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第1,2,3話 1,闇バイト 2,休日 3,国の策略

本題の話が始まるまで一気に読める様にしました

第1話と、第2話、第3話をくっつけました

どうか楽しんでください

 明井臣人(あかいおみひと)は百円玉をマシーンに入れた。

「ラストチャンス......いい加減に落ちてくれ――」息が震え、思わず声が漏れる。

 彼は震えた手でボタンを押し、カーブゥの巨大ぬいぐるみに狙いを定めた。

 あとは押せば落ちるだろ......頼む......!

 そう願ってはいたがアームの先端は無情にも狙いを外した。アームの間にぬいぐるみが挟まると少し持ち上がり、ポトンと、落ちるか落ちないかのギリギリの境界線に収まった。

「あ」

 本日の出費: 5000円

 戦利品:0個


場所:ゲームセンターアンパラ 駅前店

時刻:午後6時半


 臣人は脳がぐちゃぐちゃになったような感覚を覚えながら、ワイヤレスイヤホンをつけてジャズを聞き、自転車をこいで通学路を走っていた。冷たい風が袖の中に入り、腕を冷やしてくる。力は殆どペダルにかけていなく、体重をうまく乗せているだけだった。ただただ金と時間を浪費したことを、臣人の脳が後悔の念として渦巻いている。

 まさか、所持金全てを使うとは思っていなかった......頭が気持ち悪い......。さっさと帰ろう。

 自転車の体重のかけ方が危うくなりながら、臣人は家に帰った。

「はぁ!?なにしてんのよ!!!!」

 今日あったことを話していると、知らず知らずのうちに口が滑ってしまっていた。臣人の母が、もっていたコップを投げ烈火の如く怒鳴った。幸いコップは割れず、それが一番臣人をホッとさせたかもしれない。

 怒られている最中、なるべく脳に負担をかけないようにしても、流石に今の自分には堪えるものがあった。状態はさらに深刻化し、脳がペースト状になってる気分だった。

「ごめんなさい母さん。謝るから落ち着いて」少々の怒りが芽生え始めながら彼はそう言った。「僕は今から洗濯物畳むから、仕事行ってきて。夜勤でしょ。」

 臣人は話題を逸らしつつも、機嫌をとる方向へと舵を切った。

「誰の金だと思ってるの?まったく......勉強できるからって、たかが子供が何様のつもり?行ってくるわよ。お母さんは明後日の夜まで帰ってこないから一人でやりくりしててね!!」臣人の母はそう言って、乱暴にカバンを持ち上げ、がなり声を上げながら扉を閉めた。

 臣人は、しばらくしてため息をついた。

「アンドロイドでも雇ってくれ......誰のおかげで生活できてると思ってるんだよ」

 リビングを見渡すと、やりっぱなしにされた本、食器、服などが目についた。

「......片付けるか」

 その後、ふと気づくとベッドの上だった。あまりの脳への負担に途中の記憶がありつつも同時に吹っ飛んだような感覚だ。臣人は記憶が電車から見る線路の如く霞んで見えたようだった。

 臣人はいい加減自分で扱える金が欲しいと考えていた。もう高校二年生だ。そろそろバイトぐらい始めて、貯金の少しでもやればどうかと。母からの小遣い、月5000円では賄いきれない。まだ金をもらって数日しか経っておらず、11月はまだほとんど残っている。

「バイトでもするか?」布団の中で、背中が少し汗ばんでいた臣人は、馬鹿らしくそう言った。何度考えても、現場で切磋琢磨して働く自分の姿が霧のようだ。実体を持たせるにはどうしたものかと考えたが、諦めるのも一つの手だとして思考をやめる。そんな変なことを繰り返しているうち、脳は回復しつつあった。

 臣人の趣味はUFOキャッチャーだ。高校二年の夏からハマってしまい、それからは毎月金が飛んでいる。それまでは趣味など何もなかったのに、あのアームマシーンに会ったとたん彼の内にある、悪い癖が出てきてしまっていた。つまり、浪費癖である。3000円は残そうとしても、両替機へ札をいれる手が止まらないその様子は、一種の病気のようだ。


 翌日、ジャズを聞きながら、濡れた地面の上を滑らないようにカーブを曲がりながら、学校へ向かった。車のタイヤが地面を濡らしている水を霧のように巻き上げていた。一つの車だけでなく、すべての車がタイヤから小さな霧を巻き上げ、散らしているのがまるで魔法のような状況の中、臣人は目もくれずただひたすらにペダルをこぎ、学校へとついた。

 スクールバッグを机の横にかけ、ノートパソコンをバッグから取り出し、机の縁に平行になるように整えて置いた。内ポケットを弄り、マカロンのような形をしたワイヤレスイヤホンのケースを取り出す。イヤホンを両耳につけると、ひとりでに作業を始めた。バイト探しだ。なぜバイトを探しているかと言われると、なんとも言えない。ただ、何かしないといけないという焦燥感だけが、ひとりでに走っていたとしか――。

 タイピング音は全てノイズキャンセルにかき消され、集中度が増すとともに指の力も増した。

 臣人に話せるような学校の友達はいない、無論喋りかけてくる人も。幼稚園の途中から、臣人は完全に友達作りをやめていた。それ故に他人に興味は無いため、校則違反ではないがノートPCを出し、タイピング音を問答無用で鳴り響かせている。周りがどう思っているか、臣人自身は知らない。

 まるでネットサーフィンをするかの如く、バイト募集のリンクを次から次へと飛んでいた。時々『国を疑え』といったプロパガンダ的な広告が流れてきたが、全て小さなバツボタンをクリックした。

 そうやっていつまで経ってもバイトを渋っていた中、左肩を後ろからつつかれ、ビクッとして思わずイヤホンを外した。

「チャイム鳴ったよ?えっと、前みたいに先生怒るし......」

 左後ろを向き、少し見上げると自分よりほんの少し背が低いかぐらいの女の子が、少し縮こまった様子でいた。

 クラスメイト?のはず。

「あぁ、ごめんなさい。確かにまた先生来ますしやめますね」以前にも先生に怒られた記憶が蘇ってきた。

「ありがとうございます」と、軽く頭を下げた。

「いえいえ私なんかにそんな!えっと、それじゃっ」と、相手は素早くお辞儀して後ろの席の方に行った。ノートPCをしまうと先生が来て、またいつもの授業が始まった。


 家に帰るときれいな状態のリビングが目に入った。夕飯を済ませるとテレビ前のソファーに腰を沈ませ、膝の上にノートPCを置く。イヤホンで音楽を流し始め、再び作業に入った。なかなか良いバイトがない、というのは、楽に稼げる仕事がないという意味ではない。性に合った、上下関係のない職場が無いという意味だ。別に企業の元で働きたくないというわけではないが、自分を操っている人間がいるのが嫌なのだ。

 僕に合う職場なんてあるのか?今だけでなく、将来だって。そう時々不安になることだってある。そんな不安が、昔の記憶を掘り起こしてきた。

『臣人くんは将来どうするんだ?』そんな教師の何気ない言葉が脳裏を掠める。

『臣人くん、普通の職場なんかじゃ働きたくないって言ってるけど、そんなんじゃ生きてけないよ』

『心配されなくても、自分の力でこれから生きていくつもりです。親元を離れて、1人で』

『あれ、臣人くん、親元離れるの?前の三者面談じゃ実家から通勤した方がいいって言ってなかったっけ』

『考えが変わったんです』

『そうなの?わかったけど……やっぱりさぁ。先生の考えを言わせてもらうと、進学した方がいいんじゃないかな?こんなに頭もいいのに、勿体無いよ』そう言い、模試結果をこちらから見えるようにポンとおいた。

 全国模試2位という、一般的には輝かしい数字が視界に入る。

『今までも何度も言いましたけど、進学するつもりはありません。一刻も早く、自分の力で生きていきたいんです』

『だからぁ、そんなに自分に合う職場なんてそうそうないって言うのが先生の意見なんだよ、だったら進学してもう少しゆっくり自分に合う仕事、探してみてもいいんじゃないかな?』

