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31「くりえいてぃ部の殺人」

    31


 西側の階段の踊り場だった。

 緩やかに落涙は、二階へと上がる階段の下で仰向けになって伸びていた。

 僕が最後に見たときと同じサラシ姿で、ウィッグもつけていない。

 その左胸には、深々と突き刺さった包丁。

 眉間の皺。見開かれた両目。半開きの口。だらしなく垂れた舌。

 また騙そうとしているんじゃないか……そう疑っていたけれど、今度は違った。千鶴に促されて、僕も脈や呼吸の停止を確かめたのだ。

 本当に絶命している。ボールのトリックも使われていない。

「これは……事故じゃないんですよね?」

「俺は事故だと思いたいんだがな」

 文丈は両手を腰にあて、口をへの字にして死体を見下ろしている。

 隣の千鶴が肩をすくめて、喋り始める。

「まず、落涙さんは階段をここまで転げ落ちてきたと分かるよね。後頭部に大きなこぶと、腕とか脚にはあざができてる。それに血痕もあるから」

「ああ」

 包丁が栓となっているため、出血はそれほど酷くない。

 しかし二階からこの踊り場まで、階段には血が点々としている。

「そのうえで事故だって考えるなら、落涙さんが手に包丁を持って、階段を上がっていたとしようか。不自然な仮定だけどね。そして途中で足を滑らせて、転げ落ちる最中に包丁が左胸に刺さった。だけどその場合、血痕は途中から始まるはずだよ」

 僕は血痕を踏まないようにしながら階段を上がる。

「一番上の段から始まってるな」

「だから事故じゃない。階段の上で刺されて、それから転げ落ちたんだ」

「……自殺って考えるのも、難しいよな?」

「そうだね。左胸を自分で刺すことは可能だけど、他にも無視できない状況がある」

 千鶴は天井の角を指差した。

「そこに、カメラと盗聴器が埋め込んであるんだよ。階段と踊り場を俯瞰するように撮ってるけど、ぶんじょーさんのPC側の録画・録音データが消えてるんだって。今日の午前三時四十分までのデータがごっそりとね。残っている映像では既に落涙さんはこの状態で、事が起きたときの映像が確認できないってわけ」

「なにかの手違いで、保存できてなかったということ?」

「いいや、データは自動保存だ」と文丈が答える。

 彼はかなり参っている様子だ。重い溜息を吐いてから続ける。

「誰かが意図的に削除したとしか思えない。復元もできないんだよ。しかも、そこのカメラと盗聴器だけじゃない。ほとんどのデータが、同じく三時四十分以降しか残っていないんだ。PCとの接続を切られている場所もある。完全に無事だったのは、広間に仕掛けてあるやつらだけだ」

 僕は、階段の下、一階の廊下にいる香久耶と沢子に目を向ける。

 二人とも困惑顔で、落ち着きなく身体を左右に揺らしている。

「誰もそんなことはやっていないと云う。もちろん、俺もやるわけがない。映画にするため撮影したのが水の泡なんだぞ? まったく、ひどい話だ!」

「そうですよね……。でも、つまりどういうことですか……?」

「決まってるでしょ。誰かが嘘をついているの」

 千鶴が僕と同じように死体の傍にしゃがみ込んだ。

 眼鏡のフレームを指で持ち上げて、死体を凝視している。

「録画データは、保存されたものを削除することしかできない。午前三時四十分の時点で此処で死んでいた落涙さんは、データ削除をした人物になり得ない。他の誰かが、寝ているぶんじょーさんの部屋に忍び込んで、それを実行した。結果として、落涙さんがどうやって死んだのかが分からなくなってる」

「じゃあ落涙さんを殺した犯人が、それを隠すためにデータを削除した……?」

「それが自然な解釈だよね」

 状況が理解できてきた。場の空気が緊張しているのも当然のことだ。

「あとは、携帯のこともある」

「携帯? 圏外で使えないことか?」

「ううん。妨害電波というのはデマカセだよ。道雄の携帯は此処に来る途中、車のなかで私が細工して、電波が通じないようにしただけ」

「え! 壊したってこと?」

「そうだね。ごめんね、みち――」

「やめてくれ! ごめんね道雄っていうの、トラウマになってるんだよ!」

 いくら映画の撮影だったとはいえ、千鶴に色々と騙されていたのはショックだ。僕だって彼女に能面の少年のことを隠していたから、お互い様ではあるのだが……。

「妨害電波なんて出したら、カメラと盗聴器のデータ送信にも影響があるじゃん。それに道雄に隠れて、私たちは連絡できた方がいいからね。普通に使ってたんだよ」

「分かった。それで、携帯がどうしたんだ」

「なくなっちゃったの」

 香久耶が「やっぱりそうなのね!」と反応した。彼女は階段下から、僕に向けて説明してくれる。

「私が横穴まで下りていくとき、携帯も持って行くつもりだったのよ。だけど見つからなかった。ネグリジェのポケットに入れていたはずなのに……」

「そう。道雄をずっとひとりにしておけないから、持たずに下りてもらったの。他のみんなも携帯がないみたいだって話になって、結局見つからなかった。自分の客室まで探しに行った沢子ちゃんが、此処で死体を発見したんだよ」

「みんな、寝ている間に盗られたってことか?」

「うん。理由は定かじゃないけど。私たちをまだ此処に足止めしておきたいのかな」

 僕は固唾を飲んで、再び、周囲の面々を見回した。

〈くりえいてぃ部〉がクローズド・サークルであることに変わりはない。いや、携帯が奪われたことで、今こそ真のクローズド・サークルになったのだと云うのが正しいか。

 緩やかに落涙を殺した犯人が、この中にいる……?

「沢子……」と、文丈が低い声で名前を呼んだ。階段下の彼女は「は、はいっ?」と返事する。ずっとオドオドとしているが、それがすくらむでなく、沢子みのりの素なのだろう。

 文丈はギロリと沢子を睨み下ろす。沢子の顔からいっそう血の気が引く。

「うまい……」

「え? う、うまい?」

「うまい……ポテト、サラダ……」

「ぽ、ポテトサラダ、ですか?」

「お前の……得意料理だろっ……」

 彼はダンッと床を踏み鳴らし、上半身を派手にのけ反らせた。

「絶品ポテトサラダをおお……つくってくれよおおおおおおおおおおおおッ!」

 咆哮(ほうこう)だ。建物の外まで響くんじゃないかというほどの。

 みながびっくりしているなか、千鶴だけは冷静で「たしかにお腹が空いたね」と云う。

「沢子ちゃん、遅めのお昼、お願いできる?」

「わ、分かりましたっ」

 沢子はわたわたと調理室に駆け込んでいった。

 ポテトサラダが得意料理か……。素朴だけれど、良いな……。

「ぶんじょーさん、PCに残ってる録画・録音データを詳しく調べさせてもらえる?」

「構わないが、それはつまり、犯人を特定しようとしているのか?」

「そうだね。私が解決するよ」

 千鶴は立ち上がった。

 別に気合が入っている様子もなく、どこまでもフラットだ。

「誰からの依頼でもないし、もう映画にもできないと思うけど。犯人を突き止めて認めさせないと、携帯を返してもらえないからさ。あと三日も此処で拘束されたくないじゃん」

 続いて彼女は「それにまだ、道雄の小説にはできるかもね?」と付け足した。

 まったく考えが及んでいなかったけれど、そうかも知れない。

 はじめに緩やかに落涙から依頼の電話があったのを発端とすれば、この事件ははじめて、小説にできるだけの長さになっているんじゃないか?

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