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My Sweet Home  作者:
35/52

合同合宿

 駐輪場に自転車を停め、グラウンド前のロータリーに向かうと、既に集合したラグビー部が荷物を積み込んでいるところだった。待機しているバスは2台。ラグビー部の2,3年生が1号車に、2号車には残った1年生と一緒に演劇部と天文部が乗り、2台は9時を少し過ぎたところで学校を出発した。

『筑波まで、そんなに時間かからないからな。休憩はないぞ』

 運転席のすぐ後ろのシートから立ち上がり、後ろ向きになった松田先生が両手をメガホンにして叫ぶ。松田先生の隣には前田先生が座り、その後ろのシートに葉月と中原美保が並んでいた。葉月たちの後ろに演劇部が続き、通路を挟んで隣り合う列に天文部の生徒が5人並ぶ。後方のラグビー部員たちがふざけあう声が車内に響いた。

『こらあ、お前らっ』

 松田先生が怒鳴る。先輩がいないからって、いい気になるなよ。これは、合宿なんだからな。葉月が振り返ると、丸刈の頭が座席のそこここでうごめいている。

『見てみ、海ぼうずがいっぱい』

 葉月が耳打ちすると、中原美保は半身で伸びあがり、ぷっと吹き出した。

 時間はかからない、という松田先生の言葉どおり、山の中腹にある合宿所に到着したのは昼前だった。2号車のラグビー部員たちは、エンジンが止まるやいなや素早くバスを降り、1号車の荷物を下ろし始める。

『さすが体育会系』

 ボストンバッグを肩にかけ、ステップを降りてきた小谷恵子が半笑いで感心してみせる。葉月たち演劇部員の荷物はといえば、ボストンバッグに収まる程度の各自の着替えくらいなものだ。

『部長っ。我々はこのあと、どうするでありますか』

 田丸涼子がおどけた敬礼の仕種で小谷恵子の指示を仰ぐ。それほど乗り気ではなかった外山恵も、清々しいような笑顔を浮かべて田丸涼子に続いた。

『部長っ。自分はまず部屋を見たいでありますっ』

 よーし、じゃ部屋までダッシュ。小谷恵子の合図で、弾けるような笑い声を上げて走り出す6人の背中を、松田先生の声が追う。

『着替えたらすぐロビーに集合だぞっ』

『はーい』

 笑いの止まらない葉月たちの横を、重い荷物を抱えたラグビー部員たちが黙々と追い越した。


『えぇっ。ここ、山だよ』

 ロビーに集合した葉月たちに、松田先生は合宿所外周のランニングを言い渡した。運動部じゃないからな、速さは気にしなくて良い。でも、手を抜かずに走ること。

『芝居にはなぁ、肺活量が必要なんだ。このくらい走れないと、台本1本分ももたないぞ』

 そう言って、松田先生は木陰のベンチに腰を下ろし、ポケットから取り出した文庫本を広げる。

『あれ?先生は、走んないの?』

『俺は顧問だからな』

 えぇ~っ。ずっる~い。葉月たちの悲鳴と抗議にニヤリと笑みを返した松田先生は、スタート、と手を叩いた。

『3周な』

『さ、3周!?』

 小さく悲鳴を上げながら、6人は走り出す。合宿所の前はなだらかな勾配になっていて、あっという間に足取りは重くなった。

『きっつ……』

 止まっては走り、また止まっては歩きを繰り返す演劇部の横を、整然と2列に並んだラグビー部が追い越してゆく。

『あのガタイで、よく走れるよね』

 立ち止まった樋田久実子が、呟きながら太股をさすった。ザッザッと足音を轟かせながら、ラグビー部員たちの背中は見る間に遠のいてゆく。結局、葉月たちは3周の間に5回、ラグビー部に追い越された。


 ーーアメンボ赤いなあいうえお。

 晴れ渡った夏空に、歌うような声が響く。昼休みを挟んだ午後は、裏手にある草原での発声練習から始まった。普段の、体育館のステージでバレー部やバスケ部のボールの音に紛れながらの発声とは違い、お腹から出た声は何にも邪魔されずに広がってゆく。

 ーー柿の木栗の木かきくけこ。

『壁がない分、反響もしないからな』

 空の向こうにぶつけるつもりで、腹から声を出せよ。松田先生の声が、葉月たちの発声を通り越して山肌に響く。

 ーーその魚浅瀬で刺しました。

 夜の観測に備えてか、丘に望遠鏡を構える天文部の姿が、日の光を受け影絵のようだ。葉月は眩しさに目をしばたかせ、大きく息を吸い込んだ。

 ーーわいわいわっしょい、わいうえお。

 たまった空気ごと声を解き放つと、澱んだ身体が少しだけ軽くなる気がした。


 彗星の観測に来ないか、と扉の隙間から顔半分を覗かせた天文部員はこわばった笑顔を見せた。

 夕食をとり終えて、それぞれのベッドで寝転んだり荷物を整理したり、思い思いの過ごし方でくつろいでいるひととき。コンコンコンと3回ノックしたあとに彼は遠慮がちに扉を押して、隙間から細面の顔を覗かせた。

