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39「燦々と照る真夏の太陽の下で」

    39


 翌日は昼過ぎになって起こされた。事態が急転直下の展開を迎えたのだ。

 滞在中の客人に連絡がつかないことを不審に思った管理会社の人間が様子を見にきて、橋が落ちていることに気付いたらしい。ただちに警察と消防に連絡がいき、このあと救助のヘリが来るという。

 二日酔いの頭に真夏の直射日光はきつい。それでも僕は千鶴に連れられて屋敷の外に出た。対岸に人がいるのを目にすると、急にここ数日の出来事が幻だったかのような奇妙な感覚に陥った。

 文丈、香久耶、沢子もみな出てきて、ヘリを待っている。救助とは云うが橋を爆破したのは自分たちであって、これからひどく叱られることだろう。殺人事件まで起きてしまったし、救助というよりも待つのは裁きか。

 とにかく、これで終わるのだ……。

 文丈はなにやら対岸の人とメガホンでやり取りしていたけれど、一旦済んだらしく引き返してきた。僕を見て「おう、浦羽。遅い起床だな」と笑う。彼が一番酔っ払っていたはずなのに、まったく残っている感じがしない。

「知ってるか? 肉を食う動物は、くさくて不味(まず)くなるんだ。だから食用の豚や牛には肉を食わせない。草とか果物だけを食わせる」

「知ってますけど……それがどうしたんです?」

 そのとき、後ろから肩に手を置かれた。反射的に振り返りつつ、頭の中では違和感に気付いている。僕の視界には千鶴も文丈も香久耶も沢子もいるのに、一体だれが――

「うわあっ?」

 弾き飛ばされたわけでもないのに僕は二歩三歩と後退して、文丈に受け止められた。

 そこに立っていたのは、緩やかに落涙だった。

「相変わらず、良いリアクションだね」

 坊主頭に、浴衣姿。爽やかな微笑を浮かべて、口には煙草を咥えている。

「えっ? ええ? どうして……」

 周囲を見回す。千鶴も、香久耶も、沢子も、笑顔で僕を見ている。誰も、緩やかに落涙が生きていることに驚いていない。背後で文丈が「カットおおおお!」と叫ぶ。

「騙されたな、浦羽。ここまですべてが脚本どおりだったんだよ!」

 え? それは、え?

 緩やかに落涙は「そういうことだよ」と云って、煙草の先にライターで点火した。吸い込んだ煙をフーッと吐き出して、また白い歯を見せる。

「一度、映画の撮影だったと分かって、その後に映画じゃなく本当に殺人事件が起きてしまったとなって、それすらも実は映画だったとは、なかなか考え付かないよね?」

 理解不能だ。

 全然、そういうことで混乱しているんじゃないのだ。

「落涙さんの――死体は、本物でしたよ。脈は止まっていました!」

「止まってなかったんだよ」と千鶴が云う。

 彼女は可笑しそうに、くすくすと笑いながら解説する。

「先入観を利用したの。有名な話があるでしょ? 熱した鉄の棒を見せてから目隠しをして、熱したのとは別の、まったく熱くない鉄の棒を腕に当てる。だけど思い込みで火傷(やけど)してしまうとか、なんとか」

「……えーっと?」

「脈がないと云われて、そのつもりで触ったから、気付かなかったんだよ。落涙さんは死んだふりをしていただけ。畳の下でも、階段の踊り場でもずっとね」

 納得できない。そんなはずはない。確かめたのだ。確かに脈はなかった。

 しかし、目の前の光景が否定する。うまそうに煙草を吸う、緩やかに落涙……。

「どうして、そんなことを……」

「そういう脚本だからに決まっているじゃないか。二転三転して、良いシナリオだろう?」

 文丈の声が耳元でうるさい。そういえば、いつまで支えてもらっているんだ。

 少しよろめきながらも、僕は自分の足で立つ。

「ごめんなさいね、道雄くん」と云って近づいてくるのは香久耶だ。

「全部、脚本だったのよ。細かいところは臨機応変に対応したけど、肝心なところは全部そう。私が貴方に恋していて、告白したのもそうなのよ」

「うちもです」と、遠くから沢子。

「ラッパーは、そういう役ですから。なるつもりはありませんよ。うちは役者です」

「騙してしまって、ごめんなさいね? だけど貴方のおかげで、良い映画になりそうだわ」

「おう、安心しろよ浦羽。録画・録音データも、全部ちゃんと残っているからな。撮れてない瞬間は一瞬もないぞ。そうだなあ……一ヶ月で編集しきるつもりだ。それまできみは、小説の方の執筆をよろしくな!」

 みな、物凄く楽しそうに笑っている。

 そんなに面白いのか? 僕が間抜けに、騙されて……。

「どうだい?」と、緩やかに落涙が訊ねてくる。

「はじめに電話で云ったよね。絶対にオレの実力を認めることになると」

 彼は吸いかけの煙草を地面に落とすと、草履で踏みつけた。

 それから僕のすぐ正面まで歩み寄ってくる。

「本当にご苦労様だったね。是非、握手をさせてほしい」

 いつかと同じ黒い革の手袋を嵌めていたが、左手のそれを外す。

「おっと失礼。まだ本名を名乗っていなかった。オレの本名は、鈴乃ユウだよ」

「鈴乃……?」

 差し出された左手を見て、ハッとする。

 フォークを刺した傷がない……。

 思考が停止した。その中で、浮かんでくる言葉があった。

『気付くんじゃなくて、気付かされるの』

『真の絆のためにそうなっているの』

『そして受け入れるなら、道雄はそのことを絶対に口にしたら駄目だよ』

『受け入れるならね』

 眠りに落ちる直前、千鶴が語って聞かせた言葉だ。まるでいま耳元で囁きかけられたかのように鮮明に蘇って、離れなくなる。

「どうしたんだい?」と問う緩やかに落涙に、

 僕は「いえ……」と、首を横に振るばかり。

 バタバタバタバタと、ヘリコプターの音が近づいてきた……。

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