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11「ビーツ、ライム、パンチライン」

    11


 全然眠れそうにないと思っていたけれど、気付けば眠っていた。

 起床すると十時過ぎ。ガウンを脱いで、昨日のうちに西側二階の衣装室から借りてきた衣服に着替える。衣装室は滞在客が役者の場合を想定してか、大量のマネキンが並び、縦横無尽に掛けられた鉄棒には様々な衣装がびっしりと吊るされていた。奇抜なそれだけでなく、普通のシャツやジーパンもあって助かった。ただし下着はなかったので、浴場に用意されていたハーフパンツのまま、上からズボンを履く。私服と下着はこれから洗濯だ。

 寝起きの悪い千鶴は「私わあ、あとお、五億年眠るう~」なんて云いながら起きようとせず、僕は二人分の洗濯物を抱えて一階に下りた。洗面所に寄って洗顔と歯磨きを済ませてから、斜向かいの洗濯室に這入る。

 洗濯機と乾燥機が二台ずつ設置されており、洗濯機は片方が空いている。標準モードで回し始めたところで、部屋の扉が勢い良く開いて、沢子が這入ってきた。

「うぇ~い、道雄くん。おはよーって、それどころじゃないんすよ!」

 既に回っていた洗濯機を停止させて蓋を開ける。「ああ~~!」と叫びながら取り出したのは二つ折りの青い財布だ。びしょ濡れで、水が滴っている。

「これ! これえ~~~!」

 悲嘆の表情で、僕に財布を突き出してくる。

「財布、洗濯しちゃったんですね」

「レンタルしてる財布なんすよ、これ! ブランドもので。買うお金はないんで。バレたら賠償金とか必要なんすかね? 最悪っすよ~。わっ、お札も死んでる……」

 中身を(あらた)め、さらに真っ蒼になる。

「全額を、洗濯じゃないっすか。レンタルした財布ごと」

「……いま踏みました?」

「うぇ~い」

 全額を洗濯。あとレンタルもそうか。

 昨日はピンと来なかったが、押韻というものが分かってきた。

「破れてないなら、乾かしたらセーフかも知れません」

「お札を? 縁起よいとは云えませんけど、天日干しっすか?」

「干さなくても、ドライヤーで乾かすとか――」

「あーっ。今度は気付きませんでしたね」

「え、なににですか?」

「縁起よい。天日干し」

「……あっ」

「うぇ~い」

 両手で指を差してくる沢子。

「うち、結構シャドーライムを仕込んでるんで。注意してください」

「すみません。よく知らないんですけど、ラッパーの人はこういう会話でも韻を踏むものなんですか? それだけじゃなくて、自分の曲とかもあるんですよね? 沢子さんも」

「当然っすよ。会話の中で踏むなんてお遊びっす」

 彼女はなにかを思い付いたらしく、指を鳴らした。

「こんなおやじギャグが実力と思われたら、困ります。うちのラップ聴いてくださいよ、道雄くん。ちょっとこれ干してくるんで、うちの部屋で待っててください!」

 返事を聞かずに部屋を飛び出して行った。別にいいのだけれど、此処の滞在客は自分勝手な人が多い気がする。

 広間を通って屋敷の西側へ。二階に上がり、北側が沢子の使用している客室だ。室内はガレージを模しており、中央に黄色いオープンカーが鎮座している。その後部座席がベッドになっているが、狭くて身体を痛めそうだ。周りには種々の工具やペンキ、タイヤなどが収められたラックが並んでいる。

 車のボンネットに座って待っていると、沢子が「よーよーよー」とご機嫌な調子で帰ってきた。リズムを取るように身体を上下に揺らしながら、車の周囲を回り始める。

「てか、韻を踏むのはテクニックのひとつっすからね。それがラップの目的みたいに誤解されがちっすけど、違うんで」

「そうなんですか」

「ラップは歌唱法だし、ヒップホップは音楽っすからね。結局はグルーヴなんすよ。聞き心地っす。韻を踏むだけが目的なら、曲にしなくてもいいじゃないっすか」

「なるほど」

「あとはもちろん、リリックの中身っすね。クラブで踊れればいいでしょーって、ノリだけ重視のラッパーもいますけど、交われないっす。うちはリリシズムにこだわります。やっぱり伝えたいことがあって歌ってるんで。揺らしたいのは身体より心っすよね」

 おちゃらけた振舞いとは裏腹に、表現者として確固たる芯を持っているようだ。

 そこで突然、オープンカーのスピーカーから音楽が流れ始めた。沢子は手に持っている携帯を掲げる。

「ワイヤレス接続で、そっちから音を流せるんですよ」

 曲そのものは、特に印象的なものではない。単調なインスト曲だ。

「ま、論より証拠っす。うちはまだ駆け出しなんで、ビートメイカーの友達とかいません。だからフリートラックに乗せます。準備はオーケーっすか、道雄くん」

「大丈夫です。お願いします」

「じゃあ早速――曲の名前は『すくらむの好くライム』!」

 曲に合わせて、いよいよ彼女は歌い始めた。

「イエー、うちはすくらむ! すぐ病む奴じゃない、すぐやる奴! すくらむ! イエッ、何度でも云う、すくらむ! 毛布にくるまる! だって冬なら寒いだろ? だけど夏は暑い! だからしちまうぜ脱衣! ぐらいな感じ! イエッ、さつまいもじゃねえけど、まず最高じゃねえ? ヨーヨー、すくらむ! うちはムスラムじゃねえぜ! ヨー、ムスラムってなんだよ? イスラムと、ムスリムが、混ざって、やがるぜ! つまりは混ぜるな危険! イエッ、うちは危険な女! 学校はトンだ! バイトもバックレた! だけどラブレター! もらったぜ! ホーッ、虫に刺されて、かぶれたー? かゆいぜ、かゆいぜ、虫刺され! うるせえ奴は無視だ、去れ! ヨウッ、ヨウッ、うちはすくらむ、二十一歳! ラップの天才! チェケラッ、チェケラッ、天才! すくらむ! 天才!」

