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13「パラパラチャーハン対決の行方」

    13


「わ~。すっごい美味しそうじゃないっすか~」

 広間のローテーブルを囲んで、遅めの朝食になる。千鶴と香久耶がつくったチャーハンが皿に盛られて各人に配されている。

 審査するのは僕だけれど、二人の対決については文丈と沢子にも説明された。

「香久耶は研究会の会長を務めているだけあるな。見栄えもプロの仕事だ」

 腕を組んで唸る文丈。香久耶のそれは皿の上できれいな半球となり、輝きを放っている。

「レンゲが触れた途端、身も凍る美しさで崩れるわ。溜息が洩れるほど、異常にパラパラなの。私のチャーハンは、計算され尽くした芸術品。それも見所のひとつ」

「ま、見た目は今回の評価軸じゃないけどね」

 千鶴は不満そうに唇を尖らせている。

「造形にこだわれない者が、はたして味で魅せられるかしら?」

 香久耶の言葉に、文丈が「たしかにな」と同調した。

「会社で多いんだよ。誤字脱字は多いわ、フォントやインデントは滅茶苦茶だわ、汚い資料をつくる奴がな。そういう奴は大抵、中身だってお粗末(そまつ)だ。仮に中身が良くても、ちゃんと読む気を削がれる。もったいないことだと思うね」

「文丈さんは会社勤めしながら絵を描いているんですね」

「そんなの、どうでもいいだろ!」

 怒られた。画家だけで生計を立てられず、気にしているのだろうか。

「美鳥ちゃんのチャーハンがきれい過ぎるってだけで、千鶴ちゃんのも普通にきれいっすけどね。もう食べていいっすか?」

「どうぞ。冷めないうちに」

「じゃあ美鳥ちゃんの方から。いただきまーす」

 沢子に合わせて、文丈と僕も香久耶のチャーハンを口に運ぶ。

 まず一口目で沢子が「美味しい~」と声を上げた。

 文丈も二口、三口と続けてから「これは一級品だな」と頷いた。

 たしかに、口に入れた瞬間から違いが分かる。米の一粒一粒が、嘘みたいにしっかりとしている。嫌な水気もなければ、焦げ付いている感じもない。この甘さはチャーシューだろうか? そこに絶妙な塩味もあって、味のバランスが最高だ。

 僕も香久耶を見て「美味しいです」と伝える。

「嬉しい」と、両手を頬にあてて微笑む香久耶。

 後を引く美味しさだ。しつこさがなくて、次々と口に運びたくなる。

「いやはや、まったく隙のないチャーハンだぞ」

 文丈はレンゲを置くと腕を組み、確かめるように何度も頷く。

「申し分ない。チャーハンの理想形だろう、このパラパラ感は」

「超パラパラ! 超マザファッカーっすよ!」

 沢子のコメントは誉め言葉として怪しいが。

「ありがとう。あたしの勝ちね。もう勝負のことなんて忘れていたと思うけれど――」

「待てこらー」

 千鶴が両手を腰にあててご立腹の様子だ。こんな仕草も珍しい。

「次は私でしょ。この女のチャーハンでお腹いっぱいにしないでよ」

「そのつもりだが……宮代、もう対決は無しにしたらいいんじゃないか?」

 文丈は宥めるように云う。

「香久耶はずっとチャーハンを研究してきたわけだが、きみは違うだろう?」

「そうっすよ、千鶴ちゃん。はじめから対等な勝負じゃないっす。千鶴ちゃんも美鳥ちゃんのチャーハン食べて、最高な興奮を味わったらどうっすか?」

「いいから。食べてからどうぞ」

 手で促す千鶴。隣の香久耶は「折角の情けだったのに」と憐れんでいる。

 僕らは千鶴のチャーハンを手前に引き寄せる。香久耶のようにきれいな半球とはなっておらず、はじめから崩れて皿の上に盛られている。パラパラ感は少ない。チャーシューの大きさもまちまちで、つくり慣れていないことが窺える。

 得意分野でもなんでもないのに、どうして香久耶に張り合おうとしたのだろう? 改めて疑問に思いつつ、僕はチャーハンをレンゲですくう。

 そのとき突然、隣の文丈がソファーからずるりと滑り落ちた。

「こ――ここ、これは!」

 床の上で目を見開き、レンゲを持ったまま震えている。

 その向こうでは、沢子が「んーーーーーッ!」と叫んで立ち上がった。

「美味すぎます! え? 美味すぎますッ!」

 二人とも千鶴のチャーハンを食べてそうなったらしい。

 文丈はソファーの上に戻らないまま、無理な体勢で卓上のチャーハンをすくい、再び口に運ぶ。そして電気ショックでも食らったかのように身を跳ねさせる。

「あああああああっ! まさか! まさか! こんなに美味いチャーハンが!」

「手があ、手があ、止まらないっすうううう~~~~~」

 沢子は口いっぱいに頬張ったチャーハンを飛び散らせながらそう云い、さらにもどかしいとばかりに手に持った皿を傾けて、チャーハンを限界の口に押し込もうとする。

「そんな――二人とも、ふざけないで」

 香久耶は眉を(ひそ)めている。僕も二人の大袈裟なリアクションに戸惑いながら、とにかく千鶴のチャーハンを食べてみる。

 え! なんだこれ。めちゃくちゃ美味しい!

