第13話 ファイト・オン・スノー スペシャルミッション
留学7日目
強い雪のせいで視界はあまりよくなく、フードを被ってはいたが顔に雪が入り込んできていた。中にはステルスコンプレッションウェアを着ており、防寒着を脱げばいつでも透明人間になれる状態だった。
「このまま西に行けば、対象E,N,Hへのルートがある。初めまでは同じ道だが、途中から枝分かれしている。昨日の夜説明した通り、前回はその枝分かれする箇所に一体のみだがAMHMが配備されていた。改めて言う、注意しろ。敵は実体の見えない亡霊だ」
「はい」
「わかってる」
臣人と威尊は口々に返事をした。元々体温保温機能のあるステルスコンプレッションウェアがある上から、防寒着を着ていたので寒さに関しては何も問題ではないように思える。しかし、凍りついた空気は肺を痛め、訓練などせず鍛えてもこなかった臣人にとってはこれが最も苦しいことだった。
そして臣人は肺が凍りそうになりながら、登山口に到着した。
3人の進んでいた足が止まる。
「作戦通り威尊を先頭に進む。頼んだ」威尊は無言で庵藤と位置を入れ替え、そのまま前進を始めた。
歩いて幾らか時間が過ぎた後、目の前には3つの枝分かれした道が現れた。雪のせいで見えないことも予想されていたが、運良く、それらしいものは薄く見えていた。声を合わせたわけではない。だがその場にいた3人は自然に止まると、全員既に身を構えていた。いつ、どこからAMHMの銃弾が飛んでくるのか分からないこの状況。AMHMに一発は弾を受けたことのあるこの3人の生存本能というアンテナが、最大限に立つのも無理はなかった。
AMHM、どこからくる?
今回は逃がさない、叩きのめす……。
俺がふたりをサポートしないと——
それぞれの心の声が外にまで響きそうになるこの緊張感の中、威尊の目線の先から高速で何かが飛んできた。威尊は瞬時に頭を下げ、弾は空中に残ったフードに名中した。
「そこか」威尊は次の一発が打たれる前に銃弾が飛んできた元へと走った。
今、弾が飛んできたのを目で捉えてわかった。以前のようにそんなには遠くない。
威尊が数歩走ると再び銃弾が飛んできた。しかし、位置をある程度把握できた威尊に避けられないものではなかった。
見えた!そこだろ!
威尊の超人的な空間認識能力で亡霊の場所を捉えると距離をゼロにまで縮め、思いっきり右足で何も見えない場所を蹴った。擬態機能が壊れ、AMHMは黒い姿を現しながら空中を飛んだ。丸っこいそのボディからは想像がつかないが、これこそが前回の任務を失敗に追い込んだマシンだった。そのマシンは雪をクッションにしながらも、地面に叩きつけられて多大なダメージを受けた。
「庵藤、こいつの後ろにパワーオフにするスイッチがあるんだったな?」AMHMに近づきながら、威尊はそう言った。
「そうだ」
威尊は黒い丸いマシンを左手で鷲掴みにすると持ち上げ、雪を払ってスイッチを見つけて爪を食い込ませてカチッとパワーをオフにした。
「ここからはそれぞれの道にひとりずつわかれる。予定通り対象Hへは俺、対象Nへは威尊、対象Eへは臣人だ。ルートを問題なく進んで、対象前まで着いたのならARTで連絡を。また、途中進めなくなっているなど障害が発生したらそれもARTで連絡しろ」
「互いに進めるところまで進んでARTで連絡して、引き返してまたここで合流すれば良いんだったな?」庵藤が丁寧に説明している中、威尊が要約して口を挟んだ。
「あぁ、そういうことだ」
臣人はルートを進もうとした直前、振り返ってふたりに言った。
「それじゃあまた後で」
「あぁまたな明井」
「臣人、簡易ルートだからと言って油断するなよ。またな」そうやり取りをし、3人はそれぞれのルートを進み始めた。