 そんな正論今までだって何回も聞かされたよ。思わず目線が太ももに行き、顎に力が入った。

『臣人くん?聞いてる?ねぇ臣人くん——臣人くん?』

 やめてくれ、構わないでくれよ……

 僕には——僕には——

「僕には僕のやり方があるんだ!!」

 そう声を出して目を覚ますと、さっきまで日がさしていたリビングの窓からは月明かりが差し込み、カーペットは光と影に交互に繰り返し照らされていた。

「寝てたのか」未だに頭には、ジャズが鳴り響いている。帰ってきて、ソファーでバイト探しをしていた後の記憶がない。

「寒っ」思わず身体が空気の冷たさに反応した。

 つい昨日もこんなことがあったと、デジャヴを覚えつつ、臣人は寝る準備を始めた。

 フッ素入り歯磨き粉を歯に満遍なく塗りたくっていると、スマートウォッチに通知が来た。ノートPCからだ。

 そうそう、バイトを自動で探してくれるサイトにこの前登録しておいたのだ。

『あなたにピッタリのバイトが見つかりました

 スタッフ総出で探したので、このメールを無視することだけはやめてください

 以下が仕事内容と、その報酬です。

 日給5万円

 場所:あなたの最寄り駅から、徒歩30分

 仕事内容:ある場所で荷物を受け取り、目的地に徒歩で届けるだけ

 勤務時間:ある場所から目的地への移動で約1時間

 あなたのアンケート結果により、このバイト以外適切なものがありませんでした

 なにかしら返信をこちらにください

 スタッフ一同お待ちしております』

 臣人は、5万円という三文字に目がずっと留まっていた。

「5万円?普通の日給でも約1万円が良いところだぞ」

 臣人はとりあえずフッ素を歯にコーティング仕切らせ、水で口を濯いだ。歯ブラシを片付けると、臣人はふと自分を見つめながら口を動かしてみた。

「怪しすぎる。闇バイトだったらどうする?いや、確実に闇バイトだ、わかってる」

 そんなことをつぶやきながら、眉毛を左右交互に2,3回上げてみる。舌を最大限だしてもみる。最後には歯をむき出しにしてみた。

「ふぅーー、よし」

 臣人は常々考えている『将来は自分は雇われるのではなく、雇う側になる』と。仕事が大好きで家事を殆どしない親のもとに生まれ、幼稚園児の頃から家事は全て担ってきた。そのせいもあってか、雇われるのは虫唾が走るほど嫌なことなのだ。いや、虫唾が走るという言葉では足らない、もっとなにかおぞましい言葉が必要なほどである。しかし、初めてできた趣味だ。そんな虫を潰してまでお金がほしいのは自分からしたら当然のことなのだ。

 僕は、今から犯罪に加担しようとしているかもしれない。でも、これは僕の金の欲のためだけではない、将来のためでもあるんだ。あの両親から離れるための、自分で金を手に入れるための、仕方のないことなんだ。この仕事を遂行するだけで、5万円だ。UFOキャッチャーだけでなく、かなりいろんなことをやりくりできる。これを頻繁に続ければ、いつかは家を出られるかもしれない。ああ、そうだ。いいさ、やってやる。

 様々な考えを胸に、臣人は再びソファーに座りノートPCに体を向き直し、ジャズで鼓膜を揺らしながら返信した。

『メールありがとうございます。

 ぜひ、このバイトを受けさせてもらいます。

 仕事の日時の希望といたしましては、明後日以降ならいつでも大丈夫です。

 ぜひ、働かせてください。

 こちらも、返信お待ちしております。』

 エンターキーを押すのはためらわなかった。それは、もう心のなかでやると決めていたからだ。しかし、いざ申し込んだ後となると心中迷いが生まれていた。もう手遅れなのはすべてわかったうえでである。

 なぜこのバイトを承諾したのだろうかと、寝る直前に考えてみた。日給5万円などという怪しいバイトに申し込んだのか。自分の心の中の出来事くらい自分でわかっている。金に対する欲を、自分の将来のためだという理由で塗りつぶし、危ない橋を渡ったのである。

 なんて愚かな行為だろうかと、もう一人の自分が言ってくる。でも、もう止められない。申し込んだからにはやるしかないんだよ。そうもう一人の自分を説得していた。

 人を殺したり、強盗の闇バイトを受けたわけじゃあるまいし、大丈夫......大丈夫――

 そんな言葉が、夢の中でも続いていた。

 明後日、臣人は集合場所へと向かった。感情の割合の1割を「楽しみ」が占めようとしている中、ほとんどの感情は「緊張と不安」で埋め尽くされている。初めてのバイト、初めての仕事、身体中に負のマインドが血でめぐらされていた。この場所に人が来るのかはわからないが、集合時間15分前についた。

 どでかい空き地には大量の車が置かれているのが目立ち、家が空き地を取り囲むように建っている。確かこの車は全て、どこかの大企業がEV車を大量に作っておきながら、次世代のエンジン回路やネットの新型プロトコルが出てくると車の製造を直ちにやめ、結局全てを廃棄しきれずにそのまま放置してある車なのだ。父さんから聞いた。

『そこで待っていてください』とだけしかメールでは言われなかったので、臣人は仕方がなく歩道の近くの電柱にもたれかかり、待つことにした。生憎、イヤホンを忘れたせいで音楽を聴くことはできなかった。

 向こうに見える駅は、土曜ということもあり、スーツ姿の人、制服の人、私服の人がごちゃごちゃに混じっている。

 空き地に近づけば近づくほど、人通りが少なくなっており、確かに運び屋をさせるにはもってこいの場所だと臣人は思った。

 それでもやはり人はいるもので、鬼ごっこをして遊んでいるのか、わらわらと小学生が目の前を走って通り過ぎた。

「おーい待てーー!

「逃げろ逃げろーー!」

「逃げたもん勝ちだーーー!」

 聞こえたのはそんな何気ない言葉だったが、その時の臣人の脳を動かすには十分だった。

 ん?ああ、そっか、僕は、今逃げることができるんだ。逃げることが。でも、ここでやんなきゃ……。

 ふと思考が止まる。

 ここでやんなきゃ?いや、普通のバイトでコツコツ金貯めてもいいだろ。こんな闇バイトに手を出す度胸があるんだ。普通のバイトが好かないからって、我慢することぐらいできるはずだろ?

 あれ?何やってんだ……俺。

 その後、様々な正論が内側から生まれ、我に返るってこういうことなのかと、臣人は実感した。

 ドタキャンだって良い――帰ろう。

 そう思い、持っていたスマホを内ポケットに入れようとした時、スマホが震えた。

「なんだ?」

 スマホの画面を見ると、母さんからのメールが来ていた。とりあえず無視しようかと思ったが、その情報が目に入った途端、脳みそが変形する感覚がした。

 臣人は歯を噛み合わせ、音を鳴らした。

「こいつらだ。こいつらから離れるためなんだ。それを忘れるな。普通のバイトじゃだめなんだよ、もっと稼がないと。正論はダメだ。やらなきゃいけないことを紛らわせてくる」

 何も趣味の為だという理由が消えたわけではない。ただ、今彼の頭を占めているのは、両親から離れるためだという理由だった。

「やるんだよ、犯罪に加担してでも。なにがなんでも」

 本能的な理由と、理性的な理由。それぞれが、彼の中では巡り巡っていた。

 そして、集合時間ピッタリにメールは来た。

『この車にいけ』というメールといっしょに、目的の車の位置情報が載っていた。

 迷路のような車の隙間を縫って歩く。数分歩いただろうか。その目的の車につくと、自動でトランクが開いた。

 そこには、手のひらサイズのお菓子の箱が一つだけ寂しく置かれていた。

「これ?これだけ?このなかに運ぶお金とかが入っているのか?」驚きつつもお菓子の箱を手に取ると、また自動でトランクが閉まった。

「これ、どうするんだ?」

 少しの間、箱を手の内で遊んでいると、わかったことが2つできた。1つ目は、このお菓子の箱は新品じゃなく、なにか細工がしてあり新品同然に見せていること。その証拠として2つ目は、このお菓子の中に入っているものは金やましてやお菓子なんかじゃなく、手のひらより小さい何かだということだ。少し降ると音がするし、でなければこんなに軽くはならない。

「これを、どこまで運ぶんだ?」そんな事を言っていると、携帯が震えた。

 気づくとメールでマップが送られてきていた。はじめにマップを見た印象は、異常に入り組んでいるということだ。こことここのルートをつなげてしまえば、大幅ショートカットが可能であるはずなのに、わざわざ遠回りしている。監視カメラがないようなルートを自分に歩かせようとしたら、結果的にこんなルートになったのだと、臣人は推測した。なるほど、ここの空き地は周辺に監視カメラがなく、絶好のスタート地点というわけか。しかし、ここの地主がいたずらをされたときのために、監視カメラをつけている可能性もある。それについてはどうなのだろうかと思った。

 それに、監視カメラがないということは、それくらい人通りが少ないということ。監視役の人がいなくていいのか?この仕事には5万円の価値がある。雇い側にとって不審な動きをされたらかなり困るはずだ。監視役が隠れているとか?

