第一章 転生したら、最終形態だった
死ぬ瞬間というのは、案外あっさりしている。
僕の場合は、上から落ちてきた鉄骨だった。人生も毛根も、上からの圧に弱いらしい。
工事現場の前を通ったとき、金属の鳴る音がして、見上げたら“それ”が降ってきた。
鉄骨は避けられない。
薄毛も避けられない。
人生って、だいたい避けられないもので出来ている。
――ああ、これで終わる。
そう思った瞬間、視界が真っ白になった。
白というか、白紙というか、剥がれ落ちたというか。
髪の毛が抜ける瞬間もこんな感じだったな、とどうでもいいことを考えた。
そして僕は死んだ。
人は死ぬと走馬灯を見るらしい。
僕は走馬灯の代わりに、育毛剤の広告だけが頭に流れた。
「なりたい自分に、なろう」
無理だよ。毛根が拒否してる。
⸻
目を開けると、天井があった。
やけに近い。
近すぎて、世界が僕の頭にキスしているようだった。
「……眩しい」
声を出そうとして、喉が乾いていることに気づく。
長いこと言葉を使わずに放置された楽器みたいに、音が掠れる。
僕はゆっくり上体を起こし、部屋を見回した。
知らない部屋。
知らない匂い。
知らない空気。
知らない木目。
でも、それより知らないのは――自分の頭だった。
違和感があった。
軽い。
頭が軽い。
いや、軽いという表現は正しくない。頭皮が軽い。
重さの問題ではなく、質感の問題だ。
僕は恐る恐る、頭に手をやった。
つるり。
指が、抵抗を失う。
そこには“引っかかり”がない。
髪の毛に期待する微かなざらつきも、産毛という希望もない。
あるのは、完成された滑走路だけだった。
「……は?」
もう一度撫でる。
つるり。
三度目で悟る。
――転生したら、つるっぱげだった。
しかも、ただのつるっぱげじゃない。
絶望的に美しいつるっぱげ。
全方位、均一な反射率。
人生のどこでこの研磨を?
鏡を探して、部屋を見渡す。
壁に丸い鏡が掛かっていた。
そこに映っていたのは、見知らぬ男でも老人でもない。
若い。高校生くらいの顔。
でも頭は、人生に諦観した中年の頭皮みたいな完成度。
生まれたての赤ん坊の頭が、
世界の理不尽をすべて知った大人の皮膚を被ったみたいな、
そんな不条理な仕上がり。
「……転生、した……?」
つまり僕は、死んで、別の世界に生まれ変わった。
そして、その世界で与えられた初期装備が――
【髪:なし】
【防御:帽子推奨】
【特性:光反射】
【スキル:自己否定(Lv.1)】
クソゲーか?
⸻
そこから先は、思ったより普通だった。
普通というのは、現実が淡々と続くという意味だ。
僕の名前は、真壁薄。
嫌がらせみたいな名前だが、両親は善良だった。
母は「すすきって綺麗でしょ?」と言った。
綺麗かもしれない。
でもすすきには穂がある。
僕にはない。
家の外にも内にも、ない。
父は真面目な公務員で、母はパートで、僕は一人っ子だった。
家庭は温かい。
頭皮は冷たい。
人生はバランスでできている。
僕は赤ん坊の頃から“そう”だったらしい。
写真がある。
生後三か月。
そこに写る僕の頭は、既に堂々としていた。
堂々としているというか、清々しいほど潔い。
毛根が「仕事は辞めました」と退職届を出している。
親戚は言った。
「そのうち生えるよ」
美容師のような希望の撒き方をする。
生えなかった。
医者は言った。
「体質ですね」
便利な言葉だ。体質。
要するに仕様。返品不可。
母は笑った。
「薄、髪が少ない分、頭が良くなるかもね」
そういう補填の仕方をするんじゃない。
頭の上の空白は、知能で埋まらない。
