27、28「メランコリックに教えてね」
27
千鶴と僕が幼稚園児のとき、切っ掛けは知らないけれど母親同士の仲が良くて、子供を連れて互いの家を行き来していたので、僕らもよく二人で遊んでいた。
僕は千鶴を年上のお姉さんと勘違いしていた。小学校に入学するまで勘違いしていたと思う。それも無理のないことで、彼女はそのころから周りよりも賢くて大人びていた。
彼女はずっと、僕の憧れだった。
もっとも、小学校の三、四年生にもなると、僕はクラスメイトの男子と遊ぶことの方が多くなった。千鶴はと云えば、別に孤立していたわけではなくて、学校で会話する程度の友人はいたけれど、放課後や休日まで誰かと遊んでいる様子はなかった。それでも僕と登下校したり遊んだりすることはあった。
僕らが一緒にいるときは、そこに他の子を加えようとはしなかった。何度か他の子が入ってこようとしたこともあったが、結局あまり合わずに離れていくので、自然とそうなっていた。幼馴染ゆえの独特の空気が出来上がっていたのだろう。
しかし中学に上がると、僕が彼女を避けるようになった。僕もお年頃で、色々と思うことがあったのだ。周りの目が気になり始めたし、千鶴に対する反抗めいた気持ちもあった。僕はたぶん、彼女を異性として意識していた。けれど彼女の方にまったくそんな様子がないので、当時の僕は拗ねていたのだと思う。
ところが、いくら僕が避けようとしても、彼女は気にせず話し掛けてきた。次第に僕も意地を張っているのがひどく子供っぽいように思われてきて、避けるのはやめにした。
このとき、どこか吹っ切れたような気持ちになった。
千鶴は僕に対してだけでなく、そもそも恋愛に興味がないようだ。もっと云ってしまえば、他人への興味がない。人間嫌いとも違うけれど、頭の良い彼女はひとりでなんでも上手にこなせるから、他人が必要とならないのだろう。
僕はたまたま幼馴染で、そういう成り行きから仲良くしてもらっているのだ。
しかし、それで充分じゃないか。
千鶴はそういう奴なのだから。無理に恋愛関係にしようとしなくたって。
以降はずっとべったりである。まあ僕が彼女にくっついて回っていると云うのが正しいが、同じ高校に入学して、学校にいる間も放課後もいつも二人でつるんでいた。探偵活動を始めてからは、さらに一緒にいる時間が増えた。休日には全国各地に遠征して事件を解決し、高校卒業後には同居を始めた。
僕は彼女と一緒にいられれば、それでいい。
当然、それは僕の勝手な願望だ。いつまでも傍に置いてもらえるのか、ときおり不安になることもある。だから彼女にとっての僕の存在価値みたいなものをつくろうと思い、彼女の活躍を小説にしようなんて思ってもみたけれど、結果がこのザマだ。
28
「道雄くん、早く解いてよ~」
「そう云われても……知ってるなら、教えてもらえないの?」
「さっきも云ったでしょう。あたしだってそうしたいけど、駄目なのよ」
「どうして?」
「駄目なものは駄目。キリンはどうしてキリンなのみたいな質問よ、それって」
「ちょっと違う気がするけど……」
卒業アルバムを全ページ見て、二週目に入っているけれど特に発見はない。発見がないからこそ二週目に入っている。
「ここに千鶴と文丈さんの関係が分かるような、証拠があるんだよね?」
「うーん……まあそうね」
「見当たらないよ。学年が違うし、千鶴はどこにも写ってない」
文丈の写真だって数枚だ。一人ひとり撮られたものと、クラスごと、部活ごとの集合写真、あとは修学旅行や体育祭の写真が何枚か。さすがに高校時代は髪の長さが普通だけれど、顔はあまり変わらない。どれも気になるような点はない。
「でも、分かったこともあるでしょう? それを見て」
「別に……僕らのひとつ上の代なのは聞いていたし。あとは三年A組だったことと、映画研究部だったことくらい? 一緒に写っている友達っぽい人たちも見覚えとかないなあ」
千鶴も僕も帰宅部だったから、親しくしていた先輩はいない。
教師陣や校舎、制服なんかが自分たちと同じなのにこうも知らない生徒ばかりというのは、見ていて奇妙な感覚だ。パラレルワールドみたいと云うか。
「修学旅行がフランスなのは、羨ましいかな。僕らの代から国内になったんだよ」
「あたしも国内だった。フランスってパリだっけ? ロンドン?」
「ロンドンはイギリスだね」
「海外って行ったことないわ。飛行機も乗ったことないし。ビーフ、チキン、ビーフ、ビーフよね。ビーフ、チキン、ビーフ、ビーフ。ビーフ、チキン、ビーフ……」
香久耶はリュックから寝袋を取り出すと、ばさりと広げて僕の隣まで引きずってきた。
「入って、道雄くん」
「まだ寝ないよ?」
「そうじゃなくて検証よ。リュックは、ぱんぱんだったでしょう? 寝袋がひとつしか入らなかったの。ひとつの寝袋に二人で入れるか、試しておかないと」
「ええ? いや、無理でしょ」