 左右を一瞥し、誰もいないことを確認すると、ため息をついた。

「詳しいことはいい。とにかく、自分の眼の前に組織の人がいて監視しているより、隠れていてくれていたほうが、僕にとってはベストだ。」

 臣人はそれを最後にして目的地へと歩き出した。

 臣人は左のポケットにお菓子箱を右には手を入れて、時々時間を確認しつつ、また心臓が脈打ちつつ、足を進めていた。目的地へ出発してから20分が経ったが、ここまで通ってきた道は驚くほど人通りが少なかった。勝手な推測だが、この時間帯はいつもこうなのだろう。でなければ、雇い主がこのルートを選ぶはずがない。

 誰かがついてきてるような気配はなく、逆にそんなことをすれば目立つような行為になってしまう。監視はなにか別の方法でしていると思っていいだろう。それとも考え過ぎだろうか、もしかしたら誰も監視なんてしてないかもしれない。……いや、油断するのはやめておこう。警戒していて損はない。

 そうやって歩いていると、向こうから見覚えのある女性が向こうから自転車を漕いできていた。うちの学生服を着ている。

「あの人、どこかで会ったけど、誰だっけ?」まだ相手には聞こえてない範囲だと断定して、そう声に出して言った。無論、臣人はクラスの誰の名前も顔も覚えておらず、それはその女性に対してでも同じだった。

 こちらに段々と近づいてくると、女性はブレーキをかけてゆっくりと停車した。それと同時に、臣人もゆっくりと、進んでいた足を止めた。

「あれ、臣人くん?ここらへん......住んでたっけ?」髪がロングの彼女は、耳にかかっていた髪を、耳の裏側を撫でるようにして除けた。彼女の目線はどこを見ているのか自分の右の方へ向いている。

「いや、たまたまここらへん散歩してただけ」臣人はことさらに平静を装った。

 まずいなこの状況。雇い主が監視しているかもしれないこの状況で、おそらく自分のクラスメイト?の、この女性と会うのはかなりやばい。もし、この女性になにか漏らすようなことがあれば、即刻上に切られる。いや、そんな話題にならないのはわかってる、わかってるが......。

「散歩、好きなの?」

「あぁ、まぁたまにね」

「そうなんだ.......ここの道とか、また通ったりする?」一瞬左に目線をやり、また右の彼方へと目線を向けた。左手に握られている、自転車のハンドルが少し動いた。

「えっとー」どういう質問だ?実はこの娘、警察の関係者で僕を怪しんでいるとかじゃないよな?「わかんない。今回はたまたまだったから。もうここらへんは散歩しないかも」

「あ、そっか......変なこと聞いてごめんね!それじゃ!」彼女は急にペダルを踏み込んだ。スピードが出てきたあたりで、彼女は一度こちらを見たが、そのまま何処かへと行ってしまった。その時、風に乗ってほんのりシトラスの匂いがしたような気がした。

 見えなくなった途端、臣人は溜まっていた肺の空気を一気に出した。

 初バイトでこんなトラブルがあったらたまったもんじゃない。さっさと行こう。

 これまで歩いてきたスピードよりも速く歩み始めた。そして、それから先ずっと早歩きで歩いていたせいか、少し早く目的地の場所に到着した。

「なるほど、ここね」住宅街から少し離れたところにその場所はあった。山付近だが、ここはやけに整備されている。おそらくここはコンテナを貸し出す場所だろう、見渡す限り大量にコンテナが積まれている。

 大量の車が置かれている空き地といい、貸し出し用の大量のコンテナのあるこの場所。どれも誰かの所有地じゃないか。こんなんだと、すぐにバレて逮捕されそうだぞ。

 途端に、雇い主が間抜けじゃないかと臣人は心配になった。しかしひとつ引っかかるのは、新品じゃないあのお菓子の箱を新品にみせる細工が非常に巧妙だったことだ。開けるときのつなぎ目一つ一つがくっついていた。素人にはあんなことはできない。バレないようにする腕は確かだと信じておこう。

 臣人はスマホを見ながらコンテナとコンテナの間の入り組んだ道を歩き、目的地へと向かった。

 ここにあるコンテナは、何用のコンテナなんだろう?

 その道の途中臣人は少し気になり、コンテナを手の拳で一度軽く叩いてみた。実はコンテナには種類があり、ドライコンテナと特殊コンテナに分けられ、更に、コンテナの中にはアルミニウム製とスチール製の二種類がある。ドライコンテナは一般貨物用に使用されるコンテナで、特殊コンテナには様々な種類の異なる貨物に対応するため、通常のドライコンテナとは違い色々な種類のコンテナがあるのだ。

 この場所のコンテナは、最もよく使用されるドライコンテナのようには思えず、なにかの特殊コンテナだとしか思えないのである。

 親の仕事の関係上、聞きたくない雑学を山のように聞かされてきた臣人にとっては、こういったことは親の影響だとも言える。だがなにより、親の遺伝子が子である臣人に受け継がれているという点が、臣人がニッチなネタに対して興味を持たせている要因である。

 気になることがありつつも、臣人は着実に目的地へと近づいていた。そして、ここについてから数分。目的地にたどり着くのにはあまり時間はかからなかった。

 目的地につくと、目の前には一つだけ少し開いているコンテナがあった。

小声で呟いた。「このコンテナだけ開いてる」試しに中を覗こうとしたその瞬間、心臓が脈打った。しかし、そこには大量の段ボール箱が積まれていただけだった。

 大量の箱?こんなとこに、このお菓子の箱を持ってこさせてどうするんだ?

 どうすればいいかわからず、試しにスマホのメールを覗くと一通だけ送られてきている。『よくやった、そのまま帰れ。そのお菓子箱は厳重に保管しておけ。報酬は事前に登録してあった電子マネーに入金しておく』

 は?これで終わり?ただ散歩しただけだぞ。

 あまりにも簡単すぎる仕事内容にたじろいだ。これは、喜べばいいのかと。いや、喜んで良いはずがない。なにか絶対裏があるはずだ、警戒しなければならない。理性的にそうやって考えていてもやはり心は踊っており、微笑してしまっている自分がいた。心が理性を追い抜いていっていた。

 その後、何事もなく家に帰り電子マネーカードを片手で弄んでいた。電子マネーの残高は、先ほど5万円が入ってるのを確認した。またとりあえず、お菓子の箱は引き出しに入れて鍵をかけておいた。厳重にと言われても、自分にできるのはこれぐらいだ。開いたら爆発するような仕掛けはできない。だが、鍵はどうしようかと未だに悩んでいた。せっかく鍵をかけたのに、鍵がすぐに見つかったら元も子もない。そのせいで鍵の収納場所を考えなくてはいけなかった。

「宿題しながら色々と考えるか」

 そうして臣人は、ノートPCに打ち込んであったレポートを原稿用紙に写しながら思考を始めた。シャーペンが紙に擦れる音だけが部屋に響き、耳に入る音はジャズのみであった。

 今日は初バイトだったが、自分はなぜ5万円ももらえたのだろうかと臣人は気になった。 今日やったことに5万円の価値があるとは思えない。ただ指定の荷物を持って、移動して目的地につき帰ってきただけだ。それに一体どこに価値があったのか。それを考えるキーポイントはたった一つ、あのお菓子の箱に入っている中身だ。あれを目的地に持っていった事自体が雇い主にとっての利益?いや、実質的な利益にならなくとも何かの計画に僕が使われた?いや、だめだ。断片的に、それに妄想的に考えるんじゃない。キーポイントは一つだが、細かく情報を分散させればいくらでも考えられる情報は生まれる。そうだ、まず1つ目のポイントはあの箱の中身が何なのか。2つ目は雇い主があの荷物を僕に目的地に持っていかせた動機。3つ目はお菓子の箱を厳重に保管しておく理由。考えるべきはこの3つだ。

 「思考」自体が好きな臣人は体の動きと心の動きを分離させながら、今日生まれた興味深い疑問を整理して「思考」のトルクを増幅させていた。


 臣人は休日の朝、いつも目をさますのは6:00ぴったり。幼稚園の頃から朝早く起きなければならない生活を送ってきたおかげか、寝る時間はバラバラだとしても起きる時間は規則正しかった。臣人は起きた後少しまどろんでいたが、時計に目をやると渋々体を起き上がらせた。足のひらが地面につき、重力が足、腰、胴体、頭へと一気にかかり、再び横たわりたいという誘惑が彼の鼻をついた。だが目が少し冴えてくると、今日やらなければならないことを思い出し、その匂いを無視して1階のリビングへと降りていった。誰もいない、しかし散らかったリビングが視界に入る。臣人の両親は、日曜こそ働かなければと平日と休日の区別をなくして仕事に出ていっていた。二人が働いている仕事の関係上そんな区別がなくなるのは知っている。そして臣人はいつも通りに汚れたリビングを片付け始めた。