⸻
幼稚園では、あだ名は「たまご」だった。
まだ可愛い。
僕も可愛い時期だった。頭も丸いし。
でも小学校になると、世界は光を理解し始める。
「あ、真壁ってさ、太陽の下だと……」
誰かが言いかけて、言い切らない。
言い切らないのが優しさだ。
優しさは時々、いじめより鋭利だ。
校庭で鬼ごっこをすると、僕だけ発見が早い。
太陽が僕を裏切らないからだ。
僕の頭は位置情報の発信源だった。
GPSより正確。
「そこ!反射してるからバレバレ!」
誰かが叫ぶ。
僕は走る。
頭が光る。
追われる。
人生の縮図だ。
小学校のあだ名は「反射板」になった。
交通安全のために貼られるやつだ。
僕は人の心の安全は守れなかったが、夜道の安全は守れた。
中学に入ると、あだ名は「未来」になった。
未来って何だよ。
当時は意味が分からなかった。
でも今ならわかる。
彼らは言いたかったのだ。
「お前の頭は、俺たちの未来の姿だ」と。
つまり僕は、中学生男子たちの“恐怖の予言”として扱われた。
世界に希望を与える役目ではない。
恐怖を与える役目だ。
僕は地球温暖化よりリアルな脅威だったらしい。
思春期というのは、全身がアンテナになる季節だ。
他人の視線は電波みたいに飛び交って、受信感度が高いと心が雑音で壊れる。
僕の頭は受信どころか反射していた。
悪意も、同情も、太陽光も、全部、跳ね返す。
跳ね返した先で、誰かが傷つく。
でもだいたい傷つくのは自分だった。
⸻
僕は、明るい子だった。
いや、正確には、明るい“ふり”が上手い子だった。
「眩しい?ごめん、標準装備なんだ」
そう言って笑えば、相手は二発目を撃ちにくい。
自虐は盾だ。
僕にとって帽子より先に手に入れた防具。
でも盾は重い。
毎日構えていると腕が疲れる。
家に帰ると、疲れがどっと出る。
鏡の前で帽子を取ると、現実が戻ってくる。
つるっぱげ。
どの角度から見ても、言い逃れできない。
側頭部だけ残るタイプでもない。
M字でもない。
完全なフルオープンワールド。
隠し要素ゼロ。
僕は思った。
――転生した意味、これ?
もし神様がいるなら、開発者としてバランス調整をしてほしい。
見た目デバフが強すぎる。
代わりに何かスキルをくれ。
例えば「光属性魔法:フラッシュ」とか。
僕の頭で眩しくして敵を怯ませるとか。
現実では怯むのは僕の方だった。
⸻
高校に入学した日。
体育館の照明が強い。
蛍光灯はハゲに容赦しない。
容赦しないというか、使命感がある。
「ここに照らすべき対象がいます」と言わんばかりに、僕の頭皮を直撃する。
前の席の女子が振り返る。
一瞬、視線が跳ねる。
頭頂へ。
そして、慌てて目を戻す。
その動きは、もう見慣れている。
“見てしまった人の動き”。
僕は笑って先に言う。
「ごめん、反射した?」
女子は苦笑する。
これでいい。
これで安全圏。
安全圏という言葉ほど、悲しいものはない。
僕は戦場にいるわけじゃない。
ただ高校に入学しただけだ。
でも頭皮は、常に戦場だった。
⸻
僕は決めた。
恋をしない。
恋は危険だ。
恋は“見られる”ことで始まる。
そして“触れられる”ことで確定する。
触れられて幻滅される未来が見える。
帽子を取った瞬間、相手の世界が色を失う未来が見える。
僕の頭は、希望を育てる土壌じゃない。
雑草すら根を張れない。
毛根がないからだ。
……いや、毛根がないのは土壌以前の問題だ。
畑がない。
耕す場所がない。
農業が成立しない。
育毛ができない。
僕は笑った。
笑うしかない。
⸻
それでも僕は、図書室に行くようになった。
