家に吹く嵐
『葉月、少しほっそりしたんじゃないのか?』
食器を並べる葉月の手首を見て、父親が驚いたような声を上げる。父親と祖母と、3人で囲む昼食の食卓。母親は凌と日菜を連れ、日曜学校に出かけたきり、恐らく夕方まで帰らないだろう。午前中で礼拝が終わったあと、どこで何をしているのか、日中に母親が家に帰ることはない。普段の日曜日なら、母親から渡された食事代で買った菓子パンや惣菜を、祖母と2人でテレビを見ながら黙々と咀嚼して終わる昼食。珍しく父親がいるのは、外が大雨で魚釣りに行けないからだ。
『最近、食が細いんだよ。この子は』
父親の言葉に葉月が答えるよりも早く、祖母が横から口出しをする。
『晩ごはんも、ちいっとしか食べないんだから』
『なんだ、ダイエットでもしてるのか』
レンジで温めたカツ丼を箸で掻き込みながら、父親は葉月の前にあるおにぎりとサラダにチラリと視線を走らせた。
『それしか食べないのか』
『うん。学校休みだし、……運動してないからお腹すかない』
『……そうか』
何かを言いたげに葉月を見守った父親は、けれどそうとだけ言うと、ふっと葉月から目をそらし、テレビの画面を眺めた。四角い画面の中ではお代官さまが悪徳商人を裁いていて、借金のかたに売り飛ばされようとしていた町娘が父親と抱き合って泣きだす。
『今日だけじゃないよ。成長期だっていうのに、あたしより食べないよ。この子は』
お茶を注いだ湯呑みを父親の前に置きながら、祖母はここぞとばかりに告げ口をする。あたしが口だすと、また映里さんに怒られるから言わないけど。だいたい、母親だっていうのに遅くまでほっつき歩いて。葉月だけじゃない、凌や日菜にだって良かないよ、あんなんじゃ。
テレビに向いている父親の表情がみるみると渋く歪んでゆく。10,9,8,7……、葉月の頭の中でカウントダウンが響きだす。お決まりの時代劇よりも、もっと同じことを大人たちはいつも繰り返してばかり。
『分かったから、もう良いよ』
カウント0の声で言うと、乱暴に湯呑みを置いた父親は立ち上がる。
『ったく。仕事にいってる方が気楽だよ』
捨て台詞を残してタバコを吸いに出た父親の背中を見送ってから、葉月は祖母を睨み付けた。
『……余計なこと、言わないでよ』
『なにが余計なことよ』
とぼけた顔をする祖母に、葉月の苛立ちは加速する。
『余計なことでしょ。わたしがご飯食べないとか、お母さんの帰りが遅いとか』
『本当のことじゃないか』
『本当だけど……』
『あんたたちのこと、心配して言ってるんだよ』
斜め上から見下ろすような祖母の物言いは、いつもながらに葉月をカチンとさせ、葉月はキリキリした声を張り上げた。
『関係ないでしょ。お祖母ちゃんにはっ』
『なに、大きな声出してるんだ』
タバコを吸い終えて戻ってきた父親が、葉月をじろりと睨む。首をすくめるようにして湯呑みを口に運ぶ祖母が、湯呑みの陰からようすを窺っている。
『なんでもない』
葉月は憮然としたまま立ち上がり、使い終えた食器を集めてシンクへと運ぶと、水道の蛇口を勢いよく捻った。シンクに落ちる水の音に紛れ、祖母を叱りつける父親の声が聞こえる。子供たちの前で、映里の悪口を言うんじゃないよ。
『悪口なんかじゃない、本当のことだろ』
『だからって、葉月に聞かせることはないだろ』
『あんたがいないとき、映里さんはあの子にあたしの悪口言いっぱなしだよ』
『うるさいっ』
ひときわ大きな父親の声がしたあと、2人の声は急に小さくなり、葉月のもとにはぼそぼそと続く低い不協和音だけが届く。父親は、祖母を説得しているのだろうか、それとも宥めているのだろうか。食器を洗い終えた葉月は、ふきんで手を拭くと、わざと大きめに足音を立てて階段を駈け上った。今夜はきっと大荒れになるだろう。窓に落ちる水滴を内側から指でなぞりながら、葉月は重いため息をつく。父親と祖母が口論をした日の夜中、決まって葉月は両親の言い争う声で目を覚ますのだった。頭から布団を被っても、小さく背中を丸めても、塞いだ両手を抉じ開けるようにして耳に流れ込む罵り合い。食卓でも、寝床の中でも、夢の中でさえ、誰も葉月を無心にさせてくれようとはしない。




