7話 レベルダウン
「ユッキーじゃーん!」
「おわっ!」
蘭童殿と雑談をしていると、馴染みある声と共に背中に衝撃が走った。
少し前方によろけるが、突っ込んできた主は意に介さずくっついたまま、僕の頭の真横から顔を出す。
「どうしたのユッキー、あたしとバスケしにきたの?」
周りの視線を一切考慮せずに眩い笑みを見せてきたのは、神代さん家の晴華さんだった。
「お前な! 転んだらどうするつもりだ!?」
「あはは、そしたら2人揃って寝っ転がってたね!」
「子どものじゃれあいじゃないんだぞ! てかくっつきすぎだろ!」
「1週間に1回、1分まではいいルールでしょ?」
「誰がそんなルール決めたんだ!?」
「ユッキーだけど?」
ぼ、僕が決めただと?
確かに、学校で晴華にくっつかれてそんなルールを制定した記憶がないでもないが、公共の場で実行するのはいかがなものだろう。
「あのな、お前がくっつくといろいろ当たるんだよ」
ということで、正攻法で晴華を引き剥がす。性的なことに免疫のないコイツなら今の言葉で退く算段だったが、
「ふふ、甘いよユッキー。そんな言葉で照れると思ったら大間違いだよ?」
晴華は口角を上げたかと思うと、むしろ押し付ける方向にシフトしてきた。
まさかこの女、この2週間足らずで成長しているだと……? 馬鹿な、早すぎる……!?
まあ彼女からしたら普段女友達にしていることを僕にしているだけという感覚なのかもしれないが、この接し方が晴華のデフォルトになってしまっては困る。触覚だけでなく、聴覚や嗅覚にも攻撃を仕掛けてくるからタチが悪い。僕の平穏が遠のいてしまう前に、対処しなくてはならない。
とはいえ何が効果的なのか分からない。正攻法が通じなかった今、新たな試みが必要になるわけだが、何をしたら晴華は離れるだろうか。
そして思い付いた。レベルダウンしてしまうのはどうだろう。最近自身のレベルアップに拘っていたが、その逆を見せることで僕に幻滅し距離を置きたくなるという作戦である。
僕のカンストレベルに高い男前ゲージを叩き落とし、最底辺にて表現する。見せつけるのだ、男の最低値というものを!
「デュフ、デュフフ。晴華たんの感触、匂い、すこすこなんだお」
イメージするのは常に最低の自分、その甲斐あってか晴華は瞬時に僕から距離を取った。溢れ出る僕の最低オーラから危険を察知したのだろう。作戦成功、こうして僕に平和が訪れた。
「……廣瀬先輩」
それと同時に、大切な何かが失われようとしていた。蘭童殿の僕を見る目が最低レベルまで冷え切っており、少しずつ距離を取られている。ちょっと待って、こんなレベルダウンは望んでおりませんよ?
「ご、誤解だ蘭童殿、今のは晴華と距離を取るため仕方なく」
「あ、はい、そうなんですね。あー、すみません先輩、そろそろ部活に戻らないと」
ま、まずい! この話題転換の雑さ、あからさまに避けられている。このままでは変態というレッテルを貼られてしまう!
「待ってくれ蘭童殿、話を、どうか話を!」
「安心してください、廣瀬先輩の癖は墓場まで持っていきます。あいちゃんにも決して言いませんから〜!」
そう言い捨てて、蘭童殿は僕と目を合わせることのないまま、バスケ部へと戻ってしまった。
その後ろ姿がショックで、僕はその場に膝から崩れ落ちてしまう。
なんでだよ、僕が何をしたっていうんだ。ちょっと晴華の耳元でデュフフって言っただけじゃないか。……冷静に考えたら重罪だった。僕は一体何をしてるんだ。
「ユッキー、今のはないよ今のは」
僕が悲しみに項垂れていると、レベルダウンの元凶が容赦なく痛いところを突いてきた。
僕は体勢を変えないまま、顔だけ晴華へ向けてキッと睨む。
「他人事みたいに言うな! そもそもお前がくっつかなければこんなことには……!」
「えー、あたしはあたしの権利を行使しただけだよ?」
しかしながら、晴華に反省の色は見られない。あんな人によっては目に毒になりかねない光景を作っておきながら無責任な女である。
「だいたいユッキーが後10秒くらい耐えてたら1分だったんだからね? そしたらデュフデュフ言う必要もなかったわけだけど」
そのトドメの一撃に、ぼくは二の句が継げなくなった。そうか、やいのやいの言いながら時が経つのを待てば良かったのか。晴華からの接触を避けたいあまりの短絡的な行動、我慢が足りなかったのは僕と言うことか。
「まあまあユッキー、仮にユッキーが底辺レベルで変態だったとしてもあたしは受け入れるから」
晴華は依然として項垂れる僕の肩を叩きながら慰めるが、貶しているようにも聞こえるのは何故だろう。
「嘘つけ、さっきは一瞬で離れたくせに」
「そりゃびっくりしたから離れたけど、ユッキーの狙いが分かった以上は気にならないし」
僕の狙いというのは、晴華を離れさせるために底辺発言をしたことだろう。目的があるのだから発言は本心ではない、晴華は分かっているようで何よりだが、蘭童殿に伝わっていなければ何の意味もない。あの奇行を墓場まで持っていかないでください。
「そ・う・い・う・わ・け・で!」
未だ体育館の床と見つめ合っていた僕は、弾んでいた晴華の声に気を回すことができず、
「後10秒、ユッキー成分チャージだ!」
再度くっついてきた晴華の思うがままにひれ伏した。
本日2度目の柔らかい感触を受け、僕はゆっくりと悟りを開く。
いいよもう、そこまでいうなら堪能してやるよ。男子高校生に紳士を求めるなんて、赤ちゃんに泣くなというようなもの。もはや周りの目なんて気にしない、男どもの羨望の眼差しに浸りながら、僕のインモラルを解放させてもらう!
「デュフ、デュフフ」
「ユッキー、それもういいから」
はい、すみません。