第6話 任務解説
場所:ロシア経済特区,特設空港
時刻:19時
留学0日目
「それでは今からホテルAmakaに向かいます、きちんとついてきてください」庵藤がそう呼びかけると、名札をかけた3人が先頭となって空港からホテルへと向かい出した。
33人のキャリーケースの音が日の沈みきった夜に、街に、ゴウゴウと鳴り響いている。街灯が一定間隔で設置してあり、闇夜の『スパイ』達や雪を一瞬一瞬照らし出していた。道の邪魔にならないように2列で歩いてはいたが、ここの住人が少し驚きながら道を開ける、人々の目線がこちらに刺さる。スパイをしようというのに、はじめにこんなに目について良いものかと臣人は疑問を持たざるをえなかったが、そんなこと全ており込み済みで計画を立てているのだろうと、疑問を消した。
街の明かりは殆ど街灯か、住宅地から漏れ出ている光のみだった。視界は良好とは言えないが、ギリギリ周囲を確認できる程度だ。もうちょっと店とかがあっても良いものじゃないかと思いながら臣人はホテルまで向かっていた。
「うぅ、さむい――」顎を震わせながら、肩を思わず上げながら、臣人の隣を雫月は歩いていた。
なんで雫月さんはロクに寒さ対策をしてこなかったのか、それが今の臣人の一番の疑問だった。臣人は歩きながら、不器用に防寒着を脱いだ。
「これ、着といて」自身の体温で暖まった防寒着を、臣人は雫月の背中にかけた。
「え」
「僕のことは気にしないで、予備ならある」
「あ、ありがとう......」雫月は袖に腕を通し、白い息を吐いた。「いつか、お礼する」
「そう?待っとくよ」臣人は何気なくその言葉を口から出した。
そのまま頭に粉雪が降りまかれながら、しばし歩いた――
「ここです。ここに皆さんには泊まってもらいます」庵藤がそう言いゆっくりと全員が止まると、目の前には、オンライン説明会で見たホテルが建っていた。中央部分が三角の頂点のように少しだけ出っ張っており、整えられている道の先を見ると扉が設置してあった。右を向けば別館があり、ガラス越しに通路が見えた。左を向けば外からも見えるように室内プールが設置してあり、今は誰も泳いでいない。門をくぐり入口への道を歩いていると、道が暖かい事に気づいた。雪が降ってもすぐに溶けるようになっているのか。また、やけに建物全体が暖かい光を醸し出している。臣人は周囲一体の地面に光源が埋まっているのに気付いた。臣人には推測しかできないが、ホテルの敷地内に雪がmm単位でしか積もっていないのはおそらく、この土地自体の道や光源に電力を供給し、全体的な温度を上げているのだろう。つまりは巨大床暖房だ。
いや、そんなことしたら永久かわからないが凍土が溶けてしまって危険か。そもそも、この寒さ、凍土ができているのか専門家じゃない僕にはわからないな。
「臣人くん?」雫月は不思議そうにこちらを見てきた。
「え?あぁどうしたの?」
「いや、なんかボーッとしてるから。大丈夫かなって」
「べつに、いつものことだよ」やっぱり「思考」は1人でやるものだ。誰かといるときにするものじゃない。つっかかられる。
「それならいいんだけど」瞬間、2秒程こちらを見ていたが急に顔を正面に向けた。横目で見ると、雫月の耳は真っ赤だった。こんなに寒ければそうもなる、自分もなっているだろうか。と、耳をフニフニさせた。触ると痛いと感じるぐらい、臣人の耳は冷たかった。
ホールに入ると、アンドロイドが大きなキャリーをもってやってきた。大人3人がキャリーケースを預け、皆に好きに待ってるように言い受付の方に行った。その後アンドロイドは次々と手際よく、学生全員のキャリーケースをキャリーの上に長方形に積み上げた。
「ごゆっくりなさいませ」と機械音声をロシア語で響かせると、アンドロイドは全員分のキャリーケースを乗せた大きなキャリーを持ってどこかへと行ってしまった。
あまりに突然のことに皆あっけからんとしていたが、少しすると各々ホールを見回り始めた。そんな中、臣人は近くのソファに座って全体を見渡してみた。上にはシャンデリアが宙吊りされていて、中央ホールに光を提供していた。
「みなさーん、こっちに集まってください」庵藤は臣人が座っていたソファ付近で呼びかけ、一般の人の迷惑にならないように端っこで喋ることにした。
「今からひとりひとりに鍵を配ります。今日はもう休んでいいですが、部屋についたら」庵藤は耳をぽんと叩いた。「これをつけておいてくださいね。それでは順に呼んで渡していきますね、臣人くん!」臣人は立ち上がり、『206』とかかれた鍵をもらった。
「次、雫月さん!」雫月は呼ばれ、鍵をもらってこちらへ戻ってきた。
「『207』だって、臣人くんのは?」
「え、隣だ。『206』」そう書かれた部分を雫月に向けて見せた。
