8「サ道をゆく者より初心者のきみへ」
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「ラブホみたいだね」というのが千鶴の感想だった。
「ラブホでもこんな部屋ないだろ」
緩やかに落涙が死んだため、メリーゴーランドを模した客室は僕らが使うことになったのだ。縁起がどうこうでなく、単純に内装が落ち着かないが。
「見てよ。これだけユニコーンだ」
ステップに足をかけて、ユニコーンの上に乗る千鶴。
「格好良くない? これ。回ったらいいのに。あ、ラブホみたいって思ったのは、回るベッドからの連想かも。前に解決した事件であったじゃん」
「ああ……」
「道雄、どうしたの? 暗い顔してるけど」
「いや……まだ少し、腑に落ちなくてさ」
「さっきのぶんじょーさんの話? あれはたぶん作り話だよ」
「そっちじゃなくて――ああ、でもやっぱり作り話だと思うか?」
「うん。全体的に詳細が不明なのに、部分部分で妙に細かいからね。玄関の前で捕まったとか。〈くりえいてぃ部〉に繋げようとして、あからさまに逆算されてるでしょ」
「なるほど。まあ、そうだよな」
しかし、僕が腑に落ちないと云ったのはそれではない。
「それよりも、緩やかに落涙が殺された事件の方なんだけど」
「ああ、そっち? どのへんが腑に落ちないの?」
そう訊かれると困ってしまう。あの少年のことを話すわけにもいかないし……。
「千鶴は、犯人が滞在客以外の侵入者って前提で話していたよな。だから自分ごと閉じ込めたら、救助が来たときに見つかって逮捕されるわけで。橋を爆破する前に逃げてないとおかしいって話だった」
「そうだね」
「でも、滞在客の中に犯人がいるとしたらどうなんだろう? 文丈さんか、沢子さんか、香久耶さんか」
「その場合も、自分たちを閉じ込めた理由は連続殺人を狙っているから?」
「そうだな。たぶん」
「だとしたら馬鹿だよ。仮にぶんじょーさんが犯人だとして、次に沢子ちゃんを殺したら、香久耶さんには自分が犯人だとバレるからね。で、香久耶さんのことも殺すつもりならもっと馬鹿。自分しか残ってなくて、逃げることもできない。やっぱり救助が来たのと同時に逮捕でしょ」
「うん。ごめん……」
千鶴にその気はないだろうが、僕は自分の考慮が浅すぎて恥ずかしくなる。
「みんな初対面だから動機がないって点も同じだね。用心するぶんにはいいと思うけど、気にし過ぎても損だよ。沢子ちゃんが云っていたとおり、落ち込み損……おいおいおん……ドミノ理論! 踏めた!」
千鶴は「じゃあ踏めたし、お風呂入ってくるねえ」と云って出て行き、僕はひとりになった。しばらくメリーゴーランドの周りをうろうろした後、ベッドに腰掛けて考える。
やはりあの少年が犯人で、時間稼ぎのために僕らを閉じ込め、自分は逃げたというだけなのだろうか……? であれば、僕らは救助を待つだけだ。事件としてはこれ以上、調査や推理をする必要はない。
こういう足止めを食らうのははじめてだけれど、例によって千鶴はさっさと事件を終わらせてしまった。少年のことを隠しても、無駄だった……。
僕がどこか釈然としない気持ちでいるのは、彼女の活躍を小説にしたい気持ちがあるせいか。つまりは事件が続いていることを望む気持ち。あまり褒められたものではない。
なんだか自己嫌悪に傾いてきたところで、考えるのはやめにした。
もう二十三時半だ。部屋を出て、文丈の部屋に向かう。同じ東側二階の、廊下を南に行った先である。先ほど彼から、そうするように云われていた。
ノックをして扉を開けると、「よう」という声が降ってきた。
「運動は脳を活性化させる。きみも一緒にどうだ?」
