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21、22「ミステリにおける探偵とは」

    21


 部屋に戻ると千鶴がいない。図書室の扉が開いている。千鶴が本に興味を持つとは思えないが、入口から名前を呼ぶと「はーい」と返事がある。

 この図書室は、床も本棚も、すべてが本でできている。そういう構成物に使われている本はコーティングされていて読めないけれど、本棚に収められているのは読める本だ。本棚は整然な並びになっておらず、入り組んで、ちょっとした迷路となっている。通路は狭く、身体を横向きにして進まなければならない。正直、気持ち悪くなる光景だ。

 とはいえ、あまり広大でもないので、すぐに千鶴を見つけることができた。

「千鶴……」

「なんか疲れた顔してるね? サウナに入りすぎた?」

 ああ、そのマイペースな声を聞くと安心する。

 彼女は本棚に凭れかかり、ハードカバーを立ち読みしていた。

「なにを読んでいるんだ?」

「ミステリだよ。道雄の好きな」

「へえ! 珍しいじゃないか!」

 と云うか、はじめてじゃないか?

 覗き込んでみると、古典ミステリの名作だ。もちろん僕は読んでいる。

「あんまり面白くないね」

「まあ……千鶴はそう云うよな。だけどまだ途中だろ? ミステリは解決編の手前くらいから、ぐっと面白くなるんだよ」

「さっき一冊読み終えたけど」

「僕が風呂に行ってる間に? 早いな」

「斜め読みだからね。これ読んだ」

 本棚に仕舞ってある本を指差す。それも有名な作品だ。傑作である。

「やっぱり私には、ミステリってなにが良いのか分かんないや」

「……千鶴だと、すぐに真相が分かっちゃうものなのか?」

「ううん、全然。だって分かんないように書いてあるじゃん。肝心なことはギリギリまで明かされないんだもん」

「それは、作品によるかな。たぶん……」

「プレイヤーの自由度なさすぎ。クソゲーの部類」

「ゲームじゃないから……」

「答えを読んでも、あっそって感じ。なんでそんなことすんのって思うし」

「あー分かった! あんまり悪口云わないでくれ。千鶴には合わないんだよ」

 この趣味は千鶴と分かち合えない。分かっていたことだが……。

「道雄はどこに魅力を感じてるの?」

「うん? それは色々あるけど……」

 ありすぎて、どこから話したらいいのか悩む。

「そうだな……千鶴は、肝心な手掛かりが伏せられていて不満だって云うけど、僕からするとそれも面白いんだよ。情報開示のタイミングというか、それも作者が意図して、順番にカードを切っているわけで」

「駆け引きってこと? こっちが一方的に不利じゃない?」

「いや、勝負じゃなくて。そういう読み方の人もいるかも知れないけど。僕はなんと云うか、そうやって組み立てられた作品の、つくりに感心するって云うのかな? ミステリは謎を提示して最後に解決するっていう型があるから、色々な要素があっても、明らかに構成が体系立つんだよ。散らばっていたものが収束していく快感がある」

「ふうん。その手腕が見ものなんだ?」

「それがひとつだな。間違いなく。特に現代では、アイデア的な部分が出尽くしてるジャンルだし、テクニックで魅せられないと残っていかない」

「テクニックねえ。まあ、それなら理解できるかな」

 千鶴は肩をすくめた。理解はしても、納得はしていない様子だ。

「じゃあ、ストーリーとかキャラクターとかは、結構どうでもいいんだ?」

「まさか。僕にはキャラクターも大事だよ。特に探偵は!」

 自分でもスイッチが入るのが分かった。

「やっぱりミステリの中でも、僕は探偵小説が好きだよ。さっき収束していく快感と云ったけど、収束させるのが探偵だからな。それにみんなキャラが立ってるんだ。立ち居振る舞いからして、他の登場人物とは全然違う。エクセントリックだったり、一見すると冴えないけど鋭い洞察力があったり、ものすごく性悪だったり、色々だな。最初からストーリーの中心となって牽引(けんいん)していく探偵もいれば、ずっと大人しくしていたのが終盤になって一気に畳みにかかる探偵とか、登場すると空気をがらりと変える探偵とか。共通して云えるのはカリスマ性だと思うけど。とにかく、探偵の活躍が見たくてミステリを読むと云っていいよ。少なくとも僕の場合は」

