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ここは猫の母著(虹の橋にはたどり着けない野良)

娘へ

作者: ここは猫の母

なりきり猫エッセイです。

母猫(野良)になった気持ちでどうぞ。

 雲がかけらとなって光と共に降り注いでいるのでしょうか、ここは白い霧で覆われています。地面もまた同じで、柔らかい霧に覆われています。方向はわからなくなりますが、わからなくても良いのです。どこに行くのも自由なのですから。

 安心して下さい。大きな黒い羽の鳥も、四輪で道を走るものもいません。ひりつく喉の痛みや締め付ける空腹感もありません。

 しんと広がった世界、うっとりとした時間が霧の中に流れ、いつもまどろみの中に居るようです。事実、時間もあまりわかりません。漂うように刻は私の上を行き過ぎていきます。


 私は時おり〈記憶の森〉を訪ねます。森は千年樹と呼ばれるもので出来ています。高く太い幹と、包むように広がる枝。枝は四方に広がり、先には深緑の葉と薄い新芽のような葉が生えています。葉は重なり合い、また離れ、陽が透けてみえます。森には太陽があり仲間である猫はお気に入りの木漏れ日を見つけ、休んでいることが多いです。

 いつもナォと鳴くと、誰かがナォと答えてくれます。

 私も鳴きます。その誰かのために。

 先日、一匹の黒猫に出会いました。凛とした立ち姿と金色の目が印象的でした。

 彼女は器用に枝を渡り、私に近づいて来ました。首を傾げヒゲを震わせ「馬鹿ね、こんなに早くここに来て」とつぶやくように言います。私はわからなかったのですがが、母――お前の祖母のようでした。

 戸惑っていると、彼女は目を細め私の頬を舐め始めます。すると突然私は乾いた草のような匂いにくるまれました。その香りは私を一気に子猫へと戻してくれました。

 

 だからお前が私の顔を忘れていても大丈夫です。私は絶対にお前を忘れません。

 母が私を覚えているように、私もお前を覚えています。




 ――娘へ


 お前達に出会えた時、私は歓喜の声を上げました。二匹の黒い毛並は私に似て、長い尾は父と同じでした。妹は乳房をすぐに探し当てたのに、お前はいつも後ろで俯いていましたね。あれは妹に譲ったのでしょうか。乳はあまり出ていないようでした。

 今でも考えます。乳房に吸い付くお前を噛み殺した方が幸せではなかったかと。幸いにその時の私は力がありませんでしたけれども。


 真昼の熱せられたアスファルト。

 闇の中の凍った月。

 煙草の吸殻、ティッシュペーパー。

 お前の目に初めて映ったのは何なのでしょう。

 近くにJRの駅がある駐車場の隅はいつも地面が振動していましたね。枕木が揺れる度に金属が焦げるような臭いがしました。それでも車が出す排気ガスに比べたら幾分ましでした。どうしてニンゲンは足があるのにああいうものに乗るのでしょう。

 もっと静かで安全な場所なら良かったのに、怯えることのない所なら良かったのに。そうお前は思うかも知れませんが、カラスに襲われたこの身体は――後ろ足は移動の役には立たなかったのです。陣痛を押して探す道はなく、この小さな草むらに隠れるしかなかったのです。

 ごめんなさい。

 でもお前は気づいていましたね。

 しばらくして乳が出なくなったことを。乳房から染み出たのが半ば腐汁だったのを。

 それでも吸い続けてくれたのは、私が逝くのを留めようとしたためだったのですか。咥えて噛むのは私を生に繋ぎ止めようと必死だったのですか?

 妹が冷たくなった日に、私のためにエサを探しに出てくれたのもそのせいでしょう。飢えがすべてを奪っていくのだ、乾きが敵だと後姿で叫んでいるのが見えました。

 細い脚でどこに行ったのですか。

 姿が消えて半日後、まだ離乳も出来ないお前が持って来てくれたのは赤い輪ゴムに緑の輪ゴム、食品を包むプラスティックと小枝でしたね。


 食べられないの。

 食べてはいけないの。


 薄れた意識が駄目だとお前に叫ぶけれど声にすることはでませんでした。お前は大きすぎる目で物言えぬ私をじっと見つめていましたね。私が口にしないとわかると、それにかぶりつきましたね。

 思い出すと身体の奥から痛みが湧き出て止まらない。

 飢えが思考を奪っているのですね。ごめんなさい、ごめんなさい。母は無力でした。


 夜が長くなってゆく。

 喉についた傷が血で固まっている。

 冬が笑って近づいて。

 肉球がただれ爪がえぐれ、毛がヒゲが抜け落ちてゆく。

 痩せ弱る自分を自覚しているのに私を見捨ててくれなかった。お前は誰よりも親不孝だったのよ。

 蛆のわいた私の傍にいるのは誰よりも馬鹿な子だったのよ。

 見てはいけない、逃げて離れて命にしがみついて。来てはいけない。こちらに来ては来てはいけない、いけない、お前は――お前は……お前だから。




 ――娘へ


 お前の妹は〈記憶の森〉を抜けた草原にいます。どこまで続いているのか知りません。青々した世界が広がっています。時々、水面に揺れる光のようなものが天にかかるそうです。かかると仲間が増えるそうです。なぜだかはわかりません。

 彼女は力の続く限り走り、木漏れ日の場所で眠ると言っていました。私のように霧に包まれて休むことは少ないそうです。今度、私の母に紹介しようと思っています。


 そちらはどうですか。

 夏が過ぎ、うろこ雲が空に溶けるように浮かんでいますか。

 秋の木々は色をなし、ニンゲンは襟を立てていますか。


 寂しくなってお前がこちらに来たがらないように風に声を乗せておきます。

 何もできなかったけれど私の心を風に写しておきます。


 生まれて来てくれてありがとう。

 生まれて来てくれてありがとう。

 私を母にしてくれてありがとう。




栄養失調・低体温・脱水症状

痩せて脂肪がなく、自分の体温が維持できない生後四週の猫。

獣医さんから奇跡と言われた生命力で、今、娘「ここは」は隣で眠っています。


野良なのでわかりませんが、一応今日が誕生日。

四百グラム台だった体重は四キロを越えました。


お母さん、見ていてくれますか。

「ここは」は元気に走っていますよ。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 何度拝読しても、目に涙が溢れてきます。 もはや動けない母猫の、それでも我が子の『生』を望む思い……それは『親の愛』。 深く、本当に深く感動して、涙を流しながらこの感想を書いています。 [一…
[良い点] しんみりと染み入るような作品でした。 詩的な雰囲気。 ここはちゃんと末長くお幸せに。 私は猫と猫好きの幸せを願って止みません。
[良い点] 野良が生きるって、本当に大変なんですよね。 冬になると、多くが死んでしまうとも聞きました。 古都ノ葉さんが助けた子は、元気にしているかな。
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