この部屋は壁、天井、そのほかベッドやテーブルなんかの調度品の側面にいたるまでカラフルな突起がたくさん取り付けられていて、ボルダリングができる。文丈はスモック姿のまま、壁と天井の境界あたりにしがみ付いて、僕を見下ろしていた。
「遠慮します……」
「アイデアが閃くぞ。ストレスの軽減も期待できる」
「またの機会で……」
「そうか」
文丈は床に飛び降りて、袖で額の汗をぬぐう。
「では風呂に行こう。初対面の男同士が打ち解けるには、裸の付き合いが一番だ。結果的にきみは新たな滞在客だからな。共に寝泊まりする人間のことは、よく知っておいた方がいいに決まっている」
着替えを入れた桶を抱えて部屋を出て行く文丈に、僕は手ぶらでついて行く。すぐに帰ることになるだろうと思っていた千鶴と僕なので、着替えなんて持っていなかった。車に戻れば念のため常備しているお泊りセットがあるのだが、それも叶わない。
「きみたちも災難だな。依頼人の緩やかが死んでしまっては、タダ働きだろう?」
「そうですね。働きの部分までなくなっているので、いいんですけど」
「たしかにそうか。まあバケーションだと思えよ。俺も晩メシの前には色々と神経質なことを云ったが、気にしていても仕方がないと結論したんだ。緩やかと会話を交わしたのも、まだ数回だったしな。奴には秘密主義の気があった」
「スパイがどうこうという話は、文丈さんは聞いていなかったんですよね」
「まったくだ。しかし奴は小説家を自称していたが、まだ無名のはずだろう。殺されるほどのアイデアを持っていたとは思わなかったな」
浴場まで直線の廊下にやって来たところで丁度、千鶴、沢子、香久耶の女性陣が出てきた。二十三時半に交代と話していたとおりだ。千鶴は備え付けのガウン、沢子はTシャツにハーフパンツ、香久耶は薄桃色のネグリジェを着ている。
「すごいよ道雄。ジャングルだった」
風呂上がりの少し上気した顔で、千鶴が云った。
「さっき見たよ」
「サウナがめちゃくちゃ良いの。触って触って」
腕を触らせられた。すべすべだけれど、普段とどれくらい違うのかは不明だ。
「産まれたばかりみたいでしょ。道雄も汗かきなよ」
「サウナで発汗、が圧巻、の快感っすよ。うぇ~い」
はしゃいでいる二人をよそに、香久耶が文丈の正面に立つ。両手で顔を隠しているのは、すっぴんを見られたくないのだろう。
「さっきの怪談、作り話なんだってね?」
「あーそうっすよ、ぶんじょー。千鶴ちゃんが教えてくれました。〈くりえいてぃ部〉に結び付けるために逆算したって!」
僕にしたのと同じ話を、香久耶と沢子にもしたようだ。
詰め寄られた文丈は「おいおい」と両手を上げる。
「さっきも云ったぜ。マジシャンにタネ明かしを迫るような真似は無粋だ」
彼は逃げるように洗面/脱衣所に這入って行き、僕も続いた。
服を脱いで、棚に収められた籠に入れる。フェイスタオルが大量に用意されているのを一枚とり、ガラス戸を引いて浴場の中へ。
室内だが、所狭しと木々や花々が生い茂っていて、千鶴が云ったようにまるでジャングルだ。もっとも、すべて人工樹木と造花だろう。そのなかでお湯がジャバジャバと注がれ続けている音が響き、薄く湯気が漂って温かい。
「よし、俺たちもサウナだな! 浦羽はサウナに通じているか?」
「這入ればいいだけじゃないんですか」
「その様子じゃあ初心者らしいな。俺が指南しよう」
決まった流れがあるようだ。文丈の云うことに従うようにする。
まず簡単に身体を洗う。次にタオルで全身の水分を拭き取る。サウナ室前に置いてあるウォーターサーバーで、水をたくさん飲んでおく。そして〈フィンランドサウナ〉と書かれたプレートが貼られた扉を開けて、中へ。
石の壁に囲まれた、四畳ほどの空間だ。丸太が組まれて、腰を下ろせるようになっている。壁には紐で束ねた木の枝がいくつも吊るしてある。