「隣!?えっと、じゃあ、一緒に行く?」
「うん、行こうか」
2人は複数あるエレベーターの内の左を選び、乗り込んで2階の部屋まで上がった。2階も1階のホールと似たような様式になっており、廊下にも温かみがあった。
「また明日ね、臣人くん。防寒着ありがとう。はい、これ返すね」しかし、臣人はそれを断った。
「お礼してくれるんだったよね、そうしたら防寒着を返してもらうよ」
「わかった。絶対にお礼する」
「よろしく頼んどく。じゃあ、また明日の朝食で」
「うん、それじゃ」そしてお互い同時に扉を開閉した。
部屋の中は、オンラインで説明された時に見た写真と殆ど何も変わっていなかった。木製に見える部屋の素材は、木とは程遠い何かの素材でできており、暖房がついてるわけでもないのに防寒対策は完璧だった。
「あれ、僕のキャリーケースだ」部屋の中央の小さな丸テーブルの横に僕のキャリーケースが置いてあった。全ての生徒の部屋に既にこういう風に置いてあるのか。というか、名前もつけてないのによく僕のだと判別できたな。これは勝手な考えだが、おそらく誰がどれを持っていたのか瞬時に情報記憶していたのだろう。それ以外にないな。
「つっかれた〜」気が抜けたようにベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。忘れまいとポケットからイヤホンもどきの無線機を取り出し、耳につけてからゴロゴロすることにした。が、ふと気になり洗面台へと向かった。顔を横に向けて耳を確認すると、無線機がついてるようには見えず、どの方向から見ても完全に無だった。
「これが、ステルス」耳の穴を触ろうとすると、その寸前で止まり何かが指に当たる。そのなにかを耳から取ってみると、ただのイヤホンに戻った。
イヤホンをつけてキャリーケースを開け、服やズボンをハンガーでかけたりしていると、突然無線が繋がった。
『こちら庵藤だ。明日の予定を伝える。今聞いてないやつは知らん。よく聞いておけ、これが平日の過ごしてもらい方だ。まず朝食を7時にホテル1階で食べる。その後8時からバスで移動して、ロシア語学習の教室で授業を受けてもらう。途中、昼休憩は好きに食事を済ませてくれ。その後、4時まで授業を受けて、そこから日が沈む6時まで2時間は自由行動だ。バスで早く帰ってもいいし、店を回っても良い。楽しめ、それこそがカムフラージュになる。夕食を済ませると、非任務の者は自分の部屋に戻れ。任務のものだけ、その時その時に指定したポイントに行ってもらう。1グループ10人の全部で3グループは1、2、3日それぞれ、別々の場所へ行ってもらう。この街は俯瞰してみると円状の壁に囲まれており、ケーキを3等分するようにA、B、C区に分かれている。今我々がいる場所は主に居住を目的とした区、A区。次に労働者の娯楽や店を経営する者のための区、B区。最後に完全に労働を目的としたこの街での仕事場、C区だ。1日目は最初の1グループがA区、2日目はまた1グループがB区、3日目は最後の1グループがC区に別々で調査へ向かってもらうことになっている。分かったな?一度で理解しろ、こちらもいちいちそんなことに労力はかけない。それじゃあお待ちかねのグループ分けを発表しようか。まず――』
飛行機の中で言っていたのだろうが、聞いたことのない名前が次々と読み上げられた。
『――最後に明井臣人、以上だ。310号室は貸し切りにしてあり、会議室として使えるようにしてある。今言った10名は310号室に来てくれ、明日のことについて話す。それに10人を更に3グループに分けないとな。今日のように毎晩、定期報告をお前たちにする。夕食を食べ終わり、部屋に戻ると毎日ステルス無線機をつけておけ。ステルス無線機というのは今通信しているイヤホンもどきの正式名称だ。これからはそう呼ぶ。それでは、これにて定期報告、終了』
10人の中に知り合いは1人もいなかった。だが、水野威尊も雫月もいなく孤立しようが、特段1人行動が悪いわけではないと臣人は考えている。それぞれに役割を与え、それぞれがこなすことで、1人にだけ負担がかからないようにして滑らかに任務を遂行する。そういう意味では複数人で任務に取り掛かった方が良いのは当然ではある。しかし、臣人の場合は別だ。今まで全くと言っていいほど人と関わってこなかった自分に、協調性がないことは臣人自身が一番よく分かっている。1人は全体のために、one for all と言われても無理な話だ。むしろ、全体は1人のために all for one といったほうが臣人の性に合っている。だが、そんなこと、天才カリスマか何かの信仰対象にでもならない限りありえない。
ならばどうするか?初めから言っている。それは――
