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7「夏の夜を盛り上げるのは怪談」

    7


 死体と同じ部屋で食事か、とは思ったけれど黙っておいた。しかしフライドポテトの山が三分の二ほど片付いたころに沢子が、いま気付いたというふうに発言した。

「そういえば、大丈夫っすかね? この部屋でご飯食べて」

 視線が例の畳を向いているので、云わんとすることはみなが察しただろう。

「まあ、見えているわけじゃないからなあ……」

 (あご)をさする文丈に、香久耶が「くさいものに(ふた)ね」とコメントする。

「それは云い方が悪すぎるが……」

「部屋を変えたところで、同じ建物だってことは変わらないからね」

 千鶴は気にならないようだ。フォークにフライドポテトをいくつ刺せるか試している。

 僕も「位置も対角線上で、離れていますから」と補足してみたけれど、要らなかったかも知れない。一応、死体は広間の南西、食事で囲むローテーブルは北東に位置している。

「そうじゃなくて、祟りとか、障りとかないっすかね?」

「緩やかの奴が化けて出ると云うのか?」

「あったとしても私たちより、殺した犯人の方に行くと思うけど?」

 十一本まで刺して限界と見たのか、千鶴はそれをケチャップにつけて口に運んだ。

 しかし香久耶が「どうかしら」と首を傾げる。

「あたしたちはいま、緩やかさんに食事を見せつけているようなものじゃない」

「それがどうしたんだ?」

「このポトフ、緩やかさんは食べられないのよ。殺した犯人と、矛先はどちらに向かうのかしらね。食べ物の恨みは、怖いと云うでしょう?」

 少しの間、沈黙が訪れた。

「……おい、香久耶。きみのボケはちょっと分かりづらいぞ」

「ボケてないわ。まだこんなに若いんだから」

「ほらまた! それがボケてるだろ!」

 文丈は我慢ならないといった様子で立ち上がる。

「もしかして、これがポトフだってのもボケなのか?」

「だから、あたしにとってはこれがポトフよ」

「畜生! 飄々と、すっとぼけやがる!」

 そこに沢子も「ぼけやがる、俺はやる、声枯らす、燃え上がる!」と韻を踏んで参戦する。気掛かりはもう解消したようだ。

 僕はなんとも云えない気持ちになった。

 文丈がやっと腰を下ろしたのは、それから五分ほどやり取りを続けた後だった。彼は腕を組んで「しかし、いいかも知れないな」と云う。

「なにがっすか?」

「怪談だよ。夏の夜を盛り上げるには、こいつが鉄板じゃないか」

 緩やかに落涙が化けて出る云々(うんぬん)のくだりから思い付いたらしい。

 だが「持ちネタのひとつやふたつ、きみたちにもあるだろう?」と振られても、みなの反応はイマイチだった。「きみはどうだ、浦羽」と名指しされて、僕は考える。

「披露できるような話は特に……そうですね……」

 本音ではこの状況と能面の少年のことが頭にあって、さっきから気がそぞろなのだけれど、ひとつ思い付いた。

「昔、小学五、六年のときに、親戚のお姉さんと心霊スポットに行ったことはあります」

「ふむ。それで、なにか起きたのか?」

「よく憶えてないですが……どこかの森でした。車で行ったんですよ。親戚のお姉さんは姉妹で、姉の方が車を運転してくれて。心霊スポット自体は、まあ雰囲気はあったし怖かったと思いますけど、心霊現象みたいなことはなかったですね。ただ、帰りにファミレスに寄ったら、お姉さん二人と僕で計三人でしたけど、店員が水を四人分だしてきました」

「わっ」と沢子が声を出した。

「霊が憑いてきちゃったんすか?」

「ただの偶然だったんだと思いますけど。その後、なにか事故に遭ったりとかもなかったですし。すいません、大した話じゃなくて」

「いいや、気味が悪いのは確かだ。一発目としては良い感じだぞ」

 文丈は満足そうに(うなづ)いて、次に「宮代はどうだ?」と振る。

 千鶴こそ怪談なんて無縁だろうと思ったが、彼女は「あるよ」と返事した。

「本当か? お前からそういう系の話なんて聞いたことがないぞ」

「んー、話してなかったっけ? いま住んでるマンションでの話だけど」

「ないよ。え、いつの話?」

「去年の、十月くらいだったかな。ゲームしててお腹減ったから、私ひとりでコンビニに食べるもの買いに行ったの。零時は回ってたね。それでマンションに戻って、一階でエレベーターに乗るでしょ? そのとき、私に続くように女の子がひとり乗ってきたの」

