37「宮代千鶴による解決編」
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「みんな、そのままでお願い。事件のこと話すから」
昼食というには遅く、夕食というには早いけれど、沢子がつくってくれたキッシュ、ポテトサラダ、クラムチャウダー、スイートポテトを食べ終えた後、千鶴はそう切り出した。
もっとも食事の前から僕がその準備をしていたのも見られていたため、一同はそうなることを察していたし、場にはどこか陰気な緊張感が続いていた。
「広間の録画データには、落涙さんを殺した犯人が屋敷の西側から東側に戻る姿が映っていなかった。だけど落涙さんが自殺だったなら、その実際の映像を残せばいいんだよね。そうしないで、広間の録画データからその結論を導かせるようになっているのは、それが犯人の狙いであって、実際にはそうじゃないってことだよ」
小説の探偵であれば、解決編になると急にもったいぶるというか、悠長になるというか、これまでのおさらいみたいなことを話し出す場合が多いが、千鶴はそうしない。必要最小限のことを、単刀直入に話していくだけだ。
文丈も、香久耶も、沢子も、ソファーに腰掛けたまま大人しく聞いている。文丈は千鶴に視線を向け、香久耶と沢子は自分の膝あたりを見ている。
これほど静かな解決編も珍しいかも知れない。その理由は、僕も既に千鶴から真相を聞かされているので、痛いほどよく分かってしまう。
「犯人はカメラに映らないようにして、屋敷の西側から東側に移動した。その方法がひとつだけあって、それができた人はひとりだけだ。ねえ道雄、例の図を見せて」
僕はソファーを立ち、食事の前に大倉庫から運んで広間の隅に置いていたホワイトボードを、みなの傍まで引っ張ってきた。ボードを半回転させると、千鶴の指示どおりに調査のうえ作成した図がある。
それは、この広間だ。六十畳が規則的に敷き詰められている。下に水が溜められている畳はグレーで塗った。さらに両端に並ぶ観葉植物の鉢にそれぞれ隠された二台のカメラが捉えている範囲も表した。
「私たちが今いる場所――食事の際に使用するローテーブルは右上にあって、Bのカメラに撮られているね。Bのカメラは北の扉も常に捉えているから、これに映らず広間を通過することはできない。屋敷の西側から東側に移動した犯人が、必ず映っているはずなんだ」
「だが、映っていなかったんだろう?」と文丈が訊ねる。
その声のトーンはしかし、疑問というよりも、先を促すためだけのように聞こえる。彼だけでなく、香久耶も沢子も、既に観念したかのような態度でいる。
「犯人の姿は映っていなかった。だけど犯人が隠れていたものは映っていたよ」
千鶴はローテーブルを挟んで、ホワイトボードとは反対側に今も置いてあるものを指差した。
調理室から食事を運んでくる際に使うワゴンだ。
「今朝の、朝食のときだよ。ぶんじょーさんが押してきたワゴンの中には、沢子ちゃんが隠れていたんだね?」
反応はない。驚きも、困惑も、すべてが底知れぬ悲哀に覆われて、表出することがない。
千鶴は淡々と話を続ける。
「昨晩、落涙さんが娯楽室を飛び出して向かった先は、沢子ちゃんのところだった。香久耶さんは娯楽室にいたし、ぶんじょーさんも自分の部屋でモニタリングしていたんだろうけど、沢子ちゃんが大倉庫で待機していたというのは嘘だね。沢子ちゃんは彼女の客室か、音楽室あたり――いずれにしても西側の二階で待機していたんだ。
これは推理というより想像になるけど、包丁を持っていたのは落涙さんの方だろうね。調理室に寄ってそれを手に入れてから、沢子さんのもとを訪れた。脚本が台無しになった落涙さんの怒りが、沢子さんに向いたのかな。二人は揉めて、その際に半ば事故のようなものだったんじゃないかと想像するけど、逆に落涙さんの方が沢子ちゃんに殺された。
