転校生
「……ん」
目覚めると、セミの鳴き声が遠くなっていた。
窓から入ってくる風が、少しだけ涼しい。
俺は体を起こし、デジタル時計の日付を確認する。
『9月1日(月)』
「……は?」
思わず声が出た。
昨日は海から帰ってきた翌日で……まだ8月の序盤だったはずだ。
夏休みの期間すべてが、吹き飛んでいた。
「またかよ……」
俺はベッドに倒れ込み、天井を睨んだ。
この世界は、イベントとイベントの間にある「日常」を平気でスキップする。
俺の夏休みの余韻は?
「クソゲーだぁ……」
悪態をついても、失われた時間は戻らない。
俺は始まった「二学期」を受け入れ、制服に着替えた。
⸻
「おはよう、優くん!」
準備を終え、家の外に出ると、いつも通り百合が手を振っていた。
「あぁ、おはよう、百合」
二人でいつもの道を通り、校門まで行くと……
そこには、少し眠そうな秋が待っていた。
「おはよう、秋」
「やあ、愛羅武くん。
……ふあぁ、いきなり学校なんて、体がついていかないよね」
秋があくびをする。
彼女たちの記憶では、普通に夏休みを過ごしたことになっているのだろう。
俺だけが、編集された映画を見せられている気分だな。
そんなことを思いつつ、俺たちは並んで教室に入った。
教室内は、活気に満ちているようだった。
だが、日常に戻ったように見えても、俺の警戒心は解けていない。
一応、手帳は鞄の奥底にしまい、野球ボールも五個ほどカバンに入れて、今日に挑んだ。
⸻
チャイムが鳴り、モザイク先生が入ってきた。
「席につけー」
気だるげな号令と共に、クラスが静まった。
しかし、今日の先生は、いつもと違う様子だった。
教卓に手をつき、教室全体を見回すと、厳かに告げる。
「えー、二学期の初日だが、転入生を紹介する」
クラスがざわめく。
この時期に転校生?
普通なら、ありえないタイミングだ。
だが、ここはゲームの世界。
ゲームのシナリオ通りなら、文化祭前のテコ入れイベント――新ヒロインの追加だ。
「入りなさい」
先生の合図で、教室のドアがゆっくりと開いた。
一瞬、教室の空気が冷えた気がした。
入ってきたのは、教室の喧騒を一瞬で凍りつかせるような美少女だった。
腰まで届く、濡れたような艶やかな赤髪。
それを、黒いリボンで一つに結んでいる。
雪のように白い肌。
切れ長の瞳は涼しげで、どこか人間離れ、浮世離れした神秘性を漂わせていた。
制服の着こなしも完璧だが、俺はすぐに彼女の胸ポケットを確認した。
(……あった)
そこには、一輪の白い花が飾られていた。
花弁が厚く、蝋細工のように美しい花。
白いツバキだった。
彼女もまた、この世界の攻略対象であり、花を持つヒロインの一人なのだ。
「……初めまして」
彼女は黒板に向き直ると、流麗な文字で名前を書いた。
椿 小夜
「椿小夜と言います。
前の学校の都合で、この時期の転入となりました。
不慣れなことも多いですが、よろしくお願いします」
深々とお辞儀をする。
その所作は、神社の巫女のように洗練されていて、
完璧な「転校生」の登場の仕方だった。




