制服
菫と麻里絵とは、クラスは違ったけれど休み時間になると廊下に出て集まる位には仲が良かった。学校帰りにはいつも公園か、麻里絵の家に立ち寄って、なにをするでもなくだらだらと話をしたりして過ごした。麻里絵の両親は共働きで、菫には父親がいなかった。
『葉月ンちは厳しいもんね』
夕方5時が近くなると先に帰る葉月を、菫はそういって見送った。わたしが帰ったあと、2人はなにを話しているんだろう。革靴の先で、葉月は小石を蹴った。
部活があるから、という理由で葉月は中学校に上がったときから日菜と凌のお迎えを免除されていた。その代わり、というわけではないが、週に3日は近くの学習塾に通うことになった。個人経営の小さな塾では、アルバイトの大学生が交代に国語と数学と英語を教えていた。
菫たちと別れて家に帰り、食卓に用意された菓子パンをかじってから自転車で塾に向かう。授業が終わって家に帰ると10時近くて、日菜も凌も眠りについていた。遅い夕食を取ると、すぐに寝る時間になる。小学生の頃は小枝のようだった手足に、柔らかい肉がつき始めた。
『なんか植村、でかくなったな』
夏休み明けに昇降口で顔を合わせた綾瀬くんが、姿勢を正して葉月の横に立つ。
『ほら』
小学校を卒業する頃には葉月の頭の位置にあった彼の肩が、1年と少しの間に葉月の肩と同じ高さになっていた。
『あんなチビだったのに』
『ほんとだ』
葉月は驚く。綾瀬くんて、そんなに大きくなかったんだ。あんなに大人びて見えた彼は、いつのまにか普通の同級生になっていた。
『俺、全然背ぇ伸びねぇし。そのうち、抜かれるな』
笑った息に、ほのかなたばこが香った。
『妹、退院した?』
『うん、したよ』
『歩けるようになった?』
『手を引いてあげれば』
『すげえじゃん』
ダボダボのズボンを引きずる綾瀬くんと並んで階段を上る。葉月のクラスの入口までくると、綾瀬くんは、じゃあなと、軽く手をあげた。小さく頷いて手を振る。
『うん、またね』
笑って手を振りあった綾瀬くんは、その数日後、警察に補導された。
『けーさつ?』
麻里絵が作ってくれた即席ラーメンを啜っていた葉月は、麻里絵の言葉にむせかえる。このところ、麻里絵の家でラーメン一人前食べても、夕食を普通に平らげられる。ひとりぶんの給食に苦戦していた数年前の葉月とは別人のような食欲だった。
『なんで?』
『なんだ、葉月は知ってるのかと思った』
『知らないよ。クラスだって違うし』
『そっか。なんか、お酒のんで騒いでたらしいよ』
『綾瀬くんが?』
菫が目を丸くする。
『ひとりで?』
『んなわけないじゃん』
麻里絵は笑う。それじゃあ、ただのヤバいやつだよ。
『二ノ宮梨香って、3組にいるじゃん。あの子のお兄ちゃんがこのへんの暴走族の総長やってるらしくて。そのひとたちと一緒だったらしいよ』
『そうなんだ』
中学に上がると同時に、リカちゃんは金田さんから二ノ宮さんになった。入学式の日にそのことを知り、驚く葉月にリカちゃんは平然と告げた。『金田とか、ダセェし。二ノ宮のほうが、カッコいいじゃん?』おかげで兄貴もできたし。文句、ないわ。そういって、リカちゃんは笑った。以前よく、駄菓子屋さんの軒先でたむろしていたリカちゃんのお兄ちゃんを葉月は思い浮かべた。金色に染めた髪の毛と、ダボダボの制服。たしかに、最近の綾瀬くんの装いはあのときのリカちゃんのお兄ちゃんとよく似ている。
『二ノ宮梨香ンちって、かてーかんきょーが最悪なんだって。お兄ちゃんて、お父さんの連れ子らしいんだけど、そのお父さんとも血が繋がってないらしいよ』
3人の他には誰もいないのに、菫は声をひそめる。
『へぇ、よく知ってんね』
『みんな知ってるよ』
麻里絵と菫のやり取りを聞きながら、葉月はリカちゃんの言葉を思い出していた。葉月ンちには、葉月ンちのルールがあんだよ。リカちゃんちには、リカちゃんちの問題があるんだろう。それは、リカちゃんの家族でなければ分からない。最悪かどうかは、他人が決めることじゃない。
『二ノ宮さんの家庭環境はどうでもいいんだけどさぁ。綾瀬くんを巻き込まないでほしいんだよね』
