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33「あまりにも完全なアリバイ」

    33


「面白いは正義だ」と文丈は云って、立ち上がった。

「きみが能面をかぶった男のことをみなに話さなくても、俺はアリだと思っていた。しかし緩やかはそれが気に食わない様子だった」

「自分の脚本が無視されているからですか?」

「そうだ。業を煮やしたあいつは、香久耶がきみを誘った夜の娯楽室できみを待ち受けた。そうすることは俺たちも聞いていた。俺と香久耶は、この客室でモニタリングしていたよ」

 文丈は後ろで両手を組み、周囲をぐるぐると歩き回りながら話す。

「緩やかはきみに素顔をさらした。ヘリウムガスを使うのもやめて、自分が緩やかに落涙だってことをきみに教えたわけだ。それがあいつの最終手段だった。だがきみは、やっぱり緩やかを霊とは思わなかった。双子なのか、とあいつに訊いたよな?」

「訊きました」

「これで緩やかの脚本は完全におじゃんだ。緩やかが双子だってのは映画のオチで、宮代がそう推理するはずだったのに、きみがいとも簡単に見破った格好になる。あいつは自暴自棄になった。きみが一番近くで見ていたとおりだ」

 そうだった。あのときに、緩やかに落涙が発した言葉……。

『面白くねえ。面白くねえ。台無しだ。テコ入れなんてことを考えなければ!』

 あれは、文丈たちのテコ入れに対して悪態をついていたのだ。

「緩やかの取り乱し方も面白い画ではあったが、あのまま放っておいても進展はなかっただろう。だから俺は香久耶を乱入させた。緩やかにとっても予想外の展開だ」

「そうだったんですか。でも……落涙さんはそれに対応できていましたよね? 香久耶さんは、落涙さんが見えないふりをしていましたけど」

「それも俺が香久耶に指示した。緩やかへの助け舟だよ。香久耶には見えないとなったら、霊かも知れないってなるだろう? 緩やかも俺の意図を察して、これに乗るしかなかった」

「なるほど。いや、あれには僕も本当に混乱しましたよ……」

「ははっ。あれは面白かったなあ」

 文丈は壁に取り付けられた突起に手だけを掛けながら、話を続ける。

「緩やかは激昂(げっこう)して娯楽室を飛び出した。以降のことは俺も知らない。きみまで娯楽室を出て自分の客室に戻っていったところで、俺もモニタリングをやめたんだ。それよりも次の、翌朝の展開を思い付いたから、それを香久耶に伝えるため娯楽室に行った」

「翌朝って云いますと……あの室内花火ですか?」

「うむ。香久耶がサウナで殺される展開はもとから脚本にあったが、どうして昼間に浴場に行ったのかといえば、単にシャワーでも浴びたくなったんだろうくらいの理由付けだった。しかし俺はこのときに思い付いたんだよ。きみに振られたショックでヤケ酒した香久耶が、翌朝に二日酔いで現れて広間の水に落ちたら面白いとな」

 それは面白い……のだろうか? よく分からない。

「室内花火は香久耶のアイデアだよ。とにかく香久耶にはあのまま娯楽室で寝てもらって、俺はこの客室に帰って寝た。で、翌朝だな」

「沢子さんは? その夜はどこで、なにをしていたんでしょう」

 緩やかに落涙は、その夜の間に殺害された。誰もが眠っていた間であり、録画・録音データも消されているならアリバイはないと思うけれど、確かめておくべき点だ。

「沢子はずっと一階の大倉庫で待機だったよ。ほら、調理室にいたきみに接触して、それから広間を通って東側に逃げてからずっとだ。きみが西側をいくら探しても見つからなかったよな?」

「そうでしたね。大倉庫にいたんですか」

「あそこには予備の布団もある。少し埃っぽいが、居心地は悪くなかったそうだぞ」

 証言のうえではみな、屋敷の東側にいたということだ。緩やかに落涙が殺されたのは西側の階段。誰かが嘘を吐いている……。

 僕は千鶴の方を見る。彼女は録画・録音データの分析を続けている。

 しかし、犯人が自分にとって不利になるそれを消去した以上、そこから発見は得られないかも知れない。その場合、どうやって犯人を特定したらいいのだろう?