 千鶴はやや斜め上の方を見ながら、淡々と話していく。

「小学校の高学年くらいだったんじゃないかな。なんか、ランドセルを背負ってた気がするんだよねー。リュックだったかも知れないけど、まあ身体も小さかったからさ。髪を三つ編みにしてる子で。顔は憶えてない。俯いてて見えなかったかも」

「しかし、深夜の話なのだろう? そんな子がひとりで出歩いているのは奇妙だ」

「うん。私もそう思ったけど、話し掛けたりはしなかったね。で、私は十八階のボタンを押して、扉のすぐ横に立ってたの。女の子もどこかの階。憶えてないけど、たしか十階くらいを押したんだよ。私より下だった。押した後は私の後ろに立ったから、姿は見えなくなったんだよね」

 みな、じっと聞き入っている。沢子なんかは胸の前で両手をぎゅっと握っている。

 僕は毎日使っているエレベーターなので、より明確にその光景を想像できてしまう。

「扉が閉まって、エレベーターが動き始めた。私はぼーっとパネルの階数表示が上がっていくのを見てたんだけど、途中で、全然止まらないことに気付いたの。女の子が押したボタンの階を過ぎてたんだよ。それで振り返ったら、女の子がいなくなってた」

「えっ」

「それにね、ボタンを確かめると、十九階だけが光ってるの。私が押した十八階は光ってなくて、十九階だけが押されているんだよ。階数表示は十六とか十七まできてて。私は十八階のボタンを押して、そしたら間に合って十八階で扉が開いたから、そこで降りた」

 千鶴は記憶を確かめるかのように、自分で一度頷いた。

「そ、その後はどうなったんすか?」

「普通に自分の部屋に帰ったよ。アイス食べてゲームの続きした。ああ、道雄はもう寝てたかもね。起きてたら話してたはずだから」

「いや、次の日とかに話してくれよ」

「こわー……めちゃ怖いじゃないっすかー……」

 沢子が両腕をさする。文丈も「スーーッ」と大きく息を吸った。

「もし気付かずに十九階まで行っていたら、どうなっていたんだろうな?」

「あー怖い! 怖いっす!」

 僕は「待ってくれ」と云う。自分の住居のことだし、このままでは終われない。

「本当に心霊体験じゃないか。どういうトリックなんだ、それは」

「おい浦羽、これは怪談だぞ。マジシャンにタネを訊くような野暮はよせ」

「そうですけど……千鶴は探偵でもありますからね。やっぱり謎は解かないと」

 云った後で、さすがに無理矢理な理屈かと思ったが。

「まあ、ぼーっとしてただけだと思うよ。単純に。女の子が降りたのに気付いてなくて、ボタンも押し間違えてたんじゃない?」

「ストップ、ストップだ、宮代。それに深夜に小学生がひとりでエレベーターに乗ってきたことは奇妙に変わりないだろう? 良い調子じゃないか。よし、次は沢子だな」

「うちっすか? うーん……」

 唇を尖らせて唸る沢子。

「怪談……大胆な、猥談じゃ駄目っすか?」

「なんでだよ。大体なわいだ……韻を踏みたいだけだろ!」

「心霊とかじゃないっすけど、子どものころに不思議なことがありましたねー」

 彼女は少し嫌そうな顔をしてから、話し始めた。

「ほんと、小学校一年とかそのくらいっすよ。お家のリビングで、テレビを見てたんです。ママは二階で洗濯物を畳むかなにかしてて、リビングにはうちひとりでした。なんか、子ども番組だったと思うんすよね。お爺ちゃんがいて、周りにうちよりも小さいくらいの子どもがたくさん映ってて、遊んでたんですけど……急に、それまで優しそうに笑ってたお爺ちゃんが真顔になって、映像が全然、動かなくなったんすよ」

