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0.01パーセントの心の声

作者: かざふりょじん(風吹旅人)

みかん色の電車から始まる小編です。

いつしか、みかん色の電車を見る主人公は、みかん色の電車に乗るようになります。

そこから始まる小さな小さなドラマです。

どうぞ肩の力を抜いてお読みください。

◾️みかん色の電車


まだ、朝の7時前、冬の朝日に向かって走っていく電車を指さして母親はこう言った。


「ほら、ヨシオ、みかん色の電車が走っていくわ。お父さんが乗っているのよ。」


ヨシオの父親は若くして家を購入した。

元気なうちに払い終わりたいと、30をいくらか出ないうちに30年ローンを組んだ。

給料の上がらないうちは、あまり高額なローンを払えないから、地価の安い郊外の物件を選んだ。

家の引き渡しを受け、引越しをした次の日から、父親は片道1時間半の通勤を始めた。

8時半の会社の始業に間に合うために、7時前の電車に乗らなくてはならない。

冬の日の出の遅い頃は、電車は朝日を浴びてオレンジ色に燃えた。

それを母親は「みかん色の電車」と表現したのだ。

まだ幼稚園に入ったばかりのヨシオは、家から見える電車を指さして「みかん色の電車だ〜。パパ、行ってらっしゃ〜い。」と無邪気に笑っていた。


◾️無神経電車


それから、10なん年が流れた。

幼稚園児のヨシオも今年から高校生になった。

ヨシオは、先生の強い勧めもあって、市内の進学校に通うことになった。

そして、その高校は家からやはり1時間半かかる場所にあった。しかも、始業時間は父親より早い8時10分なので、6時半の電車に乗らなければならなかった。

また週に2回は朝テストがあり、その日は6時の電車に乗った。

彼もまた父親同様、みかん色の電車の乗客となったのである。

しかし、今まで地元の中学に通い、ゆっくりできていたのが、急に朝が早くなったのでなかなか身体のリズムが追いつかない。

頭がボーッとしたまま、電車に乗り込んで、幸い時間が早いのと、都心から離れているためにガランとしている車内の一番良い席に陣取ってすぐに眠りに落ちた。

ガタンガタン、心地よい電車のリズムを聴きながら、夢うつつのこの時間はヨシオにとって至福の時であった。

時折、まばゆい光を放ち始めた朝の太陽が窓越しにヨシオの顔を撫でるけれど、少しも気にならない。陽だまりの昼寝よろしく、ヨシオの夢心地は続く。

しかし、30分も走るとまばゆい外光のベールを脱ぎ捨てて、電車はそのまま地下鉄に連絡した。

暗闇に続くアーチを抜けると、そこは24時間の夜の世界。

パアアアアンと言う鈍い響きを放って地下鉄と装いを変えた電車が行く。

そして、それは都会の喧騒の始まりだった。

プシューッ!

嫌になる程聞かされるドアの開閉音。

そして、ドヤドヤと電車に入り込む会社員や学生たちの靴音。

時折聞こえる女学生たちのおしゃべり声。

ヘッドホンから漏れる喧しい音楽。

そんなノイズにさらされるうち、ヨシオの心地よい眠りは覚まされてしまう。

そして、また目を閉じて、再度夢の世界への突入を試みようとする。

たいてい、そんな時だ。

いつものあの人物が現れる。

年の頃は、80過ぎだろう。

いつも重そうな荷物を手に提げて乗って来る、その老女は多少位置こそは違え、いつもヨシオの視界にいた。

その時間には、もう席が埋まり老女はいつも立たされていた。背が低いのでつり革につかまることはできない。 折良く座席横の鉄製の握り棒に掴まれたら良いが、それも既に人で埋まっていることが多い。

