間章 そしてすべての始まりを告げる
カサッという小さな音が、足を前に出すたびに生まれていた。
服越しからでも伝わる風は昨日よりも冷たくなっており、視界の端ではふわりふわりと髪が舞い踊っている。天を仰げば突き抜けるような青い空と、そこに連なり合って浮かんでいる羊のような雲が幾つかあった。そしてそれを縁取るように、赤や黄色の木の葉が景色を彩っている。
日増しに秋が深まってゆくのを身体のすべてで感じると、僕はほうっとため息をついた。
秋という季節は、どうにも哀愁を感じずにはいられない。
すべてが暖色に染まり、優しさと温もりに包まれているというのに、心の底からは安らぎよりも先に孤独感が生まれてくるのだ。
それは木の葉が散ってしまうと解っていたからか、それともすぐに町が雪の下に埋もれてしまうと解っていたからか。僕にはどうしてかなんて、そんな大層な理由は思い浮かばなかった。
けれど、これは理屈なんかじゃないのかなって。何となくだけど、そう思う。
頭で考えても解らないことがあるのと同じで、秋ってやつもきっとそんなものなんだろう。だって感じるのは、頭じゃない。心なんだ。そんな心にしか解らないことだって、きっとありふれているに決まっている。
音もなく落ちてくる木の葉を、僕はぼんやりと見つめた。また足元でカサッという音がする。
すると突然、隣を歩いていたリリアスが「あ」と小さな声をあげると、ずっと先まで続いている道を駆けていってしまったのだ。僕は目をまん丸くしながら、慌てて彼女の姿を追う。
だが幾許もしないで立ち止まると、リリアスは今まさに舞い始めた一枚の葉をじっと見上げているではないか。そして葉が徐々に落ちてくるのに合わせて、彼女の手も天へと向けられる。その姿はまるで幼い子供のように邪気がない。
ほっとした僕は歩みを止めると、少し離れた場所からリリアスの姿を見守ることにした。
らんらんと輝いている紫の双眸は、やっぱりじぃっと落ちてくる木の葉を見つめて離さない。だが、ややしてから「えいっ」とジャンプをすると、リリアスはくるくると舞っている木の葉を上手く掴んだ。途端に達成感のある笑みが、その顔一面に広がってゆく。
真っ赤に染まった木の葉を掌の上に置くと、彼女はそれを愛しむような眼差しで見つめていた。それから頬を染め、えへへと小さな笑い声をあげている。僕の視線に気づいてもそれは崩れることなく――それどころか、もっともっと嬉しそうな顔をして、手にした木の葉を掲げていた。ちょっと誇らしかったのかもしれない。
リリアスはひとしきり葉っぱを眺めると、やがて僕のほうへと走ってきた。それから「はい」と言うと、その葉を渡してくれる。星に似た形をしたそれは、楓の葉だった。
確かにそれはきれいで、きらきらと輝いているようにも見える。もしかしたらリリアスがくれたからそう見えたのかもしれないけど、それでも僕の抱く気持ちは変わらなかった。その葉は一つの仕事を終えた後の清々しさを纏っていたのだから。
僕は手元の葉を見て、それからその葉をつけていたであろう楓の木を眺めた。風と共にさわさわと揺れている姿は、楽しそうにも儚そうにも見える。
しばらくすると、リリアスは照れたように僕の肩へと寄り添ってきた。トンと触れあった感触に、ちょっとだけドキドキしてしまう。
僕はそのことを気づかれないようにありがとうと言うと、ひどく穏やかな気持ちに包まれながら瞼を伏せた。目の前が心地良い闇に覆われる。
愛する人の温もりをこんな近くで感じていられる。
たったそれだけのことで、僕の中から秋の寂しさは吹き飛んでいくかのようだった。大袈裟かもしれないけど、僕はたったそれだけのことで十分に幸せだった。満たされていた。
優しい静寂に守られながら、僕たちはとぽとぽと歩いていく。
「ねぇ、リリアス。冬に入ったら、一緒に山に登ろうか」
にこにこと笑っているリリアスを見ながら、僕はだしぬけにそんなことを呟いていた。彼女は「え?」というように、その表情を驚きの色に染めている。
それは僕の話があまりに突拍子もなかったせいかもしれないし、もっと別の理由があるのかもしれない。
リリアスはちょこんと首を傾げると、僕の顔を覗き込んできた。
「いいけど……冬の山って、何かあったかしら?」
「山には何もないかもしれない。けれど、そこから銀色の世界を見渡そうよ」
そしたらきっと、きれいな世界が広がっているよ。
僕はそう言うと満面の笑みを浮かべた。リリアスもそれを聞き、嬉しそうに微笑みながらうなずいてくれる。それから「約束だよ」と僕に念を押してきた。
お互いに肩を揺らしながら、とぽとぽと歩いてゆく。
すると、ひらひらと舞い降りてくる赤い木の葉が、突風に吹かれて消え去っていった。サァッという細やかな音が幾つも聞こえてくる。しかしそれもやがては静まり返り、後には普段と変わらない光景が鎮座していた。
だが、その中で唯一違うものといえば、さっきまでは聞こえていなかった声が、僕を呼んでいたということ。
嫌に緊迫したその呼び声に、僕たちははたと振り返る。
そこには引き攣った表情を浮かべた一人の青年が立っていたのだった。
木の葉がまた、風と共に音を奏でていく。