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5「世にも奇妙な悪夢の始まり」

    5


「外じゃないっすかー?」

「なにしにだよ。緩やかは、無暗(むやみ)に蚊に刺されるリスクを冒さない。沢子もデング熱は聞いたことがあるだろ。蚊だからと云って軽視できないことを、あいつはよく知っている!」

 文丈はベレー帽を脱ぎ、苛立たしげに頭を掻きむしる。

「ぶんじょーさん」と千鶴が口を開いた。

「クローゼットとか、ベッドの下とか、そういうところまで探したんじゃないでしょ?」

「探したさ。狭い場所に挟まっているのが好きな人間もいるからな」

「だけど、どう見たって人が隠れられないような抽斗(ひきだし)とか鞄の中は別だよね?」

「そりゃあな!」

「身体を切断してバラバラに隠されたら、その捜索では見つけられないね」

「な――なにを云っているんだ?」

 パンパンと、手を叩く千鶴。注目を集めたいときによくやる仕草だ。

「伏せていてごめんだけど、私――宮代千鶴は探偵なの。落涙さんから依頼を受けました。落涙さんは、此処にいる人たちに命を狙われていると話していたよ」

「なんだってえ!」

 文丈は畳の上にひっくり返った。

 沢子も驚きの表情で後ずさりながら、「探偵!」と叫ぶ。

 香久耶は相変わらず、遠くから僕をぼんやりと見詰めている。

「もちろん、決まったわけじゃないけど。私たちとしてはまず、依頼人の安否を確かめないとね。道雄、屋敷内を調べてきて。私はここで他の人たちを見張るよ。いま挙げた可能性が図星だった場合、バラバラ死体を回収されたら面倒だから」

「ま――待て。いきなり来て、そんな勝手に――」

 抗議しようとする文丈に、千鶴は「よく考えて」と返す。

「事が起こっていた場合、抵抗することは貴方の立場を悪くするよ?」

「うう……一理あるが……」

「一理あるなら! ぶんじょー、気になるから、調べてもらいましょーよ。うちら、やましいことなんてないっすもん!」

 沢子が訴えた。文丈は(うな)りながら顎をさする。

「そうだなあ……それでいいか……。香久耶、きみも異論ないか?」

 問われた香久耶は、手でどうぞと示した。

 決まりだ。相変わらず展開が早いが、僕は千鶴の指示に従うだけである。

 さっそく調べに出て行こうとすると、千鶴に手招きされた。傍まで行くと、彼女は背伸びして僕に耳打ちする。

「気を付けてね。誰か潜んでいるかも知れないから」

「どういうことだ……?」

「落涙さんは自分を狙っているのが誰か分かっていなかった。それらしき痕跡に気付いただけだったのかも。とすると、外部からの侵入者という可能性もあるわけだよ」

 なるほど。しかし緩やかに落涙は、本当に殺害されているのだろうか? まだ文丈がざっと見て回っただけだし、そもそもアイデアが盗まれるとか云っていたのも素人の自惚れた勘違いじゃないかと思っていたのだが……。

 南の扉から出た僕は、まず一階の部屋を見て回った。ロッカー、洗面所、洗濯室、大倉庫、喫煙室、機械室、娯楽室。どこも奇妙な趣向が凝らされているけれど、物陰や戸棚、抽斗の中まで注意しても、千鶴が云ったようなバラバラ死体は見つからない。

 階段で二階に上がり、文丈が使っているという南の客室、美術室、トイレ、図書室と見ていき、最後に緩やかに落涙が使っているという北の客室に這入る。

 この部屋はメリーゴーランドだ。さすがに回転はしないようだが、中央に円形のベッドがあって、それを天井と床を繋ぐ棒で貫かれた色とりどりの木馬が囲んでいる。そのさらに周りにはファンシーなデザインの収納や机、冷蔵庫なんかがある。

