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六章 あなたは誰を愛してる(2)


     …*…


 三つの音色が虹のような音楽を奏でていたが、突如そのうちの一つが途切れた。

「おせぇな、あいつ」

 それを機に二つのうたもふつりとやむと、グレインに視線を向ける。

 確かに時計を見れば、もうそろそろ校舎の閉まる時間だ。詠唱えいしょうに気を取られていた間に、だいぶ時間が過ぎている。

 もしも告白だったとしても、時間がかかりすぎだろう。

 胸の中に一抹の不安がよぎる。

「もう、片づけ始めないとまずいよね」

 先ほどまで嬉しがっていたティアナの表情も翳りを見せており、アルベルトはそっと視線を足元にさまよわせた。

 どうしたんだろう、エリヴィアさん……。

 初めてビアンカの言うことを無視してまで手にしたいと思った、彼らとの友情。その中でも特に、エリヴィアの存在は大きかった。

 いつでもこんな俺にさえ親切にしてくれて、笑っていてくれて。誰よりも強くて、でも、誰よりも儚い雰囲気を持っていて――気づいた時には、すっかり見入ってしまっていた。それに何かは解らないけれど、彼女には引きつけられる何かがあったのだ。

 だから、ということなのかもしれない。

 だからこそ俺は、エリヴィアさんが礼拝堂へと行ってしまう時に寂しく思った。

 それどころか、ビアンカに見つかれば俺たちは離されてしまうのだろう。そう思うだけで、エリヴィアさんのそばにいることが幸せなのに、辛くも感じられた。本当のことを言うと、いつまでここにいられるのかって怖くなった。だから上手に笑えなかった。

 でも、今が一番心配で、怖くてたまらない。

『すぐ戻ってくるから』

 そう言い残していったからこそ、何かあったのではないかと心配になる。

 寂寞せきばくが室内を包み込んでいった。三人のか細い呼吸だけが、延々と繰り返し続けている。

「あの……」

 胸の前でぎゅと手のひらを握ると、アルベルトは惟みている様子の二人におずおずと声をかけた。二つの視線がさっとアルベルトをとらえる。

 本当は何かを言うのだって、今でも恐ろしかった。けれど――、

「俺、礼拝堂まで様子見に行ってきます」

 たった一言かもしれない。

 それでも思い切ってそう言うと、強張っていた二人の視線がささやかながらに和らいだ。震えているアルベルトとは違い、しっかりとした歩調で一歩踏み出すと、グレインはアルベルトの背中を叩いてくる。

「頼んだ」

 アルベルトは押されるようにして、音楽室から飛び出ていった。

 外はやけに、物静かだ。


     …*…


「そんな話もあるんですね」

 今しがた聞かされた話に感嘆の声を上げると、エリヴィアは敬服した。

 それもそうだろう。今までセイ=ラピリスの発祥とは二百年ほど前、オルヴィニアの前に現れた使者が伝え広めたものだと言われていたのだ。

 それがビアンカの話では大幅に違う。

 二百年ほど前のある冬の日、恋人同士だった少年少女の間に不幸が訪れたのだという。死神が少年の両親を殺し、また悪魔が心の弱った少年の身体を乗っ取っていったのがきっかけだそうだ。

 悪魔に憑かれ異端者セルフェナと化した少年は、家にあった短剣を手にしては、日夜誰かを殺め、ついには愛していた少女にまでその手を及ぼそうとしたのだという。だが神に愛されていた少女はその瞬間にセイ=ラピリスの能力に目覚め、その少年を悪魔から解放し封じたのだそうだ。

 その時に少女を突き刺そうとした短剣がオルヴィニアとの盟約に使われる道具となり、またその少女――後に語られる聖女がセイ=ラピリスの能力をこの世界に広めていったのだという話だ。

「聖女リリアスはね、オルヴィニアに生涯を捧げただけではなく、セイ=ラピリスにとっても大きな一歩を踏み出させたみたいね」

「でも、こんなに調べてしまうだなんて、ビアンカさんってやっぱりすごいんですね」

 今までの通説を覆す意見。たとえ書物に記されていたものだとしても、それを見つけ出しそこまで解読をするのには、やはり並々ならぬ努力が必要だったに違いない。

 最初のうちこそ「まさか」と思う部分もあったが、それにしたってすべてに合点がつく。むしろ、通説よりも確かであり根拠があるかもしれない。

 深い藍色の空間に射し込む、幾筋もの蒼い光。

 だがその僅かな光の中でさえ輝くエリヴィアの表情を見ると、ビアンカは微笑みを崩さぬまま近づいてきた。

「そんなことないわよ。でも――」

 だがその笑顔が徐々に狂気的なものへと変貌してゆくのが解り、エリヴィアはさっと身構えた。肌が粟立っていく。

 刹那、ビアンカの手がガッとエリヴィアめがけて伸ばされたのだ。人を仕留めんばかりのおどろおどろしさ。目を瞑りそうになるのも堪えてそれをかわすも、首筋にはちりっと焼けるような痛みが走っていった。どうやら完全には防ぎきれなかったらしい。

「何ですかッ、いきなり!」

 体勢を整えたエリヴィアはビアンカから一定の距離を取ると、威嚇するような視線で彼女の動きを観察した。

 予想だにしていなかった展開に、心臓は破裂しそうなほど脈打っている。

「ふふっ、運が良かったわね」

 だが息を切らしているエリヴィアとは違い、落ち着いた笑みを浮かべると、ビアンカは余裕の表情で先刻突き出した腕を二、三度さすった。それからちらりとエリヴィアの表情をのぞき見、そして――、

