第7話 初任務 ファーストミッション
留学1日目
夕食後、手洗い場でステルスコンプレッションウェアに着替え、ホテルのすぐ外には男女がステルス状態で待機していた。
『準備できたな』庵藤がステルス無線機で、同じ周波数の波に乗せて声をかけてきた。
『目的地の壁までは歩きだ。何か乗り物に乗った瞬間バレて詰み、エンジン音の出ない自転車もダメだ。ここのレンタルサイクルには全て細工がしてあるのが今日の俺の調査で分かった。GPSと盗聴機、それといつでもパンクさせられる装置のアタッチメントがされていた。3組にはそれぞれ別の場所をARTで指定してある。すまないが自力でポイントまで辿り着いてくれ。ポイントについたのを確認したらまた指示する』
聞き終わると、複数の点はそれぞれ足早に別々の道を進んでいった。
よし、上手く進み始めたなと庵藤は他2人と一緒に310号室でモニタリングしていた。こちら側から見ていると、ARTの場所が点で表示されており、はじめは重複していたのが、分かれて動き始めていた。
「臣人はシングルアクションを選んでいたがまず考えると、他のグループと比べ、スピード、安全度、精度、全てが見劣りするだろうな。どうするつもりなのか......」
初日から任務失敗記録をつけなければいけないのかと、臣人が庵藤を悩ませていた。
「臣人くんは興味深いですね。多人数有利のこのミッションに、単独で挑むなんて。本当に選抜試験で選ばれた唯一の子かと疑ってしまいます」
「変わってるよね〜。飛行機の中の男子会でも、威尊くんに水を差すようなこと言ってたし〜」
「あぁ、そうだな......」庵藤は目を改めてモニターに向けた。
「ん?おい、ちょっと待て!どういうことだ!?」その瞬間、明らかにおかしいことがモニターで起きていることに庵藤は気付いた。
「どうしたの彦ちゃん」莉里はモニターを覗き込んだ。
「5人組と4人組しか動いていない。1人足りないんだ。臣人、一体どこに......」
「ちょっとかしてください」アレクサンドラが操作パッドを庵藤からもらう。もしやと思い、画面を縮小させた。すると目的地のポイントに、ひとつ点が表示されていた。
臣人、もうポイントに到着したのか。どうやって......。なにか乗り物に乗ったのか?いや、自転車はパンクされるように細工してあった、使えるはずがない。
――まさか!?あぁシンプルだが、それでしかありえない。
「やってくれるな、チーターめ」
臣人は単独行動でちょうど、壁の前に辿り着いていた。
ようやくたどりついた。さっきの無線によれば、もともと徒歩の予定だったみたいだな。
後は壁内部への潜入か。庵藤たち、驚いてるだろうな。向こうから連絡がくるのを待つか。
「臣人くんは何を使ったの?あんなに早くつくなんて、ありえ――」
莉里はアレクサンドラの言葉に重ねて言った。「1つだけだけど、可能だよ〜ニナちゃん」
「タイムアドバンテージ」
「タイムアドバンテージ?」庵藤が急に言った言葉にアレクサンドラは戸惑った。
「臣人はおそらく夕食時間中ずっとあるき続け、その夕食時間という、皆がゆっくり過ごした虚空の時間を活用し、『タイムアドバンテージ』にして使うことによって、マルチアドバンテージに対抗できてるんだ、今」
「ちょっと引彦さん、難しい言い回しをしないでください。ロシア人ですよ、わたし」
「あぁ、突然のことだったから頭がゴチャついていてな。すまん。俺の憶測だが臣人は夕食時間中ずっと歩いていたんだ。メシも食わずに。みんながゆっくりと、ある種の娯楽を楽しんでいる時間。その時間を活用することで臣人はタイムアドバンテージに変え、使ったんだ。ただのズルとも言えるかもしれんが、ルールなんて所詮この世にない。思いついたもん勝ちだ。」
「なるほど、わかりました。それと、私がよくわからなかったのはその後です。タイムアドバンテージで、マルチアドバンテージに対抗できていると言いましたよね、引彦さん。本当なんですか?それ。私はそうは思いません」
「なんでそう思わないんだ?ニナ」
「確かにスピードに関しては、先にスタートした方が先に進むことはできます。ですが、複数人を推進力に、遅れてスタートしてもマルチの方が先にゴールすることができるはずです。先にゴールテープを切るのはシングルではありません。有利なのはマルチのはずです」
「本当にそう思うか?」
「え?」
「時間は絶対的な理だ。その不変化のアドバンテージを臣人は得たんだ。それだけで対抗できていると言うには十分だろう」
庵藤はアレクサンドラから体をそむけ、無線を飛ばした。
『臣人、ついたようだな』臣人の鼓膜に庵藤の声が響く。
『鉄の扉がついているだろう。その扉には四桁の暗証番号を入力しないと開けられない。今から言うぞ?暗証番号は、0491だ。いいな?0491だぞ。壁を越える方法は我々にもよくわかっていない。情報を集めろ。そのためのARTの写真機能がある。くれぐれもバレるような真似はするな。頼んだぞ』
庵藤は通信を切り、アレクサンドラに向き直った。
「人が疲労しないとした場合、1人で長期間行う作業と大勢で短期間行う作業。この2つ、人が行った作業の総時間は同じだ。時間さえあれば、1人だとしても大勢を雇ったのと同じことになる。短い時間で言えば、疲労を換算しなくて良くなるのでより現実味は増す。今回の場合、短時間だから疲労は考えなくていい。つまり今回に限りマルチアドバンテージにタイムアドバンテージは対抗できるんだ」
