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一章 白銀の世界を携えて

 冷たい風が、無防備な頬に触れていった。

 どこまでも続く一本道を歩いていたエリヴィアは、薄緋色のマフラーに思わず顔をうずめると、白く凍りついた息を一つ吐き出す。

 今年は早く、冬が来たな。

 ぼんやりとそんなことを思いながら、ふと視線を上げてみる。するとそこには幾多もの空島テルンが濃灰色の空を背に浮かんでいた。寒風に吹かれた空島テルンは気流に乗っては流れていくと、また別の気流に乗っては戻ってを延々と繰り返している。

 どうして空島テルンは、ずっと同じ場所に浮かんでいるんだろう。

 どうしてお日さまやお月さまとは違って、どこかに消えちゃったりしないんだろう。

 幼かった頃のエリヴィアにとって、空島テルンというものはまさに摩訶不思議まかふしぎな存在そのものであった。

 空に空島テルンが浮かんでいる。

 そのことに関して何の違和感も抱かなかったのは事実である。生まれた時からそこにあり続けているのだから、今さらその存在を疑う余地もない。

 だが普通の島とは違い空に浮かんでいるということ。そして浮かんだまま落ちては来ず、ましてや大幅な変動もないということに、エリヴィアは不思議なものを感じていたのだ。

 そもそも彼女の住むアンデルベリ国とは、大きな一つの大陸と海に浮かぶ小さな島々、そして空中にある空島テルンという三つの陸地から成り立っている国である。また大陸の北部に位置するアルヴェーン地域は海にも面しているため、大陸、諸島、空島テルンの全てを目にすることができるのだ。そのためエリヴィアにはそれら三つの陸地を見る機会が与えられていたのだが、それと同時に空島テルンは海に浮かぶ島々とどうして違うのか、という疑問にも行き着いたというわけである。

 そのことについてエリヴィアは幾度となく家族に聞いたことがあった。しかしそのたびに「神様が住んでいるからだ」とか「神様が与えてくれた特別な地上だからだ」とか、いまいち納得のできない返答が返ってくるのみ。結局は重力やら磁場の関係など様々な要因が重なっているらしいのだが、今の科学ではどうにも説明しきれないというのが現状だ。

 理屈なんかじゃ表せない。だからこそ『神様』なんて単語が出てくるのだろうと、今なら受け入れることができる。

 だけど、それにしてもねぇ……。

 エリヴィアは空から視線を離すと、大きなため息を吐き出した。陰鬱いんうつな空が、ことさら暗くなったように感じられる。

「どうしたんだよ。朝からテンション低いな」

 すると隣を歩いていたグレインが、眉をひそめながらエリヴィアの顔をのぞいてきた。いぶかしげな翡翠ひすい色の双眸とは反して、毛先のはねた栗色の髪はふわりと揺れている。

「いや、別に何でもないし。あんたには関係ないわ」

 ひらひらと力なくエリヴィアが手を振ると、グレインは興味が失せたと言わんばかりに視線を前へと向けてしまった。

「あっそ」

 しかし彼がそう呟くのを皮切りに、会話はふつりと途切れてしまう。

 しんとした静寂に身を包まれていると、風が二人よりも早く吹き抜けていった。と同時に、乱れた髪をエリヴィアはそっと手櫛で梳く。

「……本当、あんたって追及心がないのね」

 呆れ半分、関心半分といった感じで呟くと、彼女は当てていた手をそのままに、セミロングの黒髪を乱暴に掻きまわした。話をふられたグレインはちらりとエリヴィアの方を見やると、今度はその瞳を疑問の色に染めてくる。

「何だよ、やぶから棒に。つーか、今更だろう? 俺らが一体何年来の付き合いだと思っているわけ?」

「そうでしたね。あんたはそういう奴でしたね」

 急に頭が痛くなるのを覚えながら、エリヴィアは半ば投げやりにそう言ってのけた。

 というのもこの二人は幼馴染であり、お互いの家もすぐ近くにある。また初等部の頃から学校はおろかクラスも同じだという、いわゆる腐れ縁という関係であった。つまり二人の付き合いは年齢と一緒ということになる。