「テレビが止まったということか?」

「そういうわけじゃなかったと思うんです。完全に停止してるんじゃなくて。映ってるのはお爺ちゃんの横顔だけで、そのお爺ちゃんが黙っちゃってるんですよね。でも、子どもの声もしてなくて。すっごく静かだったんすよ。それが何秒か続いて、なんか変だなーって思って見てました。そしたらお爺ちゃんがゆっくりと、こっちを向いたんです。うちと目が合って。それで真顔のまま……『分からないの?』って訊いてきて」

 鳥肌が立った。

 沢子は眉間に皺を寄せて続ける。

「うちはすっごく怖くなって、二階のママのところに行きました。ママはちゃんといました。ママにしがみ付いて、ずっと離れないようにしてました。それがいまでも忘れられないっすねー……」

 話はそこまでのようなので、僕はすかさず「怖いですね」と口にした。

「個人的には、心霊よりもそういう話の方がゾッとするかも知れません……」

「小さなころの体験というのもな。自分の力がまだ弱いぶん、くるものがあるよな」

「そうなんすよ。言葉は『分からないの?』じゃなかったかもですけど、とにかくそんな感じで、意味が分からなくて不気味だったんです」

「だいぶ場が温まって――いや、冷えてきたな。良い感じに。次は香久耶だ」

 しかし香久耶は「ないわ」と即答だった。

「霊感とかないのよ。体験したこともないし、聞いた話もない」

 なんだか機嫌が悪そうだ。先ほどから口数も少ない。

 文丈もそれ以上は要求しなかった。「じゃあ俺だな。最後は」と云って、手を両膝に乗せて身を乗り出すと、普段よりも声のトーンを低めて話し始める。

「これはネット上で出回っている話だ。どの事件のことなのか、いつ、どこで起きたことなのかというのは分からない。いくつか噂はあるが、どれも証拠には(とぼ)しくてな。どこかのコテージに泊まった、若い男女の話なんだが……」

 怪談を話そうと云い出した本人だけあって、話し方もそれっぽい。

「女はひとりで、他は男だった。そして酷い話だが、男たちは其処で女に乱暴をしたんだ。はじめからそういう目的だったのか、急にやりたくなったのか。しかも乱暴した後で、女が逃げ出さないように、片方の足に足枷を嵌めた。監禁状態だよ。乱暴は一度で終わらず、それからも続いた。相当に酷い内容だったのだろう。女が逃げ出すためにやったことが、それを物語っている」

 彼の表情が痛切そうに歪んだ。

「女は食事だけは与えられていた。そのときに一緒に出されたフォークで、男たちがいない間に――はじめは足枷の、鎖の方を壊そうとしただろうな。しかしできなかった。だから自分の足の肉を削ったんだ。激痛に耐えて、血だらけになって、やっと足枷から抜けるまで肉を削った。その足を引きずって、あるいは這うようにしてか、女はコテージから脱出しようとした」

 そこで少しの間があけられた。

「結果は、駄目だった。女は脱出できなかった。玄関の前で捕まったんだ。足の肉を削ってまで逃げようとした女の姿を見て、男たちはまずいと思ったのだろう。遊びでは済まされなくなったと(さと)った。男たちは女を殺して、死体を遺棄した」

「ちょっと」と、香久耶が口を挟んだ。

「それ、怪談じゃないわ。嫌な話じゃないの」

「悪いな。だが、俺がこの話をしたのには理由があるんだよ」

 文丈はぐいっと、さらに身を乗り出した。

「そのコテージというのは、此処なんじゃないか?」

 いやいや……と僕は思う。

 沢子も「なんで、そう思うんですか」と訊ねる。

「この話を知ったときから、少し引っ掛かっていたんだよ。どうして女は、玄関の前で捕まったんだろう? 脱出するなら、窓から出て行くことだってできるし、その方が早くて、男たちに見つかる危険性も低かったはずだ」

 そこで、僕らも気が付いた。

 文丈は首を縦に振る。

「この〈くりえいてぃ部〉は、全部の窓に鉄格子が嵌っているからな」

 その言葉に、場は静まり返ってしまった。

 締めくくりに、文丈はニヤリと笑う。

「此処で霊が出るとしたら、緩やかの奴よりも、その女の方かも知れない。床を這うような音が聞こえたときには、要注意ということだ……」

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