手帳
体育祭の興奮が冷めやらぬまま、俺たちは帰り支度をしていた。
「優くん! 今日の晩ご飯、お祝いで外食とかどう?
おばさんも一緒にどうですか?」
百合が嬉しそうに提案する。
母さんと百合の家族は、すっかり乗り気だった。
だが、俺にはやらなければならないことがあった。
あの「報酬」の確認だ。
こうして家に帰ってからでは、また誰かに邪魔されるかもしれない。
かといって、家族の前で確認するわけにもいかない。
俺は、とっさに嘘をついた。
「悪い、先に行っててくれ。
先生に、ちょっと呼び出されてるんだ。
体育祭の片付けの手伝いがあるらしくてさ」
「えー、優くんだけ? 大変だね……」
百合は残念そうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。
「わかった!
じゃあ、お店の場所送っておくから、終わったらすぐ来てね!」
「ああ、すぐに行く」
俺は母さんと百合たちを見送り、一人で教室へと戻った。
⸻
教室には、誰もいなかった。
祭りの後の静けさが、妙に耳に残る。
俺は自分の席に座り、息をついた。
「さて……確認するか」
俺はウィンドウを開いた。
『???を助けてあげてください
薔薇崎華麗を達成しました』
体育祭で薔薇崎と話していた時に、達成したものだ。
『報酬を受け取りますか?』
「受け取る」
その瞬間、手の中に「形あるもの」が現れた。
これまでは、頭に直接情報が流れ込んでくるだけだったが、今回は違う。
古びた、黒い一冊の手帳だった。
表紙には、何も書かれていない。
ページをめくると、走り書きのような文字で、奇妙なことが記されていた。
『黒色は危険であり、脅威だ』
『この世界にとって、黒はイレギュラーな存在である』
『だが、感覚として近しい何かを感じるだろう』
つまり、黒いモヤはこの世界のバグであり、
下の文の「近しい何か」というのは、
俺もイレギュラーな存在だということなんだろうか……。
一体、この手帳を書いた存在は誰なんだ……。
そう考え込んでいると、ページの端に赤色で書かれた一文が目に入った。
『自分の家が、一番安全な場所である』
『害意のあるものは、入ってこられない』
「家が……安全地帯?」
手帳の内容に、俺は困惑していた。
何か思い当たる節はないか……そう考えていると、
ふと、窓の外が目に入った。
「……は?」
真っ暗だった。
俺が家族と別れたのは、夕方前だ。
まだ、日は高かったはずだ。
教室に来て、手帳を数ページめくっただけ。
体感時間は、数分も経っていない。
再び、ウィンドウが現れた。
『追加報酬:記憶のかけらを手に入れました』
手帳だけではなかったらしい。
『記憶のかけらを入手した事により、同期を開始します』
俺は、痛みもなく、眠るように意識を失っていった……。
⸻
頭の中を温かく包む、優しい声が聞こえる。
「そうなの……私の夢を応援する気はないなんて、言われちゃった。
だけどね……私は自分で証明するつもり。
私でもできるんだって、家族に証明するよ。
だから、まずは生徒か……」
彼女の切実な声。
強い決意。
それが――プツリと途切れた。
⸻
『緊急事態発生』
『緊急事態発生』
脳内に、赤い警告文字が埋め尽くされる。
「う、わあぁぁっ!?」
激しいノイズ。
鼓膜が破れそうなほどの警報音。
視界が歪む。
「う……戻ってきた……のか?」
そこは、先ほどと同じ教室だった。
ただ一つ、違うことがあるとすれば――
俺の手足に、黒いモヤが絡みついていた……。
「離れろ!」
俺は暴れようとするが、体は動かない。
黒いモヤは、俺の顔までも飲み込んでいく。
視界が塞がれ、何も見えなくなった。
ガラガラガラ……。
教室のドアを開ける音が聞こえた。
「そこに誰かいるのか!?」
返事はない。
だが、コツコツと足音が近づいてくる……。
胸の辺りに、何かが触れた感触があった。
服の上からだが、その接地面積から、
それがとても鋭いものだと理解した。
それは、ゆっくりと鼓動へ近づいていく……。
ゆっくり……ゆっくりと、胸の奥が熱くなっていった。
薄れゆく意識を保てず、
俺はそのまま、暗闇へと落ちていった……。