 視線を戻すと、文丈が壁をよじ登り始めていた。

「香久耶が室内花火をやって落水してからは、そうだな、宮代に香久耶を浴場まで連れて行ってもらった。その際に、香久耶から宮代にその後の流れを説明してもらった。香久耶がサウナで汗を流している間――もちろん、このときは縛っていないぞ? 死んだふりとはいえ、多少は汗をかいて身体が火照(ほて)っていなくてはいけないからな。普通にサウナに入ってもらっていた」

「文丈さん、ボルダリングしながら話さなくてもいいんじゃないですか……?」

「心配するな。此処に来てから暇さえあればのぼっている。おかげで息が乱れなくなった」

 頭だけ振り向いて、微笑み掛けてきた。

 いや、どうしていまボルダリングするんですか。

「俺たちは朝食を終え、きみは洗濯室に行ったな。ここには沢子に潜んでいてもらった。ああ、しかし此処のカメラとの接続も切られていた気がするな。その場合、きみがどんなリアクションを見せてくれたのか、残っていないことになるが……」

「なんと云いますか、もはや僕をびっくりさせて、その反応を楽しむだけの映画になっていません?」

 それは映画と云えるのか?

「そうだなあ。予定していたミステリの筋書きは使えなくなった。こうなってしまうと、これがはじめから映画の撮影だったということを、劇中でネタばらしして収拾をつけるしかない。特に相談したわけではなかったが、宮代も同じように考えて、前の晩に緩やかや沢子が死んでいないという推理をきみに披露したらしいじゃないか」

 文丈の手は壁から天井の突起に移り、背中がほとんど床を向いている。

「だが、俺はそれだけじゃあ予定調和が過ぎると云うか、尻すぼみだと感じた。そこでさらにテコ入れとして考えたのが恋愛要素だよ。さいわい、香久耶はきみにアプローチをかけるキャラだ。これを使おうと決めた。そうして生まれたのが、あの崖の横穴にきみたちが追放される展開だ」

 さすがに足まで天井に移してしがみつくのは難儀と見えて、彼はそのまま壁と天井の境界あたりを平行に移動し始めた。

「沢子に撒かれたきみは広間に戻り、俺を追及し始めたな。俺はそれを誤魔化して、宮代が香久耶を呼んでくることになった。宮代はサウナ上がりの香久耶を縄で縛ると、サウナ室内にかるたを散らせた。この死に方は脚本でも予定されていたから、これらの道具は脱衣所内にはじめから隠してあったんだ」

「次に千鶴は、香久耶さんが死んでいると云って、僕を呼びに来ましたね」

「ああ。死んだふりをしている香久耶をきみに目撃させると早速、適当な理由をつけて崖を下りてもらった。殺人事件を装ったのも、これでいちおうの説明がつくわけだ。きみを騙して横穴への追放に繋げるため、俺と宮代が画策してみなに強要していたとすればいい」

「それは、どうでしょう……。そのためだけに、そんな回りくどい段取りが必要だったとは思えないですけど……」

 香久耶については脅してあそこまで下りさせたことにするのだから、僕に対してもそうすればよかったという話である。

「うむ。後付けだから、いくつか不整合は出てくるが。まあいいんだよ。結局はきみにこれが映画撮影だと看破させるため、ヒントの卒業アルバムだって与えただろう? そうやってオチをつける点は変わらないが、それよりも恋愛要素を前面に出そうとしたわけだ」

 そこで文丈は「ぐあー……」と妙な声を発した。

「さすがに喋りながらというのは、きついな!」

「下りていいですよ」

「結構だ。これが良いトレーニングになるんだよ」

 だから、いまトレーニングしなくたっていいでしょう……。

「きみを放置して、次は香久耶だ。縄やかるたと同じで、着替えと化粧道具も脱衣所に隠してあった。だからこのとき、香久耶は客室まで戻ることはなくて、緩やかの死体も見つからなかったんだ。香久耶が一時間かけて化粧を終えると、俺たちがきみのところまで下ろした。それからはこの客室でモニタリングしていたよ」