理由は単純。
照明が弱いから。
図書室はハゲに優しい。
本は光を反射しない。
ページは僕の頭を評価しない。
活字は毛量を測らない。
本棚の間は、細い光が落ちるだけで、天井の蛍光灯の直撃を受けにくい。
僕にとっては、数少ない“視線の死角”だった。
その日も放課後、僕は図書室へ行った。
いつもの通路。
本棚と本棚の隙間。
床に落ちる光の帯。
そこに、誰かがいた。
女子が床に座って、本を読んでいた。
肩までの髪。
柔らかそうで、ちゃんと生きている髪。
僕は一瞬、目を逸らした。
羨ましい。
羨ましいと思った時点で負けだ。
比較は暴力だ。自分に対する暴力だ。
通り過ぎようとした。
「そこ、空いてますよ」
声がした。
柔らかい声。
でも曖昧じゃない。
僕は足を止める。
女子は本から目を上げた。
目が合う。
そして――彼女の視線は、僕の頭に飛ばなかった。
普通なら、目が合った瞬間に視線が上に跳ねる。
人は気になるものを見る。
事故現場、傷口、失敗作、そしてハゲ。
でも彼女の視線は、僕の目に留まったままだった。
まるで、僕の頭に何があるかなんて、どうでもいいみたいに。
「……ありがとう」
僕は、間抜けな声で言った。
彼女は微笑む。
作り笑いじゃない。
観察している笑い。
こちらを“扱いにくいもの”として処理していない笑い。
「ここ、静かでいいですよね」
彼女は言った。
静か。
そうだ。静かだ。
世界は、いつも僕の頭の上で騒がしいのに。
僕は座った。
距離は二メートル。
でもその二メートルは、今までのどの距離より安全だった。
「何読んでるの?」
聞いてしまった。
「夜と霧です」
重い。
重すぎる。
高校一年で読む本じゃない。
僕はそのタイトルのせいで、頭の上に“霧”どころか“砂漠”を感じた。
「……難しくない?」
「難しいです。でも、人って面白いなって」
彼女は言う。
真面目に。
何かを笑いに変えるためじゃなく。
その真面目さが、僕の胸を少しだけ温めた。
僕は、恐る恐る聞いた。
「……俺さ」
言葉が詰まる。
彼女は首を傾げる。
「はい」
「昔から、こうなんだけど」
僕は頭に手をやる。
説明するしかない。
この頭を、言葉で。
彼女は一瞬だけ僕の頭を見た。
一秒。
それだけ。
そして言った。
「触っていいですか?」
――は?
僕は思った。
転生先の世界は、距離感がバグっているのか?
初対面で頭皮にアクセスしてくる女の子がいるのか?
「え、なんで」
「綺麗なので」
綺麗。
その単語は、僕の人生の辞書に存在しなかった。
僕の頭に対する言葉は、だいたい“眩しい”“寒そう”“未来”だった。
彼女の指先が、そっと触れる。
つるり。
僕の頭皮は、驚くほど正直だった。
ぞく、とした。
痛いんじゃない。
嬉しさでもない。
“許された”という感覚。
「……すべすべ」
彼女は、日用品レビューみたいに言った。
僕は笑った。
「ワックスいらず」
「経済的ですね」
真顔。
僕は吹き出しそうになる。
冗談なのか本気なのか分からない。
でも分かる。
悪意がない。
同情もない。
ただの事実。
その瞬間、僕の中で何かが変わった。
世界には二種類の人間がいる。
僕の頭を“ネタ”として見る人。
僕の頭を“現象”として見る人。
彼女は後者だった。
彼女の名前は、月島澄。
後で名簿で知った。
澄。濁らない。
僕の頭は濁りようがない。何もないから。
でも彼女の目も、濁りがなかった。
僕は思った。
恋はしない。
そう決めていた。
でも――
感情は、勝手に増毛していく。
毛は生えないのに。