「良いにおいですね」
「ヴィヒタだ。サウナの定番だな。乾燥させた白樺で、スモーキーな香りを楽しめる」
「文丈さんは普段からサウナに行くんですか」
「週一で行く。芸術家だって身体のコンディションを整えていなくてはな、良い創作はできないと俺は考える。まあ座れ。それは十二分計だ。一回につき十分程度でいい」
想像していたよりもずっと暑い。慎重に呼吸しないと、鼻や喉を火傷しないか心配なほどだ。既に汗が滲み始めている。
「これで何度くらいなんですかね」
「おい! サウナでは余計なことを喋るな!」
「えっ、すいません」
それからは無言で、じっと座っていた。五分くらいで出たくなったが、また怒られたら嫌なので耐えた。全身をジリジリと焼かれ、滝のように汗が流れ出る。こんなに汗をかくのは何年ぶりだろう。ようやく十分が経って、文丈が「よし!」と云い立ち上がった。
サウナから出てすぐ横には、大理石でできた円形の水風呂がある。文丈は桶で水をすくって身体を流すと、水風呂に飛び込んだ。頭のてっぺんまで潜ってすぐに顔を出し、長髪を掻き上げながら「うはあ~~~!」と堪らなそうな声を発する。飛び込みはしないが、僕もそれに続いた。あまりの気持ち良さに言葉を失った。
「柔らかいだろう。崖下に水源があってな、地下天然水を汲み上げているんだよ」
「これは……すごいですね。気持ち良いです」
水が本当に柔らかい。熱された全身に染み入り、一体になっていくような心地がする。
一、二分で水風呂を出ると、次は窓の下に置かれたベンチに移動した。窓は開いていて、流れ込む外気が身体を撫でる。座った途端、心地よい虚脱感が訪れた。
「クールダウンして、ワンセット完了だ。これを三回繰り返せば、完全にととのう」
「へえ。良さが分かりましたよ。最高のリフレッシュですね」
まるで身体の芯から洗い替えられたようだ。千鶴の『産まれたばかりみたい』という感想も頷ける。急激な体温変化は、身体に悪い気がしなくもないけれど。
「これで新しい着想を得られると良いんだがな。俺は絵描きだが、スランプ中でね」
「そうなんですか」
「二ヶ月も続いている。描いてみても、全然駄目だと思って破くばかりだ。普段の環境から離れて自分の創作を見詰め直すため、此処に来たんだよ」
「どんな絵を描くんですか」
「スランプ中だと云ってるだろ!」
「えっ、すいません」
スランプになる前は、くらいの意味で訊いたのだが。
「そういうわけだから、絵描きだからと云って、俺に絵の話題は振るなという意図で話しているんだ。良いアイデアは得てして、別のことをしているときに湧く」
「ああ、散歩中とか、それこそ入浴中とか、よく聞きますね」
「うむ。きみたちもなにか、他に抱えている事件はないのか。滞在中、解決の糸口を不意に掴むかも知れないぞ」
あいにくと千鶴は事件を抱えたことがない……。
だが僕の方は思うところがあるので、「実は」と切り出した。
「小説を書きたいと思っているんです」
「そうなのか! 良いじゃないか。どんな内容だ?」
「千鶴の活躍を本にしたくて。だからミステリですね」
「ミステリか。緩やかも、書くのはミステリだと話していたな」
「そうだったんですか? へえ……」
じゃあ生きていれば、今頃は此処に並んでその話をできていたのだろうか。あるいは彼は秘密主義者とのことだから、そういう語らいは望めなかったかも分からないが。
サウナ、水風呂、ベンチを三セットやってから湯船に浸かって身体を洗い、僕らは浴場を出た。サウナ内を除いては、文丈は積極的に色んな話をしてくれた。たまにいきなり怒り出すけれど、当初の印象よりもずっと話しやすくて、良い人みたいだ。