Cool heads but Warm hearts.
2月13日追加
周辺の領主、父さんの部下を説得して、九戸家全体で小麦の生産を始めた。
また、二期作から輪作へ変動させ、土地を休ませることを教えた。
少しづつ、少しづつ、跡取りとして領内の影響力を高めている。
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10歳になった。
港が大きくなり、細々とした貿易を始めた。
城主となろうとも、所詮は10の童。影響力はあれども必要不可欠なとき以外は手を出さない。
まだまだいろいろとやりたいことが残っているのだ。
最近は良く港に顔を出し、造船を見ている。
製図をやりやすくする製図板や、定規の開発。親父(前世の父)から教わった造船方法や調べた方法をときどきアドバイスとして言っている。
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九戸家領内で馬の飼育や塩作りなどを大きくやり始めた。すると、他家と折り合いが悪くなってしまった。
他には史実通り身体を鍛えている。
史実の俺はかなりの脳筋。武力がかなり高い。
部下もそこまで頭が良い訳でもない。
それは周りも大差ないけど。
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12歳。
ついに塩の相場が変動してしまった。
田名部氏の死活問題。南部家当主の仲裁を無視して大反乱を起こす。
それにつけて、七戸、八戸家、新田家も加わっている。
南部家当主に伺いを立てたが、南下政策の戦の途中で戦力がない。全権を任されてしまった。
父さんが連れて行った騎馬隊以外を集め、軍を動かす。
忍者達の商売で、土地勘はあるため、制圧軍は快進撃をする。
先から忍者を通して七戸を調略しておいたため、田名部の軍が八戸軍と合流し、制圧軍と本格的に交戦した時に背後を突かせる。
三戸からも軍を動かしてもらい、大軍で鎮圧した。
城主は切腹。一族から支配権を剥奪の後、城で大人しくさせている。
年貢を下げ、九戸家の支配下にする。
石川高信から連絡が来た。
高信は現当主の晴政の弟。
仲が悪いと噂されている。
父さんの頃は親しくしていたし、幼い頃に遊んでもらった記憶もある。
南部領の東部一体を九戸家の声がかかっている者だけで統治しているため、南部家当主には睨まれている。
高信は津軽の城主。海にも面していて、こちらの影響はさほどない。
利害は反しない間は、仲良くしよう。
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1年が経った。
晴政も南下政策の戦から帰還し、南部家領内の東側、八戸領までを九戸家の領とすることを正式に認めてくれた。新井田領は三戸の支配下に、七戸には田名部領を与えた。
その代わりに大量の塩と米を納めなければならなくなったが。
津軽の方で怪しい動きが見られるようになってきた。
三戸家までは報告が行っていないが、津軽に派遣している忍者から現地人の情報網で調べた。
史実でも津軽は独立している。独自の勢力を抱えているため、南部家もあまり影響力がない。
高信と連絡を密にして、繋がりを太くしておく。
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14歳になった。
父さんが死んだ。
負け戦の中、殿を務めて帰らぬ人となった。
俺はその後、少量の軍を率いて父さんの遺体を取り返しに果敢に向かった。
勝ち鬨を挙げており、緩みきったところに、一刺し。
まだ暴れたり無いと言っている部下を抑えて帰還。
直ぐに葬式を挙げた。
晴政や高信、信愛など多くが集まってくれた。
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当主を継いだ。
最近は父さんが戦に行っており、内政をほとんど俺がやっていたのもあって、混乱は無かった。
八戸政栄を傍付きにし、鍛え上げる。後の軍師だ。
《冷静な頭脳と温かい心》を持って領地を治めるのだ。
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15歳になった。
1551年
南部家当主の晴政に安東討伐を命じられる。
今度は、晴政が再び総力を挙げて南下する。
その間、西を自由にさせないためだ。
安東領を切り取れば、九戸領として認めてもらえる。
報酬は切り取った分だけの領。
文にしたためてもらい、信愛、高信にも名を連ねてもらった。
東に影響力のある俺に西を任せる。
これは一体どう言う訳なのだろうか。
もし成功すれば西にも影響力を持つ。そうなれば、東西で挟まれる。
こんなリスクのある賭けを戦国大名ともあらん人がするだろうか。
確かに失敗すれば影響力も下がるし、何しろ当主になって初の戦。これからを左右する大事な戦だ。
それを強国安東とだ。
確かに普通に見れば失敗する可能性は高い。しかしながら、南部切っての強兵を囲んでいる九戸家だ。もしもはあり得る。
なにか、失敗する確信でもあるのだろうか。