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29「Be Creative.」

    29


 香久耶は「あった、あった」と云って岩と岩の隙間から取り出したものを両手でそれぞれ持つと、僕の眼前に突き出した。小型のカメラと盗聴器だと分かった。

「一部始終、これで撮影・録音していたのよ」

 そんなふうにカメラを向けられても、リアクションはできなかった。

 僕はいま、ひどい徒労の後みたいな虚脱感に襲われている。

「映像も音声もリアルタイムで、交くんのPCに送信されているわ。後から編集して、映画になる予定」

「……屋敷の中にも、たくさん仕掛けてあるってことだよね?」

「そうよ。トイレ以外、全部の部屋にね。壁に埋め込んだり、カーペットに編み込んだり、植木鉢の中とか、ソファーの隙間とか、カーテンレールとか。みんなで準備したの。一日がかりで大変な作業だったわ」

「浴場の中は?」

「たくさんある。ジャングルみたいになってるから隠しやすかったわね。もちろん、女の子の撮影はNGよ? あたしたちが裸で這入るときには、必ずカメラの電源を切ってから」

「僕は?」

「素っ裸で映ってるでしょうね。でも安心して。あたしたちは見てないし、編集するのも交くんだから」

「それでも嫌なんだけど……」

 気付けなかったのは、仕方がないのだろうか。

 屋敷の中は何度か調べて回ったが、いずれも隠れている何者かを見つけることが目的だった。カメラや盗聴器を隠すレベルの隙間なんかは探そうとしていなかった。

「……さっき、落涙さんは脚本家だって云ったよね? 小説家じゃなくて」

「ええ」

「じゃあ、今までの出来事は彼が書いた脚本だってこと?」

「それが、ちょっと複雑なのよね……。だけど企画としてはそういうこと。脚本は細かくセリフが決まっているわけじゃないの。これが映画だってことを知らない道雄くんが混ざってるから、セリフに縛られると自然な対応にならないでしょう?」

「うん」

「脚本は全体のストーリーと、みんなのキャラクター設定と、場面ごとにこれは云わなきゃっていう重要なセリフくらいね。道雄くんとの絡みはだいたいアドリブ。こんな撮影ははじめてだわ」

「千鶴も、脚本をもらっているんだよね?」

「そうよ。まあ宮代さんはほとんど素だけど。此処にきてキャラが激変したら、道雄くんに怪しまれちゃうから」

「……やっぱり、まだよく分からない。千鶴もグルっていうのが、どうも。千鶴は映画研究部じゃなかったし、大学のサークルにも関係ないはずだよ」

 僕に黙ってそんな活動をやっていたとは思えない。映画はネットの配信サービスでときおり見ているけれど、そんなに熱心なファンではない。

「宮代さんには、交くんが話を持ち掛けたの。これは交くんが考えた企画で、緩やかくんが書いたのはミステリーの脚本だった。リアリティのために本物の探偵が必要だったのよ。交くんは同じ高校で有名人だった宮代さんに、白羽の矢を立てたというわけ」

「千鶴は文丈さんを知っていたの?」

「全然。同じ高校というのはあくまで交くん側の理由というか、切っ掛けね。最初はメールして、後は電話で詳細を詰めたみたい。たぶん、宮代さんが電話してたのは道雄くんが出掛けている時間だったんだと思うわ。これはそういう企画だから」

「えーっと……結局どういう企画なの?」

「良い表情、撮れてるわね~」

 カメラと盗聴器は僕に向けられたままだ。インタヴューを受けているような格好だけれど、質問しているのは僕で、答えるのは香久耶である。

「交くんの言葉を借りるなら、モキュメンタリーの変則型よ。と云うか、あたしじゃなくて交くんに訊いてほしいんだけど。コテージで起きる連続殺人事件、その一部始終の録画映像を映画にしたら、面白そうだと思わない? 話題性は抜群よね?」

「まあ……倫理的にどうかとは思うけど」

「そうね。そういう問題もあるし、本物の殺人事件なんて起こすわけにいかない。そこで考えられたのが、この企画なの。道雄くんだけなにも知らない状態で、他のみんなで殺人事件の脚本を演じる。その録画映像を編集した、道雄くんが主役の映画よ。そうすれば、主役にとっては本物の殺人事件でしょう?」

