第2話 尋問
チー…チー…
蚤やダニを体に住まわせた痩せ鼠のか細い声が、ドルレオを勾留する檻の中から聞こえる。
サクルから破壊された右腕の関節は他の四肢と共に
鎖に繋がれ、さながら吊るされた獣の腿肉のようだった。
埃ですすけた詰所は不衛生で小汚く、ドルレオのような
非道の輩が抱える精神を
事象として表したような場所で、おおよそ見目麗しい人間がいることを期待しない方がいいだろうと…
そう思える場所にその人物は居た。
腰には二丁の短剣と瓶のようなものを持ち
さらさらとつやのある深い紫の髪を
暗い金色の留め具で纏めた美形の若者。
だが若者らしい熱気やエネルギーのようなものは
感じられない。それには理由があった。
その蛇のような両目だ。
どこか肚を見破られているような、詮索されているような
そんな感じを覚える黒い瞳。
ドルレオはこの目がたまらなく苦手だった。
「お久しぶりですねぇ〜
いやぁ〜手ひどくやられましたねぇードルレオさぁん」
冷たい雰囲気を隠したすり寄るような声で
その麗人は声をかけた。
「…仕留めに来たかよ蝮女…」
「やめて下さいよぉ〜ボク、あくまで性別不明で居たいのでぇ〜〜」
「………知らねぇよ……ッ………やるなら早く殺れよ………」
両の手を口元に当ていたずらっぽく笑って見せる姿は
さながら今の満身創痍で疼痛に呻くドルレオを
嘲笑う小悪魔のようだった。
西陽が蝮女の整った顔の
上半分を覆い隠しているのが余計そう思わせる。
「えぇ〜?良いんですかぁ〜?
その怪我、治してあげようと思ってたんだけどぉ?」
「…野郎は一瞬で治ってたな……」
「なんか言ったかな?」
「何も?それより…治すってホントかよ」
右腕肘の靭帯損傷と右側肋骨、頭骨のヒビ。
控えめに言っても重症。
勾留されて少し経ったものの、痛みは一向に引かない。
眼の前の小悪魔を信用はしていなかったとしても
可能性があるのなら怪我の治癒は済ませておきたい。
ドルレオの思うところはそんなところだった。
鎖に繋がれた男の懐疑的な発言に蝮女は
釈然としないといった顔で答えた。
「まぁね。君、割と善戦してたしさぁ。
まだまだ頑張って貰えるかなぁって。
それにさ……」
「……?」
不意に蝮女の手がドルレオの
折れた関節に伸び………
「あ"がぁ"ぁぁ"ッッッデェ"ェ"!!!!」
───破壊された箇所に握り込まれた
「仕事は早くしてもらわないと困るでしょ?」
「ゔぅあ"ぁ"ぁッグゥゥや"めろ"ッ
掴ん"でひね"るな"ぁッ!!」
「偉そうだけどさ。
折れた腕じゃまた君やられるちゃうでしょ?
ボクとしては依頼した君にちゃんと仕事して欲しいんだよねぇ。
おわかり?かな?」
「分かった!!!分かった!!
