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七章 雪降る月夜の詩詠い(2)


     …*…


「……どうしてあの子じゃなきゃいけないの」

 長剣の柄を掴む手に力を込めると、切っ先が床にこすれて嫌な音を発した。石を無理やり何か鋭いもので削り取ろうとしたかのような不協和音に眉根を寄せると、ビアンカはチッと舌打ちをする。

 今まで姉のように慕ってきた人の豹変っぷり、そして「あの子じゃなきゃいけないの」という言葉に胸が締め付けられると、アルベルトは唇を噛んだ。

 でも今は、そんなこと気にしちゃいけない。

 絶対に助けるんだ。エリヴィアさんも、そして――。


    永久とわを望む者は

    死を望む者は失せ

    が愛を求む者は呑まれ

    我が心を失う者は闇を纏う


 オルヴィニアとの盟約の下、アルベルトは細やかな旋律を奏で始めた。

 それは女性にも、ましてや男性にも出せぬような、少年ながらの繊細な音色。風のように軽く、けれどもしっかりとした芯を持っている歌声は風と呼ぶにはあまりに物足りない。

 あえて例えるのならば雪とでも言おうか。柔らかく、細やかで、風のように舞っては、人の心に沁みわたるリズムや音階がある。

 アルベルトはそれを懸命にうたい続けた。アルベルトだけのうたを、胸を張って。

「やめなさいよッ!」

 しかしビアンカの叫び声が聞こえると、その詩は途中でリズムを止めてしまった。驚き、息を詰まらせたのが仇となる。つまり、詠唱は失敗したのだ。

 泣きそうになっているビアンカは耳をふさいで否定をすると、アルベルトに向かって剣を一振りした。瞬間、剣の切っ先からはあの闇色の光が閃光せんこうとなって押しかけてくる。

 一瞬のうちで身の危険を感じたアルベルトは一歩下がると、襲ってきた閃光に目を見開いた。すると自分がもといた場所に焼け焦げたような跡が見え、ゾッと背筋を凍らせられる。

 あと少しでもかわすタイミングが遅れていたら……。

 背筋に嫌な汗が伝っていくのを感じた。アルベルトは長い前髪をうっとおしそうに横へ流すと、頭を振った。銀色の髪が、幾筋もの線を描いては夜闇の中へと溶け込んでいく。

 今までは仲良しでいた相手。

 しかし彼女の持つ力は、予想以上に強大だ。

 一瞬でも気を抜けば――確実に死ぬだろう。

 どうする。

 頭の中で考えた。

 それからハッと思いついたアルベルトはもう一度盟約を交わすと、今度は口早になれない詩を口ずさんだ。先ほどとは違い、雄々しく、はっきりとした旋律。雪が氷へと姿を変えたかのような曲調だったが、音色も詩も文句のつけどころがない。

 とはいえアルベルトにとって、この詩の難度ははるかに高かいものだったのだ。

 それもそのはずで、元々グレインが詠唱の練習中にちょろっと教えてくれただけの、ディネイ・セイ=ラピリスの詩だからだ。まだアヴェン・セイ=ラピリスしか習っていないアルベルトには、曲調もイメージも違いすぎる。

 だが、『バリアだ。風のようにすべての物を遮断できる、強固なバリア。これをイメージして詠唱に臨め』というグレインのアドバイスをもとに、脳内で構成・構築。それをメロディにして流すと、アルベルトは自らの持つ短剣が白い光に包まれているのをしかと目にした。

 是非ともここで、ビアンカには攻撃を打たれたくない。無事に詠唱を終えたい。

 しかしそんな願いもむなしく、ビアンカはまた剣を薙いできたのだ。慌てて残りの詩を詠いきる。


    さあ 生まれ落ちた者よ

    その眼にしかと刻まんか

    過ぎし日々の過ちを


「――ッ!」

 アルベルトが短剣でくういだまさにその瞬間、ビアンカの放った一閃を断ち切り、その力をすべて打ち消していったのだ。さすが対異端者セルフェナ用に構築された詩といえよう。間一髪のところで危機を脱すると、ハッと荒い息を肩でする。

