第六章 就活は、清潔感という名の地雷だ
恋人ができたからといって、世界が優しくなるわけじゃない。
むしろ逆だ。
世界はこう言う。
「それでも通用するか?」
と。
そして社会は、その質問を“面接”という形で投げてくる。
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大学四年。
就職活動。
黒スーツの海の中を、僕は泳いでいた。
泳いでいたというより、浮いていた。
みんな同じ格好だ。
同じ髪型だ。
同じ表情だ。
就活は、平均値を揃える儀式だ。
でも僕だけ、揃えられない項目がある。
髪。
揃える髪がない。
つまり最初から、平均値のゲームに参加できていない。
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朝、洗面所。
蛍光灯。
容赦のない白。
鏡の中にいる僕は、スーツを着ている。
ネクタイを締める。
シャツの襟を整える。
靴を磨く。
履歴書を確認する。
やることは全部やった。
でも頭だけは、何もできない。
整えようがない。
寝癖がないというのは利点のはずだ。
ワックスいらず。
ドライヤーいらず。
美容院代いらず。
世の中が合理性でできているなら、僕の頭は優勝している。
でも世の中は、合理性だけじゃない。
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「清潔感」
この四文字が、就活にはついて回る。
清潔感。
清潔感。
清潔感。
就活の“聖なる呪文”だ。
でも清潔感とは、誰が決めるのか。
説明書はない。
採点基準もない。
あるのは多数派の感覚だけ。
そして多数派の感覚は、平均に寄る。
つまり、
平均から外れた見た目は、清潔でも“清潔感がない”と言われる可能性がある。
清潔感とは、清潔ではなく“雰囲気”なのだ。
雰囲気とは、強い。
雰囲気は、努力を踏みつぶす。
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玄関で母が言う。
「頑張ってね」
父が新聞を畳んで言う。
「堂々としていけ」
堂々。
それは僕が一番苦手な属性だ。
堂々としたハゲは、ただの強キャラに見える。
でも僕はまだ、強キャラのメンタルを持っていない。
僕は玄関の鏡を見て、帽子を手に取る。
迷う。
被るか。
被らないか。
社会に出るとき、帽子は禁忌だ。
面接で帽子は、論外。
でも会場までの道中は?
駅までの道中は?
被ったら楽だ。
視線が減る気がする。
でも、被ると逃げた気になる。
恋人ができてから、僕は少しずつ帽子を外す時間を増やしてきた。
それをここで戻していいのか。
僕は結局、帽子を鞄に入れた。
持つ。
でも被らない。
逃げ道は確保する。
でも、使わない。
この中途半端さが、僕らしい。
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合同説明会。
巨大ホール。
黒スーツの群れ。
上から見たら、整列したアリの行列だろう。
その中で僕だけ、光を反射している。
曇っていても、人工照明は眩しい。
「お、見つけた。真壁」
友人が声をかける。
髪がある友人。
羨ましい。
いや、羨ましいと思うのはやめる。
比較は暴力だ。
僕は笑って返す。
「反射で分かった?」
友人が笑う。
「お前、便利だよな」
便利。
僕の頭は交通標識として便利だ。
でも就活では、それが不安になる。
目立つことは、評価に繋がらない。
目立つことは、リスクになる。
企業は“無難”を愛する。
無難とは、平均だ。
僕は平均から外れている。
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ブース。
説明を聞く。
企業理念。
挑戦。
成長。
グローバル。
「人柄重視です」
何回聞いたか分からない言葉。
でも“人柄重視”と言いながら、人はまず外見を処理する。
これは差別ではなく、人間の仕様だ。
仕様なのが、救いでもあり、絶望でもある。
人間は変えられない。
仕様は変えられない。
僕の頭も変えられない。
仕様対仕様の戦い。
勝てる気がしない。
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一次面接。
会議室。
向かいに面接官二人。
二人なら、まだましだ。
ハゲ社会力学理論によれば、三人以上で“笑い”が発生しやすい。
面接官は笑わない。
でも評価する。
それは別の怖さだ。
「志望動機をお願いします」
話す。
準備した言葉を。
