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天下界の無信仰者(イレギュラー)  作者: 奏 せいや
第1章 無信仰者は祈らない
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提示される思想『黄金律』

 ヨハネの言葉は意外だった。誰とでも付き合えるだけでなく、無信仰者の俺でも出来ることがあるって?


「はい。琢磨追求でも慈愛連立でもなく、無我無心でもない。無信仰でも行えるものです」


 ヨハネの笑顔は嘘を言っているようには見えない。


「それは……?」


 気づけば、俺の口は勝手に聞いていた。


「はい、それが」


 問いにヨハネが答える。それは――


黄金律おうごんりつと呼ばれるものです。知っていますか?」

「いや、初耳だ」


 黄金律。聞いたことがない。一体どういうものか、考えてみるが見当も付かない。


「黄金律とはまだ神がいなかった時代、哲学や教訓などを考えていた時に唱えられた一つの教えです。内容自体はとても簡単なものですよ。守るべきことは二点だけです」


 ヨハネは人差し指と中指を立て、二つであることを強調する。


「いいですか? 黄金律の教えは、自分がされて嬉しいことは人にもしてあげる。自分がされて嫌なことは人にもしない。これだけです」


 ね、簡単でしょう? と最後に付け加えて、ヨハネは笑った。


「え、それだけ?」


 だが、どんなことだろうと身構えていた俺としては拍子抜けだった。


「ええ。これが黄金律と呼ばれる教えです。あ、さては信用していませんね?」


 冗談のように笑うヨハネを依然怪しそうに見つめるが、ヨハネは自信があるのかたじろぐことはしなかった。


「神のいなかった時代には、かつて多くの哲学や思想がありましたが、それらの共通点であったのがこの黄金律なのです。どのような教義にも当て嵌まる、普遍的であり本質的な思想と言えるでしょう。少なくとも、これが守れている限り人から悪い印象は持たれないはずです。どうでしょうか宮司さん、参考になりましたか?」