 今日は早速電子マネーカードを持って出かけなければと、感情割合は10割が楽しみで埋め尽くされている。家の片付けを終わらせ、朝食はパン2枚で済ませた。着替えてバッグを体にかけるとワイヤレスイヤホンを耳につけ、いってきますの挨拶を言う相手もいないまま家から出発した。まず向かった場所はコンビニだった。気分が良い日はいつも、コンビニでコーヒー味の豆乳を買っている。もちろん今日もそうだ。コンビニから出ると定期的にストローに口をつけ、ゲームセンターへと向かった。やはり予想していた通り、駅前は人でごった返していた。歩いている間、ストローの先が人につかないように注意した。正直に言うとこんなところに神経を使いたくはなかった。UFOキャッチャーで空間認識能力を使いたかったのだ。

 そして、目的地についた。ゲームセンターの爆音が体に響き、既にジャズの音はかき消されていた。歩くたびに心臓が鳴っているのがわかる。前から目当てだった機械の前に立ち、臣人は電子マネーで遊ぶための小さなパットのボタンを押した。決戦の刻が来たのだ。


約2時間後――


本日の出費:2万円

戦利品:1個


 既に臣人の精神はボロボロだ。所持金を全て使い切らなくとも、2万円使って1つしか取れない現実は、彼の心を疲弊させるのに十分だった。しかも、取れてしまったその1つの景品は、見たこともないアニメの、萌えキャラの、ナース姿のフィギュアだった。あまりにも狙いの物が取れないので、試しに隣のマシーンを試してみたら取れてしまったのだ......。ちょうど2万円使い切ると、臣人は震えた手で電子マネーカードをポケットにしまった。

「もういいや」と気づくと言葉が口から漏れた。その時にはもう過去最高に脳が溶けている状態が出来上がっていた。コーヒー味の豆乳はとっくの前に空っぽになっており、臣人の喉は干からびた植物のように水を欲していた。

「ぷはぁ〜、うんま」近くの自動販売機で、もちろん電子マネーカードをタッチして水を買った。心の乾きまでは潤してくれなかったが、現実的な意味では確かに潤してくれ、体中が満たされていくような感覚だった。そんな中でも、虫が飛んできて手の甲につこうが、払う気は起きなかった。

 そういえば次のバイトはいつなのだろう、単発バイトに応募したつもりはなかったが......。メールを確認したが、何も送られてきてはいなかった。

 意気消沈した臣人はカフェに向かった。

「コーヒー味の豆乳ってありますか?」

 UFOキャッチャーで気が少々狂っていた臣人は、物欲しさに普段言わないようなことを言った。

「はい?」女性は少し面食らっている。

「えっと、コーヒー味のする豆乳なんですけど......」

「申し訳ありません。そういった物はこの店舗では出しておりません」

「あの、ごめんなさい変なこと聞いて。えっと――」

 しかたなく抹茶ラテとワッフル、生ハムと野菜のミックスサンドを頼み、トレーに乗せて椅子に座った。昼はこれで済ませるつもりだ。左手で抹茶ラテを飲みながら、右手ではスマホでアメリカの有名雑誌を読んでいた。

 アメリカ最大手の月刊誌CULTURE、日本語に訳すと「培養」という意味だ。1994年、アメリカ合衆国発のこの雑誌は信憑性が最も高いと言われている。正直言って、言われているだけで信憑性はどことも変わらない。毎日幾つか記事がスマホに送られるようにしてある。

『ロシア、再び日本に侵攻?第二次日露戦争が起きる可能性』

『麻薬密輸判明の増加、若者への影響とは』

『一部の国でアンドロイド購入を許可して半年、現在の様子は?』

『今、軍にはゲーマーが求められている』

 一通り今日掲載されていた記事を読み漁ると、いつにもまして様々な種類のタイトルの記事が載っている。その中で最も興味を惹いたのは『ロシア、再び日本に侵攻?第二次日露戦争が起きる可能性』だった。

 最近揉め事が起きているのはよく知っている。ロシアの貨物船を日本の海賊が襲ったのだが、その海賊が本当にただの海賊だったのかという疑問が浮上した。あらかたの取り調べが日本で終わり、身元がロシアに渡り調べられると海賊のリーダーが日本の元官僚ということが判明したのである。なぜそんな重大なことを日本で取り調べしたときに公表しなかったのかという国民の批判と、何か裏では大きな力が動いているのではないかという勝手な憶測が飛び回り、つい一ヶ月前から火花を散らせていた。

 父さんは警察の人間で、三週間前は父さんが頭を抱えていた。そういえば、それからはメールが一週間に一回来る程度で、父さんにはしばらく会っていないな。まぁ、どうでもいいことだ。

 とにかく日本の元官僚がテロリスト紛いのならず者を雇い、他国の物を奪おうとしたのではないかと言われているのが問題なのだ。その身辺調査を行ったのが父さんの部署だというのは一ヶ月前に聞いた。おそらく外部に漏らすなとか何か、父さんは言われたのだろう。

 父親の事を考えていると、ある考えが浮かんだ。

 警察の息子が闇バイトか......大ニュースになりそうだな。そうそうバレるつもりは無いが。

 スマホを置き思考を止め、気づくとトレーの上には皿とマグカップしかなかった。もう食べ終わったのかと少々驚いたが、よくよく考えればこれはいつものこと。無意識の内に体と心の意識が分離するというのはよくやっていることだ。

 いらないフィギュアの入った袋を持ち席を立とうとした時、店の裏からさっきの女性店員がトレーの上にマグカップを置いて、こちらに来た。

「こちら、コーヒー味の豆乳です。注文は以上でよろしいでしょうか」

 臣人は即座に状況を理解した。

「はい。大丈夫です」

「それでは」女性店員は何事もなかったかのように店の裏へと消えていった。

 あんなに優しい人は滅多に見ないぞと、ぐちゃぐちゃになった心に優しい日差しが差したような思いでいた。

 臣人はサービス品を飲み干し、カフェから出た。左手の甲を上に向けて時間を確認するとデジタル時計の針は2時を示した。まだ帰るような時間ではない。荒創町(こうそうちょう)に行くか。だが、一度このフィギュアを置いてから行くのも良いかもしれない。そう思い臣人は一度家に帰り荷物を置き、荒創町に行くことにした。

 荒創町はかなり面白い場所だ。たまに遊びに行くことがある。新米経営者が店を建てては潰れ、また建てては潰れ、または繁盛すれば移店する。そういった、ビギナーズマネージャーのための駆け出しの街なのだ。建物を改装する音が常に響き渡っているので騒音続きで、地獄耳にとっては最悪の場所だが、幸い臣人はほとんど移動中ジャズを聞いているので、問題ではない。臣人が行くのは大概、目新しいゲームセンターがないかと期待しながら行くのだ。

 駅から電車に乗り、揺られながら外を見ていると、外が騒がしくなっていく光景が見られる。一面田んぼだったのが徐々に街へとなっていく光景ならいくらでも見られるが、普通の住宅街だったのが徐々に商店街ならぬ商店町に変わっていく様はなかなか見られないものだ。

 駅につき改札を抜けて町へ繰り出すと、日曜ということもあって賑わっていた。右を向けば呼び込みをして、左を見ればチラシを配っている。

「そこのお兄さん、うちのラーメンは今までにない新しい麺の食感とさぁ、自家製スープが絡み合ってさぁ、もぉー最っ高だよぉ?」手振り身振りでいかに自分の店が良い店かを伝えてくる。どこの店も自分の店を繁盛させようと必死なのだ。

「はいはい、また今度行くよ。昼はもう食べたんでね」臣人にはジャズのせいで声がかすれて聞こえていたが、大体何を言わんとしているかは予想できた。

 軽くあしらうと、ゲームセンターがないか目を左右に傾けた。

 ここに来るのは3ヶ月ぶりだった。前来たときはゲームセンターが2店舗程あったが、電車の中で調べていると片方は潰れ、片方は移店してしまっていた。新しいゲームセンターはあるらしいが、店舗内の写真を見る限り好みのマシーンがなかったので行く気はない。

「何か面白い店は無いものかな......!?なんだここ!?」

 角を曲がると、1つの店だけとてつもない行列ができており、その店の配られていたチラシを見てみるとかなり面白そうな店だった。

『体験型アクションゲーム〈アクション・オブ・アンドロイド AOA〉アンドロイドに人は太刀打ちできるのか!?最新アンドロイド使用の、アンドロイドと1対1で銃を打ち合う体験型アクションゲーム!何も無い障害物のある白い部屋かと思ったら腰抜かす!ARコンタクトレンズを使ったリアルな風景が突如として目の前に現れる!?銃は全く痛くない特殊弾丸を使っているので安心!他では体験できないリアルなガンアクションをぜひ!

