前髪
自力で丈を出したスカートは、プリーツの折り目に苦戦した甲斐なく、3㎝程度しか長くならなかった。ミシンを使わず手縫いで仕上げたせいで時おり縫い目が解けくるのを、葉月は何度も縫い直した。 立ったり座ったりの動作で圧がかかる背中の辺りがよく綻びてしまう。学校では縫い直しができないので、葉月は応急処置用に安全ピンを持ち歩いた。
不自然に揃った前髪にも、襞の揃わないスカートにも、気付いているのか、いないのか、母親はひとこともそこに触れることなかった。良かった、バレてない。葉月の胸には、寂しさよりも安堵が勝った。
『ちょっとっ、はづきちぃ。それはないわぁ』
葉月の自作の前髪を見て、声をあげたのはリカちゃんだった。はづきち、という新しい呼び名がくすぐったくて身をよじる葉月を見据えてリカちゃんは言う。あんた、真面目にもほどがあるよ。
『あたしが、ちゃんとしてあげるから』
『……え?』
『あんたの前髪』
眉にかかんなきゃなんでも良いってもんじゃないでしょうが。リカちゃんは葉月の腕をつかむと、そのままずんずんと校舎の裏に向かった。
『はい。持ってて』
丸い手鏡を渡されてきょとんとする葉月に、リカちゃんは石段を指差し、座ってと言った。
『はづきち、でかくなったから。立ってるとあたしが届かないわ』
あんなにチビだったのに。リカちゃんは、綾瀬くんと同じことを言って笑う。小学校のときには背が高い方だったリカちゃんの頭を、葉月は見下ろせるようになっていた。
『動かないでね』
ぺちゃんこの学生鞄からお化粧用の髪留めを取り出すと、リカちゃんは手際よく葉月の髪の毛をブロックに分けてゆく。スピーカーから、昼休みの終わりを知らせる予鈴が響いた。
『はづきち、次の授業、なに?』
『家庭科』
『じゃ、大丈夫だな』
しんと静まった校舎裏の空気を、鋏の音が揺らす。リカちゃんの指先から落ちた黒髪が、風に乗って飛んで行く。日差しを受けたリカちゃんの髪の毛は、茶色く透けたように光る。
『リカちゃん』
『うん?』
『最近、学校こないね』
うん、と頷いてリカちゃんは一歩さがる。指先で葉月の前髪を払い、また少し鋏を入れる。
『勉強、嫌いだし』
ハンドタオルで葉月の額や頬を払うと、リカちゃんは手鏡を持たせた葉月の手をぐっと持ち上げた。
『できたよ。どう?』
ぱっつりと切りっぱなしだった前髪に自然なカーブがついて、額の半分を隠していた。
『すごい、リカちゃん。ありがとう』
『どーいたしまして』
両手と制服を払い鋏をしまうと、リカちゃんは葉月の隣に腰をおろした。
『髪、伸びたね』
『うん』
小学生の間ずっとショートカットにしていた髪の毛は、背中の真ん中に届くくらいの長さになり、葉月はそれを2つに分けて三つ編にしていた。
『切らないの?』
『どうせ、すぐ伸びちゃうからって』
肩に付いたら結わなくてはいけない、前髪は眉にかかってはいけない。だったら最初から伸ばして結わいておけば良いじゃないの、と学校から渡された生徒手帳を見て、母親は言った。最初のうちは前髪も伸ばして一緒にまとめていたのだけれど、狭い額を丸出しにするのがどうしても嫌で、2年生に上がる前の春休みに葉月は自分で前髪を作ったのだった。
『短い方が似合うと思うんだけどなぁ』
葉月の顔を覗き込み、リカちゃんが言う。
『はづきち、おとなしい顔してるから。おさげにしてると、ちょっと地味だわ』
『良いよ。地味で』
『もったいないなぁ』
リカちゃんは立ち上がると葉月の後ろに回り、三つ編の毛束を解いた。そのままブラシでとかしあげた髪の毛を高い位置で1本にまとめ、ポニーテールに結った。
『うん、こっちの方が良いわ』
満足げに頷いたリカちゃんに促されて鏡を覗くと、両方からきつく引っ張られて少し目のつり上がった葉月の顔が映る。輪郭のあらわになった自分の顔が少し気恥ずかしい。葉月はリカちゃんに手鏡を返した。
『ありがとう』
『ほんとは、後ろも切ってあげたいんだけど。大がかりになっちゃうから』
中学を卒業したら、専門学校に通って美容師になるのだ、とリカちゃんは言った。だから、今は練習。はづきちの前髪くらいなら、いつでもきったげるよ。そういって、リカちゃんは葉月のポニーテールを揺らした。
『はづきちは?何になりたいの?』
『……看護師さん』
もごもごと答えた葉月を、リカちゃんは黙って見詰めた。なにかを言おうと開きかけた口を閉じる。何度かそれを繰り返し、一言だけ呟いた。
『そっか』
5時限目の終わりを知らせるチャイムが鳴り響き、2人は弾みをつけて立ち上がる。
『はづきち』
『うん?』
『あたし、帰るわ』
にやっと笑うと、リカちゃんは校門へと歩き出した。葉月は、リカちゃんに結ってもらったポニーテールを手のひらで1度、すっと撫でた。