「ちょっといいですか? 確認したいんですけど」

「なんだ」

「文丈さんと千鶴がその、出来ているというのは、映画を盛り上げるための嘘だったんですよね?」

「そうだが。もしかして気にしていたのか?」

 壁と天井の境界から、文丈はからかうような顔で見下ろしてくる。

 僕は「いえ、ただの確認です」と答えつつも、自分が安心したのが分かった。

「ただし、香久耶は本気のようだぞ。役としてでなく、きみに惚れているらしい。本気すぎてあいつ、途中でカメラと盗聴器の電源を切ったからな」

「ああ、はい……」

「話を戻すが――もう終わりだな。さっきも説明したとおり、携帯が見当たらないという話になった。緩やかの姿も朝から見えないし、携帯がないから連絡も取れない。沢子が客室まで探しに行こうとして死体を発見。すぐにきみたちを引き上げに行ったんだ」

「ありがとうございます。ここまでの流れは分かりました」

 テコ入れに次ぐテコ入れ。それが数々の不整合を生み、混沌をつくり出していたのだ。

 しかしまだ、そもそもの部分で分からないことがある。

「なあ、千鶴はどうして――」と呼び掛けて、そういえば彼女はヘッドホンをしているのだと思い出す。だが彼女は「なあに?」と振り向き、ヘッドホンを外した。

「ああ、千鶴はどうして今回の話を受けたんだろうと思ってさ。映画に出るというのは、探偵の仕事とは違うだろ?」

「でもお金はもらえるし、まあいいかなーって。あとはほら、道雄が私のことを小説にしたいっていつも云っているからね。良い機会だと思っただけだよ」

 文丈が上から「宮代のアイデアだ」と補足する。

「映画にするだけじゃなくて、浦羽にこの事件を小説にさせようと、彼女が提案した」

「道雄には何度か話したよね。ゲームと同じだって。小説は面白くなるように工夫してつくられてるけど、現実はそうじゃない。だから道雄はいつまでも小説を書けない。でもぶんじょーさんの企画なら、つくられた事件、脚本のある事件が現実で起きるからね」

「じゃあ、話を受けたのは僕のためだったのか……?」

「そう云うと恩着せがましいけどね。道雄の意思は確認してないし」

 千鶴は肩をすくめるが、僕の胸のうちではジーンと感動が広がった。

 昨晩も思ったけれど、彼女は無視していたのではなく、ちゃんと考えてくれていたのだ。

 まあ、僕がしつこ過ぎたせいで、嫌でもそうなるというものかも知れないが……。

「ところで録画・録音データだけど、だいたい分かったよ」

 千鶴に手招きされて、僕は彼女のもとまで行く。文丈も「どれどれ」と云って、壁をボルダリングしながら近づいてくる。

 千鶴はPC内のメモに打ち込んだ文章を読み上げた。


 ○三時四十分以前の記録が残っているのは、広間だけ

 ○PCとの接続が切られた場所は、それ以降も録画・録音がされていない

 ○カメラの接続が切られたのは、屋敷の東側すべて

 ○盗聴器の接続は、広間も含めてすべて切られていた


 これだけ見てもよく分からない。僕は「つまり、どういうことだ?」と訊く。

「犯人はこのPCで、三時四十分までのデータを広間だけ残して削除した。だけど削除直後、PCから離れる姿が残ってしまうとまずいよね。だから自分を特定されないようにするため、一部のカメラは接続まで切っておいたんだ」

「それが、東側すべて……一階も二階もってことだよな?」

「うん。たとえば犯人がぶんじょーさんで、そのままこの客室で寝たとしても分からない。私か道雄が犯人で自分の客室に戻って寝たとしても分からない。香久耶さんが犯人で娯楽室に戻って寝たとしても分からない。沢子ちゃんが犯人で大倉庫に戻って寝たとしても分からない。この夜のみんなの行動が、まるきり分からないってことだよ」

 文丈が「忌々しい奴だ!」と叫んだ。

「自分を守るため、俺たちまで容疑者に巻き込んだということだろう?」

「そうだね。ていうか、なんでのぼってんの?」

「ああ、すまん」

 千鶴に云われると、文丈はすぐ床に下りた。

「盗聴器の接続は、どうして全部切られているんだろう?」

「念のため程度じゃないかな。録画データさえあれば、犯人にとっては事足りるからね。実はもうひとつあるんだよ」

 千鶴はメモに五点目を打ち込んだ。


 ○広間の記録も、昨日のチャーハン対決から焼きカルボまでは削除されている


 これも僕は「どういうことだ?」と訊ねる。

「書いたとおりだよ。理由は分かんない。だけど道雄の焼きカルボを食べて以降は、録画の方は一秒も欠けずに残っているんだ。どうして広間だけ、三時四十分以前で削除しなかったのか。こっちの理由なら分かるよ」