肺が痛み呼吸を浅くしながら、臣人は昨日の夜の会話を思い出した。
『庵藤さん、このルートの難易度分けってどう行ったんですか?』
『単純な登山の難易度だ。坂がどれだけ急で、それがどれだけの間続くかといったな。臣人の行く対象Eはいちばん坂が緩やかで、途中で坂が急になることもない。だから対象E,Easyなんだ』
庵藤さんはああ言ってたが、それでも上り坂は足首にくる。威尊はだんだん傾斜がキツくなる対象Fへのルートを僕を担いで走って進んでいた。威尊はやっぱり普通じゃないな。
体の先が鈍らないように指先を動かしつつ、臣人は順調に対象Eへと登っていた。ふと手元のARTを見た。
ARTによればもうすぐ到着だな。対象の前までついたら連絡して引き返そう。
そんな事を考えてはいたが、簡易ルートとはいえやはりそう簡単にはいかなかった。対象に着く前、銃弾が耳のそばをかすめる音がし、体が反射的にその場に屈んだ。
「また耳かよ」進む足を後ろに切り返し、臣人はルート上を全速力で走りながらARTでふたりに連絡した。
『簡易ルート上にAMHMがいる。おそらく一体』それだけ打ち込むとARTをしまい、足の力を増幅させることに神経を注いだ。
その後も何発か打たれはしたものの、運良く弾は当たらず集合ポイント前まで来ることができた。岐路に目をやると、庵藤と威尊が向かい合って待っていた。
「威尊!頼んだ!」
「あ?」威尊は臣人に顔を向けると、察したように表情を嫌なものへと変える。
「まだ追ってきてる!この下り坂のせいであっちも速いのか、いつまで経っても弾が飛んでくる!」
威尊は白い息を吐いた。「わかったよ、やりゃいいんだろ!」
臣人とバトンタッチするようにすれ違うと、威尊は銃弾が飛んでくる方へと向かって異常なスピードを出した。臣人が息を切らしながら止まり振り返ると、威尊がジグザグに走って弾を避けてAMHMを蹴っ飛ばしていた。
「はい、任務完了」片手でAMHMを鷲掴みにして、威尊はふたりのもとに戻ってきた。
「威尊、今連絡があった。ニナがAMHMを一体持って帰って欲しいらしい」
「こいつを?」威尊はAMHMを顔まで持ち上げ、ジロジロと目を動かした。
「そうだ。この後対象Fへと向かう際に邪魔になるから、後で壁の扉前に置いておけ」
「わかった」そうしてまた庵藤を先頭として、山を下っていく。壁の扉前にAMHMの丸っころを放ると、今度は進路を東へと変えた。
歩いている途中、臣人は庵藤に言った。「あと少しで対象Eの目の前だったんですが......すみません」
「いや、別に大丈夫だ。ニナによれば臣人が進んだルートのパーセンテージは98%だそうだ。ルート作成できたも同然だ」
「そうですか?」
「あぁ、俺達が歩いた所がARTによってデジタル上で軌跡となり、それが正確なルートとして記録される。衛星による曖昧なルートなんかじゃなくてな」
それを最後に、会話のキャッチボールは途切れた。
そして暫くして、対象Fへ向かう最難関ルートの入口に立つと、言われもしないまま威尊は先頭に躍り出た。
「今回も俺がAMHMを潰す。いいな?」威尊は振り返りもせずに、背中でそう言った。
ふたりはそれに承諾し、3人は対象Fへ向かって進みだした。
登ってるなか臣人はほんの少しだが、悩んでいた。
威尊はすごい単独であのAMHMを2体も撃破している。おそらく庵藤さんにも真似のできない芸当だろう。僕も1体。1体でいいからAMHMを撃破したい。このまま威尊にだけいい所はもっていかせたくない。そのためには人にひとつは必ずある武器を有効に使うしかない。武器?僕の武器ってなんなんだ?