結局、足だけで踏ん張ろうと頑張ることになる。しかし、電車が急に速度を落としたりすると、前のめりに倒れそうになった。

そんなことを毎日何回も繰り返しながら、10駅先で降りてゆく。

しかし、それを横目で見ながらヨシオは席を譲ろうとは思わなかった。

ヨシオにはヨシオなりの理屈があったのだ。


「自分は、こんな遠くから来て遠くまで行くのに、途中から乗って来てさも当然のように席を譲れ言う。そんなに、座りたけりゃ、時間をずらして乗りゃいいんだ。

それに席を譲ったら、自分はこの後ずっと立たなきゃならないだろ。」


ヨシオ以外も、そんなことを考えている人間ばかりなのか、ついぞ老女は席に座れたことがない。

故意な無神経を装った人間を満載して、今日も「無神経電車」が走って行く。


◾️ピンク色のカーディガン


そもそも、片道1時間半、往復3時間も通学に時間をかけるのなら、その分勉強した方が良いと思うのだが、ヨシオの父親によればそうではないらしい。

彼は1日3時間を通勤に使って、しかもその間資格試験の勉強をした。

誰でも覚えがあるように、電車の中の勉強は至って効率が良い。そのおかげで、ヨシオの父親は会社では一番の資格ホルダーになっていた。

ヨシオもそのおかげかどうかは知らないが、成績は悪い方ではない。

そんなヨシオにも、最近密かな楽しみができた。

その日、ヨシオはたまたま電車が地下鉄に連絡したと同時に目を覚ました。そして、そこから2駅目に彼女は乗り込んできた。

それは他校の女子生徒で、開いている参考書が高1向けなので同い年らしいとわかる。

今風な可愛い子とは違うけれど、ヨシオは一目見た時に彼女が心に飛び込んできた。

それは、北欧の少女のような儚げな外見をしていたからかも知れない。色白で、鼻すじが薄く、また唇もその色も薄かった。かわりに大きな瞳が顔の真ん中に二つ輝いていて、その目の下には隈のような薄っすらとした影が見えた。

紺色の制服の上にベージュのコートを羽織り、その下にはピンク色のカーディガンが覗いていた。そのピンクが彼女の白い顔にとてもよく映えている。

顔にかかる髪をかきあげる仕草も、ときおりあくびを嚙み殺そうとしている横顔も、おさげ髪の間からのぞく白いうなじも、ヨシオにはとても可愛く思えた。

それからと言うもの、ヨシオは少しでも彼女を目に焼き付けたいと、電車が地下鉄に連絡する前に目を覚まそうと努めた。

もちろん、電車の中でたまたま向かいに座るだけの関係に過ぎない。声をかけるわけでもない。しばらく心のうちに遊ばせるだけである。だから、少女に気取られぬようそれとなくちらちらと眺めるだけであった。

しかも、あと3駅も過ぎれば、乗り込んできた乗客によってその姿は隠れてしまうのだ。

そして、彼女がどこで降りるのかすらヨシオは知らない。ヨシオが電車を乗り継ぐために席を立つころには、彼女の姿はもうそこにはなかった。

彼女の姿が人混みの向こうに消えて、間も無く現れるのが、あの老女だった。

少女のシルエットは追えなくなり、老女の姿ばかりが目に映った。そして、手に提げた重そうな荷物と一緒に、お決まりの前のめりに倒れそうになりながらもなんとか踏ん張る動作を繰り返すのであった。


◾️ノイズ


電車のアナウンスが流れる。

「高齢の方やお身体の悪い方に座席をお譲りください。」

それを耳にすると、少しチクリと心が痛む。

でも、ほんの少しだけ。

0.01パーセントの心のノイズだ。

それに、優先席に座って平気で大股を広げている中年男性や学生たちがいる。

彼らこそ、まず席を譲るべきじゃないか。

そのための「優先席」なのだから。

ヨシオにとって、老女は日常の小さなノイズだし、「席を譲った方が良いんじゃない」と言うのも小さな心のノイズである。

まるで、世界から老女を締め出そうと電車の乗客全員でカルテルを結んでいるように思えた。

だから、一個人のヨシオが抜け駆けをしてカルテル破りするのは、怖いと言うか、とても恥ずかしかった。

しかし、あいも変わらず老女は、前にのめったり踏ん張ったりを繰り返している。

本当に倒れでもしたらたいへんだ。

母方のひいおばあさんは、尻餅をついただけで腰の骨を折った。年寄りにとって、一番恐ろしいものは何よりも転倒である。

そんなことを承知でこのおばあさんは何をしているのだろう。それに家族はどうしてそれを許しておくのか。

いや、そもそも身寄りがないのかも知れない。

例えば・・・

行いの悪い一人息子がついに大きな罪を犯した。そして重い刑罰を受けた(例えば無期懲役とか)息子を、そのように育ててしまった責任を感じて毎日面会に行っているとか。でも、刑務所の面会なんて毎日できるわけないか。

それとも、息子の嫁が病気で入院したから、朝から息子の家族の世話をするために毎日通っているとか。

それはヨシオの想像に過ぎない。

だが、そう思わせずにおれない老女の疲れきった様子と、それをより感じさせる粗末でヨレヨレのなりをしていた。

そんな想像をするうちに、だんだん大きくなるノイズをヨシオは懸命に振り払おうとしていた。


◾️ピンク色の勇気


そして、その日も老女は電車の中に立っていた。

ヨシオは見るとも無しに、広げた参考書の端から老女の姿を捉えていた。

ん、何だろう?