ぶんじょーさんはそれをPCで見てたか、あるいは沢子ちゃんの方からぶんじょーさんに連絡して状況を伝える。このとき、殺人を隠蔽するという方針が決まった。そして考案されたのが、録画・録音データを利用して、誰にも落涙さんを殺すことはできなかったと思わせるアリバイ・トリックだ」
話がここまで及ぶと、僅かだが沢子に反応があった。前かがみになって、両手で口を押えたのだ。昨夜の出来事を思い出してしまったのだろう。
千鶴もそれを見て一瞬だけ話を中断したものの、問題ないと判断したようだ。コップの水を一口飲んでから再開する。
「ぶんじょーさんは香久耶さんを西側に帰らせずに、娯楽室に留めた。これで落涙さんが西側に行って以降、同じく西側にいたのは沢子ちゃんだけだ。沢子ちゃんをカメラに映らないように東側に移動させれば、容疑から外すことができる。
沢子ちゃんは調理室のワゴンの中に身を潜めた。ワゴンは板を差し込むことで段数とか間隔を調整できるようになっているから、自分が入れるスペースぶんだけ板を抜いたんだね。あとは上からカーテンを掛ければいい。
その後で、三時四十分――ぶんじょーさんは広間を除いて屋敷内の録画・録音データを削除した。以降、不審な物音が残らないように盗聴器はすべての接続を切って、カメラも東側だけは切断した。
もうひとつ、広間についても昨日のチャーハン対決から焼きカルボまでの記録は削除したね。これは、調理室で道雄と接触した後の沢子ちゃんが東側に移動していないことを隠すためだった。沢子ちゃんが東側に移動したタイミングは、落涙さんが殺害される以前の時間帯にあると思わせる必要があるからね」
沢子に続いて、香久耶の頭も段々と下がってきた。まるで説教を受けている最中の生徒みたいだ。文丈だけは腕を組み、胸は張らないまでも背筋を伸ばして聞いている。
「翌朝、ぶんじょーさんは調理室に行くため広間を南から北へ通過するのをカメラに映した時点で、アリバイが成立する。私と道雄も南から広間に現れてアリバイ成立。そこにぶんじょーさんが、沢子さんが隠れているワゴンに食事を乗せてやって来る。
ぶんじょーさんはあのとき、ワゴンをこの位置に置いた。左上の、Bのカメラに見切れる位置だね。ローテーブルからは離れている。そこから、沢子ちゃんの姿がカメラに映らず、私たちにも気付かれないように注意しながら、ゆっくりと一皿ずつローテーブルに運んだ。もったいぶる演出のように見えたけど、すべて必要に駆られてやっていたんだ。
料理を並べ終えると、今度は香久耶さんが南から広間に這入ってきた。これで香久耶さんのアリバイも成立。香久耶さんは二日酔いのふりをして、室内花火で私たちの注目を集めた。このとき、右端の観葉植物の方にふらふらと近づいていったよね。それによってAのカメラには数秒間、香久耶さんのお尻しか映っていなかった。
もちろん、わざとだ。カメラの前に立ったタイミングで発するセリフを決めておいたんだろうね。それを合図に、沢子ちゃんがワゴンから抜け出して、左端の、Bのカメラに映らない畳をめくって中に潜り込んだんだ。私と道雄は香久耶さんに気を取られていたから気付かなかった。畳と水面は少し離れているから、沢子ちゃんはそこに顔を出していれば溺れる心配はない。
香久耶さんの方はそこまで見届けるとAのカメラから離れて、中央の畳を外していた箇所から水中に落ちた。私は香久耶さんを浴場に連れて行くことになって、その間、道雄はぶんじょーさんを手伝って倉庫から持ってきた畳を中央に嵌め込んだね。これによって、沢子ちゃんは畳の下を左上から右下まで進めるようになった。水中を移動する姿がカメラに映らないで済むからだ。