 そのためもあって、エリヴィアはグレインがどういう人物であるのかというのを嫌というほど解っていたのだ。それがたとえ、『不真面目・面倒臭がり・努力嫌い』という性格の持ち主である、ということも含めてだ。

 これが高等部生になったからといって、性格が一変するはずもあるまい。そんな彼のことなのだから、追及心を持てと言われたところで「めんどくせぇ」の一言で終わらせてしまうに決まっていよう。

 本当はやればできる奴なんだって、そんなことは解っているんだけどね。

 どこまでもまっすぐに続いている道をのんびり歩いていると、グレインは腕をさすりながら「俺も明日はマフラーをしてこよう」とぽつりと漏らした。エリヴィアは隣で肩をすくめながら、学園指定の制服姿のグレインをちらりと見やる。ハンフィーズ学園の制服は白を基調としているため、確かにこれでは見た目からしても寒そうだ。

「ところでさ、グレインはどうして空島テルンがあると思う?」

 そして思わず、そんなことを訊ねてみた。

 このまま黙っているのも嫌だった。というのもあるが、あまりに空島テルンのことを考えすぎたせいか、本気で気になりだしてしまったからだ。

 隣でグレインは「唐突だな」と小さな声を上げると、人差指で頬を掻く。

「そりゃあ、重力と磁場が生み出した力が――」

「それは私も知っている。そうじゃなくて、あんた自身は空島テルンについてどう思っているかってことよ」

 だが言葉半ばで首を振ると、エリヴィアはグレインの答えを打ち切った。

 そんな学者の出した説明しきれないウンチクなんて、彼女にとってはどうでもよかった。個々の――グレインの持つ空島テルンについての純粋な意見。それについてエリヴィアは聞きたかったのだが、

「はぁ? そんなめんどくせぇこと、一々考えたこともねぇよ」

 そう言うとグレインは両手を小さく挙げて、それ以上の言葉を発することはなかった。

 ……ああ。そういえばこいつは、こういう奴だった。

 先ほどと同じことを思いながら、エリヴィアは小さく首を振る。

 冷たい風が、今一度吹き抜けていった。


     …*…


「おっはよー!」

 エリヴィアとグレインが教室に入った途端、そんな明るい声が二人を迎えてくれた。視線を前にやれば、教室の中央付近にいる少女が二人に向かって大きく手を振っている。

 エリヴィアは彼女の席に向かっていくと、胸の前で小さく手を振り返した。提げていた鞄を軽く持ち直す。

「今日も元気だね、ティアナは」

「うふふ。わたしってば、元気だけが取り柄だからねぇ」

 両手を後ろで組みながらティアナは満面の笑みを向けると、緋色の双眸を嬉しそうにすっと細めた。元々童顔で背も低いというのもあるのだろうが、ティアナは可愛く、また年下に見られがちである。もっとも胡桃色のウェーブがかった髪を赤いリボンで二つに結わっているというのも、彼女を幼く愛らしく見せている一因であろうが。

 まったく。これで努力と根性が男張りなのがすごいよなぁ。

 外したマフラーを鞄を下げている腕にかけると、それを見ていたティアナが小さな苦笑を浮かべた。

「それにしても、今日は寒いよね。昨日まではもうちょっと暖かかったっていうのに」

「そうだよね。でも今日は雪が降るかもしれないって話しだし、寒いのも当たり前なのかもしれないけどね」

「えぇ、雪が!?」 

 だがエリヴィアがそう言うが早いか、ティアナは大きな声を上げるとその双眸を思い切り輝かせてくるではないか。

 突然の大声に驚いたエリヴィアはマフラーを落としてしまうも、そんな彼女を他所よそにティアナは胸の前で拳を握ると、ずいと身体を乗り出してきた。少しばかり頬が上気しているのが見目でも解る。それにしても――、

「ねえ、エリィ。雪が振るって本当!?」

「え、え?」

「っていうか、雪が白いって本当なの!?」

「そのぉー……」

「そっか! 北部は寒いんだもんね。雪も降るんだ!」

「あのー、ティアナさん?」

 あれ? 何か触れてはいけないことに触れてしまったのか? 

