40「君と映画」(終)
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救出された後はこってりと事情聴取を受け、夜になってようやく帰宅を許された。もっとも僕らは文丈たちに巻き込まれただけと説明したので、そう大したお咎めはなかった。
それでも、僕はずっと気分が悪くて堪らなかった。
嫌でも考えてしまう。想像してしまう。
緩やかに落涙は、本名を鈴乃ユウと名乗った。彼は前にも似た名前を口にしていた。たしか……鈴乃レイだ。広間で、よく分からない話を聞かされたじゃないか。
父親を殺して、どこかの家の隠し子を身代わりにして、自由になったとか。そして幼いころに父親と離婚した、母親のもとに向かったとか。
手に傷がある緩やかに落涙と、手に傷がない緩やかに落涙……。
『一度、映画の撮影だったと分かって、その後に映画じゃなく本当に殺人事件が起きてしまったとなって、それすらも実は映画だったとは、なかなか考え付かないよね?』
これも、同じことなのか?
一度、双子を疑って、それは違うとなって、やっぱり実は双子だったとは、なかなか考え付かないから……?
『もうひとつ、憶えておくといい。レイはね、ずっとベジタリアンなんだ』
『知ってるか? 肉を食う動物は、くさくて不味くなるんだ。だから食用の豚や牛には肉を食わせない。草とか果物だけを食わせる』
……僕は昨晩、なにを食わされたんだ?
……あのキャンプファイヤーは、なにを燃やしたんだ?
まさか。あり得ない。そんな残酷な。あるわけがない。
なにかの勘違いと、あとは妄想だ。現実と虚構の区別がつかなくなっているのだ。
「なあ千鶴」と、僕は帰りの車を運転しながら、助手席の彼女に話し掛ける。
「なあに?」
「この事件、というか映画の小説なんだけど……書かなくてもいいかな」
恐る恐る、訊ねたつもりだった。
しかし千鶴の答えはあっさりとしたものだった。
「いいよー」
僕はますます、わけが分からなくなる。
いや、すべては僕の妄想に過ぎない。過ぎないのだが、もしもこれが真相だったなら、千鶴はどうして、それに加担しているんだ? 彼女が気付いていないはずがないのだ。
『真の絆のためにそうなっているの』
『そして受け入れるなら、道雄はそのことを絶対に口にしたら駄目だよ』
受け入れるって?
真の絆って、なんのことだ?
これも聞き間違えか? 酔っていた僕の頭がつくり出した幻の記憶なのか?
僕が小説を書かなくても構わないなら、千鶴の目的はなんだったんだ?
今回、千鶴はなにを得た? なにが変わった?
すっかり夜中になって、高層マンションに帰り着く。地下の駐車場に車を停め、くたくたの身体でエレベーターに乗って十八階。通路を歩き、僕ら二人が暮らす部屋の中へ。
「道雄、なにか気になっていることでもあるの?」
靴を脱いだところで、そう訊ねられる。僕は「ないよ」と応える。
千鶴は今回、なにがしたかったんだ……?
千鶴は一体、なんのために…………?
「じゃあ道雄、私たちはもう結婚するんだからさ」
彼女は僕の手を引いて、微笑み掛ける。
「子どもつくろ」
『探偵・宮代千鶴にテコを入れる』終。
26歳の夏に書いた小説でした。