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二章 細やかに流れる時


「なあ。結局アルベルトってどんなヤツなんだ?」

 眼前に校門が見え始めた頃、急にグレインがそんな言葉をかけてきた。昨日宣言したとおりにすみれ色のマフラーを首に巻きつけている。

 二、三人の初等部の子が駆け抜けていくのを横目に見ると、エリヴィアは首を捻った。

「何で私に聞くわけ?」

「だって、放課後に学園案内をしたんだろう? だったら他のヤツよりも、あいつに接する時間が多かったんじゃないのかって思ってさ」

「へーぇ。あのグレインが編入生に興味を持つなんて意外じゃない。昔っからそういうのには興味を示さなかったっていうのに」

 両手を後ろで組むとニヤニヤと笑いながら、エリヴィアは軽快な足取りでグレインの前に立ちはだかった。黒いセミロングの髪が、それに合わせてさらさらと揺れている。

「いや、何かさ……気になったんだよ。何でか解らないけど」

 だが曖昧な言葉を返してくると、グレインは気まずそうに視線を逸らしてしまった。

 普段の彼なら一応は反発をしてくるというのに、どういった心境の変化だろう。

 とはいえエリヴィア自身、彼の言葉に異論があるというわけではない。

 確かに帰り際には少しだけ話すことができたが、飽く迄それだけの話だ。全体を通していえば、アルベルトの何が解ったというわけでもない。印象としてはやはり、どこか憐憫れんびんさをまとっている口数の少ない美少年というのが強く、それがかえって近寄りがたい雰囲気を生み出しているというのが事実だろう。

 昨日降り積もった雪の上を、リカヴ山脈から降りてきた風が一斉に駆け抜けていく。薄緋色のマフラーに手をかけると、エリヴィアはそれを顔の近くまで引き寄せた。凍った息が視界を白く彩ってゆく。

 だが、何より彼に違和感を抱かせているものといえば、やはりその憐憫さといえるだろう。そもそもセイ=ラピリスとは人々の負の力を取り除くことが大きな役割といえるというのに、その中でも重役のアヴェン・セイ=ラピリスを専攻しておきながら、自らが負の力に囚われているようなのだ。

 セイ=ラピリスの力とは、自らの中にある負の力が正の力よりも膨大であれば、発動することがかなわない。

 それはセイ=ラピリスを目指すものなら誰でも知っているべきことであるはずなのに、彼はそのことがまったく解っていないように思えたのだ。もしくは解ってはいても、負の力を抑えられない理由があるといのか。

 単なる杞憂きゆうであればいいんだけど……。

 徐々に人気が多くなっていく道を、二人は黙々と歩いてゆく。正門を抜けるとさらに人気は増しており、そこは多くの生徒でごった返していた。

 そこをどうにかくぐり抜けると、正門を入って西側、高等部の敷地へと足を進めていく。植木や芝生にも昨日の名残とばかりに雪が覆い被さっており、どこを見渡しても白い景色が延々と続いているかのようだった。空を見上げれば濃灰色の雲が今日も天空を覆い尽くしており、また雪が降ることを無言で訴えかけている。

 今日の授業は何だとか今日も寒いだとか、特に意味のない話を交わしながら、二人は玄関を抜けると、悠々たる様相で正面に構えている階段を上っていった。

 つい半年前までは膝が悲鳴を上げていたというのに、いつの間に慣れていたのだろう。あっという間に六階まで上がっていくと、ほんのりと頬を上気させながら自らの教室へと進んでいった。朝も早いためか、廊下にある生徒の姿はまばらだ。

 ひたひたと二つの足音を響かせながら、自らの教室に向って歩を進めてゆく。

 この分だと、今日は教室一番乗りだろうな。

 エリヴィアは教室へと通ずる扉に手をかけると、いつものようにそれをスライドさせた。明かりのついていないがらんどうの室内からは、ひんやりとした冬の空気が漂ってくる。

 やっぱり一番乗りか。そう思いながら一歩室内へと足を踏み入れ、だがそこに一つの人影があると知ると、エリヴィアは思わず息をのんだ。

 教室の中央列右側、最後尾にある昨日できたての席には、ひっそりとたたずむ銀色の少年の姿がある。彼は昨日と同じように長い髪を一つに結わっていて、そしてガラス細工よりも繊細で儚そうな表情をその顔に浮かべていた。二人が来たことに気づいていないのか、その視線はずっと机を射止めたままである。

