終業式
意識が遠のく中、俺は暗闇の中で「誰か」の声を聞いた。
「……うん、言われちゃった。
『お前には無理だ』『現実を見ろ』って」
それは、懐かしい声だった……。
「でもね、私は絶対に諦めない。
私ね……実は教師になりたいの。
生徒の夢を、一番近くで応援できる人になりたい。
私の夢を否定したあの人たちとは違う、生徒の味方になれる先生に……!」
強い決意。
けれど、その声は微かに震えていて、今にも泣き出しそうだった。
俺は、やっぱりこの声を知っている。
もっとずっと前から、俺の魂に刻み込まれているような、懐かしくて愛おしい声。
(頑張れ……)
俺は心の中で叫んでいた。
(君ならなれる。絶対に、いい先生になれるから……)
その想いが届いたのか、闇の中の彼女が、ふっと笑った気がした。
「……ありがとう。君がそう言ってくれるなら、私、頑張れる気がするよ。
……優……くん」
肝心な名前の部分に、ザザッとノイズが走った。
「……っ」
目を開けると、朝の光が部屋に満ちていた。
頬を、一筋の涙が伝っている。
「……夢、か」
俺は涙を拭い、呆然と天井を見上げた。
今の記憶は、薔薇崎華麗のものじゃない。
薔薇崎の「家族に認めさせる、認めてもらいたい」という想いとリンクした、誰か別の女性の記憶だ。
教師になりたがっていた彼女。
俺は、彼女を応援していた。
「誰なんだ……」
胸の奥が締め付けられるように切ない。
だが、不快な痛みではない。むしろ、忘れていた温もりを取り戻したような感覚だった。
俺はベッドから起き上がり、机の上を見る。
黒い手帳が、そこにある。
昨夜のことは夢じゃなかった。
俺は死を回避し、記憶を手に入れ、朝を迎えたのだ。
俺は手帳を開く。
昨日は白紙だったページに、文字が浮かび上がっていた。
『彼女たちの願いは、彼女の願いでもある』
謎めいた言葉だが、今の夢を見た後だと、なんとなく意味が分かる気がした。
「優! 早くしなさい!
今日は終業式でしょ!」
母さんの声が、現実に俺を引き戻す。
また時間が飛ばされていた……。
俺は時間への憤りを感じながら、手帳を鞄の奥底に入れ、準備をする。
そして、玄関のドアを開け、外に出た。
「優くん、おはよー!」
百合が待っていた。
外食キャンセルの件が有耶無耶になったのは、ちょっと良かったかもしれない……少し安堵してしまった。
俺たちは今日も一緒に学校へ向かう。
⸻
終業式が終わり、ホームルーム。
モザイク顔の教師が「夏休み中の注意事項」を淡々と読み上げ、解散となった。
「やったー! 夏休みだー!」
百合が伸びをする。
そして、くるりと俺の方を向いた。
「ねえ優くん! みんなでどこか行かない?
せっかくの夏休みだし、パーッと遊びたいよ!」
その提案に、前の席の秋が乗ってきた。
「いいじゃないか。ボクも賛成だ。
暑いし、やっぱり海かな?」
「海! いいねいいね!」
百合が目を輝かせる。
すると、後ろからおっとりとした声がかかった。
「海に行くのでしたら……わたくしの別荘を使いませんこと?」
薔薇崎華麗だ。
彼女は優雅に扇子を仰ぎながら、微笑んでいる。
「別荘!?」
「ええ。父が所有している、プライベートビーチ付きの別荘がありますの。
そこなら、他のお客様を気にせず楽しめますわ」
「すげえ……さすが薔薇崎さん」
俺は感心して、思わず「さん」付けしてしまった。
まさに、ゲームに出てくるお嬢様キャラの王道展開だ。
夏休みイベントはルート分岐で、遊ぶ相手が変わる。
この展開は、一年生キャラ全員ルートだ。
「それに……愛羅武さまには、体育祭でお世話になりましたから。
そのお礼も兼ねて、ご招待させていただきますわ」
彼女は少し頬を染めて、俺を見ていた。
「では、善は急げですわ。明日にでも出発しましょう!」
こうして、俺、百合、秋、薔薇崎の四人で、一泊二日の海旅行が決まった。
「楽しみだね、優くん!」
はしゃぐ百合を見て、俺も自然と笑みがこぼれる。
だが、ふと鞄の中の手帳の重みを感じた。
『黒色は危険』
この楽しい夏休みの裏で、世界は確実にバグを孕んでいる。
俺は気を引き締めなければならない。
この旅行で、俺はこの世界の「広さ」を知ることになる。
そして、そこにある「限界」も。




