23「特別な朝に咲かせる花」
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調理室から広間に料理を運んでくるために使うワゴンは、板を差し込むことで段数や間隔を調整することができて、上からカーテンを掛けられる。
「おはよう、諸君。特別な朝の始まりだ」
文丈はローテーブルから少し離れた隅の方にワゴンをとめた。それから得意げな表情を浮かべて、もったいぶるかのように、その中から一皿ずつ取り出してはゆっくりとこちらに歩いてきて、ローテーブルの上に並べていった。
千鶴と僕はやや呆気に取られている。すべてを並べ終えた文丈はローテーブルの傍らに立ち、一品ずつ手で示しながら簡単な説明をした。
「まずはオードブルを楽しんでくれ。注目してほしいのはキャロットラペだ。オレンジとレモンで味付けしてある。新鮮な味と感じること間違いなしだ。次にコーンポタージュだが、こんなに濃厚なものは他のどこでも体験できないだろう。そうして存分に期待感を高めてから、満を持してメインとなるのが、この仔鴨のローストだ。特製のバルサミコソースをかけている。パンかライスか、好きな方を選んでくれ。付け合わせのじゃがいもは口に入れた瞬間にとろけて、甘さがいっぱいに広がる。インゲンには丁度良い塩気をきかせた。その輪切りにしてあるのは――」
めちゃくちゃ手が込んでいる。
朝食だぞ?
「え。なに。料理人?」と千鶴。
「画家だ。ただし料理も上手い。キャンパスに絵を描くのと同じだよ」
まだ食べる前だけれど、たしかに高級店のそれに遜色ない見栄えだ。
「文丈さんは特技が多いですね。ビリヤードとか料理とか……」
「まあな。ところで香久耶はまだか?」
「はい、来てないです。もう十時ですけど」
「だらしない奴だ。時間が守れない奴というのは、つまり自分に甘いんだよ。自分に甘い奴は良い創作をしない。これは決まっている。真理というやつだ」
文丈は昨晩、この時刻から朝食にするから十分前には広間に来いとみなに云っていた。この料理を見れば、つくりたてを味わってほしいと考えるのも頷ける。
「呼んで来ましょうか?」
「いいや、俺が行くよ。きみたちは食べていてくれ。だが戻ってくるまで、小鴨のローストには口を付けるなよ? その一口目は、俺の前で――」
そこで、扉が勢いよく開け放たれた。北でなく、南の扉だ。部屋から来たなら北になるはずだが、なぜそちらから?
目を向けてみれば――しかし、そんな疑問は吹き飛んだ。広間に這入ってきた香久耶は両手に何本もの花火を持ち、それらが一斉に激しく火花を散らしているところだった。
「あは、あははは! 室内花火よ!」
「なにしてるんだ、香久耶あああああ!」
本当になにしてるんだ? 畳の上で!
「あはは、は! 大倉庫で見つけたの。やっぱり夏は、花火じゃなくちゃ!」
「外でやれ! 馬鹿! あぶねえ!」
香久耶は花火を持つ両手を振り回しながら、南東に並べられている観葉植物の方に近づく。その足取りはいつも以上にふらふらとしている。
「香久耶さん!」
「おい、葉っぱが燃えるだろ! 聞いてんのか!」
聞こえていないのではないか。明らかに様子がおかしい。もともと不思議な人だけれど、こんな奇行はいくらなんでも種類が違う。
「花火ってえええ、儚いわあああ! 叶うことのない恋のよう! まるで、あたしみたいねえええ! ほんの短いいいい、輝きのためにいいい――」
「うるせえ! 云ってる場合かあああああ!」
文丈が香久耶に迫っていくと、観葉植物の前に立つ彼女は花火を文丈の方に向ける。
「うわあ! あぶねえ!」
「大丈夫! 大丈夫よお! 水堀が、あるじゃなああい!」
楽しそうに笑いながら、今度は中央の、畳が外されている箇所に向かう香久耶。
「あははは、ははは! 花火はまだまだ、あるわよお!」
「やらせるか馬鹿! 早く消せ!」
畳や植物には引火していない。このまま済んでくれと願いながら見守っていると、中央まで来た香久耶が足を滑らせて水の中に落ちた。ばしゃあと水しぶきが上がる。
「ああ! なに、やってんだよお!」
文丈が畳の上に膝を着いて頭を抱える。
もっとも、畳の下はそんなに深くない。溺れたりはせず、香久耶はすぐに這い出てきた。
「あははは……二日酔い、なのよ。しこたま、飲んじゃって。あはは」
「もしかして、あのまま娯楽室で?」
訊ねると、香久耶は僕を見て「道雄さん、おはよおお」と破顔した。
「それ二日酔いじゃなくて、現在進行形で酔っぱらってるよね?」
千鶴は呆れている。
「夜通しで、さっきまで飲んでたんじゃない?」
「それで、このテンションか! しょうがない奴だ!」
なにを云われても、香久耶は畳の上に這いつくばって「あはは」と笑うばかり。
「風呂に入って来い! 熱いシャワーで酔いを醒ませ! っておわあ! なんて格好だ!」
ごろんと仰向けになった香久耶は、水に濡れたネグリジェが肌に貼り付いて透けている。文丈と僕は慌てて目を逸らす。
「宮代! この酔っ払いを風呂に!」
「あーもう、分かったよ」
千鶴が香久耶を引っ張って、北の扉から出て行く。文丈はブツブツ云いながら四つん這いになって畳に焦げ跡がないか点検した後、「ああ!」と声を荒げて立ち上がった。
「その水堀――水堀でもないが、塞いじまうか。大して良い景観とも思わない!」
文丈と僕は北側の倉庫から畳を二畳運んできて、中央に嵌め込んだ。これですべての畳が敷かれた状態だが、文丈は隅に立って全体を眺めると「いや」と首を横に振る。
「自由にレイアウトを決定できるのが、この広間の利点だ。それを放棄するのもな。クリエイティビティに欠けた客と思われたら遺憾だぞ」
僕らしかいないのに、誰にそんなこと思われるんだ? とは疑問だったけれど、文丈の指示で下に玉砂利が敷かれている畳を二畳外して倉庫に運んだ。
「これで良しだ。俺の美的センスに適う。どうだ、浦羽」
「良いと思います」と適当に答えつつ、僕は香久耶のことを考える。
彼女は、僕が昨晩付き合わなかったから、ひとりでヤケ酒をしたのか?
だが、緩やかに落涙が見えないとかいう演技をして、あの後で僕が気にせずに彼女と酒を楽しむわけがない。そもそも、彼女が僕にアプローチをかけていたのも、やっぱりお遊びであり、嘘っぱちだったはずなのだ……。