次は仕留める!!!だから早く治してくれよ!!!」
ドルレオの声には痛みと恐怖の色が滲んでいた。
それに反して蝮女の顔には
若干の喜色が浮かんでいた。
人を屈服させた者の顔。
それが寧ろ妖艶にすら見えるのが
この蝮女という怪人の恐ろしいところだ。
「……フフフ♪最初っからそう言えばいいんだよぉ〜」
握り抓る手を離し腰に備えた薬瓶を開け
自身の口内に入れてドルレオに口移しで流し込んだ。
「……ん!…むぐぅ……っハァ…ハァ………クソ…」
「フフ♪直に傷は良くなるはずだよぉ〜
タドリィの葉とボクの唾液を混ぜ合わせた
薬だからねぇ
ねぇねぇ〜ドキドキした?」
ドルレオの意識は朦朧としだす。
暫らく蝮女はドルレオの様子を
見たあと、スタスタと音も立てずに詰め所から出た。
「…すぅ〜…すぅ〜…zzz……」
見張りの兵士たちは既に蝮女の
薬で無力化されている。
何人もの兵士相手に叫ばれることなく始末をつけたのだ。
「…さてと、ボクも仕事しなきゃねぇ〜」
無人の詰め所の中に、蝮女の
独り言に返答をする者はいない。
そう、一時間前に居たラフィーア達も居なかった。
────一時間前
「…要するに…サクルさん、あなたには記憶がない…と」
「……はい」
「で、頼れそうなのがそっちの…ラーニャさんだけ…と」
「えぇ、このラーニャだけざます」
(余計なことを言わないでくださいラフィーア様…)
ドルレオを街を取り締まりに来た兵隊に任せた後
ラフィーア、アーシマ、サクルの三人は
蒸し暑い詰め所の中で事情聴取を受けていた。
話の争点は、もっぱら裸一貫で
賊を蹴散らした男、サクルの処分についてだ。
名前も覚えておらず知り合いもいないうえに
戦闘能力だけはあるときている。
街の癌になっていたというドルレオ一味を
掃討してくれたのは良いものの
その立役者は明らかに怪しい謎の半裸男、という
受け入れがたい謎の状況を兵士たちは
持て余しているようだった。
先程からラフィーアが主導となってサクルを
旅の共にしようとしているが、兵士側からの
素性をしっかり調べたいという意見と
見た目が明らかに高貴な人間を危険に晒した上に
素性の知れない人間を見逃したとなれば
全員の首が比喩的な意味でも物理的な意味でも
飛ぶ可能性を考えて、サクルを勾留するという
仕事をしなければならないという立場上の理由が
あるため、話し合いは平行線を辿っていた。
「うーむ…申し訳ないですが
暫らくこちらで詳しくサクルさんを調べる必要が…」
「先程賊を倒してくれたのは彼でございますわよ!?
そんな人間が悪いはずが無いざます!
アーシ…アーシェナも何か言いなさい!」
「そんなことを言われましても
こちらで観察をしなければ危険ではないと
言い切れないでしょう?
一日でいいので…」
「一日!?そんな早く出来るわけないでございましょ!?
嘘おっしゃい!!」
(…名前を変えるのは良いですけど
そんなに口調を崩す必要は…?)
木机を挟んでサクルの対面に座る禿頭の兵士長は
それなりの立場があるようで
ラフィーア達の一挙手一投足に戦いてはいるものの
受け答えははっきりとしている。
こちらの弁だけでサクルを連れて行くのは無理そうだ。
せめて何かしらの口実があれば……
(…そもそもなぜラフィーア様は彼を連れて行こうと?)
「仰ることは分かりますが…」
コンコン
失礼します。ご注文の香辛料をお届けに参りました。
「…申し訳ありませんが、少しだけ席を外しますね…」
「…どうぞ」
カチャ
ガラガラ…
すみませんお忙しい所に…何分傷みやすいもので…
いえいえ…この時間は若いのも
警備で出払ってますしね…
お金の方は隣の部屋にありますので
少々お待ち下さい…
ご丁寧にどうも…
(…仲のいい行商人の方ですか…)
アーシマがふと思ったときだった。
「アーシマ、これよ!」
「え?ど、どういうことですか?ラフィーア様?」
「これならサクルと行動を共に出来るわ!」
「そ、それはどういう?」
「いい?ちょっと耳を貸して…」
(…俺は何をしていればいいんだろ…)
────3分後
「…確かにそれなら
彼と共に行動をできるでしょうけども…」
「おほほ!それなら彼を引き入れること
認めていただけますね?」
「そうですね…ただ、そのためには
彼らに認められないといけませんけども…」
「あら、兵士長殿。彼、あなた方の手こずっていた
ドルレオ相手にどうしましたの?
そんな彼を疑うのですの?」
兵士長の白髪交じりの禿頭に汗が滲む。
そんな様子を見抜いてか、ラフィーアは
いたずらっぽくからかった。
「…分かりました…約束を取り付けましょう……」
三人は兵士詰め所から街のバザールに向けて移動した。
その数十分後、詰め所に何者かが侵入し
見張りの兵を無力化されていることによって
兵士長の希少な毛髪が落花することは
知る由もない。