『すいせい?』

 すいきんちかもく、の水星?と、田丸涼子が小谷恵子を伺い、小谷恵子は樋田久実子を目で促す。2段ベッドが並ぶ部屋の、一番入口に近いところにいた樋田久実子はのろのろと立ち上がりノブを引いた。扉の幅が広まると、後ろに身を隠すように立っていた他の天文部員たちの姿があらわになる。気まずそうに顔を見合わせた彼らは、おそるおそる、演劇部員の部屋を覗き込んだ。

『水星、ですか』

 樋田久実子が最初に顔を出した部員に問いかける。うん、と首を縦に動かした彼は、壁の向こうに見える空に目を凝らすようにして、晴れてて空気がきれいだから、と遠慮がちに促す。どうする?部屋のなかを振り返った樋田久実子に、中原美保が答えた。

『行ってみようよ。暇だし』


 街灯のない山道は溶けるような闇で、先頭を歩く野崎先輩の懐中電灯が頼りなく足元を照らす。天文部は3年生ばかり5人の部活で、1年生の時に同じクラスだったのが部活結成のきっかけだったらしい。その時の担任が前田先生だったのだと、部長を務める鈴本先輩が、丘に向かう道すがら問わずがたりに話した。暗闇の苦手な葉月は、外山恵の腕をつかみ肩を強ばらせる。道の両脇の草むらに何者かが身を潜ませているような気がした。

『着いた。ここだよ』

 野崎先輩が、用意していた望遠鏡を覗く。少しずつ位置を動かしながら、何事かを呟いている。

『水星って、輪っかがあるやつだっけ?』

 しがみついたまま腕を引く葉月を、外山恵が可笑しそうに振り向く。

『それは土星でしょ』

『じゃ、宇宙人がいる星』

『火星』

『アポロが到……』

『月っ』

 近くで会話を聞いていた田渕先輩が堪えきれないようにぷぷっと吹き出した。

『すいせいはすいせいでも、水の星の方じゃないんだな』

 外山恵と葉月を交互に見ると、田渕先輩は空を指さす。つられて見上げた夜空には、こぼれ落ちてきそうなくらいの星が瞬いていて、葉月は思わず息を飲んだ。

『あぁ~、すっごい……。きれい』

『な?』

 普段は街の灯りで見えないからな、と自分も空を見上げた田渕先輩の声が少しだけ大きくなる。

『あ、ほら。あれだよ、あれ』

 彼が指さす先を見ると、ひときわ目を引く光の固まりがあって、よく見るとそれは白く光る尾を引いているようだった。

『ほうき星と呼ばれることもあってね』

 星に見えるそれは氷の塊で、太陽に向かって進むときにああやって尾を引くんだ。交替で望遠鏡を覗く葉月たちの後ろで解説する田渕先輩に、小谷恵子が問いかける。

『太陽に向かってって、じゃああの星は溶けてしまうんですか?』

 うん、と頷いた田渕先輩は誰にともなく呟いた。

『消えていく過程があんなに美しいなんて、なんか物哀しいな』


 1週間の合宿期間は、始まってしまえば終わりに近づく一方だった。彗星の観測をきっかけに言葉を交わすようになった天文部ともすっかり打ち解け、大所帯のラグビー部の中にも何人かの顔見知りができ、全員が集まる食事の時間が密かな楽しみとなるにつれ、葉月は合宿から帰ったあとの生活が重苦しくのしかかってくるのを感じていた。

『あ~あ、あと2日だね』

 朝食のあと、ジャージに着替えながら田丸涼子がぼやく。

『あっというまだな』

 賛同するように頷いた小谷恵子が、しみじみと返す。来年も合宿、やりたいね。

『最初は、あんま乗り気じゃなかったけど。楽しかった』

 そう言って、外山恵が中原美保の肩を抱く。

『誘ってもらって、良かったよ』

『……うん』

『よーし、今日も走るぞっ』

 樋田久実子のかけ声で部屋を出る5人に続きながら、葉月はそっと中原美保の横顔を伺った。

『ねえ、大丈夫?』

『うん?』

『朝ごはん、食べれなかったみたいだったから』

他の部員たちは気付いていないようだけれど、彼女がハムエッグとトーストのどちらにも手を付けず、オレンジジュースだけをお代わりするのを目にした葉月は、その虚ろなようすが妙に気にかかった。

『気分、悪い?』

『大丈夫』

 中原美保はにっこりと笑うと、首を横に振る。

『合宿中、ちょっと食べ過ぎちゃったからね』

 ダイエット、ダイエット。そう言ってスニーカーの靴紐を結び直す中原美保の頬は、気のせいか少し青ざめているように見えた。

『行こ』

 小首を傾げる中原美保の面持ちのどこかに、なにか釈然としないものを感じながら、葉月は彼女の背中を追う。

 ーーアメンボ赤いなあいうえお~

 ラグビー部員たちが声を揃えて、葉月たちの前を走り抜けた。

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