滑らかに。
噛まない。
目を見て。
ちゃんと。
面接官は頷く。
メモを取る。
その瞬間――視線が落ちる。
僕の頭へ。
たった0.3秒。
でもわかる。
そこで“処理”が終わる。
分類。
統計。
平均からの逸脱。
「個性的ですね」
出た。
この言葉は便利だ。
褒め言葉にも、欠点にも、同情にもなる。
そして就活では、だいたい不採用の前触れだ。
僕は笑って返す。
「覚えていただけるのが強みです」
面接官が少し笑う。
条件反射じゃない笑いかどうか、僕には分からない。
分からないという時点で、僕はまだ怯えている。
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結果はメールで来る。
「今回はご縁がなく」
ご縁。
便利な言葉。
努力不足でもなく、能力不足でもなく、ただ縁がなかった。
でも本当は、
“違和感”だったのかもしれない。
組織に置いたとき浮く。
お客さんの前でどう見えるか。
ブランドイメージに合うか。
そういう“無言の採点表”がある。
採点表は見えない。
だから反論できない。
就活は理不尽だ。
理不尽は、僕の頭に似ている。
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不採用が続く。
二社、三社、十社。
メールの文面に慣れる。
慣れは麻痺。
麻痺は防御。
でも防御は、心の柔らかい部分を削る。
帰り道。
駅のホームで、自分の姿がガラスに映る。
黒スーツ。
疲れた顔。
つるっぱげ。
眩しい。
僕は思う。
――やっぱり、俺ってダメなのかな。
その瞬間、全身が冷える。
ダメかどうかは髪で決まらない。
分かっている。
でも心は、分からない。
心は論理より弱い。
僕は鞄から帽子を取り出す。
被るか。
迷う。
そして――被った。
久しぶりに。
面接会場では被らない。
でも帰り道だけ。
言い訳が立つ。
「日差しが」
「寒いから」
「風が」
理由はいくらでも作れる。
本当の理由は一つ。
傷ついたから。
被った瞬間、楽になる。
視線が減った気がする。
頭皮が守られる。
でも同時に、自分が小さくなる。
帽子は盾だ。
でも盾は、戦う勇気を奪う。
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その夜、月島澄と会う。
カフェ。
暖かい照明。
ここでは頭皮は眩しくない。
でも心は眩しい。
自分が自分を見下ろしているからだ。
「どうでした?」
彼女が聞く。
僕は言う。
「まあまあ」
嘘。
嘘だと分かっているのに、言ってしまう。
彼女は僕の帽子を見る。
今日、被っている。
彼女の前で被るのは、最近減っていた。
でも今日は被ってしまった。
「……疲れてますね」
声が優しい。
優しさは救いだ。
でも余裕がないと、試練になる。
「普通だよ」
また嘘。
彼女は少し黙ってから言う。
「真壁くん」
まっすぐ。
「無理に強くならなくていいです」
その言葉が、胸に刺さる。
強くならなくていい。
それは救いのはずだ。
でも僕は焦っている。
社会は待ってくれない。
卒業は来る。
家賃は払う。
生活は続く。
「強くならなくていい」なんて言葉は、社会にはない。
だから僕は、彼女の優しさを受け取れない。
受け取れない自分が、また嫌になる。
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帰り道。
彼女と並ぶ。
風が吹く。
僕は帽子を押さえる。
彼女が言う。
「風、強いですね」
高校生の頃の風事件が、頭をよぎる。
あのときは、帽子が飛んで、丸腰になって、それでも彼女は普通だった。
でも今は違う。
僕は自分から檻に戻っている。
世界が怖いから。
結果が出ないから。
「……ごめん」
僕は言う。
「何がですか?」
「帽子」
言ってしまう。
彼女は、少しだけ悲しそうに笑う。
「謝る必要ないです」
それがまた刺さる。
謝る必要ないのに、僕は謝っている。
つまり僕は、自分が後退していることを自覚している。
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部屋に戻る。
帽子を脱ぐ。
鏡を見る。
つるっぱげ。
変わらない。
でも今日は、嫌いだ。
頭が嫌いなんじゃない。
自分が嫌いだ。
負けた気がする。
社会に。
自分に。
そして思う。
――恋人がいても、世界は厳しい。
むしろ、厳しさが浮き彫りになる。
守りたいものが増えるから。
不安も増えるから。
毛は生えない。
でも不安だけは、増毛する。で