 僕は奥に置かれた箪笥の戸を開ける。なにも収まっていない。段々と緊張感が薄れてきた。バラバラ死体とか侵入者とか、ちょっと突飛すぎやしないだろうか。

「メリーゴーランドということは、永遠に追いつけない」

「え?」

 どこからか、明らかに人の声がした。妙に高い声が。

 驚きと恐怖。慌てて周囲を見回す。

「誰ですか……?」

「早く帰った方がいい。追いつけなくても、逃げることはできる」

 プシュー、プシューとなにかを噴射する音が続く。

 そしてベッドのふちから、ぬうっと、真っ白な顔が上半分だけ現れた。

 能面だ。くり抜かれた不気味な両目がこちらを見ている。硬直してしまう僕。

「今なら、まだ間に合う。でないと後悔することになるよ」

「ら、落涙さん、ですか?」

「落涙は死んだ。ボクは本当のことしか云わない」

 相手が立ち上がった。小柄で、浴衣を着ている少年だ。能面を少し上にずらすと、露わになった口元に、手に持っているスプレー缶をあてる。プシュー、プシュー。

「きみは誰? どうして此処にいるんだ」

「魂の牢獄なんだ。この〈くりえいてぃ部〉は」

 馬鹿にしたような甲高い声。ヘリウムガスを吸引しながら喋っているのだ。不釣り合いに大きなリュックサックを背負っているが、そこからもスプレー缶がはみ出している。

「その窓を見て」

 少年が指差した方に目を向ける。窓には鉄格子が嵌っている。他の部屋にある窓もすべてそうだった。魂の牢獄……?

 ドタドタと音がして振り返ると、少年が部屋を飛び出していくところだ。扉が閉まる。

 僕は急いで後を追うが、廊下に出ると既に少年の姿はない。いや――短時間の出来事だ。どこかの部屋に這入ったなら、その扉が閉まる音を聞いたはず。階段を下りて行ったのだろうか。しかし、階段を駆け下りても、一階の廊下に少年はいない。

 見失った。

 いまのは誰だ? 緩やかに落涙ではないのか? たしかに電話の横柄(おうへい)な態度とあの少年はイメージが違うけれど、声はヘリウムガスで変わっていた。しかし依頼してきた本人が逃げ隠れる意味が分からない。もし緩やかに落涙でないなら、定員を超えた五人目の滞在客だ。沢子、文丈、香久耶は彼を知らないか、それとも隠している……?

 おかしなことになってきた。これを小説にしたら映えるんじゃないだろうか。

 混乱しながらも、僕は同時に興奮を覚えて、広間に戻った。少年を探すためまた部屋を回ろうかとも思ったけれど、時間が掛かりすぎる。考えてみれば、どこかの部屋を探している間に、既に探した部屋に移動されたりしたら、かわされ続けることになる。

 みなは各自、籐椅子やソファーに腰掛けて待っていた。

「おかえり。誰か潜んでた?」

 千鶴にそう問われて、僕は言葉に詰まる。

 そうだ、思い出した。此処を出る際、彼女に耳打ちされたのだ。滞在客以外の共犯者が侵入している可能性があると。あの少年は、まさにそれなんじゃないか?

「道雄?」

「いや、誰もいなかったよ」

「えっ?」と、声を発したのは沢子だ。僕も思わず「え?」と返してしまう。

 少し間があって、文丈が「そりゃそうだろう!」と大声を出した。

「意気揚々と出て行って収穫なしとは! 拍子抜けだ!」

「そうっすよ。拍子抜け……だけど帽子脱げってね!」

「沢子! それは俺に云っているのか?」

 僕はうるさいくらい鳴っている自分の心音を意識する。

 千鶴はしかし、僕を怪しむ様子もなく「まあまあ」とみなを(なだ)めた。

「まだ半分だから。道雄、ごめんだけど、次は反対側よろしくね」

「ああ……」

 ドキドキしたまま、北の扉から広間を出る。

 嘘を吐いてしまった。咄嗟(とっさ)のことだ。あの少年のことを話したら、千鶴はもう事件を解決してしまう予感があった。気付いたときにはもう答えていた。誰もいなかったと。

 廊下を歩きながら、考える。嘘を吐いた理由は分かっている。

 予感は間違っていない。いくら僕にとって不思議な出来事でも、千鶴にとってはいとも簡単なのだ。これまでずっとそうだった。

 だが、それではいつまで経っても、彼女を小説にできない。

 あの少年のことを話さなければ、そのぶん解決が遅れる。苦戦までは至らず、つかの間の時間稼ぎにしかならないかも知れないが……とにかく、今までと同じようにしていては駄目なのだ。

 これはテコ入れだ。探偵・宮代千鶴にテコを入れる。僕がやらないと。だって、もったいなさ過ぎるじゃないか。奇抜な構造と遊びに満ちた〈くりえいてぃ部〉。消えた依頼人。風変わりな滞在客と、謎の少年。こんなに良い材料が揃っているのだから!