「なるほど……」

 たしかにその手法であれば、完全なフィクションとして撮るよりも本物に近い映画となるだろう。公開するのだって問題ないはずだ。

「さらに、交くんと宮代さんが打合せを重ねるなかでもアイデアが足されたわ。道雄くん、前からずっと宮代さんのことを小説にしたいと思っているのよね?」

「うん」

「だから撮影が終わっても、つまり宮代さんが事件を解決しても、まだ道雄くんにはネタばらししないで小説を書いてもらおうって。本物の殺人事件だと思ったまま、書き上げるのよ。それを映画の公開と一緒に売り出したら面白そうでしょう? なんだっけ、ほら、そういう小説で最近、人気のやつがあるじゃない」

「桜野美海子シリーズ?」

「そう! それがあるから、もっと本物の殺人事件みたくなるんじゃないかって話していたわ。お客さんがその混乱を楽しめるだろうって」

 趣旨は理解した。殺人事件を――実はつくりものだが作者は本物のつもりで――小説化した書籍と、その事件の一部始終を撮影した映画。この二つの作品をつくることが目的であり、千鶴もそれに協力していたのだ。

 僕は随分と翻弄されたものだけれど、怒りのような気持ちは湧いてこない。それよりも安心……いや、拍子抜けと云うか、やっぱり疲れたという感想だ。今のところは。

「でも香久耶さん、よかったの?」

「なにが?」

「その話だと、まだ僕にネタばらししたら駄目なんじゃない?」

 僕は小説を書いていないし、そもそも撮影はこれで終わりなのか?

 結局、どういう事件がどういう解決を迎えたことになったのだろう?

「それがねえ……脚本から、色々と変わっちゃったのよ」

 香久耶はカメラと盗聴器を持つ手を下ろした。

 彼女の苦笑にも、疲れの色が滲んでいるように見える。

「面白ければ、それでもいいかって云ってたんだけどね。むしろ監督の交くんはノリノリだったし。でもさすがにちょっと、収拾がつかなくなってきた感じかな」

「脚本では、どうなる予定だったの? 大まかには」

「さっき説明したとおり、これが脚本ありきの映画撮影だってことは、オチじゃないの。ちゃんと映画内で事件が解決するって云うのかな」

「うん、そうだよね」

「宮代さんと道雄くんが此処に来ると、依頼人の緩やかくんが殺されていて、橋が爆破されて閉じ込められる。このへんは予定どおりね」

「あ、橋を爆破したのは大丈夫なの? 許可というか」

「許可なんて取ってないわ。取れるはずないし。事故ってことにして謝るつもり」

「ええ……?」

 めちゃくちゃ巨額の損害賠償金を請求されるんじゃないか?

「それで、能面をつけた緩やかくんが道雄くんの前に現れたでしょう? 予定では、道雄くんはそのことをすぐにあたしたち、少なくとも宮代さんには報告するはずだったのよ」

「あっ! そうか、そうだよね?」

 それが普通だし、普段の僕ならそうしていた。

 今回だけだ。僕はそれを黙っていた。千鶴が事件を即座に解決してしまうのを防ぐために、魔が差して、思わず……。

「そのせいで予定が狂ったということ?」

「そういうこと。広間に戻ってきた道雄くんが『誰もいなかった』と云ったとき、沢子さんが『えっ?』って驚いちゃったのを憶えてる? 咄嗟に交くんがフォローしたけど」

「憶えているような……」

「道雄くんはその後、屋敷の西側を調べに行って、あたしたちは広間で作戦会議よ。どういうことだ、どういうことだって。そりゃあ、道雄くんがぜんぶ都合よく動いてくれるとは思ってなかったけど、これは予想外すぎたわけ」

「なんか、ごめんなさい」

「まあ、あたしはいいんだけど。とりあえず、能面の男と会ったでしょ、なんてあたしたちの方から追及するわけにもいかないし、そのまま進めることになったの。だけど出だしで大きく変わっちゃったから、どんどん別の方向にいっちゃった」

 やれやれとばかりに、首を横に振る香久耶。

 そういえば、緩やかに落涙は自分のことをみなに話せと何度も云ってきた。あれは予定していたストーリーに引き戻すためだったのだろうか。それでも僕は、昨晩まで自分ひとりの秘密として抱えてしまった。