「それじゃあ、物語の続きを教えてあげるわ。実はね、その死神は恋をしていたの。異端者セルフェナとなり封印されてしまった少年へと。だからこそ彼を封じた聖女を憎んでいたのよ。でも、もう彼女はいない。だからね……聖女の生まれ変わりを消せばいい。そう思わない?」

 冷酷な声が、静寂の中を走り抜けていった。

 その視線、声色、すべてにエリヴィアは怖気を覚える。そして――、

「だから今日、死神は動き始めるの。聖女と同じ魂を持った、あなたを殺しに」

 青い闇は暗黒の衣をまとい、聞こえる音はこの空間のみとなった。礼拝堂内の空気に、刹那大きなひずみが生じる。

 ビアンカはそう言うと、口元に不気味な笑みを張りつけた。

 エリヴィアはそんな彼女を見るなり全身が総毛立つのを感じ、息をのむ。

 まるで彼女が人間だとは思えなかったのだ。そこには一切の正の感情がなく、あるのは氷よりもなお冷たい負の感情だけ。

 ……いや、それもおかしいだろう。この漂ってくる雰囲気、切迫感。そう。これはまるで、異端者セルフェナだけが持っている感覚に近いかもしれない。

 でも、そんなことってありえるの?

 視界の端、窓の外で雪がちらついた。エリヴィアはチッと舌打つも、気丈ぶって溜めていた息を吐き出した。視界にかかった黒い髪を掻き上げると、鋭い眼光でビアンカを睨めつける。

 しかし、彼女から漂っている気は、確かに異端者セルフェナのものに酷似していた。

 死神。

 ビアンカの言っていた異端者セルフェナの一名称。それが彼女から出ている不穏分子と一致しているということは、ビアンカこそが死神だといっている何よりの証拠になるだろう。

 一歩後ずさると、エリヴィアはビアンカとの間を取った。

 もしも考えが本当だとすれば、これは本来ディズ・セイ=ラピリスの分野になることになる。しかし今はどうこう言っている暇もない。今は一刻も早く、ビアンカを沈めなければいけない状態に立たされているのだ。

 風もないのに、ビアンカのブロンドの髪はさらさらと揺れた。

 詩の構成を思い出し、実行へ。

 だがそれを口にしようとした矢先、短剣に触れた右手は焼けるような痛みを発した。それどころか、さきほど傷つけられた首すじの傷までもが激痛を伴っている。

 まずい――っ!

 気力で乗り切れると踏んでいたのだが、それは今までに感じたことのないほどの痛みとなていた。傷口をえぐられるなんていうものでは最早ない。いや、そもそも肉体的な痛みだけではなかったのだ。精神的にも追い込まれるような絶望的な痛みに、気が遠のいていく。

 どうして?

 そんな言葉がこの期に及んで浮かんできた。

 どうしてこんなことになっているの?

 薄らとしか見えない目を懸命に開き、そして相手を睨みつける。するとエリヴィアを二度触れたビアンカの手が、闇のようなもやを纏っていることに気付き、ハッとした。

 もしかして、これが私の身体を蝕んでいるというのだろうか。

 エリヴィアはやっとの思いで短剣を引き抜くと、盟約をかわすためにその刃に触れようと試みた。だがまるで力の入らない手ではそれを支えきれず、無念にも落ちてゆく。

 カランという乾いた音が支配された礼拝堂に響いていった。守護石であるガーネットがエリヴィアを見つめては、悲しそうに輝いている。

 その間にもエリヴィアの足は力をなくし、とうとう地面に膝をついてしまったのだ。それがあまりに悔しくて、情けなくて、目頭が熱くなってくる。

 どうして言うことを聞いてくれないの? 私の身体だっていうのに、何で……。

 深い静寂が、心の傷を触ってゆく。

 しかし何よりも堪えているのは、ビアンカに攻撃をされているというその事実だ。

 彼女は他人から見ても、姉と思えるほどに優しく、色々なことを知っており、そして誰よりも大人だったのだ。たった二回しか会っていない。けれどそんなビアンカを、エリヴィアは本心から尊敬していたのだ。慕っていたのだ。

 だがそんな彼女と、今は身に覚えのない理由で戦っている。それも一方的にだ。

 ぎりっという音が、どこかからか聞こえてきた。寒さにやられた左の手で拳を作ると、エリヴィアは涙の溢れかけた双眸で床を射る。

 弱気になるな、自分。セイ=ラピリスが、そんなことでへこんじゃダメだ。

 ねっとりとした闇が、舐めるようにエリヴィアの肌にまとわりついてくる。それを追い払うようにしっかりとした心を持つと、痛く重たい身体をゆっくりと動かしていった。

 まずは……ビアンカさんの心の闇を取らないと……。

 すぐ近くにある短剣に、今度こそ触れようとした。

 震える、痛む腕を伸ばしながら、もう一息というところまで。

 しかし視界の端でビアンカの影が両腕を大仰に広げると、瞬く間に異端者セルフェナの気が広がってゆくのをエリヴィアは感じた。また彼女の影の隣には、もう一つだけ禍々しい形のものが現れてくる。

 それが一体何なのか、言わずともエリヴィアには解った。いや、ビアンカの話から察したとでも言おうか。

「ねぇ、リリアス。もうあの子を傷つけないでよ」

 ひどく冷めた声が、頭上で囁かれる。

 だがその瞬間、もう一つの音が静寂を突き破っていったのに気づいた。二人は揃って、音のした方へと視線を向けてゆく。

 ――するとそこには、絶望を湛えた銀色の少年の姿があったのだ。

 冷たい風が、礼拝堂の扉から入ってくる。



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