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18「居ないはずが幽玄に跋扈」

    18


 今日の夕食は沢子の担当だったので、僕が替わることになった。

 調理室でひとり、焼きカルボナーラをつくる。千鶴が好きな料理だ。

 千鶴はなんだかんだでアーケードゲームが気に入ったらしく、娯楽室に行っている。沢子が死んだショックは、無いわけではないと思う。だが、それで塞ぎ込むようなことはない。薄情に映ったとしても、探偵にとって人の死は日常だ。

 その点は僕も同じなのだが、しかし僕はずっと落ち着かない気持ちでいる。大捜索の不可解な結果のせいだ。

 漏れはなかった。隅々まで見て回ったのに、怪しい痕跡さえ見つからなかった。広間では畳を一枚一枚めくって確かめたけれど、緩やかに落涙の死体があるだけだった。

 能面の少年はどこに消えたんだ?

 僕ならともかく、千鶴の目を(あざむ)けたとは思えない。ならば、文丈や香久耶に落ち度があったのだろうか。玄関や廊下を誰かが横切って、気付かないなんてことがあるか……?

 刻んだベーコン、小松菜、玉ねぎをある程度まで炒めたところで、先に茹ででおいた麺を投入する。強火にしてジャーッと炒める。食欲をそそる良い香り。家のコンロよりも火力があって、これは出来上がりにも期待できそうだと思いつつフライパンを振っていると、

「あの……すいません……」

「うわあ!」

 覗き込んできたその顔を見た僕は、驚きのあまりフライパンをひっくり返して中身をまき散らしながら床の上にひっくり返った。

「あっ、ごめんなさい」

 そう云って、困り顔で僕を見ろしているのは沢子だ。

 目の前に、沢子すくらむが立っている。

「沢子さん! え! 生きてたんですか!」

 口に出しながら、しかし信じられない。

 と云うか、理解が追い付いていない。

「え? どうやって上がってきたんですか。怪我は?」

 血だらけだったはずだ。服は――着替えられている。これまではオーバーサイズ気味の、まあラッパー然とした格好だったけれど、いまはありふれた白地のワンピースだ。

「びっくりさせて、ごめんなさい。料理……」

 あたふたとしている。どこか違和感――僕の知る彼女と様子が違う? いや、間違いなく沢子だ。そうでなかったら双子とか、クローンとか、そういう話になる……。

「あの、みんなには? 他のみんなには会いました?」

「あ、いえ。浦羽さんだけ……です……」

 視線を逸らし、誤魔化すように前髪を触っている。やっぱりおかしい。

「沢子さん、ちょっと――いつもと違いますね?」

「あ、あの……し、静かに。あまり大きい声、出さないでください……」

 潜めているという感じでもなく、単純に声が小さい。まるで自信がないみたいな……。

「どうしたんですか、沢子さん。ああ、いえ、無事だったなら良かったです、本当に。でもなにがあったんです? 足を滑らせて、崖から落ちたんですよね……?」

「沢子すくらむ――は、いまも落ちたままです」

 意味が分からず、僕は返事ができない。

 沢子は怯えるように一歩引き下がり、言葉を続けた。

「沢子すくらむは、死にました。見に行っても、同じ場所にありますよ。死体は」

「……貴女、誰ですか?」

 怯えているのは、僕の方だ。戦慄が爪先からぞくぞくと這い上がってきた。

 沢子じゃない。沢子にそっくりだけれど、全然、別の……。

「ああっ、いや――からかっているんですね?」

 しかし、沢子でない沢子は首を横に振る。

「本当です。すくらむは死にました……」

「……すいませんけど、悪質ですよ。悪戯なら、やめてもらえませんか」

 云いながら、僕は立ち上がって、じりじりと後退する。

 得体の知れない女から距離を取る。

 彼女は視線を彷徨わせている。その最中にはっと気付いた様子で、コンロの火を止めた。そして小さく息を吐くと、視線を落としたまま、ぼそぼそと喋る。

「ごめんなさい……。混乱、しますよね。だけど、浦羽さんになにかしようとか、そういうのじゃないんです。危険じゃないってことは、分かってください……」

「誰なんですか!」

 大声を出すと、びくっと震える。その横顔が、今にも泣き出しそうだ。

 僕は不思議と、途方もない気持ちになった。一周回って落ち着いてきたと云うか……。

「……双子ですか? 沢子さんの」

 彼女が、その内側で衝撃を受けたのが分かった。(わず)かな目の開きや、呼吸、握り締めた手から。まさか――本当に?

 こんなに瓜二つで別人となれば、もちろんそれくらいしか考えられないのだが、それでも疑問は増す。なぜ、沢子の双子が此処にいるんだ?