学生割引有り!!!』

 臣人はこういったことにアンドロイドを使っているのを見るのは初めてだった。大抵アンドロイドというのは、掃除に役立てられたり、アルバイトを雇いたくない経営者がアンドロイドで代用しているのである。

「せっかくだし並んでみるか」

 待ち時間はかなり長かったが、バッグの中に英単語帳も持ってきていたので退屈はしなかった。

 1つ疑問に思うことがある。アンドロイドと言っても万能ではなく、ましてや人間と区別が丸々ついてしまうほど単調な動きしかできない。だからこそ、決められた動きしかしない

店員代わりに使われることが多いし、掃除でも完全なスケジュール管理された上でアンドロイドは動く。そんな中、銃を打ち合うというのは相手に合わせて臨機応変に動かなければならないのに、そんな動きが現代のアンドロイドに可能なのかという疑問が、店を見つけたときからあった。

 アンドロイド自体購入が可能になってから半年。ルンバの変わりや、ペッパーくんの代わり程度でしか使われなく、正直に言うと前のロボットのほうがコスパは圧倒的に良かった。そんな中こういった店が生まれ始めたというのは革命的だ。次のステップにアンドロイドが進んだと言っても良いのではないか?

 臣人は少しソワソワしながら列を進んでいた。


1時間後――


『次の方どうぞ』そうデジタル立て看板に表示された。

 ようやく自分の番が回ってきた。英単語を180個も覚えられてしまった。帰ったら小テストだな。

 単語帳をしまって店の中に入ると、意外と簡素な受付部屋が目に入った。大した飾りつけもされていなく、ごくごく普通の受付だ。

「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました」少々不気味な、人間に寄せようとした音声が口内のスピーカーから響き、女性アンドロイドがお辞儀をした。

 受付もアンドロイドなのか。

「こちらのご利用は初めてですか?」

「はい、初めてです」

「お客様、ご年齢は?」

「17歳、高校生です」

「わかりました。それでは、こちらの契約書にサインください」そういって、アンドロイドはゆっくりと後ろを向き、紙を人差し指と親指でつまんでこちらに向いて置いた。この契約書は左上がホッチキスでとめてあり、かなり分厚くなっていた。

「契約書、ですか?」

「はい。万が一お客様がお怪我をされた場合の、治療費のこちらの負担。また、アンドロイドが壊されたときのお客様への賠償金請求。などなど、アンドロイド絡みの少々面倒な手続きもございまして」

「はぁ、そうですか。わかりました」

 臣人は変なことに巻き込まれないように一応全部読んだ。だが、怪しい点は見られなかった。変なところといえば、最後にでかい空欄があることぐらいだろうか。しかしそれでも1つ、気になることがあったので聞いてみた。

「これ、未成年なら保護者同伴でなければならないとかはないんですか?」

「ご安心ください。これは保護者の方は必要ではありません」

「そうなんですか」少し疑問を持ったが、疑問はあまりにも小さく霞んでおり、立てかけてあったペンでそのまま契約書にサインした。

「ありがとうございます。度々申し訳ありませんが、次はこちらの紙にご両親やお客様のお名前、携帯番号、住所などをお願いいたします」

 アンドロイドの部品破損が判明したときなどに連絡するためのものだろうと、次は何の疑問もなく個人情報を書いた。

「ありがとうございます。それではゲーム会場で当店のゲームのご説明をいたしますので、そちらの1の扉に入れば会場ですのでお進みください。説明はアナウンスでいたします」

 受付の真横に、会場はこちらと書かれた張り紙がついた1の扉があった。更に続く廊下には、2,3,4の扉がある。

 そりゃぁアトラクションのルームがひとつだけなわけないか。

「いってらっしゃいませ」と、再びお辞儀をした。

 そうだ確認しなければならないことがあったと、臣人は扉に入る直前、アンドロイドの横腹を見た。『R090』と小さく書かれていた。CULTUREで見た情報なのだが、アンドロイドの横腹には製造された国の頭文字があるのだ。現在アンドロイドを製造している国はアメリカ、中国、ロシア、ドイツの四カ国のはず。つまり、Rの頭文字ということは『ロシア製のアンドロイド』だ。

 ロシア、ね。たった今日本と揉め事を起こしている最中だ。さっきの契約書といい、何も無ければいいが。

 臣人はなにか鼻につくものを感じながら、扉をゆっくりと閉じた。

 ゲーム会場は文字通り、白色の部屋だった。様々な大きさの四角い箱のような障害物もあれば、階段を上がると2階へ上がることもできる。2階は吹き抜けになっており、真ん中にでかい穴が空いているような感じだ。障害物で身を隠すこともできるがこの会場、2階が圧倒的有利じゃないかと、臣人は思った。階段は要注意だ。といっても先に2階に上がってしまえばいい話。よし、やることは決まったな。

 目を彷徨かせ、少し会場を偵察していると、アナウンスがなった。

『臣人様、明井臣人様。遅れてしまい申し訳ありません、扉の前へお戻りください。当店の体験型アクションゲームAOAのご説明をいたします』

 早速注意されたことで心に棘が刺さったような思いだったが、心中楽しみであることには変わりなかった。

『まずはそちらにある銃を好きなものを手にお取りください』

 そう言われて初めて扉の横に銃が、壁にかけられているのに気付いた。また、机には大量の小さな箱のような物と、それぞれの銃の弾が入った入れ物があった。横には回収箱がある。銃はアサルトライフル、ショットガン、デザートイーグルなど、取り敢えず様々な銃を揃えた感じがにじみでていた。どれを手に取るかは決めているつもりはなかったが、思わずひとつ手に取ってしまっていた。

『それは、ダブルアクションリボルバーです。武器はそれでよろしいでしょうか?』

「はい、これでお願いします」

 机の上に置いてあった小さな円柱の形をした入れ物に弾は入っており、ダブルアクションリボルバー用と書かれた物を臣人は両ポケットに一つづつ入れた。

『了解しました。それでは、箱を手にお取りください。中にはARコンタクトレンズが入ってます。つけたら横の回収箱に入れてください』

 言われるがままに臣人はARコンタクトレンズをつけ、箱を回収箱に入れた。これはよくアトラクションなどで、使い捨てで使われる物だ。面倒な設備を創ることもなく、ただ目に映すだけで良いというのは世界中のアトラクション業界にとっては革新的であった。開発されて以来、体験型ゲームやアトラクションではよく使われている。今回もそのパターンだったってわけだ。

 つけた瞬間、白い風景は戦場へと塗りつぶされた。むこうでは爆発が、こちらでは火花が舞っている。別に今回がつけるのが初めてではなかったが、こんなにもリアルなのは初めて見た気がする。

『制限時間は30分。あなたとは反対側に位置しているアンドロイドをその武器で仕留めてください。ヘッドショットはお互い即死判定となります。また、各身体の部位への銃弾の蓄積数が5発となった時点で死亡となります。同じ部位にあたっても蓄積数は増えないものとします』

「蓄積数?そんなものどうやって判定するんだ?」

 その小声が聞こえていたのか、アナウンスは答えた。

『全てこちらで判定をさせていただきます。蓄積数が増加するたびにアナウンスで報告致します』

「なるほどね、全部カメラで見てるわけだ」頭上にある監視カメラを一瞥した。

『少々時間を取るので銃の扱い方を、目の前に現れる画面を見ながら練習ください』

 そのアナウンスがした瞬間、目の前には銃の扱い方を説明する画面が現れた。銃なんてこれまで扱ったこともなかったが、わかりやすい説明で十数分でリロード方法やハンマーの正しい引き方を理解することができた。

「質問なんですが、これに反動はあるんですか?」

『これから説明するところでした、申し訳ありません。当店の銃には反動をつけることもできれば、外すこともできます。つければリアルさがより増します。どうされますか?』

「もちろんつけます」臣人は即答した。

『了解しました、反動機能をオンにします』

 銃には何も変化を感じなかったが、今の瞬間に反動がつくようになったのだろう。

『準備が整いましたね。ゲームを始めます。よろしいですか?」

「ちょっとまってください」ゲーム開始を止め、臣人は耳にワイヤレスイヤホンをつけた。

「すみません、準備万端です」

『それではゲームを開始します。よーい、はじめっ』合図がかけられた瞬間、スマホで騒がしいジャズを再生した。

 この会場を見たときから、やることは決まっている。階段を駆け上がる!