「単独任務?」庵藤は首を一瞬首を傾げ、横に首を振った。
「はい、そっちの方が僕にはいいんです」
「それはこれから任務内容を聞いてから言ってもらおう。お前ら、席につけ。グループ決めの前に任務の具体的な内容を説明する」
臣人含め10人は、スクリーンに向けられた椅子にそれぞれ座った。
「お前たちにはA区の調査をしてもらう。今我々がいるこのホテルもA区内だ。ここからはるか北にこの経済特区を囲んでいる壁がある。そこに行って、外への抜け道を探してもらう。何も砂漠から砂金を探すような作業を強いようってんじゃない。目星は幾つかある。お前たちに今から配る端末は、任務中のみに渡す物だ。任務が終われば返してもらう」
アレクサンドラが、スマホに似ているがスマホより小さな端末を全員に配り、説明を始めた。
「それはART。All Round Tablet の略です」
万能タブレット、安直な名前だな。
「留学生総勢30名、全員の指紋が登録されており、ARTは持つだけで指紋認証が完了します。逆に言えば、持っていなければ指紋は認識されず使うことができません、注意してください。基本的にステルス無線機で指示は出しますが、ARTで私たちが作ったロシア経済特区マップをみることができ、また他の人と連絡を取ることもできます。この端末の良いポイントは横についているボタンを押せば、ホログラムが空気中に映し出されて立体的に細かい部分も見れるところです。平面でも、立体でも見れることで、平面地図で弱点だった頭上からだけの視点でなく横からの視点も見れ、その位置情報は視覚的にほとんど手に入れることができます。そしてストロングポイントで言えば、ストリートビューとは違ってプライバシーを100%無視して見ることができ、またARTで周辺写真を何枚も撮れば、それを繋げて新たな立体情報として記録できるのが、何より強いですね。ここを囲んでいる壁内部ですら、写真さえ撮ってしまえば情報を保存して晒しあげることができる、というかそれが皆さんの任務でしたね」
そう最後にアレクサンドラが笑って見せると庵藤は困ったように、彼女の話を終わらせた。
「改めて言う。この端末で壁内部に侵入して外への抜け道を探し、写真を撮ってくるのが君達のミッションだ。目星のポイントは端末に表示される。制限時間は日の出の約6時まで。監視カメラは、勿論ある。だからこそ、これがいるんだ。ニナ、頼む」
アレクサンドラは、1人1人にサイズの違う着たらパツパツになる服のような物を配った。
「これはステルスコンプレッションウェア。疲労回復効果のあるコンプレッションウェアにステルス性能をつけました。実はこれ、服自体だけでなく接触した繋がっている皮膚も全て背景と同化できるようにしてあります。説明は難しいですが、簡単に言えば皮膚自体にステルス性能をつけることができるのです。人体に害があるかは分かりません。24時間試着しても何も起こりませんでしたが、定期的につけることによって人体自体に害を及ぼす可能性はあります。すみません正直にいうと、試験終了がこの任務までに間に合わなかったんです。まぁでも、その時はその時で別の物が用意してあるので、悪しからず。」
いやその時はその時って、害がもしあった時点でダメだと思うんだが……。よく許可が降りたもんだな。
「これを着て、お前たちには動いてもらう。これはARTとは違って、2週間ずっと所持する物だ。それぞれ鞄に常備しておけ。準備するものは、ステルス無線機,ART,ステルスコンプレッションウェア,の3つといったところだな。今回の任務で理想的なのはステルス無線機で指示を受け、ARTでチーム内で連絡をくまなく伝わせる役、ステルスコンプレッションウェアで人が来ないかの見張り役、また内部調査を行う役などといった、役割をひとりひとりに担わせ、3人なら1人ずつでバランスが良いし、2人なら2人で動きやすいやり方でやることだ。臣人、それを1人でやろうとするのは、論理的に考えて本当にお前にとって正解か?答えてみろ」
「はい。今説明された複数人で任務を遂行するアドバンテージについては考えた上でのことです。やはり、僕には単独任務が性に合います。やらせてください」
「……そこまで言うならいい、やってみろ。ただし、なんの成果も得られなかった場合、これからの任務についてのお前の扱い方は相応に考えておくんだな。説明は終わりだ。明日に向けてしっかりと体を休ませておけ、解散」
臣人は自分の部屋に戻り、椅子に座って手を顎に当てていた。
シングルアクションを行うと決めた時から、計画は決まっている……。明日、実行するしかない。
「三人衆、待ってろよ。1人の強みを目に焼き付けてやる」
臣人は不敵に、自信に満ちてニヤついていた。