「双子だって、思いますか……?」

 火の消えたコンロを凝視しながら、彼女は訊き返した。

「貴女が沢子すくらむさんじゃ、ないのなら」

 するとまた、彼女は長く考え込む。実際は数秒の間だったかも知れないが、僕には随分と長い間に感じられた。空気も時間も張り詰めすぎていて。

「……そう、ですよね?」

 その口元が、少しにやけた。

 僕の方をちらりと見て、目は泣きそうなのに、口はもっと可笑しそうに歪む。その唇の隙間からは、すくらむと同じ歯科矯正用のワイヤーが覗いているけれど……。

「沢子かるてるです。すくらむの、双子の妹の……」

「最初から、此処にいたんですか。橋がなくなる前から」

「あ、あの……そんなことより、浦羽さん……」

 かるてるは携帯を操作した。スピーカーから、聞き覚えのあるインスト曲が流れ始める。

 すくらむがラップに使っていた曲だ。続きを聴かせてもらう約束をしていた。

「ラップ、聴いてくれますか?」

「いや……ちゃんと説明してくださいよ。どういうことなのか」

 かるてるもラップをやっているのか? すくらむと違って、そんなふうには見えないが、そんなことはどうでもいい。先に確かめるべきことがありすぎる。

「貴女のことは、他の人たちも知らないんですよね? どうして隠れていたんですか?」

「あの、それは……」

「すくらむさんは知ってたんですか? 一緒に来たんですか?」

「ううう……」

 インスト曲の音量が上がった。訴えかけるように、携帯を突き出してくる。

「き、聴いてくださいよ。うちのラップ……約束……」

「約束は、すくらむさんとしたんですよ!」

 恐怖よりも苛立ちが勝り、思わず怒鳴ってしまった。

 かるてるは身を震わせて俯き、とうとう泣き出してしまう。

「うっ、ううううっ、ううううっ……」

「ああ……。すいません、泣くのはやめてくださいよ……」

「いえっ……ごめんなさい、ごめんなさい……うううう……」

 悪い人ではないのだろうか? なにか事情があるだけで。

 とにかく、落ち着いて話を聞くしかない。僕は慎重に彼女に近づく。

「広間に行きましょう。ゆっくりでいいので、みんなの前で話をして――」

「無理ですっ」

 弾かれたように僕から離れる。僕を見る顔が恐慌に染まっている。

 その口がなにかを云いかけて、しかし声にはならないまま、彼女は身を翻して走り出した。「待ってください!」と云って後を追うが、彼女は扉の前で振り向いて叫ぶ。

「駄目! 硫酸を――かけますよ!」

 硫酸? それは能面の少年から聞いたのと同じ脅しだ。彼女はビーカーなんて持っていない。瓶に入れて隠し持っているのか?

 そうは見えないが、僕は足を止めてしまった。すぐに思い直し、少し遅れて廊下に出る。

 姿はない。しかし扉を出たとき、左に行ったのが見えていた。広間の方だ。廊下を二回曲がる。広間の扉が開いている。中に這入ると、真横から声を掛けられる。

「おう、晩メシができたか?」

 文丈がソファーに座っている。他には誰もいない。

「文丈さん! 誰か此処に来ましたか?」

「なんだ? いつの話だ?」

「たった今です!」

 来ていないみたいだ。僕は引き返して、トイレ、倉庫、食糧庫と中を見ていく。しかし誰もいない。窓には鉄格子が嵌ったまま。逃げ場はないのに。そんな馬鹿な。

 いずれかの部屋に一旦身を潜めて、僕が通り過ぎた直後に出て行ったのか? あの短時間で? それに扉を開閉したら、音で分かったはずじゃないか?

 廊下に出ると、文丈がのんびりと歩いて追いついてきた。

「浦羽、なにを血相を変えているんだよ」

「文丈さん、すぐには信じられないと思いますが、沢子さんに会いました」

「はあ? なにを云っているんだ?」

 苦笑される。当然の反応だ。ていねいに説明する必要がある。

「双子の妹で、沢子かるてると名乗りました。まだ、屋敷の西側にいるはずです」

「落ち着けよ。きみらしくないぞ」

「落ち着いてますよ。正月みたいにね。僕らに内緒で、ずっと潜んでいたみたいです。事情は聞けていないですが、とにかく探し――」

「ははっ! 分かったぞ。正月みたいにって、それは〈餅ついてる〉だろう!」

「……いいんですよ、そんなことは」

「あははははっ! 『落ち着いてますよ。正月みたいに』って!」

「文丈さん!」

 くだらないことを云った僕も悪かった。どうしてそんなことを云ったのだろう? やっぱり落ち着いていないのかも知れない。

「思い出せよ。此処には俺たちのほかに誰もいやしない。大捜索で確かめたじゃないか」

「あ……」

 そうだった。吊り橋がない以上、大捜索の後に新たに這入ってくることはできない。それ以前からいたなら、あのとき発見されていないとおかしい。

「いや、でも! 現にいたんですよ。沢子さんの双子の妹が!」

「双子の妹ねえ。浦羽、これは面白いことになってきたよなあ」

 文丈はなぜか満足そうに顎をさすっている。

「俺は落涙の霊を見た。きみは沢子の霊を見たんだろう」

「そんなんじゃないです。はっきり会話したんですよ?」

「霊は会話できるぞ。姿もハッキリしているしな。霊を見たのははじめてか? 霊感の目覚めは突然だ。もしかすると此処は、そういう土地なのかも知れんな」

 大変なことが起きているのに、取り合ってもらえない。だが、そのくらい突拍子もない話だ。実際に目にしなければ、信じられないのが普通だろう。

「分かりました。じゃあ、探すのを手伝ってください。文丈さんが廊下で見張って、僕が部屋の中を見ます。それで見つからなかったら、本当に霊だったんでしょう」

 そして結果。見つからなかった。香久耶が彼女の部屋にいただけだ。

 呆然とするなかに既視感。これは能面の少年に続いて二度目のことじゃないか。

 いないはずの人間がいて、探すといなくなる……。

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