 臣人は階段の方へ障害物で身を隠しながら向かった。そのまま階段を上がろうとしたとき、目の前に火花が散った。弾丸が飛んできたのだ。数歩引き、障害物に身を隠した。

 危なかった。大丈夫、本物の弾丸じゃない。おもちゃだ。あたっても痛くないはずだ。

 戦場で大事なのはいつだって冷静でいること。そのはずだと信じて、臣人は自分の心を宥めていた。どうにかして2階に上がらなければならない。相手の姿だってまだ見ていないこの状況でだが。

「あれ、そういえばヘッドショットされなければ、5発当たるまでアウトにはならないんだよな」

 こんなの現実じゃできないが......やってみるか、と臣人は決意を固めた。

 次の瞬間、アンドロイドの視覚情報に飛び込んできたのは、頭を向こうへむけてうずくまりながら、階段を上がっている臣人の姿だった。これなら即死もされずに背中しか見えてないから、何発打たれたって、蓄積数は1で済むはずだ。

 小狡いやり方だが、何事にも穴はあってそれを見つけてゆくものだ。自分が適応していくのだ、その環境に。なんて、ただのズルの言い訳だな。

『明井臣人、蓄積数1、背中』

 そうして臣人は背中に一発受けはしたが、うまいこと2階へと上がることができた。

 後はこっちのもんだな。最初に思いついた案で最後までいく。

 アンドロイドは、警戒モードに入っていた。臣人が1階を上から覗いて、こちらを探しているからである。そうなると自動的に狙う場所は、臣人の死角。臣人が左右に首を振って見てはいるが、全てをカバーできているわけではない。

 アンドロイドは飛び込むように素早く臣人の死角へ入り込み、地べたに寝そべってスナイパーで狙った。しかしなぜか臣人は、アンドロイドが察知したときにはこちらの方の階段から既に降りてきており、一発打ったが弾は当たらなかった。それならばとアンドロイドが立って体勢を立て直そうとしたときには、もう臣人は目の前にいた。

 作戦通りだな。作戦通りすぎて怖いくらいだ。わざと首を左右に振ってみせることで、死角を敢えて作り出し、その死角を意識的に警戒し続けることで、アンドロイドに対してすぐに反応できたのだ。自分にしては上手い作戦だったなと、臣人は感心した。

 ためらうことなく臣人はハンマーを後ろにやり、トリガーを引いた。ヘッドショットだった。

 瞬間、笛のような音が鳴り響いた。

『そこまで、臣人様の勝利です』

 そこで、体験型アクションゲームAOAは終わった。臣人は、高揚した心臓を抑えながら扉へと向かった。

 店から出ると、日はおぼろげに建物の後ろから燃えていた。久々に気分の良い夜が迎えられそうだ。それにしても、と思考をめぐらした。楽しかったな、この店。というか、AOAか。この場所は移店するまで行きつけにしよう。そう思い、臣人はスマホのメモアプリに滑らかに入力した。時刻は6時3分だった。

 その後駅に向かおうとしたとき、パトカーが1台が通り過ぎてゆかずに目の前に停まって、中から小太りな男と痩せ型の男が出てきた。

「ちょっと、そこの君。未成年だよね?」

「え、そうですけど」正直言って、AOAの時よりも心臓が跳ね上がっていた。

「荒創町のこのエリアは、未成年が6時以降立ち入ってはいけないという条例があるんだ。知ってるね?」

「え!?」知らなかった。「知らなかったです。ごめんなさい」臣人は思わず俯いた。

「知らなかったの?本当に?」警察官二人がジロジロとこちらを、いかにも怪しいと断定して見つめてくるようだった。「わかったわかった、今回は見逃してあげるよ。ただし、ご両親には報告させてもらう。スマホはあるかい?」

「あ、はい」焦りながらスマホをとりだしたが、運の悪いことに充電は1%だった。1日中使っていたせいだろう。数秒経つと、画面が暗くなり、充電マークが赤く点滅しだした。

「えっと、あの、スマホの充電がなくなっちゃいまして」

「えーー?わかったわかった、もう日が殆ど落ちてきてるし、僕達が君の家まで送っていってあげるから、そこでご両親とお話させてもらおう」

「はい、わかりました......」めんどくさいことになったな、今頃なら母さんは帰ってきている頃だ。母さんのことだから後でグチグチ言ってくるだろうと、今から胃が重たくなるような思いだった。父さんは......母さんほどではないが何にせよ面倒臭いだろう。同業者である警察のお世話になったのだからな。そもそも最近はメールでしかやりとりしないから、そんな事も起きないか。

 渋々臣人はパトカーの後部座席に座った。まるでなにか犯罪を起こしたような雰囲気のせいで、気分は最悪だった。まぁ、犯罪ならもうしたのだが。

 パトカーで家へ向かう途中、駅前の広場を車の中から頬杖をついて見ていると、変な人だかりができているのを見た。何やら演説をしているようで、ちょうど車が赤信号で止まり、窓越しに何を言っているのかが聞こえてきた。

「日本は今、腐りきっている!もはや全ての国の下にある機関は国民を監視しており、我々に自由はない!公務員も!警察も!政治家も!全てが敵だ!最近の国の動きがおかしいのは皆も知ってのとおりだ。やつらは我々国民を縛り!国を縛り!意のままにしようとしている!いや、もうなっているのかもしれない!気をつけろ!近所にいる優しい交番の警察官が、いつも砕けて接してくれているあの公務員も、その全員が国の犬に成り下がり、我々に対して鼻を利かせているのだ!今こそ目を覚ますときだ国民たちよ!ダブリュー!ユー!シー!ダブリュー!ユー!シー!」

 最後の最後に語呂悪いな、と臣人は少し興味ありげに耳を傾けていた。WUC?世界ウイグル会議が確かそんな略称だったと記憶しているが、確か資料集に載っていたかな。

「Wake Up Citizen。国民よ目覚めよ。はっ、馬鹿らしい」そう細いほうの警察官が呟いた。

 予想していたのと全然違った、そんなの初耳だな。

「さっさとああいうのはなくさなきゃな。こちらの邪魔になる」今度は小太りのほうの警察官がため息をつきながら言った。

「――駅前広場で不当に演説を行っている者を発見。我々は迎えないが、いくらか応援を頼む」小太りな警察官は通信を使ってそう発信した。

 国民、政治、警察、公務員......。自分と関係ないところでやってほしいな......。

「この国の民であるというのに、自分の国の問題から目を背ける愚か者よ!今こそ目を向けろ!一人ひとりが意識を持ってこそ国は動くのである――――」

 赤は青信号に変わり、車はまたエンジンを響かせながら進み出していた。


 翌日、臣人はいつも通りに学校に通った。

 母さんからはこっぴどく叱られ、父さんからはメールで微量の叱りをうけた。今度から荒創町にいるときは時間に気をつけないとな。いままではそんなに遅くまでいたことがなかったから、わかっていなかったのだ。お金はあのお店で少し使ったから、2万ちょいか。さすがにこの残り金は貯金しよう。でなければ、いつまでたっても家を出られない。

 ふと臣人は、パトカーから聞いたあの演説を思い出していた。典範となるプロパガンダ演説だったが、興味をそそられているのは事実だった。

 本当にありえるのだろうか、国の下で働いている人々全員が、国民を監視しているなどと。もしそれが本当なら……。

 顔を上げ、久しぶりに先生の顔を直視した。

 この先生も自分たちを監視していることになる。私立の先生は公務員ではないが、うちの学校は国立だ。この先生も含まれる。

 先生を見つめていると先生がこちらを向き、目があってしまった。

「あ、そうだ。臣人、雫月(しずく)。放課後、職員室に来てほしい。雫月は部活よりもこっち優先で頼む。時間はそんなにとらない」

 しずく?その子と僕が何か共通することでもあっただろうか。疑問が生まれながらも、放課後臣人は職員室によった。しずくという女子生徒は先に来ており、既に職員室前で待っていた。

「あれ?あの子か」何度も見ていれば流石にわかる。ノートPCで調べ物していたのを注意してくれ、初めての闇バイトでばったり会い、カフェではコーヒー味の豆乳をいれてくれた女の子だ。

「雫月さん」と名前を呼びながら、臣人は近づいていった。

「へ!?臣人くん!?」この前のコーヒー味の豆乳を頼んだときよりも面食らっていた。

「この前はありがとうね、コーヒー味の豆乳」

「あー、あれ?全然全然、大したことしてないよ」そう言って、手の平をこちらに向けてヒラヒラとさせた。「それにしてもなんか意外だなぁ」

「え、なにが?」

「臣人くんが人の名前呼ぶのなんて、2年間で初めて聞いたかも」

「え?」確かにそうかもしれない。

「雫月さん以外の名前は知らないし、本当にそうかもね」臣人がそう言った瞬間、急にこちらを見て顔を少し背けた。それからも少し喋ったが、こちらを見てくれることはなかった。