 納得がいった。大丈夫だ。少しくらい。まだ心拍数が落ち着いていないけれど、西側の部屋を回りながら、自分に云い聞かせる。そんなにドキドキするようなことじゃないだろうと……。

 トイレ、倉庫、食糧庫、調理室、喫煙室、洗面/脱衣所、浴場。引き返して階段を上がり、沢子が使っているという北の客室、音楽室、トイレ、衣装室、香久耶が使っているという南の客室。

 集中力を欠いていた感は否めないが、とはいえ見落としはないだろう。相変わらず奇妙な部屋ばかりなものの、たしかに緩やかに落涙はいない。少年のことはおいておくとして。そう云えば彼も『落涙は死んだ』と話していたけれど、死体はどこにもなかった。

 広間に戻った。報告を聞いて、「そら見たことか!」と文丈。

「緩やかが殺されているなんて、そんな馬鹿なことがあるはずない」

「じゃあ、落涙くんは外に出てるんすかね?」

「それも、考えにくいがな……。なにせ外には、蚊が飛んでいる!」

 僕は千鶴を見る。彼女に困っている様子はなく、「じゃあ」と口火を切った。

「あと探していないのは、この広間だけだね。沢子ちゃんがさっき云ってた、前まで外してあった畳というのは、どれのこと?」

 沢子は南西の畳を指し示した。「まさか、その下に緩やかがいると云うのか?」と(いぶか)しげな文丈。東側の壁に(もた)れている香久耶を除いて、みながその畳の周りに移動する。

 千鶴の指示を受けて、僕は畳の端についている紐を掴み、持ち上げた。思っていたより重量がある。畳の裏面が鉄板になっているのだ。

 そして畳の下が露わとなって、息を呑む。誰かは「あっ!」と声を上げる。

「落涙くん!」

 本当にいた。

 畳の下の空間には白い玉砂利が敷き詰められており、そこに坊主頭の男が埋まっていた。頭と肩と左腕だけが玉砂利の上に露出している。蒼白い顔。両目を閉じて、口は半開き。その首には細い縄がきつく巻かれている。

 畳のふちにかがんだ千鶴は、その右の瞼を指で開かせて瞳孔を確認した。それから口元に手をかざし、最後に左手首に指をあてて脈を測った。

「死んでるね。首を絞められて窒息死かな」

「おいおい! 嘘だろ! 嘘だと云ってくれ!」

「嘘だと云ったら、それが嘘になるけどいい?」

 文丈も沢子も絶句する。傍までやって来た香久耶も、死体を見て眉をひそめる。

「殺されたの……?」

「うん。首に巻かれた縄は、両手を使って両端を逆方向に引っ張らないと窒息しない。落涙さんが頑張ってそんな自殺をしたとしても、死んだ後に右腕が玉砂利の中に埋まることはないでしょ。誰かが絞殺して、ここに埋めて畳をかぶせたんだ」

 殺人事件は起きていた。僕らが到着したときには既に。

「畳の下に、形見の品のサラシの死体……」

 沢子が呟いたそのとき、どこからか轟音(ごうおん)が響いた。建物がビリビリと振動する。

「なんすか、いまの!」

「外だぞ! 雷が落ちたか?」

「ってより、爆発音だったよね」

 近くだった。無視できるような音ではなかった。

 今度はなんだ? 次から次に……。

 死体が逃げ出すことはない。緩やかに落涙のことは一旦そのままにして、僕らはみなで〈くりえいてぃ部〉の外に出た。星空の下、黒い煙がもうもうと立ち上がっている。

 対岸と繋がっていた吊り橋がなくなっていた。

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