癖
踏み出したつま先で弾けた土の欠片が、崖の向こうに消 える。きっともう、波がさらっていっただろう。葉月は 、身を乗り出して海面を覗いた。心なしか先程よりせり あがっているように見える。吹き上げる風に巻かれてビ ニール袋が空に舞う。沖に見えていた船は、いつの間に か水平線の向こうへ消えたようだった。葉月は無意識に 手の甲を唇に押し当てた。嗅ぎなれた体臭が鼻をかすめる。
葉月が自らの体臭に執着するようになったのは、幼稚園 に上がった頃だろうか。立て膝の上で交差させた腕に鼻を埋めると、微睡んでしまいそうな安堵に包まれた。そんな葉月を見て、両親も祖母も『指しゃぶりだ』と笑った。 笑われるのは恥ずかしいこと。葉月は家族に背を向 け、 身を隠すように部屋の片隅に丸まった。
家族に背を向けた葉月のもとには、やがてたくさんの仲 間が訪れるようになった。それは、テレビアニメに出てきたヒーローだったり、絵本の中に現れた心優しい怪獣 だったり、ときには主人公を苦しめる悪役までもが、葉 月のとるころに集った。 そこでは誰もが葉月を慕い、あらゆることの中心が葉月だった。
部屋の角にうずくまりながら、葉月はいきいきと動き回る自分自身の姿を見ていた。大きな声で笑い、広々と開 ける世界を駆けめぐる。手を引いてくれる仲間がいて、 堂々と振る舞う自分がいる。
ときには勇敢に7つの海を渡る海賊船の船長の娘であっ たり、またときには悪党の片棒を担ぐ女忍者として江戸 の長屋を駆け抜けたり、かといえばか弱い姫君になって トロールたちに守られながら 長い旅をしたり。 どんなに手を伸ばしても掴むことができそうにない、愉快な世界に、葉月は次第に入り浸るようになった。
幼稚園でも、葉月は空想の世界へ遊びがちだった。いやむしろ、幼稚園にいるときのほうが自由に向こうの世界を楽しめた。同じ年頃の子供たちはみんな自分のことで精 一杯だったし、たくさんの子供たちに紛れて葉月がぼんや りしていても、誰も気にも止めなかった。 物静かでのんびり屋さんの葉月ちゃん。大人たちはよく 、そう口にした。
葉月ちゃんは、おとなしくて、お利口さんで、羨ましいわ。
たんぽぽ組のリカちゃんのママが、言う。
そんなことないわよ、リカちゃん活発で素敵だわ。
葉月の母親が返す。
母親たちの足元で、リカちゃんと葉月は顔を見合せる。
リカちゃんは活発な子。 葉月はおとなしい、良い子。
子供たちはこんな瞬間に、自分に割り振られた役どころを知る。
わたしは、おとなしくておりこうさん。葉月はそっと自分に言い聞かせた。
周りから決められた役割にせよ、おとなしい子という位置付けは葉月にとって好都合なものだった。その隠れ蓑 があれば、壮大な冒険や動物たちとのおしゃべりの時間を誰にも邪魔されずに謳歌することができるのを、葉月は感じ始めていたのだった。
葉月ちゃんは、おとなしいこだからね。
そのことばを仮面にして、鬼ごっこやかくれんぼに興じる『おともだち』から少し離れたところで、葉月は思う存分葉月の世界に遊んだ。ときどき、葉月のようすに気付いた『せんせい』に 『おともだち』の中に押し込まれることもあったけれど 、茫然と立ち尽くすしかない葉月はすぐに鬼につかまると決まっていて、やがては『お豆さん』というポジションを与えられた。『お豆さん』とはつまり、無力であるということ。手出しはできない。捕まえても得にならない獲物を追う鬼なんているわけもなくて、結局のところ葉月は鬼ごっこの輪から弾き出された。
幼稚園の園庭にある遊具も、葉月には脅威でしかなかった。とりわけ、丸太とロープで組まれたアスレチックなど見るのも恐ろしかった。そのアスレチックの入口には大きな鯉が泳ぐ池があり、網目に編んだロープでその上を渡らなくてはならないのだ。水面で大きな口をあける鯉たちは、足を踏み外す子供を待ち構えているのに決まってる。そう思うと、葉月は足がすくんでしまうのだ。
アスレチックだけではなく、ジャングルジムも滑り台も 、葉月は好きになれなかった。ひんやりした金属の表面 を被う塗料の毒々しい色合いや、ところどころのむき出しになって錆びた鉄の感触が気持ち悪くてしかたなかっ た。
かけっこも、ボール投げも、なわとびも、誰よりも劣っている葉月は、『おそとで遊ぼう』の時間がとにかく苦痛でならなかったのだ。
だからといって、葉月が幼稚園を嫌がっていたかというと、そういうわけでもない。みんなと一緒の行動を強制される場面さえやり過ごしてしまえれば、幼稚園はそれほど居心地の悪い場所でもないのだった。
むしろ、その頃から少しずつ陰りが出てきた自より自由でいられたかもしれなかった。