 なんだか恥ずかしくなってきた。

 僕がこういう音楽に慣れていないせいかも知れないけれど、かなりダサいんじゃないだろうか? リズムは出鱈目(でたらめ)だし、内容もしょうもない……。

「天才! 借金返済! なんてしねえぜ! 韻と借金は踏み倒せ! すくらむ!」

「ちょっと待ってください、すみません」

「すくら――わらー? どうしたんすか?」

「それは、えっと、即興でやってるんですか?」

「なわけないじゃないですか。練りに練ったリリックっすよ」

「へえ……」

「どうでした?」

「いや……よくそんなに、韻を踏めるなと思いましたよ」

 韻を踏むのは目的じゃないみたいなことを話していたが、他の褒めどころが分からなかった。申し訳ない。

「ありがとうございました。あの、これからも頑張ってください。応援してます」

 ボンネットから腰を上げかけたところで、沢子が「待ってください!」と叫んだ。

 片手を前に出して、そうしている彼女自身が一番驚いているような顔をしている。

「なんでしょう……?」

「いいえ、ちょっと……」

 口ごもる沢子。顔が赤くなり、目が泳ぐ。

 どうしたのだろう。彼女のそんな様子ははじめて見る。

「実はもう一曲、あるんです。そっち――聞いてもらえませんか?」

「ああ、はい……分かりました」

 断るわけにもいかない。本音はこの気まずさから早く解放されたいのだが……。

 沢子が携帯を操作すると、スピーカーから別のインスト曲が流れ始めた。今度はベースの低音がよく効いていて、安っぽい感じはない。どことなく哀愁のある音楽だ。

 何度か咳払いする沢子。歩き回りながらでなく、その場に立ち止まって歌うつもりらしい。どういうわけか、面持(おもも)ちに緊張が滲んでいる。

「あー、あっ、気付けば時は経ち、うちもハタチ。真っ当な人生と間違え探し、する気だったらハナからねえ。自分の気持ちに逆らわねえ。穴だらけでも進むマイウェイ。ままならねえし、サマにならねえ。けど自分を曲げるより、自分を書ける歌詞。涙の理由を変える、この先」

 なんだ? さっきまでと全然違う。

 たしかに練られた詩という印象を受けるし、絡み付けるような独特の発声が音楽に嵌っている。

「不安になる夜もあるが、それもリアルだ。糧にして磨く。夜が明けたとき、この歌は光るはずだ。(いき)がるだけの尻軽じゃねえ。やることがある。孤独は苦じゃねえ。来るもの拒まずに、去るもの追わずに。自分の未来を閉ざさずに開く。世間体とは違う、この美学」

 そこでバックのインスト曲がドラマチックな転調をした。静から動に転じるかのような。それに合わせて、沢子のラップも一層の熱を帯びる。

「周りを見てみりゃ生ける屍! なりたくねえから、やるしかないぜ。しがない自分とは思わねえ。最高級品、チャイコフスキー! 周りを見てみりゃ生ける屍! なりたくねえから、やるしかないぜ。しがない自分とは思わねえ。最高級品、チャイコフスキー!」

 曲は再び静のトーンに戻る。まだ続いているが、沢子のラップはそこで止まった。

 照れているかのような、ぎこちない笑みが僕に向けられる。

「ワンバース目の十六小節と、それからフックだけですけど……どうですかね……」

「良いです! さっきよりすごく良いと思いました!」

「本当っすか! やったー!」

 ぴょんと飛び跳ねてガッツポーズする沢子。

「さっき話してたみたいに、中身がある感じですね。歌詞がこう、気持ちが入っていて」

「え? え?」

 両手を口元にあてて当惑している。と云うか、感激しているのか?

「ありがとうございます……」

「使ってる曲も良いですね。抒情的(じょじょうてき)で、掻き立てられる感じがします」

「ですよね! これもフリートラックなんですけど、探しまくって見つけました」

「へえ。だけど、やっぱり歌詞――リリックですか? それが曲に合っているのが、相乗効果ですね。書けてるのはそこまでなんですか?」

「え、続きってことっすか? もっと書けてますけど……」

「聞きたいですね。よければですけど」

「も、もちろん大丈夫っす。え……ありがとうございます!」

 ラップを褒められた彼女は、やけに純粋な反応を見せる。こちらが素なのだろうか。

 そのとき、部屋の扉が開いて千鶴が這入ってきた。

「道雄、此処にいたー。もう十時半だよ。朝ご飯つくらないと駄目じゃん」

 完全に起床した様子だ。衣装室から借りた薄黄色のワンピースを着て、髪も耳の下で二つ結びにしている。

「つくるって、僕が?」

「今日の朝ご飯当番は、落涙さんなんだって。つまり私たちってわけ」

「ああ、そういうこと。すいません沢子さん、続きはまた後でお願いします」

 千鶴が「なにしてたの?」と訊くので、「ラップを聞かせてもらってたんだ」と答える。

「いいなー。沢子ちゃん、私も後で聞きたいよー、聞きたいよー、空には太陽!」

「うぇ~い、千鶴ちゃん。まるで太陽、才能を開放!」

「さっすがー。うぇ~い」

 ハイタッチする二人。僕が知らない間に、妙な打ち解け方をしている。

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