ヤバいことを言ってしまったかと思ったが、例え嫌われようとどうでもいいので気には止めなかった。

「あぁ、臣人、雫月、すまんな遅れて。それじゃあ座ってくれ」先生に職員室前の机椅子を勧められ、先生1人に対して向かいに2人で座った。

「それじゃあ話なんだけどね、あるところから連絡があってね。もともとクラスのみんなに配る予定だったけど、その必要もなくなったかな。定員は2人らしいし」先生はファイルから何かの案内のような用紙を出してきた。見てみると、ロシアへの2週間留学案内の紙だった。

「ふたりとも、これに参加しているらしいじゃないか。なんて言語習得に意欲的なんだ。素晴らしい!」

 これに僕が応募している?覚えがないことに臣人は戸惑っていた。

「いえいえ、外国語勉強のためですよ」

 雫月さんは何の間違いもなく参加しているらしかった。どういうことだ?もしかして母さんたちが仕組んで?いや、そんな事してどうする、ありえないな。じゃあ一体どこで......。

 その瞬間、昨日の記憶が蘇ってきた。あぁ、そうだ、どう考えてもあの契約書だな。でもなんでなんだ?全部隅々まで読んだはずだ。まぁ何にせよ、あれ以外考えられない。仕方ない、丁重にお断りさせてもらおう。

「あの、僕、これ参加した覚えないんですけど、キャンセルってできますよね?」

「え?そうなの?でももう冬休み中に行くことになってるから、キャンセルできないよ?」

 そんなわけないはずだと、臣人は思考を巡らせた。冬休み突入まで約1ヶ月。十分キャンセルできる範囲内だ。

「キャンセルぐらいできるはずです。航空会社の方へ順当な手続きをすれば、今からでも」

「いやぁ〜そこら辺全部確認したけどさ、できないって言ったらできないんだよ」先生は、やや困り顔で眉をひそめてこちらを見ていた。

「とにかくふたりとも、もともとこの留学は全ての国立の学校を対象とした留学プランなんだ。ひとつの学校に対して定員は2人。もともと、抽選で全てのクラスに紙を配る予定だったのが、まさかうちのクラスからその2人が事前にでるなんて、誇らしいよ。この留学の説明会が今週の土曜にオンラインであるからよろしく頼んだよ。この紙のQRコードを読み込めば大丈夫だから。はい」臣人と雫月に留学案内の紙を1枚ずつ持たせた。

 これは完全に穴に入ってしまっているな。1人じゃ抜け出せる気がしない。だが、ひとつだけ方法が見えていた、それは––––。

「もしもし。父さん?」

「もしもし、どうした臣人。電話をかけてくるなんて珍しいな」

 気が進まないが、警察である父さんに相談することが唯一の打開策だ。

「ちょっと言わなきゃいけないことがあるというか、相談したいことがあるというか、あの、なんて言ったらいいかな」相談するにしても、契約書にサインしたことを言えば叱責を受けるだろう。ここは言うしかないか……。

「まさかロシアに留学することになったなんて言うんじゃないよな?」臣人の父は笑いながらそう言ってきた。

 臣人は喫驚してしまった。完全に冷静と動揺の拮抗が崩れたのだ。

「え?いや、その......」

「なに、何だその反応。違うよな?」

「あの、そう......ロシアに......行くことになった」

「......臣人、お前荒創町に行ったのか?」

「えっと、はい......」

「なんてことだ」電話の向こうでは呻くような声が鳴り響いていた。

「なんで父さんわかったの?ロシアに行くって。荒創町に行ったことだって。というか、父さんは何か知ってるの?」

 臣人の父はしばらく黙っていた。何も答えてはくれなさそうな雰囲気だ。しかし、自分が荒創町に行ったことを棚に上げて父さんに質問したのはよくなかったな。その僅かな隙を指摘されそうだ。

「臣人よく聞け。なにがあっても上に逆らうんじゃない。死ぬぞ」

「死ぬって......どういう――」

「すまんが俺からは何も言えない。お前が生きて帰ることを願う」予想していた言葉と全く違う言葉が飛んできて、その言葉は臣人の体を射抜いた。

「母さんに言うんじゃないぞ。なにか適当な理由をつけて冬休みの2週間を乗り切れ。それじゃあな」

 電話を向こうが切断し、臣人はあるはずだった切断ボタンの場所を何度かタップしてため息をついた。

 何が起きてるんだ?

 そして来たる土曜。臣人はノートPCにワイヤレスイヤホンをつなぎ、QRコードを読み込ませて、オンライン説明会が始まるのを待っていた。その間に、臣人は「思考」をすることにした。

 今回のキーポイントは、荒創町でサインさせられた契約書だな。だが、本当にそれをキーポイントにしていいのだろうか。何も根拠がない。しかし消去法で考えて、なにか手がかりがあるとすればそれしかない。最後にあったでかい空欄、あるとすればそこに追加で文字をいれて、既成事実を作った。それしか考えられないな。

 その時、臣人に新たな思考回路がつながった。

 何考えてるんだ、僕は。もっと重要なことがあるだろ。父さんは、上に逆らえば死ぬと言っていた。上ってなんだ?僕らをロシアに連れていこうとしている連中のことか?それに逆らえば死ぬということは、行きたくないとか言って揉めたり、ドタキャンした時点でゲームオーバーってわけだ。無理にキャンセルさせようとしたら、逆に自分に危害が及ぶかもしれない。

「行くしかないわけか。冬休みに入る前に簡単なロシア語のフレーズでも覚えておこう。あと、ちょっとしたスラングとかな」

 生きて帰ることを願うと父さんに言われた。逆らうことだけでなくて、留学自体にそもそもの危険性があるのか?まぁおそらくそうだ。

 雫月さんは知らず知らずの巻き込まれ屋だろう。あの口調からして、自分から参加していたみたいだ。僕みたいに荒創町でサインした風ではなかったし、明らかに事前に自分で申し込んでいた。「死」という言葉が出てくるような留学だと知らずに参加している可能性が高い。

 考えている内に引っかかることが臣人の中にひとつ生まれた。あのアンドロイドに『R090』とあったのはなんなんだ?後で知ったが、現在日本で普通に購入できるアンドロイドはアメリカ製のものだけで、ロシア製のものは買えないらしい。考えられるとすれば、あの店の経営者はロシア人。だからロシア製のアンドロイドを所持していた。だが、そのロシア人が自国に留学させるための契約書にサインさせるだろうか?いや、もしかしたら日本人を合法的にロシアにこさせ、拉致するためのものかもしれない。いやでも......?。

 思考の回転速度がだんだんと落ちてきて、臣人は冷静へと戻った。

 これも全て自分の憶測か。あてにならないな。

 考えの糸を切るように、その女性の声は飛んできた。

『みなさん、オンラインとはいえお集まりいただきありがとうございます』説明会が始まったのだった。

『まずお伝えしなければならないのは、皆さんには留学はしてもらいません』

 そうか留学ですらないのかと、臣人は考えを改め直した。

『皆さんには、留学を装ったロシアの調査をしていただきます。できないと言ってもやってもらいます』

 調査?これはロシア人が留学させようとして拉致するためのものじゃなかったのか。つまり、僕たち学生にうまくロシア調査をカムフラージュさせて留学に見せろってわけだな。

あれ、じゃああのロシア製のアンドロイドはなんだったんだ?

