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三章 紡がれた詩の果て(3)


     …*…


「お腹すいたから、そろそろお昼にしようよ」

 ティアナの言ったその言葉を皮切りに、三人は音楽室内の片付けをはじめた。アルベルトも参加しようと立ち上がったのだが、それはことごとくエリヴィアに止められたのである。

 ……いや。何を言おうとさせるものかと言わんばかりの態度に、アルベルトは立ち上がることさえ許されなかったと言ったほうが正しいであろう。

 それらを経て、現在四人は階段を下り校舎を出、食堂へと向かっていた。高等部の敷地のほぼ中央に建てられた食堂はドーム型をしており、また今は雪で隠れているものの、芝生できれいに覆われた緩い丘の上にある。

 鞄を振りまわしそうなほど元気なティアナは、寒いねと言うと植木にかぶさっている雪を両手ですくい、パァッと宙に放った。太陽が出ているためか、雪はキラキラと輝きながら落下していく。

 初めての雪ということで、ティアナはここのところ毎日雪で遊んでは、目を輝かせていた。後ろを歩いていたグレインは「冷てェな。飛ぶだろ」と文句を言いつつも、ティアナの傍に行っては信憑性のない、どうでもいいような知識を植え付けている。

「なぁ。雪が美味いって知ってるか?」

「えっ、そうなの?」

「マジだよ、マジ。夏に飲む氷水より美味いぜ」

「ほうほう、そうなのかぁ」

 ためしにこれ、食ってみろよ。

 そう言って植木の上に乗っている雪を鷲掴むと、グレインはそれをティアナの前によこした。純粋無垢なティアナはそれを真に受けて手を伸ばすが、口に持っていく前にエリヴィアが待ったをかける。

「ティアナ。あのね、グレインの言うことは話半分で聞きなさいって言っているでしょう。だいたいね、雪だって水なのよ? 味が変わるわけないじゃない」

「えーっ。変わらないの?」

「それよりも、人からもらったものは安易に口にしないの。解った?」

 いたずらが失敗をしたかのような表情を浮かべているグレインには目も向けず、エリヴィアは必死になってティアナにそう言い聞かせた。ティアナはいつものように「らじゃっ!」と声を上げると、右手を額の前にかざして敬礼のまねをする。

 だが再びグレインの無駄知識に目を輝かせているティアナを見てしまうと、どうにも心配が拭えなくて仕方がない。

 この子、本当に解ってくれているんだよね?

「楽しそうですね、二人とも」

 すると、のんびりと歩いていたアルベルトが独り言のように呟いた。音楽室から出る際に変えてもらったため、今はグレインの茶色のコートを羽織っている。

 エリヴィアは苦虫をかみつぶしたような表情をすると、おもいっきり肩をすくめた。

「そうだね。でもその分、目が離せなくって」

「ふふっ。エリヴィアさん、お母さんみたいです」

 微笑ましそうな笑みを浮かべているアルベルトは、本音をポロリと口からこぼしてしまう。

 確かに、そんなことをよく言われるけど……。

「それは喜んでいいのか迷うんだけどなー」

 強い脱力感が押し寄せてくるのを感じながら、エリヴィアは大きなため息をついた。

 それからほどなくして、四人は緩い丘を登りきり、食堂内へと足を踏み入れる。休日でも開放されている食堂内には、普段ほどではなくとも多くの学生や先生の姿があった。おそらく彼らも、試験やサークル活動に追われているのだろう。

 外のような身を凍らすほどの寒さとは打って変わり、温かな空気が彼らを迎えてくれた。耳に心地よい程度の話し声が絶え間なく続いており、それさえもがここの景色を明るくしているかのように思える。

 四人は辺りを見回すと、食堂の中を突き進んでいった。セイ=ラピリス科、理数科、文学科の三つの制服が、花を咲かせるように点在している。

 いつもはごちゃごちゃしているため目を向ける余裕さえなかったものの、改めて見てみれば、その光景は案外美しいように感じられた。白いズボンや上着が、暗色のスカートやラインを良い具合に引き立たせているためもあるのだろう。

「あら? アルベルト?」

 すると突然、そんな声が四人の足取りをぴたりと止めた。振り返ってみると、そこには一人の女子生徒が立っている。スカートと上着のラインが紺色のことから、彼女が文学科の生徒だということがかろうじて解った。

 腰まで届くウェーブがかったブロンドの髪が、彼女が首を傾げると同時に緩く揺れる。長い睫毛の下にある空色の双眸は今の空のようで、しかし冷たい印象は与えてこない。

 誰だろう、この人……。

「知り合いか?」

 近くにいたグレインが、アルベルトにそう尋ねた。アルベルトはこくんと頷くと、少女に目を向けてから、もう一度こちらに向き直る。

「彼女は、ビアンカ・ベルネット。イルヴァにある教会に住んでいる同居人です」

 アルベルトがそう言うと、ビアンカはその整った顔に優しい笑みを浮かべてきた。

「文学科で地域史地域民俗学を専攻している、二年のベルネットです。あなたたちのことは、いつもアルベルトから聞いているわ」

 そして彼女はそう言うと、アルベルトの隣にいたエリヴィアに向かって手を差し出してくるではないか。互いの目が合った瞬間、エリヴィアは鼓動が速くなるのを感じた。

 何というか、この人はあらゆる面で大人だ。喋り方も、笑い方も、それどころか視線や雰囲気まで、私たちのような子供とはどこか違う。

「あなたがエリヴィアちゃんね。アルベルトが迷惑をかけているみたいだけど、仲良くしてくれてありがとう。感謝しているわ」

 エリヴィアがぼんやりとビアンカを見ていると、彼女は二、三度瞬きをする。

 妙な沈黙の後、「あ……いえっ」と慌てて声を出すと、エリヴィアは差し出されたビアンカの手を握り、握手を交わした。他にまともな言葉が出なかったのかと思うと、後悔が押し寄せてくる。

 ビアンカはもう一度にこりと微笑むと、ティアナとグレインにも同じようなことを言い、握手を交わし合っていた。

 どうやらお母さんみたいなのは、私だけじゃないみたいね。

 そう思いながら瞼を伏せると、その途中、隣でアルベルトが普段とはまた異なる安堵にも似た表情をしているのが視界に入ってきた。何故か胸の奥が、小さな痛みを発してくる。

 それが何だったのかに気づかないふりをすると、エリヴィアは細く長い息を吐き出した。

 食堂内の喧騒が、遠くに聞こえてくる。



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