麻里絵がぼやく。
『綾瀬くん、学校来なくなったらやだし』
『あはは。来ててもしゃべれないくせに』
『うるさい。』
菫を叩くまねをして誤魔化すけれど、麻里絵の頬は赤く染まっている。綾瀬くんが好きなのだ、と麻里絵が神妙に2人に打ち明けたのは、1年生の終わりごろのことだった。葉月と同様おとなしい分類に入る麻里絵は、とうてい話しかけるなんてできないと項垂れたり、顔を見ているだけで幸せなのと目を潤ませたり、とにかく忙しい。そして、最終的には『良いなぁ、葉月は』と口を尖らせるのだった。
『良いなぁ、葉月は。綾瀬くんと話ができて』
『そんなたいしたことは話さないよ』
『なにそれ。なんかむかつく』
『え、ごめん』
『うわっ、さらにむかつく』
『なんで!?』
もういいよっ、とむくれた麻里絵をなだめながら、菫が話を変える。
『葉月は?好きなひと、いないの?』
『えっ…。いない、かも』
『え~、ほんとにぃ?』
『うん』
綾瀬くんを好ましく思う気持ちはあったが、麻里絵のように、顔を赤らめたり胸がドキドキしたりするようなのとは違う気がした。
『そんなこと言って。菫は?』
『あたしはね~、横田くん』
菫は、バレー部の部長の名前を出す。彼女は、3ヶ月前には数学の高橋先生に憧れていたし、その前は1つ上の杉山先輩を見てはキャーキャー言っていたはずだ。そして、麻里絵のいないところでこっそりと、あたしも綾瀬くん好きかも、と葉月に耳打ちしたこともあった。
『横田くん、背が高いよね』
『186㎝あるんだって』
『そう言えば、葉月も急に伸びたよね』
『うん、こないだもそれ綾瀬くんに……あっ』
麻里絵に睨み付けられて、葉月は慌てて口を閉ざす。
『もー、妬かない妬かない』
菫が取りなして3人は吹き出す。葉月、そろそろ時間じゃないの?促されて立ち上がった葉月は、その瞬間になにかが変わったのを感じた。それはとても感覚的なもので、目には映らない、なにか。
うっすらと雲がかかったような心持ちで、葉月は麻里絵の家をあとにした。
その、予感めいたものは当たっていて、翌日登校すると、2人のようすがおかしかった。休み時間になっても、いつもの廊下の突き当たりに2人の姿がない。不思議に思った葉月が昼休みに麻里絵のクラスを覗くと、窓際の麻里絵の席で菫と麻里絵が話し込んでいた。
『あ~れ、植村。どした?』
教室の入口で立ち尽くす葉月に、綾瀬くんが声をかける。綾瀬くんは、麻里絵と同じ
クラスだった。窓際の席の2人が顔をあげる。冷たい。出合った視線を、葉月が先に逸らした。
『うん。なんでもない』
6時限目の授業が終わると、2人は葉月をおいてさっさと帰ってゆく。葉月のクラスの前を通りながら教室の中を覗く菫と、葉月の目が合った。菫は、麻里絵の制服の袖を引く。振り返った麻里絵は、葉月を睨むと菫の手を引いて足早にその場から去っていった。
そういうことか。葉月は早々に悟った。こういうとき、追いすがるのがなにより惨めだ。2人に追い付いてしまわないように、ゆっくりと身仕度を整え、葉月は久し振りにひとりで家路についた。
『植村さん。少しスカートが短いわね。丈詰めしてあるなら、直してもらいなさい』
全校集会後の服装検査で、国語の教科担任が葉月のスカートの裾を軽く引く。大きめにあつらえてあった制服だったが、2年生の夏休みが明けた頃にはジャンパースカートの裾は膝頭を隠しきれなくなっていた。
『はい』
頬が熱くなるのを感じた。スカート丈は長いのが主流とされていた頃で、葉月のスカートは、目立って短かった。
『あと、前髪が眉にかかってます』
『はい』
『あとは、良し』
最後に全身をじろりと見て、国語教師は頷いた。ほっと息を吐きながら、葉月は体育館の床に腰をおろした。
その日、家に帰ると、葉月は裁ち鋏を構えて鏡台の前に立った。前髪の束をつかみ、ザクザクと鋏を入れる。癖の強い前髪は狭い額の上でくるりと丸まって、ハの字に垂れた眉毛がむき出しになった。
……前髪は自分でどうにかできるけど。
スカート、直せるかな。葉月はジャンパースカートのウエストの縫い目に裁ち鋏を入れた。