「やはりAMHMのやつらはこちらを撃ってくるタイミングを伺っている。生体反応を感知したからといって、無闇矢鱈と撃ってくるわけじゃない。威尊、明井ここには2体いるんだったな?」
「そうです」
「連射の方はいいとして、俺の足に弾を撃ち込んだ単射の方は絶対に潰す。蹴り玉にしてやるよ」威尊は怒りを滲み出しながら、体のあらゆる関節を鳴らした。
「2体いるのなら、最も警戒しないといけないのは挟み撃ちだ。おそらく以前は威尊がオーバーヒートしながら1体1体を振り切ったんだろうが、今回はそうはいかない。幸運が続いてまた逃げ切れるとは限らない。だからこそ、AMHMを確実に1体ずつ仕留める必要がある。威尊、全学生の中で俺より『できる』やつはお前だけだ。度々すまんが、頼んだぞ」
「まかせろ」
そうして進んでいると、段々と雪が強くなり視界が悪くなっていった。威尊の眼鏡に付着する雪は多くなり、雪を払う手が苛立たしく動く。
そんな中3人はAMHMを最大限に警戒していた。だが、いつまで経ってもAMHMの銃弾は飛んでこず、時間が過ぎていくばかりだった。やがてゆっくりと進んでいた足も、通常のスピードに戻っていた。そして遂には対象Fの前にまでついてしまったのだった。
対象Fの門の監視カメラに入らぬように手前に止まって、3人は立ち尽くした。
「どういうことだ。ふたりが以前来たときはAMHMが2体配備されていたはずだろう」
「わからない、逆に不気味だ」と威尊は言う。
そう、不気味だ。ルート上のセキュリティをなくしたとは思えない。なにか別のもので代替している?だが、ルート上には何もなかった。嫌な予感がする。この違和感が不運へと続く穴でないことを祈るしかない。
「――帰るぞ。なるべく早く」庵藤がそう言うと3人は体を後ろに向かせ、『帰ろう』とした。しかし、その先に『帰れる』道はなかった。
雪が吹雪く中、数メートル先に人影が見えると、すぐさま全員が構えをとった。その人影はゆっくりと、煽るように一歩ずつ踏みしめて3人に近づく。
人?誰だ?まさか庵藤さんの言っていた、全身を茶色に包んだ――
雪に視界が妨げられながらも、その実体は徐々に浮き彫りになった。
「え、雫月さん?」
はじめて見るポニーテールの髪型だ。体中には様々なベルトがとりつけられ、黒を基調とした戦闘服に見えるクールな格好をしていた。腰に目をやると、黒いナイフ、黒い拳銃、黒い補充弾の束が装備されている。
威尊は目を細めて言う。「誰だ?お前」
その言葉が発せられたのを皮切りに、雫月にしか見えないその誰かは、超スピードで走りながら腰のナイフを右手で逆手にとり、先頭の威尊の喉めがけて振り抜いた。威尊はナイフの刃先が当たる数ミリ寸前、左手でその右手を受け止める。すると間髪入れずにその誰かは少し身を引く、と思わせて隙を作ると、腹に左拳をねじ込ませた。みぞおちに拳が入り、威尊は思わず膝を畳む。誰かはその隙も見逃さずに、少し下に下がった威尊の顎を、腹から引き抜いた左拳で打ち上げた。威尊の脳が揺れ、脳震盪が起き、視界が急激にぐらつくと共に威尊はその誰かの足にしがみついた。ステルスがオフになりながら、威尊の視界は闇に包まれ、しがみつく力もなくなりその場の地面にへたれこんだ。
雫月に似たその誰かが現れ威尊が気絶するまでのその間、6秒。
「臣人!逃げろ!!」
庵藤は防寒着を脱ぎ捨て、完全なステルス状態となりその誰かと対峙した。
逃げる?無理だ。ルートはこの一本上で、そこにはあの雫月に似た誰かがいる。僕もやるしかない。
「庵藤さん、僕も戦います!」臣人も防寒着を脱ぎ捨てると、庵藤の横に並んだ。
庵藤は囁いた。「わかった、俺は後ろに回り込んで羽交い締めにする。そこで臣人は正面からナイフを奪え。いくぞ」
庵藤はゆっくりと後ろに回り込むためにすり足でジリジリと動いた。庵藤が羽交い締めにするのを待っていたが、その誰かの目線が横にゆっくりと動いているのを臣人は発見した。
「庵藤さん!そいつには見えてる!引いてくださ――」
臣人がそう叫んでいる途中に、誰かは近くまで近づいていた庵藤の首を手刀で打ち、気絶させた。
まずい。まずいまずいまずい!このままだとやられる!
その誰かはまるで、散歩でもするかのように臣人に向かって歩き始めた。臣人は脈が早まりながら、それでも「思考」した。
――これだ。この案でいく!倒すでもなく、立ち向かうわけでもないが、今はこれをやるしかない!
臣人は右に体重を傾け、その誰かの右の、スペースに向かって走り出す。そして通り過ぎる瞬間、前に見た威尊の動きを参考にスライディングをした。
頼む!行かせてくれ!!
臣人の心の叫びは虚しく空に響いた。
その雫月に似た誰かは地面を蹴り、一瞬体を空中に浮かせると、臣人の腹にかかと落としをくらわせた。
今までに味わったことのない衝撃が体を襲い、臣人は気を失った。
そして風が雪を乗せて吹雪く音のみがする中、雫月に似た誰かは音を発した。
『任務完了』