 千鶴はPCを操作する。広間の録画データを開いて、目的の時刻から再生。

「昨日の二十二時三十二分だよ。広間を南から北に通過する落涙さんが映ってる」

 本当だ。坊主頭にサラシ姿。大股歩きで、いかにも機嫌が悪そうである。

 僕と並んで画面を覗き込んでいる文丈が「これは……」と口を開く。

「娯楽室を飛び出した直後か? 二十二時半くらいだったよな」

「うん。落涙さんは屋敷の西側に移動して、以降は広間を通ってない。そのまま日付が変わって三時四十分までの間に、階段で殺されたんだね」

「ちょっと待ってくれ。頭がこんがらがってきた……」

 僕はメモ帳を開いて、録画・録音データの時系列を整理する。

「データが残っていない時間帯をグレーアウトすると、こういうことか?」


挿絵(By みてみん)


 千鶴は「そうそう」と頷いた。文丈も「おお、分かりやすいな!」と云う。

 そこで僕は「あれっ?」と思い付いた。

「じゃあ千鶴、誰が落涙さんを殺したのか、分かるんじゃないか? 落涙さんが二十二時半頃に西側に行って、それ以降の広間の映像はぜんぶ残っているんだろ? 犯人が西側に行って帰ってくる姿が映っているんじゃないか?」

 しかし千鶴から返ってきたのは、曖昧な笑みだった。

「それがねえ、映ってないんだよねえ」

「……え? なんで?」

「さあ? 二十二時三十二分から日付変わって三時四十分までの間、広間のカメラに映ったのは私と道雄だけだよ。二十三時十三分、ほら、畳の下に落涙さんの死体がないことを確かめに行ったでしょ? 南から這入って、南から出た。それだけだよ」

「でも、犯人は三時四十分にこの部屋で、録画・録音データを削除したり、接続を切ったりしたんだよな? それまでには東側に戻ってないと……いや、PCごと西側に持って行って操作したなら、それ以降に戻ることでもいいのか?」

「その場合、三時四十分以降は西側のカメラが復活してるから、映っちゃうはずだよ」

「そうか……」

 手帳の時系列をもう一度眺める。関係が複雑だ。

「ちなみに三時四十分以降、はじめて広間に現れるのはぶんじょーさんだよ。七時十六分、朝食をつくりに行くため南から北へと通過した。次は九時四十九分、私と道雄が南から這入ってきて、すぐにぶんじょーさんが朝食を運んできた。それから香久耶さんが、南から花火を持って現れた。その後、道雄は洗濯室で沢子ちゃんと会ったよね?」

「ああ……」

「つまり、落涙さんが西側で殺害された時刻以降、誰も西側から東側に移動するところを広間のカメラが捉えていないのに、全員が東側にいたことになるんだ」

 そんな馬鹿な。

 僕は考える。きっとなにか、考慮が洩れているはずだ。

 そうじゃないとおかしい……。

 文丈は「外を通ったんじゃないか?」と云う。だが千鶴は首を横に振る。

「説明してなかったけど、屋敷の外にあるカメラと盗聴器はデータ削除も切断もされていないんだよ。窓から誰かが鉄格子を取り外して出入りする姿は映ってない。複数のカメラが屋敷を取り囲んでいて、死角はないのにね」

「それじゃあ……」

「あと、広間は畳の下にも空間があるから、カメラに映らないようにそこを潜ったんじゃないかとも疑った。でも、カメラのうち一台はずーっと北の扉を映しているんだよね。畳の下をくぐっても、この扉は絶対に通らないといけないわけで」

 軽い調子で、両手を上げる千鶴。

「困っちゃったね。落涙さんが自殺だったとするなら、広間の映像とは矛盾しないけど。その場合は誰かが録画・録音データの削除や切断をおこなった理由が分からなくなる」

 彼女が謎を解けずに『困っちゃった』なんて云う姿を、はじめて目の当たりにした。

 まさか、こんなことが…………。

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