なに人の部屋に勝手に入って来て、しかも……見たのに、それでも話させてくれるとか期待してんだし? おま、それでニートとか社会体で死んでんな」
「知ってますし生きてて罪ですはいすみません。あとさっきのは本当にごめん、不可抗力とか言うじゃん、ああいうやつだったからさねぇ……」
「くだらない言い訳ほざくよりさっさと話してさっさと帰れよ」
こっちを向かず綾は自身のベッドに倒れ込む。その背中からさっさとしろ、と言わんばかりのいらいらオーラを放っている。
「……時間はあるから早く言え」
まだ再登校の時間までは少しは余裕がある、ということだろうか。
発言許可は降りたようなので話し始める。
「とまあ、本題話すけど俺の部屋のこと、なんか知ってる?」
「帰れ」
帰れという答えだと帰ろうにもなぁ……。
「せめて『はい』か『いいえ』どっちかで答えてくれると嬉しいな……」
選択肢を提示してみた、が。
「答えない」
「なんで!?」
「無理」
即答。
「というか知らないんだったらそれで終わるのになんで!? ……なにか隠してるな!!」
「……はぁ? なんでそーなるのばっかじゃない?」
「だってそうとしか」
ここで二択で答えないなんてそうとしか思えないんだもん。これはなにかあるなとさえ思った。
「別に知ってても教えろなんて言ってなかった。なに言われても教えないけど」
「うわぁ……ヒドい」
「は?人の部屋入っといてさっきのでなんなの?」
さっきのぶり返すのもうやめようぜ……
というかこれじゃ埒が明かないからお言葉通り帰らさせていただきますよ。
と、帰ろうと後ろを向いて部屋の外へ歩きだした途端、
「……待ってよ」
「……?」
突然さっきとは真逆の反応が返ってきて少し驚く。
「ちょっと気になっただけ。だから……それに答えるのが先だって!!」
「なんだそりゃ……」
条件がある、それを飲めば教えてやらんこともない、と。
しかしその中の『気になった』こと、それは卓がまるで予想だにしないことだった。
「なんで店に女の人と出入りしていたのかなと思ってね。とーっても仲良さそうに話してて……それも行くたびに」
女の人……? 店に出入り……
「はっ……ああなんだ、舞のことか」
「誰」
舞のことを口にした途端、めっちゃ嫌なものでも見るような目で睨みつけられた。
そして、何となくだが機嫌が悪い理由が今の反応でわかった気がする。
さては嫉妬だな、オメー。
帰ってきたときの伯母の様子がおかしいのも同時にわかった。綾から既に噂を聞いていて舞の存在を知っていたようだ。
店のほうが気になって度々訪れていたところの出来事。さらに、目撃したのは一回のことだけではなく何回も。
目の前の殺気立つ綾にまるで尋問か取り調べを受けるかのように問い詰められ、卓は舞に関しての一切合切を話し、誤解を解こうとする。
「ふーん……一応聞いとくけど、変なこと……してないよな」
「いえ全く」
「あっそ」
思うより返しすら淡白だ。
「……逆に聞くけどさ、なんでわざわざ店にまで来てんの?」
逆に問い詰め返すと、綾は少し意外そうな顔をしてその問いにバッサリと返した。
「店のことだってあたしにも関係あるでしょ、様子見に行くくらいするっちゃするでしょ」
「いやでも常磐はさすがに遠くない?」
「そっちに住んでる友だちがいるからついでに見に行ってるだけだからな!」
「そうか、変な心配掛けててごめんな」
「はぁ!? しっ……心配なんかしてねえし……出てけもうっ!!」
うーん……そのテンプラの揚げ具合……あまり思うところがない。正直。こういうの。
「あいあい……いやまって本題忘れてない?」
あんなに言っといて一番大事なことを見失っていたことに気がつく。いや遅すぎだし話変わってることに気づけ俺。
だから俺は要領も悪いしいつまでも成長し……じゃねえよあれだよあれ。
「……は?」
「なくしものってやつだ」
「あー……その話はあたし、ほんとに知らないから」
「なぁんだ、知らないのか」
さっき不機嫌だったときの返答は、知っていて『答えない』じゃなく本当に『知らな』かったということだったらしい。
「それってほんとに探さないといけないものなのか?」
「ああ……俺にとってはとても大事なものだったはずなんだ」
「『だったはず』って説得力ねぇな……」
今の状況に置かれたらもう説得力もクソもありゃしない。
「普通に探すとあれだしもうなにか頼るしか……あ」
閃いてしまった。
……丁度その道のプロフェッショナルがいるではないか。
しかし、なぜこの手段を早く思いつかなかったのだろうかとまで思ってしまうところではあるが。