 そのためもあるのだろうか、はたまた一人でいるからだろうか。彼の表情は儚いというよりも、むしろ思いつめているようにさえ見えてしまい、エリヴィアは心臓を鷲掴まれたかのような鋭い痛みを発した感じると、きゅっと眉をしかめた。

 どうして? 昨日別れた時は、あんなに楽しそうな表情をしていたのに……。

 開いた口からは、言葉にならない何かが抜けていく。

 それでも意を決して教室の中に足を踏み入れると、エリヴィアは努めて明るく振舞おうと心に決めた。胸がどくどくと、嫌に大きな鼓動を繰り返している。

「おはよう。随分と早いんだね」

 するとようやく気がついたのか。机に辛そうな視線を落としていたアルベルトはハッと目を見開くと、昨日と同じようなふわりとした微笑みを向けてきてくれた。

 ただ、今はあのような辛い表情を目の当たりにした直後である。それすら取り繕った偽りの笑みに見えてしまい、痛々しいことこの上なかった。胸が更に締め付けられてくる。

「あ、エリヴィアさんに……えっと……」

「グレイン・フェディア。ディズ・セイ=ラピリス専攻の」

 エリヴィアの背後から様子をうかがっていたグレインは、教室の明かりをつけるとそうぶっきらぼうに答えてきた。アルベルトはそれに「あぁ」と声を上げると、照れたように眉を下げる。

「グレインさん、ですか。はじめまして。おはようございます」

「いや、はじめましてはおかしいんじゃねぇのか。昨日から同じ教室にいるわけだし」

 礼儀正しく頭を下げてくるアルベルトを見て、グレインはそう口にした。

 だが昨日とはあまりに印象が異なるせいか、思いのほか調子がつかみずらいのだろう。グレインは弱ったとばかりに苦笑を浮かべると、気を紛らわすように頭を掻いた。

 彼の告げてきた言葉に吐息を洩らすと、アルベルトは「そうですね」と小さな声を上げる。

「ですが、この場合は何と言えばいいのでしょうか」

「え。それは……」

 本当につかみずらい奴だ。

 こういう場合はもっと気の利いたことを言うか、もしくは適当に紛らわしておくのが男だというのに。アルベルトはそのことにまったく気付いていないのだろう。

 グレインはぽけーっとしているアルベルトに視線を注ぐと、薄く開いた唇から息を吐き出した。とはいえクラスに来たばかりの奴に対して「めんどくせぇことを聞くなよ」とも言いだせずに困惑する。

 なんとも形容しがたい息苦しさが纏わりついてくる中、グレインの首が徐々に傾いていくのが解った。アルベルトもそれに合わせて首を傾げてくる。

「と、ともかく、はじめてじゃないっていうことだからッ。その……よろしく」

 あー、もう自棄やけだ! とばかりに一気に吐き出すと、グレインはキッと目を見ながらアルベルトに手を差し出した。渦巻いていた妙な沈黙はあっという間に消え去っていく。

 差し伸べられた手をしばらく見ていたアルベルトは一瞬戸惑うも、その意味をとらえると実に嬉しそうな笑みを浮かべ、きゅっと握手を交わしあった。

 どちらも不器用なせいか、その握手はひどく初々しく感じられて仕方がない。

 まったく。本当は仲良くなりたかったんじゃないの。

 小さく笑うと、エリヴィアは隣にある自分の席に腰をおろした。胸の痛みはいつの間にか消えており、むしろ晴れやかな気分にさえなっている。

 やっぱり杞憂だったのよ。

 机のわきに鞄をかけると、取ったマフラーをロッカーへとしまいに行く。途中で幾人かのクラスメイトと挨拶を交わし合い、再び自分の席へと戻っていく。

「そうだ。今日は移動教室でグラウンドに行くから、その途中に図書館と礼拝堂の場所を教えるわね。食堂の場所はお昼の時でもかまわないかしら?」

「あ、はい。ありがとございます」

 そこそこ打ち解けてきたのか、それとも同性ということで話しやすいのもあるのだろうか。グレインと話していたアルベルトはほんの少しだけ目を見開くと、それでも不快な表情も一つ見せずエリヴィアの方へと顔を向けてきてくれた。

 なんか、会話の邪魔をしちゃったかな? と思うも、昨日までとはまったく雰囲気の違うアルベルトに、こうやってクラスに馴染んでくれるといいなとエリヴィアはひそかに思っていた。何というか、こういうのは絶対に悪くないと思う。

 ふと視線を前にやると、時計はホームルームが始まるまで二十分を切っている。

 廊下は徐々に、騒がしくなっていた。



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