 一気呵成(いっきかせい)に喋ってしまった。

 だが千鶴は退き気味でなく、むしろ僕の目を見て熱心に聞いている。

「ヒーローみたいなものだ?」

「まあ、そうだな。あながち間違ってない」

「道雄は私にも、そういうヒーローになって欲しいの?」

 あっ――と、心の中でだが、小さな驚きに撃たれた。

「もっと人目を引くような格好して。面白い喋り方して。変わり者になって欲しい?」

「違うよ。それじゃあ、千鶴じゃない」

「だけど、私はミステリの読者が期待するような探偵じゃないでしょ?」

 僕はたじろぐ。自分でも呆れる話だが、そこまで考えていなかったのだ。

 千鶴の探偵の仕方を面白くないと、それでは小説にならないと云ってきた。彼女はいつも適当に流しているように見えたけれど、気にしていたのだろうか?

 僕は勝手な理想のために、千鶴を否定して、変われと迫っていた?

 面白おかしい、小説のキャラクターのように?

 生身の、僕の大切な、幼馴染を?

「いや……千鶴は、千鶴でいいんだ。そうじゃないと嫌だよ……」

 なんて考えが浅かったんだ。

 後悔や恥ずかしさで、気が遠くなりかける。

 本棚に手を掛けて腰を折る。崩れ落ちてしまいそうになった。千鶴は「うん。ありがと」と云う。お礼なんてやめてくれ。僕は……。

「千鶴、本当にごめん。僕は、お前に隠し事があるんだ。そのせいで、完全な自業自得で、本当に情けないんだけど……もう僕の手には余りすぎる、酷い状況になっているんだよ」

「なに? 大袈裟だなあ」

「話した後も、そうやって笑ってもらえるといいんだけど……いや、こんなことを云ったら駄目だな。ごめん。怒らせてしまうと思う。……聞いてくれるか?」

「いいから話してよ。どうしたの?」

「ああ……」

 そして僕は、すべてを告白した。

 はじめて能面の少年と遭遇したときから、千鶴の知らないところで体験したすべて。

 最初はちょっとした出来心で、その後も実害はないとばかり思って問題を先送りにし続けて、気付けば混沌の渦に飲み込まれていた、どうしようもない僕の話を。


    22


 千鶴は怒らなかった。

 それどころか、話し終えてなお縮こまっている僕の頭を「よしよーし」と撫でた。

「大変だったねー? 怖かったねー?」

 明らかに馬鹿にされているが、僕は文句を云える立場ではない……。

「だけど霊とか。あり得ないから。双子も、まあ現実的じゃないかな」

 彼女はニヤニヤとしていて、頭を悩ませている様子はちっともない。

「信じられないってことだよな。僕の話……」

「そうじゃなくて。道雄の見聞きしたものがぜんぶ本当でも、霊とか双子ではないよ」

「……じゃあ、どういうことなんだ? 緩やかに落涙は確かに死んでいたし」

「もう一度、確かめに行こうか」

 そう云うと早速、先に立って図書室を出た。僕も不安なまま、後ろをついて行く。

 階段を下りて、廊下をぐるりと回って広間までやって来る。誰もいないけれどシャンデリアは輝いたままだ。和洋折衷の滅茶苦茶なレイアウトが煌々(こうこう)と照らされている。

「そこの畳、外してみて」

 彼女が指差したのは、その下に緩やかに落涙の死体を隠している畳である。

 僕は云われたとおりにそれを外した。しかし、其処に死体はなかった。

 あれ?