「ぎゅうっと密着すればいけるんじゃない? 本当に無理だったら、考えないといけないわ。陽が沈んだらきっと、一気に寒くなるでしょう?」
僕の手を取り、腕時計を覗き込む香久耶。時刻はまだ十三時だが、たしかにその時はやって来る。半袖シャツ一枚で夜を越したら風邪をひくだろう。
「もう少し後で……今はほら、これ見てるから」
「そう?」
彼女は僕のすぐ隣に寝袋を敷いてその上に座ると、肩を寄せてきた。良いにおいがする。この距離でも緊張してしまうのに、同じ寝袋になんて入れるか? その時がきて、本当に必要に駆られない限り無理だ……。
「あの、近すぎない?」
「あたしもパリを見たいわ。交くんはバッキンガム宮殿とか行ったの?」
「バッキングガム宮殿はロンドンだよ。文丈さんはエッフェル塔をバックにした写真が……ああ、これだね」
両足を開いて、合わせた両手を真上に伸ばし、第二のエッフェル塔ぶっている笑顔の文丈が写っている。いまの彼ならやりそうにないポーズだ。
「ふうん……こういう昔の写真って、暗い気分になるわね」
「どうして?」
「他人の写真なら別にだけど。自分の卒アルとか見れないな~と思って。なんて云うか……このころはみんな同じだったのに、いまと比べちゃうでしょう?」
香久耶の横顔はどこか物憂げだ。
「いまでも連絡とる人なんて全然いないし、たまにだけど。いろいろ聞くわ。みんな就職したり結婚したりして、あたしだけが、なにも変わってない。前に進めてないって感じる」
「あー……それ、分かるかも知れない。僕も云ってしまえば無職なわけだし」
「探偵じゃないの? 探偵というか、宮代さんの助手」
「助手と云えるようなことはしてないよ。千鶴にもヒモって云われているからね」
自嘲気味な物言いになってしまった。
だが香久耶は真剣な顔で僕を見詰めている。それを見て一瞬、このまま愚痴というか弱音を吐きたい衝動に駆られたけれど、ぐっと堪えて彼女の方に話題を移す。
「香久耶さんは、詩人の仕事があるんじゃないの? チャーハンは?」
「ごめんなさい。どっちも嘘なのよ」
真剣な顔のまま、そう答えられた。
不意の告白に「あ……そうだったんだ?」としか返せない僕に、彼女は続ける。
「ただのフリーターよ。普段は女優の卵なんて云ってるけど」
「女優って、舞台とかに出てるの? ドラマとか」
「舞台には何度か、端役でね。全然上手くいかないの。もう、云っていいわよね?」
「なにを?」
「うーん……いいわよね? そろそろヒントくらい出さないと。いつになるか分からないし、面白くないもの。このまま夜になったら、どうするのよ?」
僕に対してじゃない。視線は僕を向いているのに、独り言のようだ。
それでいて声量は僕に対して云うのと変わらない。
「あたしがお客さんだったとしても、絶対にそう思うわ。絶対に。もう予定は狂いまくっているんだから今更でしょう? 変わらないわよ、どっちにしたって。ならあたしの判断で云っても許されるわよね? これで駄目になったなんて云われないわよね?」
「香久耶さん? ちょっと怖いんだけど……」
「決めた! 云うわ。云うわよ?」
「うん。なんのことか分からないけど」
「あたしだけじゃないってことよ」
「なにが?」
「交くんも、緩やかくんも、沢子さんも。大学時代にサークルで知り合ったの」
「え? それって……ちょっと待って」
一瞬、フリーズした。
「つまり最初から、此処に来る前から知り合いだったということ?」
「そう云ってるじゃない」
「やっぱり――嘘をついていたのか!」
香久耶は悪びれる様子もなく「そうよ」と首肯する。
ああ、そうだ。はじめから全員がグルだった。それはみなが本当に初対面だったのであれば、おかしな話なのだ。
〈くりえいてぃ部〉はそのコンセプトから個人客に限定されているけれど、知り合い同士で申し合わせて同じ期間に予約を入れることは可能だ。
香久耶がやっと答えを明かし始めた。その気が変わらないうちに、僕は勢い込んで次の質問をする。
「一体、なんのサークル仲間なの?」
「そのヒントが卒アルよ。交くんの高校のときの部活は?」
「映画研究部……だよね? ということは、みんな映画の――えっ?」
「気付いた?」
そりゃあ、ここまで誘導されれば誰だって……。
だけど本当に?
これが真相なのか?
見当違いの思い付きかも知れない。飛躍している……。
僕は慎重になりたくて、逸る気持ちを抑え、まだ核心でない部分を訊ねる。
「もしかして、香久耶さんだけじゃなくて、他の人たちも嘘なの? えーっと……画家とかラッパーというのは嘘で、みんな役者を目指している人たち?」
「沢子さんはそうね。交くんは監督で、緩やかくんは脚本家よ」
想像を上回るほど、ドンピシャの答えがきた。
愕然とする。
そうなったら、もう決まりではないか。
「此処で起きたことは全部、映画の撮影だってこと?」
「おめでとう。辿り着いたわね」
香久耶はパチ、パチ、パチと拍手した。いやに乾いた音だった。