さらにぶんじょーさんは、また道雄に手伝わせて、下が玉砂利になっているエリアの畳を取り外すと倉庫に運ばせたね。そうやって広間が無人となっている隙に、沢子ちゃんは右下の畳から出てきた。この畳だね。下が水になっている畳のうち、この一畳だけはAのカメラにもBのカメラにも映らない。南の扉もカメラの視界の外にある。そして道雄が戻ってくる前に、洗面所か洗濯室からタオルなりを持ってきて、畳の濡れた部分を拭いた。
これで沢子ちゃんはカメラに映ることなく、屋敷の西側から東側に移動できた。あとは自分の身体とか東側の廊下とかを拭いて、洗面所で髪を乾かしたりした後に、洗濯室にあった適当な衣服に着替えてそのまま待機。東側のカメラはすべて切断されているから、これらの様子は記録に残らない。道雄が洗濯室に来たときに姿を見せれば、東側にいることが証明されて、アリバイ成立となる。録画の記録上も、後で携帯を探しに行くのに広間を南から北へ抜ける姿を映したところで完了だ」
パン――と、千鶴は両手を鳴らした。
「以上が、合理的に導かれる唯一の真相だよ。落涙さんを殺害したのは沢子ちゃん。そのアリバイ工作に、ぶんじょーさんと香久耶さんが協力した」
解決編はそうして締め括られた。
だが劇的なものは到来しない。ひたすらに静かだ。
文丈が「ああ……」と、噛み締めるみたいに首を縦に振る。
沢子は頭を上げない。否定はもとより、釈明をするつもりもないらしい。
代わりに口を開いたのは香久耶だった。
「緩やかくんは、沢子さんに乱暴したのよ」
「香久耶!」と文丈が止める。彼は千鶴と僕に対して説明する。
「香久耶はなにも知らなかったんだ。アリバイ工作のために水に落ちてもらったりしたのも映画的な演出としか話していなかった。事情を話したのはすべて済んだ後のことで――」
「はあ? ふざけないでっ」
今度は香久耶が文丈の話を遮った。
「あたしをかばおうとしてるの? なら結構よ。あたしは全部を知ったうえで協力したの。だって沢子さんは悪くないわ。緩やかくんが、殺されて当然の下種だったのよ!」
彼女は我慢できない様子でソファーから立ち上がった。
「あいつ、自分の思いどおりにいかないからって、勝手にキレて、沢子さんで憂さ晴らししたくなったんだわ。沢子さんが一番、大人しい性格だから。包丁で脅して、部屋のカメラと盗聴器を取り外させて、乱暴したんだって。クソ野郎よ!」
「それで、抵抗する際に刺してしまったの?」と千鶴が問う。
すると沢子が首を横に振った。両手で口を押えたまま。
「違います。そんな、はずみとか、間違ってとかじゃなくて。うち……行為が終わって、出て行った落涙さんを、追いかけて……包丁、忘れて行ってたから……それで……」
「沢子! 説明しなくていい。きみは悪くないんだ!」
文丈に続いて香久耶も「そうよ!」と云い、すすり泣く沢子の頭を抱いた。
「そんなことをされたら、パニックになって当然なの。あいつを殺したのは、あいつ自身なのよ。貴女が罪の意識を感じる必要なんて、ないのよ。絶対にい~……」
香久耶まで泣き出してしまった。
文丈が、赤くなった両目を再び僕らに向ける。両手は自分の膝を握っている。
「俺たちがやったことは認める。だが沢子は…………」
その後は、続かなくなってしまったようだ。
千鶴は彼女にしては幾分か思いやりの籠った声で応えた。
「私が知ってる、優秀な弁護士を紹介するよ。正当防衛に持ち込むのは難しそうだけど、情状酌量の余地は充分にあると思うから」
抱き合って泣く沢子と香久耶。俯いて、じっと涙を堪える文丈。
僕は遣り切れない気持ちになった。
いつもは千鶴が即座に事件を解決してしまうから、被害者も犯人もほとんど知らない人たちだった。しかし文丈、香久耶、沢子とはこの数日間を共に過ごしてきたのだ。
はじめて、現実の事件というものを知った気がする。