 まくし立ててくるティアナに、エリヴィアは思わず困惑した。輝いた視線を向けられるたびに、すいと視線を逸らしてしまう。

 そもそもにして大陸北部のアルヴェーン地域では、雪こそが冬を連れてくるものだとされているのだ。特に南のケルン、北のリカヴという二つの大山脈に囲まれているこの辺りでは、積雪も多く冬の訪れも他の場所よりも早い。

 そのため雪というものに意識をしたことがなかったのだが……どうやら目の前にいるお嬢さんは違うらしかった。それもそのはずで、大陸の中央部に位置する大都市出身のティアナにとって、雪とはあまりに縁のないものなのだという。

 このケルン山脈は大陸の北部と中央部を分割している一つの境界線でもあるのだが、それはただ地域を分割しているだけではない。この山脈を越えるだけで植生や気候も大幅に変わってくる、いわば気候と文化の境でもあるのだ。

 それ故に大陸中央部以南は一年を通して比較的温暖な気候に恵まれているのだが、逆に北部は冬になると厳しい寒さに見舞われるのである。

 勿論エリヴィアも知識程度には知っていたのだが、だからといってこれほどまでに食いつかれようと誰が想像しよう。

 誰かこの子を止めてくれないかな。

「雪が珍しいんなら、外見て来い、外。もうちらつき始めてんぞ」

 するとエリヴィアの心を読み取ったかのように、荷物を置きに行っていたグレインがティアナの肩を叩いた。彼女はその言葉に更に表情を華やげると、あっというまに窓辺へと駆け寄っていってしまう。

「ありがとう」

「別に。あんたを助けた覚えはねぇけど?」

 窓に張り付きながらキャーキャー言っているティアナを見ながら、二人は短いやり取りを交わした。

 本当は解って声をかけてくれたくせに。

 素っ気ない風を装っているグレインにそう思うも、エリヴィアは純粋に感謝していた。あのままでは、どこからティアナに話していいのか解らなかったし、それに――。

「それにしても、本当に降り始めたんだね」

「まあな。明日は雪掻きをさせられるかと思うと、それだけで面倒だけどな」

 真っ白な雪が舞い降りるのを遠目に眺める。濃灰色の空を背景にふわりふわりと宙を舞っている白い姿は、どこか幻想的でもあり、また寂しそうでもあった。

 これからここも、雪に覆われるのだろうか。

 真っ白な厳しい冬の精に、深く、静かに。

「エリィ、グレイン! 二人も早く来なって! すごいよ」

 だがそんなことを考えていると、無邪気に雪を眺めていたティアナが二人に向かって声をかけてきた。

 ハッとし、それからちらと視線を合わせあう。

「解った。今いくよ」

 すると口元に笑みを湛えたまま、二人は彼女の方へと歩み寄っていったのだった。

 雪は徐々に、景色を覆い尽くしてゆく。


大地が薄っすらと白に覆われ始めた頃、穏やかだった時間の終わりを告げるかのように鐘が鳴り響いていった。それと同時に廊下から駆け込んでくる者も幾人か居り、校内が一気に慌しくなる。三人も一度互いの顔を合わせると、自らの席へと歩んでいった。

 すると程なくして、教室のドアが開かれる。

「おー、関心関心。みんなちゃんと揃っているわね」

 そう言いつつ入ってきたのは、このクラスの担任であるセフィアだ。彼女は少女のような笑みを浮かべたまま、軽い足取りで教室内を歩いていく。そして手にしていた名簿を教卓に置くなり、一様に生徒を見渡した。

 そしてその視線が中央列の最後尾――エリヴィアの元まで行くと同時、「あ」という大きな声が彼女の口から発せられる。予想外に大きかったその声は教室内を木霊こだまし、途端クラス中の視線がエリヴィアの方へと集まっていった。また、エリヴィア自身も何が何だか解らないといった風に、その表情を強張らせる。

