4「くりえいてぃ部の滞在客たち」
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『日々の喧騒を離れ、大自然のなかで創作に没頭しませんか? 様々な業界のクリエイティブな人々との共同生活から、必ずや未知のインスピレーションを得られるでしょう』
遊栗山のコテージ〈くりえいてぃ部〉は、ホームページでそんな文句を謳っている。完全予約制。滞在期間は六日間ごとに区切られ、定員はひとつの期間につき四人。個人での利用に限定されており、行ってみるまで他の三人が誰かは分からない。ただ内容は問わず、クリエイティブな活動をしている人であることが条件だ。そして初対面同士で約一週間の共同生活を送ることになる。
「怪しいシステムだな。トラブルが起きて当然って云うか」
「そうだねえ。ハプニングバーと同じだよね、趣向としては」
「うん? そう……?」
怪しいといえば、依頼人の緩やかに落涙もそうだ。ネットで検索してもヒットしない。嘘を吐いているか、あるいはアマチュア作家だろう。
「アマチュア作家を馬鹿にできないんじゃない、道雄は」
「そうだけど、アマチュアのくせにアイデアが盗まれるとか云って探偵に依頼してくるのは、お騒がせって云うか……妄想だった場合、報酬はどうするんだ?」
「もらうよ。スパイなんていないと証明できれば、それでも不安は取り除かれるからね」
「それって悪魔の証明じゃないか?」
「結局は依頼人を納得させればいい話でしょ。世界には神様を信じる人が大勢いる。悪魔だって難しくないと思うけど?」
そんな会話をしながら運転し、遊栗山に着いたのが二十時過ぎ。中腹で『くりえいてぃ部はこちら』の看板を目印に横道に入り、しばらく進むと小さな駐車場があった。
「くう~。疲れたあ」
車を降りて身体を伸ばす千鶴。
「お前はゲームしてただけだろ」
僕には帰りの運転もある。千鶴は例によって超速で解決するに違いないが、家に着くのは日付が変わった後になりそうだ。運転手も楽ではない。
「はいはい、道雄もお疲れ様。結構涼しいね」
「八月とはいっても夜の山だからな」
千鶴は半袖ブラウスに膝丈のプリーツスカートという格好だ。まあ登山に来たわけじゃないので問題ないだろう。ボストン型の眼鏡を掛け、髪はいつもどおり耳の下で二つ結びにしている。童顔で肌が白くて、高校くらいから全然、見た目が変わらない。
〈くりえいてぃ部〉までは、駐車場から少し歩く必要がある。看板の案内に沿って、木々に挟まれた小路へ。駐車場までは街灯があったけれど、この小路は真っ暗だ。舗装もされていない。携帯のライトを使いながら五分ほど進むと、切り立った崖に出た。
二十メートルはある対岸まで吊り橋が掛かっており、月明かりで照らされている。対岸には、二階建ての屋敷が見えている。四方が崖となって、アクセスはこの橋だけのようだ。
「あれが〈くりえいてぃ部〉だな」
「うわ、馬鹿だあ。地震とか超こわいじゃん」
たしかに余程の物好きでないと、あんなところに建てないだろう。橋も車は通れそうになく、建設にかなり苦労しただろうと思われる。
千鶴の〈ロンドン橋落ちた〉の鼻歌を聴きながら橋を渡り終え、正面にある南向きの玄関まで行ってチャイムを鳴らす。少し待つと、玄関扉が開いて女の子が顔を出した。
「うぇ~い。あんたら誰っすか?」
おちゃらけた笑みから、歯科矯正用のワイヤーが覗いている。橙色に染めた髪。白Tシャツの上にはミリタリーシャツを羽織っているが、明らかにサイズが大きい。下はジーンズとスニーカーだ。
「こんばんは。僕たち、緩やかに落涙さんに――」
「食うからにはくるみパン!」
「え?」
言葉を遮られて、妙なことを云われた。
「なんですか? くるみパンが――」
「すぐにサンバ! 売るミサンガ!」
女の子は得意そうな顔で見上げてくる。
「ライム読みっすよ。あんたが踏もうとした韻を先読みしたんです」
「ええ……?」
困惑していると、隣の千鶴が「なるほどねえ」と手を打つ。
「母音だよ、道雄。緩やかに落涙さん――ううああいあうういあん――食うからにはくるみパン。ぴったり揃ってる」
「うぇ~い」と、女の子が嬉しそうに千鶴を指差した。
「そういうこと。うちは沢子すくらむ。ラッパーやってます」
「ああ。ライムって、韻のことですか……」
くるみパンが――うういあんあ――すぐにサンバ――売るミサンガ。
それは分かったけれど、僕は韻を踏もうとして喋っていたのではない。
「僕は浦羽といいます。彼女は宮代千鶴で――」
「見舞いのミルク! 気合を見るう!」
「ライム読みやめてください。僕たち、緩やかに落涙さんに呼ばれて来たんです」
「なーんだ。落涙くんのホーミーっすか? どーぞ、どーぞ」
土足OKらしく、マットで靴底を拭いてそのまま上がる。二階まで吹き抜けの廊下で、天井では等間隔につけられたプロペラが回転している。しばらく進んで突き当たりの扉を開けると、五、六十畳はある広間に這入った。