 淡い光を帯びた短剣をひゅっと払うと、アルベルトは荒れ狂った心臓を抑えつけた。だが……それでもまだ、俺が実際にしなきゃいけないことは何一つとしてしていない。

 自らで構築した、アヴェン・セイ=ラピリスの詩。これでビアンカの中に渦巻く負の力を取り除かなければ。そう思うのだが……。

 やっぱり、一気に詠いすぎたかもしれない。

 いくらリリアスがはらってくれたとはいえ、異端者セルフェナも同然だった者。この身体はもう、詩の力で弱ってきているのかもしれなかった。

 次々に放たれる一閃からエリヴィアを庇いながら、アルベルトは思考を巡らせる。

 異端者セルフェナに憑かれていた者でさえ、詩を聞くだけでこれだけの体力を消耗しているのだ。異端者セルフェナであるビアンカだったら、その体力の消費は尋常ではないのではないか。

 だとしたら、あと一回だ。

 あと一回。これで決着をつけるしかない。

 攻撃の手を緩めたビアンカが、同じように肩で息をしながらぎろりと目を向けてくる。

「どうして? どうしてそこまでその子にこだわるの? だってその子、あなたを封印した子の生まれ変わりなのよ?」

「生まれ変わりなんて、そんなことはどうでもいいんです。それに俺は……リリアスのことを、今まで一度として嫌いになったことがなかった。封印されたあの時も、リリアスに感謝していて、だから俺は……」

「お人好しなのね、アルベルトって」

「そんなわけじゃない。たとえ封印だったとしても、辛かったことから解放してもらえた。それを嬉しく思ってはいけないんですか?」

「うるさいわね!」

 それがお人好しだって言っているんでしょう。

 夜闇の中、嫌に生々しく光った刀身を振り上げると、ビアンカはそれを振り下ろした。虚を突かれたアルベルトは、その場から動くことができない。

 しまった――ッ!

 外の僅かな明かりを受けて、闇を纏った長剣がぬらりとした光を発した。その残光が、目の中でちらついている。

 最期か。

 そう思うとやけにすべての光景が鮮明になり、様々な物が飛び込んでくるかのようだった。

「――ッ」

 だが最期の瞬間にふけるや否や、がくんと何かに足を引っ張られたのだ。アルベルトの視線は急降下し、その上を闇色の光が過ぎ去ってゆく。腹から思い切り地面に叩きつけられると、アルベルトは咳込んだ。肺の方を、強く打ったらしい。