 笑顔で聞いてくる言葉は俺を案ずる一心だけのように思える。笑みは純真な輝きを放ち、穏やかな声には安心感がある。


 仲間のいない無信仰者だからこそ、普遍的な価値観である黄金律。理に適った話ではあるし仲間外れでも共有出来る唯一の術かもしれない。

 俺は黙り込んで考えるが、ややあってから答えた。


「まあ、覚えておくよ」

「はい、覚えていただければそれで結構です」


 ヨハネは笑顔で受け止めるとそれ以上勧めてこなかった。自主性の尊重か、選択はあくまでも俺に委ね無理強いはしてこない。


「それと申し訳ないのですが、最後に教師として一つ確認だけさせてください」


 ヨハネはそう言うと視線を俺ではなく、隣に座っていたミルフィアに向けていた。


「失礼ですが、あなたがミルフィアさんですか? 事情は知っています。ここの生徒ではないですが、出入りの許可は出ていると」

「はい、そうです」


 そこで今まで会話には参加していなかったミルフィアが初めて喋った。背筋を伸ばし膝に両手を置く姿は優等生を絵に描いたようだ。

 表情は精悍で、棘はないものの機械的な話し方には親しくする意思は見られない。


「そうですか、分かりました。それだけは確認しておきたかったものですから」


 ミルフィアに向けニコっと笑った後、ヨハネは気配を引き締め俺に向き直った。


「宮司さん、教室での出来事は申し訳ありませんでした。私の落ち度です。私なりにもっと努力しなければ」

「な、なんだよ改まって」


 いきなり真剣になるんじゃねえよ、変なカンジになるだろうが。


「いやなに、それだけですよ。ただの反省と宣誓です。私は諦めませんから、宮司さんからもなにかあればなんでも話してくださいね、いつでも相談に乗りますから」


 そう言うとヨハネは俺にも微笑んだ。退学撤回の猶予まで期限は一か月。けれど、俺は咄嗟に顔を背けてしまう。諦めない。その言葉が重い。


 だって、出来るはずがないんだ。どう頑張ったって無信仰者を怖がる奴はいる。変わるはずがない。

 ただ、そう思う表情を見せたくなかった。

 それで話は終わったらしくヨハネは救急箱を片付けると立ち上がった。


「私からは以上です。長いこと引き留めてしまい申し訳ありません。では教室に戻るとしましょうか」

「…………」


 ヨハネから教室へ戻るよう促される。だが、さきほどの喧嘩とクラスの反応は今でも覚えている。正直まだ教室に戻るには足が重かった。


「……分かりました。宮司さんたちは後ほど。ですがちゃんと教室に顔は出してくださいね?」

「分かった」


 ヨハネは保健室から出て行った。扉が閉められミルフィアと二人きりとなる。


「ふぅ~」


 力が抜ける。と、ふいに隣が気になり視線を向けてみた。

 ミルフィアは黙ったままじっと座っている。美しい横顔がそこにあり、気になっただけのつもりがつい見つめてしまう。

 ミルフィアはきれいだ。ずっと一緒にいるけれど、彼女の顔を見飽きたということはない。


「どうかされましたか、主?」


 やばっ!


「い、いや。別に!」


 咄嗟に顔を背ける。変に思われたかと焦ったが、ミルフィアの大きな瞳は優しく細められ小さな口元は持ち上がっていた。


 彼女と初めて出会ったのは俺がもっと子供の頃だった。突然俺の家に現れたかと思えば俺を主と呼び、自分は奴隷だと言い出したちょっと頭のおかしな女の子(冗談だけど)。理由を聞いても要領の得ない答えばかり返してきて正体も不明。おまけに出たり消えたり出来る。


「なあ、ミルフィア」

「はい、なんでしょうか主」


 それで何の気なしに、隣に座る金髪の彼女に聞いてみた。


「お前は一体、何者なんだ?」


 質問に、ミルフィアは小さく笑う。


「私は、あなたの奴隷です。主」

「……そうだったな、今思い出したよ」


 やっぱりこれか。ああ、分かってたよ。聞いてみただけだ。

 不思議な少女だ。でも、俺にとってミルフィアは誰よりも大切な存在だ。

 ずっと一人の人生で、なにをしても無信仰者として孤独な時間を過ごしてきた。敵だらけで、助けてくれる人なんて誰もいなかった。


 そんな中、ミルフィアだけが俺の傍にいてくれた。


 きれいで、優しくて、唯一俺の味方でいてくれたミルフィア。お前は誰よりも大切な存在だ。

 だけど、だからこそ思うんだ。

 せめてお前だけは、俺とは違って幸せになってくれって。お前だけでもさ。


「そうだミルフィア。さっきはありがとうな、庇ってくれて」

「いえ、あれくらいのことは。もったいなきお言葉です、我が主」


 俺がお礼を言ってもミルフィアは小さくお辞儀をするだけ。そうした仕草を嬉しく思う時もあるけれど、やっぱり距離感が寂しい。


「なあミルフィア」

「はい」


 返事とともに、ミルフィアが可愛らしい顔を向けてくれる。


「感謝してる。でも、あんなことはもうしないでくれ」

「それは何故ですか?」


 ミルフィアは俺と年は変わらない。まだ子供だ、女の子なんだ。


「危ないだろう、もしお前が斬られたらどうするんだよ」

「それは、私の務めですから」


 ミルフィアは平気でそんなことを言う。


「お前はもう自由に生きろ。奴隷なんか止めろって。なにが楽しいんだそんな生き方」

「ですが、それはなりません」

「なんでだよ」


 お前に幸せになって欲しいのに、どうして本人のお前が否定するんだ。

 声を荒げ言う俺に、ミルフィアの声は落ち着いていた。


「私は、主の奴隷です。主のために死ぬのでしたらそれは私の本望です」

「…………」


 くそ。なんでお前はそう、そんなことを笑って言えるんだよ。

 自分の幸せに生きて欲しい。奴隷なんて生き方するくらいなら、せめて友達として付き合っていきたい。


 だけど、それは無理なんだ。


『ねえ、奴隷なんていらないよ。それよりも僕と友達になってよ』

『すみません主、それだけは応えられません』


 昔、俺はミルフィアに友達になって欲しいと願ったことがあった。だが、それは見事に断られた。

 奴隷を止めさせることも、友達になることも出来ない。


(くそ)


 裏庭でお前を幸せにすると誓ってから数年経ったのに。


 俺はまだ、それを達成出来ていない。

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