ここも二階分の高さがあり、天井にはシャンデリアが輝いている。だが床は畳敷きだ。両端には観葉植物の鉢が並べられ、そのほかテーブルや籐椅子、ソファーなど、和とも洋ともつかない不思議な空間である。
「きみたち、誰だ!」
右奥のソファーに腰掛けている若い男が僕らに気付いた。背中で縛った長髪に緑色のベレー帽を被り、着ているスモックは絵具で汚れている。見るからに画家だ。
「落涙くんのホーミーらしいっす」
「緩やかの?」
落涙呼びと緩やか呼びに分かれるようだ。僕は前者に決める。
「落涙さんに呼ばれて来ました。宮代千鶴と、僕は浦羽です」
「きみたち、管理人の許可は取っているのか?」
「取ってないです」
「それは問題じゃないのか! 〈くりえいてぃ部〉のルール上!」
「ホードン、ホードン。堅いことはいいじゃないっすかー、ぶんじょー」
沢子が男を指差して、僕らに振り向く。
「あいつ、ぶんじょー。描くのは絵画でノット文章」
「フミタケだよ。交文丈。どうでもいいそんなことは! 其処で待っていてくれ。緩やかを呼んでくる。これは由々しき事態だぞ!」
文丈は大股歩きで隣を通り過ぎ、僕らが這入ってきた扉から出て行った。沢子が「あいつ騒がしいでしょ?」と笑う。
「滞在客は四人だよね。沢子さん、文丈さん、落涙さんと、もうひとりはどんな人?」
「ポエマーの美鳥ちゃんっす。うちもリリック書くから交われるかと思ったんすけど、これが全然。美鳥ちゃんは、ウェットに富んでる感じなんで」
「ウィットじゃなくて?」
「ウェットっす。じめーって、湿ってるんすよ」
僕は広間の中央まで進む。二畳分だけ床が抜けており、下に水が張られている。ふちにかがんで手を入れてみると冷水だ。千鶴も傍までやって来た。
「面白いじゃん。全部の畳が自由に外せるのかな?」
彼女に示されて見ると、どの畳にも両端に紐がついており、持ち上げてくださいと云わんばかりだ。沢子も「そーっす、そーっす」と肯定する。
「この部屋には床がないんすよ。枠が組んであって、そこに畳が乗ってるだけなんです」
二畳分だけ外されている箇所も、水上にT字を逆さにした鉄製の枠が通っており、畳を嵌め込めるようになっている。
「じゃあ、この部屋の下には、一帯に水が張られているんですか?」
「水は左奥から右手前まで、斜めになってます。川みたく。あっちとそっちは水じゃなくて、玉砂利っすね。隣の倉庫に岩とか灯篭とか仕舞ってあって、自由に置けます。てか、玉砂利のとこも畳はずしてあったんすけどねー。ぶんじょーが塞いだんすかね」
これがクリエイティブな趣向なのだろうか。よく分からない。
しばらくすると、文丈が戻ってきた。「いないぞ、緩やかの奴。風呂か?」と云って、今度は奥の扉から出て行った。
「どうなってんの、この建物の間取りは」
「ホームページに載ってたぞ」
僕はポケットから携帯を取り出して、しかし圏外になっていると気付く。いまどき圏外なんてあるのかと驚いていると、沢子が「おかしいっすねー」と首を傾げた。
「うちもっす。こんな圏外は想定外ってゆーか、いままで普通に使えてたんすけど」
「じゃあ一時的なものか……」
「けどモーマンタイっす。館内図なら、画像で保存してあります」
デバイス同士の通信で、沢子から千鶴と僕の携帯にそれぞれ間取りを送ってもらった。
〈くりえいてぃ部〉は一階、二階ともに東側と西側で区画が分かれており、一階の中央にあるこの広間を経由しなければ行き来することができない。文丈が手前の扉から出て行って戻ってきて奥の扉から出て行ったのも、そういうわけだ。
この奇妙な構造はミステリ小説を思わせてなかなか魅力的なのだが、千鶴が探偵をする以上はどうせ無駄か……。
諦めの気持ちでいると、奥の扉から赤いチャイナドレスを着た女性が這入ってきた。ふらふらとした足取りでこちらに向かってくる。
黒髪で、前下がりのボブカット。整った顔立ちをしているが、そういう化粧の仕方なこともあって、人形みたいな冷たい印象を与える。背が高く、僕と十センチほどしか変わらない。真正面で立ち止まり、眠そうな目で僕の顔を見上げた。
「あたし、香久耶美鳥よ」
「どうも、お邪魔してます。僕は浦羽で、彼女は宮代千鶴です」
だが香久耶は千鶴には一瞥もくれず、僕の顔を見詰め続ける。
「えっと……なにか?」
反応はない。
「ねえ、香久耶さん。視力が悪いの?」
千鶴が問い掛けた。香久耶もはじめて、横目で千鶴を見る。
「……どうして?」
「距離が近すぎるでしょ」
「貴女には近づかないわ。磁石の、同じ極同士みたいなもの」
香久耶は少し背伸びして、僕の耳元で「また後でね……」と囁いた。それから端に並んでいる観葉植物の方へ、ふらふらと歩いて行った。困惑する僕。
こんな協調性のなさそうな人ばかりで、まともな共同生活が送れているのだろうか?
「沢子さん、これでまともな共同生活――」
「王道で勝つ! 好奇心なら超旺盛な奴!」
送れてなさそうだ。
そこでまた奥の扉が開いて、文丈が戻ってきた。
「どういうことだ! 緩やかがどこにもいないぞ!」