 確かめるように、すぐに二口目。三口目。そんな。そんな馬鹿な。文丈や沢子のように飛んだり跳ねたりはしないまでも、これは只事ではない。

 顔を上げて、一歩ひいた位置からすまし顔で僕らを眺めている千鶴に問う。

「千鶴……これ、どうしたんだ? お前、こんなに美味しいチャーハンをつくれたのか?」

「まーね」

 愕然とする。僕はこれまで毎日、彼女に料理を振舞っていた。チャーハンだってつくったことはある。しかしその相手は、僕をはるかに上回る腕前の持ち主だったのか……?

「嘘。そんなわけが」

 香久耶はレンゲを持つと身を乗り出し、千鶴が自分用に皿に盛っていたチャーハンを口に入れた。直後、彼女は目を見開いて硬直した。それからゆっくりと、千鶴の方へ振り向いた。

「貴女……何年、チャーハンをつくってきたの? 歴は……」

「別に? 前に一回か二回、つくったことはあったと思うけど」

 黙り込む香久耶。時が止まってしまったかのように。

 沢子は「おかわり! おかわりください!」と、文丈は「マスターピースだ! 人類が滅びても、これだけは宇宙に遺すべきチャーハンだ!」と喝采している。

 そのなかで、千鶴だけがなんてこともなさげに、香久耶に対して云う。

「ごめんね。私が天才で」

 香久耶は、床に膝を着いた。糸が切れたみたく、がくんと項垂(うなだ)れた。

 前髪に隠れて目元は見えないけれど、きつく唇を噛み、一筋の涙が頬を伝った。

「美味い美味い美味いッ! 生きてて良かったっすううううう!」

「俺は伝説に立ち会ったんだ! うおおおおおおおおおおおお!」

 大騒ぎを続けている二人を横目に、千鶴が僕に問い掛ける。

「で、道雄――どっちの勝ちなの?」

 いつもの飄々とした彼女だ。その高い能力に裏打ちされた余裕の(たたず)まい。

「千鶴ちゃん! そんなの訊くまでもないっすよおおおおおお!」

「太陽が東からのぼるくらい、明らかだああああああああああ!」

 僕は香久耶に目を向ける。項垂れて、静かに泣いている彼女。完全に打ちのめされてしまっている。チャーハンは、彼女が自信と情熱を持ち、やってきたことなのだ。

 何度も見てきた。千鶴の圧倒的な才能を前にして、挫折する人々を……。

「勝ちは、香久耶さんです」

 僕がそう云うと、すべてがぴたりと止まった。

「……え? 美鳥ちゃん?」

「……香久耶の勝ちと、云ったのか?」

 沢子と文丈がきょとんとしている。

「どうして?」と訊ねる千鶴も、驚きを隠せない様子だ。

 僕は内心で慌てる。理由――それは、香久耶を傷つけたくなかったから、口をついて出た言葉だった。しかし、そう説明するわけにはいかない。なにか、千鶴と香久耶のチャーハンの違いは――

「……グリンピースが、千鶴のチャーハンには入ってる。これがちょっと苦手で」

「はあ? なに、その子供みたいな理由」

 千鶴の口調に責めるような感じが混ざる。

「じゃあ、グリンピースよけて食べたらいいじゃん」

「いや……もう全体に、その味が染みてるからな……」

「染みないよ。そんなに主張する具材じゃないでしょ」

「苦手な人は、そう感じるんだよ。もちろん美味しいけど、気になりはするわけで」

 苦し紛れが過ぎるけれど、もう引っ込みがつかない。

 千鶴はさらに追及しようとする。そこに文丈が「待て!」と割って入った。

「審査員は浦羽だろう?」

「だけどっ」

「香久耶のチャーハンも絶品には違いないからな。好みの問題というやつだ。それ以上の申し立ては見苦しいぞ、宮代」

「私は……」

 口をつぐむ。自分らしくないと気付き、なにも云えなくなったようだ。

 つかの間、居心地の悪い空気が漂う。それを破ったのは、やはり沢子だった。

「うちが審査員なら、千鶴ちゃんが優勝っすけどね! もう病みつき! 重症っす! ユーノウ? 道雄くん、それなら道雄くんの分の千鶴ちゃんチャーハン、うちがもらいますね! うぇ~い!」

「おわっ。ずるいぞ沢子! 俺もいいな、浦羽! 代わりに香久耶のチャーハンをやる!」

「利害の一致っすね! このチャーハンは稀代(きだい)の名人!」

「上手いな、沢子! その押韻は当意即妙と思ったぞ!」

 再びバタバタとし始めて僕は少し安堵(あんど)する。だが千鶴の顔に笑顔はなく、拗ねたみたいに部屋の(すみ)を睨んでいる。申し訳ないことをしてしまった……。

 香久耶の方は未だ信じられないといった様子で、僕をじっと見詰めていた。

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