『知っての通り今ロシアと日本は揉めており、その裏では小競り合いが発生しています。きっかけはつい1ヶ月前、ロシアの貨物船を日本の海賊が襲いました。あれは現在いくらかの国民が疑っている通り、我が国を主体とした行為です。そして次にやっていただきたいのが、ロシアの調査というわけです、それもただの調査ではありません。ロシアの経済特区に我々は留学する許可を得たのです』

 世論が疑っていた通り、やはりあれは国が上から操っていたものだったのか。だとすれば『国を疑え』と言っていたあのプロパガンダ的広告も、駅前のプロパガンダ演説も、全てあながち間違っていなかったってことになる。

 ロシアの経済特区か、確かつい最近できたとCULTUREで読んだ。今まで作っていなかった、というか必要がなかったのに、どうして作ったのかと、話題になっていた。最も有力な候補は、その経済特区でアンドロイドの開発をどこよりも進めるために作ったものではないかと言われている。そんな経済特区に僕達学生が留学するのか。普通に振る舞っていればバレることは無いと思うが、何をすれば良いんだろう。

『学生の皆さんにはそれぞれチームで調査を行ってもらう者達もいれば、個人で調査を行ってもらうこともあります。留学では、2週間宿泊施設に泊まってもらいます。その宿泊施設はこちら、Amakaです』画面には、やけに洒落た宿泊施設の内装が映し出された。ここに泊まるのならば学生にしては敷居が高くないだろうかと臣人は、一般留学生にふさわしくない宿泊施設に疑問を抱いた。

『こちらに泊まっていただき、向こうに着いたら無線で調査任務を伝えます。通信用の無線イヤホンは空港で配られます。殆どの人は危険な任務を任されますが、ご健勝を祈っておくとしかこちらからは言えません。朝と夜の食事はホテルで予約してありますが、昼の食事は各自で済ませてください。伝えておくことはそれぐらいでしょうか。あと、最後にひとつ。我々に逆らうことはやめておくのが良いかと、皆さんに人権はありません。貴方達の、自然状態の段階より保持している生命・自由・財産・健康に関する不可譲の権利、自然権ですら我々が握っているのです。2週間、せいぜい死なないようにしてください。それでは説明会を終了します。お疲れ様でした』

『説明会は終了しました』という白い言葉が、黒い背景に浮かんでいる。

 臣人は苛立っていた。

「人権がない?ふざけるなよ!」

 手に体重を乗せて机を叩くと、鈍い音が響いた。臣人は、自分は人に命令されたり操られたりするのが反吐が出るほど嫌なことなのだと改めて認識した。ああ言われると交感神経が活発になり、血圧や脈拍が上がってしまう。実際、スマートウォッチには脈拍115が表示されていた。闇バイトの時は殆ど干渉されずに任務だけを任されたものの、今回ばかりは違う。しかもあんなに上から目線だと、収まる怒りも収まらない。

 臣人の座右の銘は『天上天下唯我独尊』的なものである。だからこそ雇われるのは嫌いであるし、虫唾が走るのだ。これは親にこき使われ続けた影響だが元々の性格でもある。生来、そういう性格であったのに親の影響で悪化したのだ。

 臣人はすぐに怒りを向ける対象を探し始めた。ノートPCを机に置き、起動するまで人差し指を机に打ちつけた。起動した瞬間、検索エンジンで現在の日本首相を調べて画像を映す。この人物が現在の日本首相、殊才瑞己(ことさいみずき)だ。去年首相に就任したばかりだが、その政治改革には目を見張るものがある。野党の意見をもうまくまとめあげ政治に活かし、少子高齢化や地球温暖化、長きにわたる不況など、殆ど全ての問題に対して具体的な解決策を提示し、実行している。おそらくこのまま数年経てば日本は見違えることになるだろう。しかし、今自分に起きている事態の元凶はこの男だということを思うと、顔面に拳をめり込ませたい思いだった。臣人の交感神経は更に奮い立っていた。

 結局どれだけ良い主導者がでてこようと、腹の中ではなにを企んでいるのかわからないものだ。実は『国を疑え』と言っている者は国民の1割にも満たない。殆どは首相を信じ切っている者ばかりだ。昨日までは、臣人はどちらとも言えない立場だったのだが、この瞬間、1割にも満たぬ側へと足を踏み入れた。つまり、反政府思想集団の仲間入りを果たしたのである。

 臣人の心中に蠢く苛立ちが次々と反逆的な思想を浮かばせた。

 このままでは、数十人の生徒の権利だけでなく、全国民の人権が奴の手中に収められる危険がある。本当にもしそんなことを奴が考えているのなら、絶対にその理想を潰してやる。絶対にだ。何より許せないのは俺の権利を無理矢理取り、良いように使おうとしている事だけでなく、俺以外の人間の権利までもぎ取ろうとしていることだ。

 この時が、金の欲よりも、両親から離れることよりも、初めて優先するべきことができた瞬間でもあり、初めて人を嫌いになった瞬間でもあった。これまで他人に興味が湧いたことのない臣人にとってこの「嫌い」という感覚は新鮮だったが、怒りを助長する物ともなった。

 現在この時点では逆らえないかもしれないが、いつか必ず面食らわせてやる。必ずだ。

 臣人は奥歯を軋ませて、ただ画面を睨んでいた。


 そして時は流れ、冬休み。臣人は至って冷静に空港へと、車で向かった。

「オーストラリアでいっぱいお土産買ってきてよね」

 なんで父さんが母さんに言うなと言ったのかはわからないがとにかく今は、おそらく僕より状況を知っているであろう父さんに従ったほうが良い。父さんに言われた通り、母さんには適当に誤魔化してオーストラリアに行くことにした。

「ねぇ聞いてる?ねぇねぇ」

「聞いてる聞いてる。お土産は......買える暇があったら買うよ」

「なによ買える暇って、あるに決まってるでしょ」

「そうだね......」タイヤはゴムの匂いを際立たせながら、回転速度を早めていた。

 臣人はこの1ヶ月、自分には何ができるだろうかと頭を悩ませていた。調査をわざと失敗させようものなら、奴らから何をされるかわからない。もしかしたら殺されるかもしれない、いや確実に殺される。

 そんな中でもひとつ、もしかしたら自分にできることがあるかもしれない。それは、

調査を全て完璧に済ませて生きて日本へ帰り、自首してマスコミに報道させることだ。なんとかそれだけでもやらないと、日本は腐っていく一方だ。周りが怖気ついて誰一人やらなかったとしても、自分だけはやらないといけない。そんな思いで臣人は空港についた。

 空港の入口あたりで、試しに数えてみると20人程の人だかりができていた。全国の国立高校の人達だろう。それとは別に名札をかけた大人が3人おり、男が1人、女が2人いた。それがおそらく国の使者だと予想して先頭の男の人に声をかけた。

「すみません遅れましたか?」

 男は満面の笑みでこちらを向いた。「いや、大丈夫。まだ10人程来てないし、まだ出発する時間でもないよ」

「そうですか、わかりました」返事をするとキャリーケースの車輪を転がしながら、集団の中で雫月さんを探した。

「あ、臣人くん。こっちこっち」後ろから声をかけられ、振り向くと髪を一束の三つ編みに結んだ雫月さんがいた。ジーンズを履いていて、上は白い服で袖あたりはフリフリしており、一瞬誰かわからなかった。

「あ、雫月さん。久しぶり」

「久しぶり、臣人くん」

 早速このロシア調査について話そうかと思ったが、大っぴらに話したら駄目だと思い直し、口をつぐんだ。

「えっと、服だけで結構雰囲気変わるもんだね」

「え?」

「はじめ、綺麗で誰かわかんなかったよ」

「あ、ほんとに?えと、ありがと......」

 職員室前と同じように顔を背けられた。下に何かあるのかと一瞥したが、小さな石っころしかなかった。やっぱり緊張しているのだろうか、「死」という単語が出てくるようなこのロシア調査に。

「今回はとりあえずベストを尽くそう。僕達にできることはそれだけだ」

 雫月さんは顔をあげ、こっちに顔を向け直した。

「うん、わかってる」いつになく真面目な顔だ。まぁ顔なんて指で数えるくらいしか見たことがなかったが。

 その後30人ぴったりが集まり、名札をかけた男が声をかけた。

「はぁーい皆さんよく聞いて下さい」ざわめいていた声が一気に静まり、全員男の方を向いた。

「今日はお集まりくださってありがとうございます。ロシア経済特区の案内役を務めさせていただく、庵藤引彦(あんどうひさひこ)と申します。これから2週間よろしくお願いします」

 それに対し、「よろしくお願いします」と全員で答えた。

 案内役はもちろん、学生だって普通に見えるようにしなければならない。あたり前のことか。

「他2人は、飛行機内で自己紹介してもらいます。それでは、行きましょう」

 男は満面の笑みをそのまま崩さずに、2人は無表情のまま、3人は空港の中に入っていき、学生たちもそれについて行く形で空港の中に入っていく。

「雫月さん、ちょっと荷物頼める?すぐに戻る」

「わかった、急いでね」

  臣人は荷物を任せて振り返り、急いで母のところに走っていった。

「母さん!」

「ちょっと、どうしたの!?忘れ物なんてしてないと思うけど――」

「違うよ、そうじゃなくて。あの......」臣人は一瞬言葉に詰まったが、そのまま吐き出した。「母さんさ、いつも口悪くてイラっとくることだってあるけど、いつも働いてくれて感謝してる。生きて帰ってきたら僕も普通のバイト頑張るから、また会えたら......また会えたらさ、家族みんなでどっか行こう」

「え、何言って――」

「さようなら」最後にそう、体を背けて言った。

 似合わないこと言ったなと思いつつ、待っている雫月のもとへと臣人は走っていった。



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