老女が手を振っている。

「いえ、いえ」をするように。

やがて、ピョコリと頭を下げて老女の姿は人混みの向こうに消えた。

そして、代わりにピョンと飛び出して来たのは、ピンク色のカーディガン。

そう、ヨシオが気にしているあの少女だった。

(席を譲ったんだ。)

席を譲る、たったそれだけのことである。

しかし、そんなたったそれだけの小善が自分にも、周りの大人たちにもできなかった。

誰にもできなかったからこそ、彼女の小さな勇気が偉く思えた。

ましてや、それがあの少女だったから尚更だった。

ピンク色のカーディガンの彼女は、少しはにかんで薄く笑った。そして、「そんなたいしたことはしてないですよ」と言わんばかりに、手にした参考書にすぐ目を落とした。

その光景にヨシオは、少なからず衝撃を覚えた。


しかも、それからである。

少女は、毎日のように老女に席を譲った。それはまるで、老女のために席を温めて用意しているかのようだった。

そして、いつものように「いえ、いえ」と手を振るやり取りを老女は少女と交わしていた。最後にはいつも席をゆずっている少女の顔は、参考書に目を落として伏せていたが心なしか輝いて見えた。

ヨシオと言えば、少しでも長く彼女の姿を見られて嬉しいはずが、心の隅に後ろめたさが残るのをどうしようもなかった。


◾️0.01パーセントの心の声に耳を澄ませよ


そんなことが、一週間以上続いた後、老女に席を譲った後に少女が軽く咳をした。

あいにくマスクの持ち合わせがないらしくスカートのポケットから白いハンカチを取り出して口に当てた。

顔が少し赤らんでいた。

熱があるのかも知れない。

彼女は咳を繰り返していたが、ついに辛そうにしゃがみこんだ。

思わず、ヨシオは立ち上がろうとした。

しかし、恥ずかしさがそれを押しとどめた。

あの老女は、すぐに立ち上がり彼女に席を変わろうとした。

だが、少女は首を横に振り、気丈に立ち上がって笑った。


「大丈夫」


そう言っているのだろう。

彼女は時折咳をするものの、何もなかったかのようにつり革で身を支え、やがて老女より一駅前で降りて行った。


そして、やはり風邪をひいていたのか、次の日少女の姿はなかった。

その日老女はずっと立っていかなくてはならなかった。老女はその時、気遣わしげに当たり見回した。昨日辛そうだった少女が気になるのだろうか。

電車の速度が変化するたび、前に後ろによろつく老女がヨシオには気になってしょうがない。転倒をして怪我でもされたら、ヨシオはあのピンク色のカーディガンの少女に申し訳ない気がした。


次の日も少女の姿はなかった。

電車が地下鉄に連絡して、何駅も過ぎた時、乗り込んできた老女とヨシオは目があった。

その時、ヨシオに特別な意識はなかったかも知れない。スッと立ち上がって老女に近づいでいった。

まるで、だんだんに大きくなった心のノイズに押されるように。

自然に声もでた。


「おばあさん、今日は僕が代わります。」


老女は、ヨシオの顔を見てびっくりしたように目を開いた。しかし、次の瞬間嬉しそうに目を細めて、


「有難うねえ、どうしてあんたたちはそんなに優しいんだろうねえ。」


「いえ、あたり前のことです。」


心のノイズが素直に声にでた。

そして、わだかまっていたものが外に出て楽になった気がした。

なあんだ、最初からこうすれば良かったんだ。ヨシオは誇らしい気がした。


翌日。

その日、少女は姿を見せた。

顔に大きなマスクをして、顔も少し赤っぽかった。

やはり、風邪だったのだろう。

まだ、完全に治ってはいないのかな。

やがて、電車は夜の道を進み、駅に停車するとプシューッと音を立てて乗客たちを迎え入れた。

そして、その中に老女の姿があった。

すぐに少女はまだ病み上がりの身体を席から浮かして、老女に席を譲ろうと人混みの中から頭を出した。

しかし、その前にヨシオがスッと席を立って老女に座るように手で促した。

老女は、嬉しそうに目を細めて、ピョコリと深く礼をすると素直にヨシオの気持ちに応えた。

少女は、少し驚いたような顔をしてヨシオに礼を言った。


「あ、ありがと。」


「いつも気がついていたよ。たいへんだろ?これからは、僕も半分代わるから。」


それにニッコリと満面の笑顔を浮かべた彼女に、ヨシオはドギマギした。


「いつも、一緒だね。」

「うん。」


「どこまで行くの?」

「え・・・一高まで。」


「え〜、頭いいんだ。」

「う、うん!」


0.01パーセントの心の声、その声に耳を傾けて聴こえたのは、ヨシオにはとても嬉しくて誇らしい心の声だった。


(おわり)



私たちにも、いろんな0.01パーセントの心の声が聞こえます。

「こんなことばかりしていると後悔するぞ」とか、「正しい自分でいるためにはどうしたら良いのか」とか。

今は小さい声ですが、やがてノイズに思えたその声が後悔や自責の念になって鳴り響くことがあります。

小さくても、0.01パーセントの心の声に耳を澄ませいつも正しく振る舞えたら、後悔したり、間違うことはなくなるのでしょうね。

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