「僕が最初に能面の男に会ったことを報告していたら、どうなる予定だったの?」

「背格好とか聞いて、緩やかくんみたいだって話になるはずだったわ。道雄くんに緩やかくんの写真も見せて。それで次の日には交くんも見たと云ったり――あ、これは云ったんだっけ?」

「云ってた。緩やかの霊を見たって」

「そうそう。緩やかくんは殺されたわけだから、幽霊かも知れないって話になるの。それから沢子さんとあたしも殺されて……えっとね、脚本ではあたしたちは殺されたっきり、出てこないはずだったのよ。それで、どうなるんだっけ……?」

 彼女も混乱している様子だ。苦い顔をして、頭のてっぺんを拳でトントンと叩いている。

「とにかく、緩やかくんの祟りだ~って云われるんだけど、最終的に宮代さんが解決するのよ。幽霊じゃなくて、緩やかくんには双子がいるんだって。それが真相なの」

「んん?」

「つまりね、殺された緩やかくんともうひとり、双子の弟が潜んでいたってこと。最初に緩やかくんを殺して橋を爆破して、沢子さんとあたしを殺した犯人もその弟ってこと」

「いや、それは分かるけど、それが答えなの?」

「そうよ。まあ実際には緩やかくんに双子なんていないし、映画のために死体役と兼務なんだけど。だけどこれもねえ、道雄くんが当てちゃうんだもの。宮代さんが解決しないと駄目なのに、道雄くんが沢子さんを双子だって云っちゃうから――」

「待って、待って。それもそうだけど、それ以前の問題だよ。え? 実は双子でしたなんてオチの脚本だったということだよね?」

「ええ。幽霊と思わせて、実は双子が犯人だって話」

「超つまらないよ、それ! 本気でそれでいこうとしていたの? いや、論外だよ。ミステリのオチで今どき、双子トリックなんて!」

 しかも、まったくと云っていいほど(ひね)りがない。昔だったとしても駄作決定だ。

 香久耶は「ああ、やっぱり?」と素朴な感じで返してくる。

「脚本読んだとき、あたしも思ったのよね。これってどうなんだろうって。だけど、あたしはミステリーってよく分からないし、本職の探偵である宮代さんがOKしてるし」

「千鶴も全然なんだよ、ミステリに関しては! むしろ普通の人よりも、面白いミステリを判断できないはずだ。昨日も超名作のミステリを読んだのに、ひどい感想だった……」

「ミステリって云ってる? ミステリーって伸ばすんじゃないの?」

「それは、まあ他の人に強要はしないけど。ミステリだね。絶対に」

「こだわりがあるんだね、道雄くんの方は……」

 がっくりと肩を落とす僕に、香久耶はちょっと退き気味だ。

「僕はファンだからね。ああ……落涙さんも、ミステリは素人なの? ミステリを書いている人だって文丈さんが云っていたけど、あれは映画の中の設定だったのかな」

「さあ。あたしも緩やかくんについてはよく知らないのよね。でも、そんなに駄目なの?」

「駄目だよ! 実際に僕がそうだったけど、まず双子かもと思うでしょ。幽霊かも知れないなんて本気で思わないし。それで実は双子でしたなんて云われたら、ミステリの読者じゃなくたってキレると思うけどな。まだ実は幽霊でしたの方がマシだよ」

「うーん……たしかに。そうだって~、緩やかく~ん」

 盗聴器に向かって喋る。それを見て僕は「あ……」と思う。

「これ、落涙さんも聞いているの? リアルタイムで」

「分からないけど、そうかも。どのみち後で聞くんじゃない?」

「えー……」

 まあいいか。思ったことは事実だ。

 云い方が少しキツかったかも知れないが……。

「それより、千鶴も聞いているのか?」と、僕も盗聴器に向けて話す。

「もう僕らを引き上げてくれよ。文丈さん? 聞いていますか? ああ……千鶴と文丈さんが出来ているとかって話も、映画のためのつくり話なんだよね?」

「どうでしょうね。それは本当かも」

 香久耶はカメラと盗聴器に顔を近づけて、指先でなにやら弄っている。

「もういいわね! はい、両方とも電源を切ったわ」

「香久耶さん?」

「あたしが此処に下りてきた目的よ。これは自分の意思。ここから先は、映画じゃないの」

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