 頭を突っ込んで畳の下に広がっている空間を見回しても、玉砂利が敷き詰められているだけだ。夕方に大捜索をしたときには、確かにまだ埋まっていたのに。

「死体が、なくなってる……」

 顔を上げると、千鶴は脱力気味の笑みを浮かべている。

「死体じゃなかったんでしょ。生きていて、自分で出て行ったんだよ」

「でも、脈をとったり――あ、もしかして! 脇にボールを挟んでいたのか?」

「だろうね。落涙さんは、左腕だけを玉砂利の上に投げ出していた。首には縄が巻かれていたから、自然と左手首で脈をとることになる」

 脇にボールを挟んで一時的に脈を止める手法は、ミステリや奇術では使い古されたそれだ。まさか現実で遭遇するとは思わなかったが……。

「瞳孔だって、確実な死亡の証明にはならないからね。お腹に力を入れると瞳孔が開く人とかいるし。ごめん、私も確認不足だったよ」

「いや……仕方ないだろ……」

 死体を引き上げれば気付けただろうが、普通はそこまでしない。千鶴や僕は素人じゃないからこそ、現場保存にも気を遣うことになる。

「とにかくこれで、道雄の前に現れた落涙さんは霊じゃないと分かったね」

「ああ。双子でもなかったんだな……」

 ひとりしかいなかった。それで死体と霊を演じていたのだ。

「そして香久耶さんは、落涙さんが見えないという演技をしていたことになる。落涙さんの霊を見たと云っていたぶんじょーさんも、彼には沢子ちゃんの件だってあるからね。道雄が疑ったとおり、調理室に現れた沢子ちゃんが広間に逃げ込んだのを黙ってたんだよ」

「沢子さんも、死んでないってことだよな? 双子の妹というのも嘘で」

「うん。ロープであそこに下りて死んだふりをしていたか、マネキンなんじゃないかな」

「マネキン? あっ、衣装室の?」

「そう。たくさんあったから、ひとつ減っても気付かないでしょ? 服を着せてロープで下ろしたんだと思う。自分自身があそこに下りるのは、ちょっと怖くない?」

 混沌としていた状況が、呆気なく紐解かれていく。

「要するに、みんなグルなんだよ。大捜索も無意味だったね。落涙さんはまた死体のふりをしていて、沢子ちゃんの方は、私と道雄がどっかの部屋に入ってる間に香久耶さんが逃がしてたんでしょ」

 ひとつひとつは、僕も何度か疑ったことか、その応用でしかない。ただ、僕の思い付きではそれらが相互に矛盾してしまうのを、千鶴はきれいに繋いでみせた。

 まだ頭の整理で精一杯だけれど、今はもうそんな矛盾点は思い付かない。

「……あとは、目的か? どうしてそんなことをしたのかっていう」

「それは明日、ぶんじょーさんと香久耶さんに訊いてみようか。朝食の後でいいと思う」

「正直に答えるかな?」

「ここまで看破すれば、ただの悪戯だったなら認めると思うけどね。もう続けようがなくなるし。もし認めないなら、そうするだけの理由があるってことだから、また考えるよ」

 千鶴は身を翻して、来た道を引き返し始めた。

「今日はもう寝よ。結局、誰も死んでない。殺されてない。急がなくていいよ」

「そうか。そうだな……」

 あれだけ悩まされていたのが馬鹿みたいと云うか……胸にぽっかりと穴が開いたかのような、妙な気持ちだ。僕も一旦眠って、リセットした方がよさそうだ。

「落涙さんの依頼もブラフだったわけだけど、やりようによっては四十万、回収できるかもね。そうすれば閉じ込めたことは不問にするーとかで」

「いや、もっと多く取れるんじゃないか? 悪質すぎるよ、これは……」

「あはは。道雄、段々と怒りが湧いてきた感じ? ちょー遊ばれてたもんね」

「云われてみれば、ああ……恥ずかしいな!」

 千鶴にバレないように必死で緩やかに落涙を隠したりとか、沢子の死は自分にも原因があるんじゃないかと思って罪悪感に(さいな)まれたりとか、昨日からのすべてだ。どれも自業自得の側面があるから余計に悔しい!

 部屋に戻ると、千鶴はまだ僕をからかい足りないのか、一緒のベッドで寝ようなどと誘ってきた。僕はとにかく自分が情けなくて、逃避するようにソファーの上で丸くなり、さっさと目を瞑った。昨晩と同じく、千鶴の寝息が聞こえ始めてからもろくに寝付けなかったけれど……。

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