校正者のざれごと――誤植の沼へようこそ
私は、フリーランスの校正者をしている。
数年前、コウモリについての本の校正をした。その道の第一人者の先生が書いたものだった。知らないことが多く、とても興味深い内容だった。ところが、なぜかその先生は「コウモリ」をすべて「コオモリ」と表記していた。あまりにも自然だったので、本当は「コオモリ」が正しいんじゃないかとさえ思った。あまりにその表記が多いと、感覚が麻痺してくる。もちろんその後、ゲラ(校正紙)全体に次々と現れる「コオモリ」を、すべて「コウモリ」に直すという作業に追われることになった。
「バッグ(bag)」が「バック」と書かれている誤植も非常に多い。「ホットドック」もしかり。正しくは「ホットドッグ」。「ビッグ(big)」の「ビック」の表記もよく見かける。「ビックバン」など。これは正しくは「ビッグバン」。そして、落とし穴は「ビックカメラ」。こちらは英語表記が「bic」なのでこれで正しい。
いつも思わず笑ってしまうのは、「人間ドッグ」。訳すと「人間犬」。人間なのか犬なのか。船を修理するドック(dock)が由来だ。にやにや笑いながら、「グ」を「ク」に直す。
以前、「メリーゴーランド」という表記を見たら「メリーゴーラウンド」に直すということを書いた。するとそれを読んだ方から、aikoさんの『カブトムシ』に出てくる「メリーゴランド」は間違いなのですね、と感想をいただいた。なんか、余計なことを書いちゃったかな、と少し後悔したが、よくみると「メリーゴランド」。「ゴ」と「ラ」のあいだにあるはずのオンビキがどっかいっちゃってる。いちおう、『カブトムシ』の歌詞を調べたが、ちゃんと「メリーゴーランド」となっていて、オンビキはそこにはいた。そのあと、いろいろな歌に出てくる「メリーゴーラウンド」の表記を(グーグル先生にお願いして)調べてみたが、「ランド」と「ラウンド」は半々くらいの印象だった。
先日校正した相続に関する本では、数字の表記がたくさん出てきた。相続と贈与をうまく組み合わせて、できるだけ払う税金を(合法的に)少なくしようという内容。
「すべて相続税で払った場合は税金は150万円になりますが、贈与の仕組みと組み合わせると60円。90万円もの節税になります」
うわあ、安い。というか「60円」はさすがに安すぎる。このように「万」などの単位が抜けていることもよくある。ちなみに「20~30万円」の表記を見かけたら、「20万~30万円」に直すようにしている。「万」が抜けていると意味が変わってしまうからだ。ただ、この「20~30万円」の表記を許容とする場合もあるようなので、いちおう、遠慮がちに「?」などをつけておく。
以前、倉阪鬼一郎さんの『活字狂想曲』という本について書いた。校正についての面白エピソードが満載でぜひ読んでほしい本なのだが、今回はもうひとつ紹介したい。それは、『VOW王国 ニッポンの誤植』という本。いくつかの内容をここでピックアップしてみる。
あるバンドのライブについてのページにて
「エレファントカシマス。当日券有り」――貸してほしい。動物プロダクションですね。
ジュースミキサーの広告にて
「ちょっとしたかくはんに 便所なフラッシュスイッチ付」――かくはんするのはどうか。このジュース、飲みたくない。
交通事故についての記事にて
「西大寺署はスペードの出し過ぎではないかとみて調べている」――七並べかよ。
と、こんな感じ。誤植だけでなく、ついているコメントも秀逸だ。ほかにも「生食用 たたこ(たらこ)」「アイドリングスットプ(ストップ)」「オトーバイ(オートバイ)」など、とにかく面白い誤植がこれでもかと続く。電車のなかでは絶対に読めない本だ。
2年前、親族でそろって食事をしていたときのこと。ちょうど日本がWBCで優勝したあとのタイミングだった。大谷翔平、村上宗隆、吉田正尚、ヌートバー……アメリカに渡ってからの決勝トーナメントは昼間の放送で、在宅で仕事をしていた私はその時間はテレビの前で手に汗握っていた。
すると、親族がその話で盛り上がるなか、その話を聞いていた私の母は、「私もテレビを見ながら、選手たちの名前を全部メモしてたの。だから、全員の名前、言えるのよ」とちょっと得意げに言った。
「へえ、じゃあ、日本の一番バッターって、誰だかわかる?」
誰かがちょっと疑い深そうに聞いた。スポーツに疎い母にはわからないだろうと思ったのだろう。すると母は、
「もちろん、わかるわよ。ええっと、ほら、あれよ……ヌートビー」
ああ、お母さま、おしい。ヌートバーですよ。その場は笑いに包まれ、母はちょっと恥ずかしそうに苦笑いしていた。麗しき誤植?の世界。あなたも、はまってみませんか。