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My Sweet Home  作者:
1/52

 ……これで、良かったんだ  


 足元に広がる、黒々としたうねりをひとしきり見据えて から、葉月はぎゅっと目を瞑った。絶えず吹き付ける風 が耳元で轟々と唸る。時おり、崖下ではぜた水飛沫が吹 き上げられ、葉月の頬や髪を濡らした。


 一月の、太平洋。


 うっすらと霞のかかった水平線には、大きな船の影が見 える。客船だろうか。「おーい」 口許に手をあてて叫んでみる。ピーヒョロロと、沖では なく上空から返答があって、見上げると、二羽の鳶が悠 々と旋回しているのが見えた。つがい、だろうか。葉月 の声は、たぶんあの船には届かない。あの二羽だけが、 高いところから葉月の姿を見守っている。


 ……これで、良かったんだよね


 葉月はもう一度、岩場で砕ける大きな波に目を凝らした 。



   海が、好きだった。


 それはたぶん、家族団らんの記憶がそこに詰まっている から。葉月にものごころが付くころには、お盆休みの海 水浴は毎年の恒例行事となっていた。二泊三日の家族旅 行は、長女である葉月が高校を卒業するまで、一年たりとも欠くことなく続けられた。 普段は機嫌の悪い両親もこの三日間だけはにこやかで、 束の間、気を許して過ごせる期間。 葉月は毎年、でき るだけ早く出発し、可能な限り遅くまで旅行が続くよう に祈った。 お盆とは、大人もわくわくするような、全国的な夏休み 期間なのだ、と葉月は単純に思い込んでいた。

 それが、先祖の霊を迎えるための行事であると知ったの は、社会に出て働くようになってからだ。葉月の育った 家には、茄子や胡瓜で馬を拵える習慣も、墓前で手を合 わせる習慣も、なかった。 もしかしたら、そこから目をそらすための海水浴だった かもしれない。三六歳になった葉月は、ぼんやりとそう 感じている。けれど、それを肯定も否定もするつもりは ない。


 だって、そのときだけは子どもとして振る舞うことを許 されていたから。


  両親の思惑がどうであれ、楽しかった記憶は潮の香りに 包まれている。カラフルなビーチパラソルと、足の裏を 焼く白い砂。普段は絶対に食べさせてもらえない、海の 家のジャンクなメニュー。日が暮れるまで、なにも考え ずに波間を漂う至福。 民宿に帰ればお風呂が沸いていて、食卓にはその日に水 揚げされた魚がところ狭しと並んだ。 帰りの道は決まって渋滞に巻き込まれたけれど、それす らもオプションのようなものだった。


 永遠に、これが続けば良いと願っていた時間。


 それが転じて、葉月は海そのものに強い帰属意識を持つ ようになったのかもしれなかった。


 帰属意識。帰るべき、属する場所。


 断崖を、葉月は少しだけ前に進み出た。

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