「そんな......」
「ニナ、君の例え話は前提が間違っている。ただ、センスは悪くなかった。もういいだろうこんな議論」
「リリちゃ〜ん……私、虐められたよ〜」アレクサンドラは椅子に座り込み、莉里にそう言う。
「ヨシヨシ〜」と、莉里はアレクサンドラの背中を撫でた。
——0491、と。お、開いた。
臣人は足音すら立てないように、ゆっくりと壁内部へと侵入した。静かに扉を閉めると臣人は胸が高鳴った。壁とはいえ、これはただの壁じゃない。一種の施設だ。
内部は広大で、階段が入り組んでいる。1階より上の階は吹き抜けになっており、天井がはるか上に見えるような形になっていた。
また、床には物資か何かがベルトで縛り付けられてあった。整理整頓して置いてあり、それがある種の壁や障害物となっている。その物資の間を警戒するように、銃を所持した見張り役が練り歩いていた。
扉がひとりでに開いたときは向こうを見ていたようだ。意図していたわけではなかったが、間一髪だった。これ、ARTを持つと小さな板が空中に浮いてるように見えるんだろうか。そこだけは気をつけないとな。雰囲気は暗いが視界は良好だ。このまま注意しつつ、見れる範囲で1階から見ていこう。
1時間後——
通ってきた所は360度全てARTで撮っており、それなりに順調だった。
この壁内部、何階まであるんだ?撮っても撮ってもキリがない。身体はまだ疲れてない。ゆっくりバレないように歩いてるからだ。だが、同じ作業を続けてきていい加減心にガタが来そうだった。目立った特徴のある場所などなく、似たような景色を1時間も撮り続けていたのだ。
だからこそ、その瞬間まで油断していた。
「どうだ、順調か?最近不調続きだと聞いたが」
その日本語が聞こえた瞬間、臣人は足を止めた。
今の声、この角を曲がった先か?
臣人は思わず身を隠して曲がり角を覗くと、男2人が何か話しているのが見えた。背中向きのせいで顔は分からない。
「ニチヴォー、ニチヴォー」
ニチヴォー、言葉自体は聞いたことはあるはずだが分からないな。さすがに1ヶ月の勉強期間じゃロシア語は覚えられないか。やはりネイティブの言葉は聞き取りにくいな。
「そうか?ならいいんだが」
ひとりは日本語で、ひとりはロシア語で喋っているな。言語を一致させて話さないのか?
「アンドロイド……いや、街の様子はどうだ?」
アンドロイド、やはりアンドロイドとこの経済特区は関係があるのか。
そうだ、せめて後ろ姿だけでも撮るか。
臣人はARTのカメラを壁から覗かせて男2人に向けた、その瞬間——。
「気をつけろ!誰かいるぞ!」後ろの遠くにいる見張り役が、こちらに向けてロシア語で叫んできた。
「ステルスか!?」男2人が振り返る。
臣人はARTをしまい、階段を飛び下がった。
「どこへ行った!探せ!」
まずいまずいまずい!出口まで行かないと。
臣人がもと来た場所まで走っていると、無線が飛んできた。
『臣人、どうした。移動速度が急激に上がったぞ』
臣人はイヤホンを押しながら言った。『敵に見つかった。これからそっちに戻る』
『見つかった!?わかった、バレたからには仕方ない。絶対に捕まるなよ!』通信はそこで切れた。
「出口を塞げ!それぞれ扉を塞ぐよう見張りを2人つけるんだ!」さっきの男なのか、日本語でそう叫んでいる。近くにいた見張りが扉の前についた。
せっかく1階まで着いたのに……どうする?
臣人はイヤホンを押した。
『出口が塞がれた』息切れしながらそう言った。
『そうか……とりあえず、今扉に入ろうとしてる他のグループを帰らせる。臣人、お前は——』
『庵藤さん、ひとつ案がある。やらせてくれるか?』
『わかった、その状況下にいるのはお前だ。おそらくお前が思いつく案が最も有効なんだろう。いいぞ、やってみろ』
『ありがとうございます』
臣人は息まで止めなければ、見張りにかかりそうな距離まで近づいた。バレないように、そしてゆっくりと、見張りの腰についていた拳銃を抜き取る。
「ストイ!」確か止まれ、ってこうだよな。
臣人は片方の見張りの頭に対して、拳銃を突きつけた。もう片方の見張りは咄嗟にこちらに銃を向けたが、撃てずにいる。ステルスのせいで、こちらの詳しい位置がわからないんだろう。
そのあと臣人は慎重に、片手で扉の取っ手に手を伸ばした。銃と一緒に人質を突き飛ばすと、銃弾がこっちに飛んできながら急いで扉を閉めた。臣人は身体を180度回転させ、まっすぐホテルへと走って向かった。
臣人の心臓は爆発寸前だった。
「よし……よし!よし!!やってやったぞ!」走り、息切れがエスカレートする。
『庵藤さん!脱出に成功した!今からそっちに行く!』
庵藤はそれを聞いて、心底呆れていた。
「アイツ……これで何も収穫がなかったら、もう絶対に使わん。莉里、臣人が怪我しているかもしれん。一応準備をしておけ」
「りょ〜か〜い」そう言って莉里は部屋から出て行った。
「明井臣人……この人が本当に選抜試験を?」
「この状況を切り抜けたからな、それこそが証拠かもしれん」
臣人は脳内にアドレナリンを散乱させ、足の筋肉を張らせていた。