 それにしても、一体何が起こったのだろう。

「バカ! どうして逃げないのよ!」

 すると怒声が背後から飛んで来て、アルベルトはハッとし、振り返る。するとそこにはまだ顔色の悪いエリヴィアが、膝立ちの状態で憤然ふんぜんめつけているではないか。

 エリヴィアは一旦は薄れていた激痛の再来に眉をしかめると、一気に息を吸い込んだ。

「大切な人、泣かせたくないんでしょ。だったらそのくらいの努力しなさいよ! アルベルトが死んだらね、私絶対泣き叫ぶからね。それでもいいの?」

 そしてそれを言葉として一気に吐き出すと、彼女はアルベルトのケープの端を掴んだのだ。相変わらず顔は険しいままで、

「いいえ、よくありません」

 しかし怒られているというのに、嬉しいと思うのはどうしてだろう。

 自然とこぼれそうになる笑みを前髪で隠すと、すっとアルベルトはビアンカにもう一度向かった。

 彼女は先程自らが繰り出した攻撃が身体にきているのか、荒い呼気を繰り返すばかりで何も言ってはこなかった。ただ、すさまじい形相で睥睨へいげいしている。

 短剣をしかと手に持つと、アルベルトは頭の中で詩を反芻はんすうした。

「アルベルト、私も一緒に詠うわ」

 だがエリヴィアはそう言うと、にっこりと笑ってきたのである。

 まだ体調だって良くないというのに……。

「大丈夫。これでも私、タフなのよ」

 視線をくみ取ったかのようにそう言うと、エリヴィアは短剣を手にした。表情が歪むが、彼女はそれでも盟約を交わすと、彼女の詩を詠いだす。

 扉を背にしていたビアンカはそれに気づくと、息を切らしながら再度手に闇色の光を集め始めた。しかし体力がないのか、もう遅い。

 エリヴィアの詩が紡がれる方がはるかに速く、辺りには一瞬にして白い粉雪のような光が立ち込めていた。それを合図に、アルベルトも自らの短剣から盟約を交わす。

 あと一回。

 何度も心に言い聞かせた言葉だが、最後にもう一度だけ唱えると、アルベルトは詠唱に集中した。


    永久とわを望む者は

    死を望む者は失せ

    が愛を求む者は呑まれ

    我が心を失う者は闇を纏う


 雪のような儚くも存在感のある、繊細な声が礼拝堂内を包み込んでいく。


    すべてが儚き世に生まれ

    美しき未来あすを夢に見て

    暗きあすに恐れを見る

    震える足は 踏み出せるか

    消えゆく今日に怯えないで


 エリヴィアが先に放った光が呼応するかのように輝きを増してゆき、またアルベルトの持つ短剣にも強い光が宿り始めた。

 礼拝堂内が昼間のように、明るく優しく照らされる。

 細やかな旋律を奏でていたアルベルトは、すっと息を吸い込んだ。

 さあ、フィナーレだ。


    さあ 生まれいずる明日よ

    光と幸が訪れようことを……


 サッと短剣を振り上げると、幸福に満ちた光の粒が礼拝堂全体を包み込んでいった。一切の闇が、この空間から排除されてゆく。

 アヴェン・セイ=ラピリス――人の心から負の念を取り除き、その心を癒す者。

 そしてそれは、異端者セルフェナに宿る負の念さえ洗い去ってゆくのだろう。

 光に包みこまれたビアンカの目には、もう先ほどまでの憎しみはない。

「アル。やっぱり私、アルのこと好きだったな」

「ありがとう。けど、ごめん。俺……」

「うん、知っている。アルの一番はエリヴィアちゃんだもんね」

 ふふっと笑うと、ビアンカはアルベルトの頭を撫でてきた。それは先刻とはまるで違い、ひどく優しい心地だった。それにほっとして、何だか許された気がして、アルベルトはふわりと微笑んだ。

 ゆらると空気が、ゆりかごのように動いてゆく。

 ブロンドの長い髪をたゆたわせると、アルベルトの頭から手を放して気恥ずかしそうにビアンカは頬を染めた。もじもじとして、それから口を開いてゆく。それはきっと彼女の本年で、

「確かに、アルの言う通りだ。負の力から解放されるのって、悪くないわね」

 あの時は、ごめんね。

 真っ白で儚くも、様々なものから守ってくれると、そう思える空間。そこは人の心を優しく包み込む場所。

 彼女の言う『ごめんね』がどれに対してなのかは解らなかったけど、でもそんな言葉足らずなところが彼女らしいと言おうか。

 アルベルトはビアンカの顔を見つめると、「いいんですよ」と笑顔で返した。

 心は今までにないくらい、落ち着いている。


 傍から不器用な義姉弟の行方を見守っていたエリヴィアもまた、幸せな気分で外を見る。 そこからは久しぶりに顔を見せているお月様の姿が拝めたのだ。まるで銀色の少年のように繊細ながらも力のある雪を舞わせているというのに、それでもその蒼い光を地上にまで届けてくれているのである。

 とん、と礼拝堂の壁に寄りかかった。そこからはほんの少しだけひんやりとした感覚が伝わってきて――それからまたエリヴィアは窓の外を覗き見る。

 でも、本当にきれいだな。

 ぼんやりとそう思い、そっと目を閉じた。

 光の中から聞こえてくる義姉弟の仲直りは、まだ当分終わりそうもない。



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