 瞬時に静まり返った教室内を見て今さらながらにハッとすると、セフィアは思わず失笑した。あははという声が、今度は響き渡っていく。

「いっけない。私ったら一番大切なものを忘れていたわね」

 ごめんね。エリヴィアには関係ないのよ。

 そう口早にそう告げると、セフィアは取り繕うかのようにパンパンと手を叩いた。ざわめきを湛えていた視線が、それと共に再びセフィアの方へと向けられる。

 内心胸を撫で下ろしたエリヴィアもまた、セフィアへと視線を向けた。

 それにしても、さっきの「あ」は何だったんだろう。

「さて。ホームルームを始めるわよ」

 だが先刻のことなどすでに忘れたとばかりに明るい声を出すと、セフィアはクラス中を見渡した。嫌にしんとしていた教室内が、段々といつもの様子を取り戻しつつある。

「本当は色々と連絡があるんだけど、そうねぇ。今日は一番大切なお知らせがあるから、まずはそのことからお話ししたいと思います」

 するとセフィアは今までよりも一段と嬉しそうな笑みを浮かべ、視線は生徒に向けたまま、腕だけで扉の方を指し示した。自然と生徒達の視線が扉の方へと向けられる。

 誰かが唾を嚥下えんげする音が、やけに鮮明に聞こえてきた。「何?」と囁きあう声があちらこちらで揚がってくる。

 これから何が起こるというのだろう……。

「実は今日、このクラスに編入生が来ることになりました」

 セフィアの弧を描いた口元が、ゆっくりと綻んでゆく。

「……さ、入っていいわよ」

 そして彼女がそう告げると、勢い余った担任の登場とは相反して、物静かな様子で扉が開いていった。長くしなやかな指が、まず最初に彼らの目に映る。だが次の瞬間、クラス中の誰もが息を呑むこととなったのだ。

 ――え、うそ。きれい……。

 近寄りがたい美しさとは、このことか。

 そこに現れたのは、一人の……少年だろうか。銀色の背中にまで届く髪を一つに結わっており、それは彼が歩くたびに細やかな光を発しているかのように思えた。また前髪の間から覗く双眸は美しい天色あまいろで、長い睫毛を伏せているためか、どこかうれいた雰囲気をかもし出している。整った面立ちであるからこそ余計に、雪のような儚さを湛えているかのようでもあった。

 少年はゆっくりとした歩調でセフィアの隣まで行くと、その歩みを完全に止める。白い制服の上で、彼の銀色の髪がさらりと踊った。

 しんとした教室の中、すぅっと息を吸い込む音が鼓膜を震わす。

「新しい仲間の、アルベルト・ボーゼ君よ。専攻はアヴェン・セイ=ラピリスね。まだまだ学校について解らないこともあると思うから、みんな協力してあげるのよ」

 セフィアがそう言うと、アルベルトは表情を崩さぬまま小さくお辞儀をした。結んだままの唇が開かれることはなく、何を考えているのかがいまいち解らない。しかしそれが彼の神秘さをより際立たせているということは、言葉にせずとも誰もが感じていたことだった。

 教室内が、今までにないような静寂に包み込まれている。それは清らかなものであり、ある意味では異質な空気でもあった。

 セフィアの弧を描いていた眉が、きゅっと寄せられる。

「けど、ごめんね。先生さ、肝心の席を持ってくるの忘れちゃって。だからその席をかっぱらって……じゃなくて持ってくる間は自由時間にするから、みんな仲良くしていてよ」

 彼女は声高にそう言うと、片手を上げて教室を飛び出していってしまった。

 それはまるでこの空気の異質さに気づいていないかのようで、この変化がまるでなかったもののような錯覚にさえ囚われてしまう。

 エリヴィアはセフィアが飛び出て行った扉から、再びアルベルトへと視線を移した。するとそこには数人の生徒が既におり、彼の姿はその中へと飲み込まれてしまっている。

 教室の空気は、普段のものへと戻りつつあった。



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